一二七
レオポルドがラジアに着陣してから半月の間に五つのハルガニ人の村が焼かれ、数百人もの住民が家と財産の一切を失って露頭に迷うことになった。その内の何割かは自身の家に火を放ち、自分の財産を持ち去ろうとしたレオポルド軍の将兵に抵抗の意志を示して殺された。
特に頑強な抵抗を示したのはナルハッサ族であった。彼らはアスファル族の従属下にある部族で、今の族長はナルハッサ族の族長の婿養子に入ったアスファル族の者だという。
人質と糧秣の両方を拒み、レオポルド軍の使者を追い返したナルハッサ族にレオポルドは近衛大隊の三個中隊を差し向けた。
近衛大隊を迎え撃ったナルハッサ族の二〇〇騎から成る軽騎兵の軍勢は一時間足らずの戦闘で壊滅し、ナルハッサ族の町ワウジは徹底的に破壊された。族長とその一族の主だった者のうち、戦死しなかった者はレオポルド軍の陣営に連行され、見せしめとして磔刑に処された。
レオポルドの強硬姿勢を見たハルガニ諸部族は渋々ながらレオポルドに恭順する姿勢を見せ、人質と糧秣の徴発に同意した。
人質は各部族から族長又は族長の末子の五歳以上一五歳以下の子女一〇名及びその世話役と決められた。ハルガニ人はムールド人と同じく年功序列を重んじ、末子相続の風習がある。その為、多くの部族が差し出した人質は族長の後継者であるその末子の子女であった。子女が一〇名に満たない等の事情がある場合は末子のすぐ上の兄の子を人質にすることとされた。
つまり、レオポルドは部族の将来を担う後継者の後継者候補たちを人質にするよう指定していた。人質の価値を高める為であることは言うまでもない。部族が見捨てても良いと感じるような者では人質の価値などないのだから。
食糧の徴発はほとんど強制的であったが、手形を発行して買い上げる形を取った。手形はレオポルドが設立したサーザンエンド銀行を通じて現金化することができた。これはハルガニ人社会に帝国貨幣を流入させ、かなり帝国化しつつあるムールド経済に取り込もうという計算からのものであった。
元より豊かではないハルガニ人たちの食糧は徴発によって大きな打撃を受け、アスファル族に糧秣を提供するどころではなくなり、彼らはアスファル族の別働隊を匿ったり、見なかったふりはするものの、十分な糧秣の提供は不可能となった。
自前で糧秣を携えて行動することになったアスファル族の別働隊の機動性は大きく損なわれ、レオポルド軍に奇襲するどころか逆にムールド人軽騎兵連隊に捕捉され、撃破されることも多くなった。
また、レオポルドは攻城用の塹壕工事を一時中断させ、自軍の陣営の外側に土塁と木柵を築かせた為、奇襲は尽く防がれることとなった。
この頃、レオポルド軍の軍医によって伝染病の感染経路が特定された。綿密な調査の結果、この病は空気感染することは少なく、病兵の糞尿によって感染することが判明したのだ。感染が軍全体蔓延したのは病兵の糞尿も他の兵の糞用も一緒に処理されていた為、糞尿の始末を行う当番兵が次々と感染してしまった為である。
糞尿の処理は大きな穴を掘ってそこに糞尿を埋め立てる方法が取られていたが、病兵の糞尿は別の穴に埋めて処理することとし、病兵の糞尿を処理する係は糞尿に触れないよう長袖と手袋を着けて特段の注意を払うこととされた。
これらの諸策によってレオポルド軍は後背を脅かされることはなくなり、糧秣も二ヶ月程度は軍勢を維持できる量を確保することに成功し、陣営内で猛威を振るった伝染病も収束し、ラジア攻撃に集中できる環境が整えられた。
伝染病の蔓延が防がれるとレオポルドは兵員を徐々に陣地の東側に移動させていた。健康な兵を病兵に見せかけて東側の天幕に移動させた。ラジアから見ると伝染病の患者が移送されているように見えるだろう。
レオポルドはラジア攻略には積極的な攻勢が欠かせないと理解していた。
とはいえ、闇雲に突撃しては多大な損害を被るだろう。損害を抑える為には攻撃を一点に絞るべきであり、レオポルドは最も東側の外塁をその目標に決めていた。その左翼は別の外塁によって守られているが、右翼の海側は無防備に曝け出されている為である。
攻勢はずらりと並べられた二〇門以上の大砲による砲撃から始まった。砲撃は早朝から数時間に渡って続けられ、五〇〇発以上の砲弾が最も東の外塁へと撃ち込まれていく。砲弾は土塁に突き刺さり、派手な土砂を巻き上げているが、効果の程は不明であった。
ラジアからも砲弾が撃ち返されるが、レオポルド軍の大砲は塹壕と土塁に守られており、直撃を受けない限りは安全で、幸運にもレオポルド軍の大砲が直撃を受けることはなかった。
その間、レオポルド軍の将兵はラジアに近い第二の平行壕に潜み、攻勢の合図を待ち続けていた。
「閣下。砲身が焼き付いています。これ以上の砲撃は危険です」
「宜しい」
砲兵隊長の報告を受けたレオポルドは覗き込んでいた望遠鏡を下ろし、傍らに控えるバレッドール将軍に手で合図した。
「第一陣を前進させろっ」
将軍は伝令に指示を飛ばす。
レオポルド軍陣営各所で高らかと喇叭の音色が響き渡る。先陣を切るのは第一ムールド人歩兵連隊第二大隊である。指揮官は連隊副長ヨハン・ブローゼル中佐。彼はファディの下級貴族の出身で、ジルドレッド将軍の下で軍歴を積んだ士官で、サーザンエンド・フュージリア連隊の少佐を務めた後、現職にある。
ブローゼル中佐は配下の将兵に呼びかけた。
「さて、紳士諸君。かくれんぼの時間は終わりだ」
中佐はさっとサーベルを引き抜くと塹壕を上がる梯子に足をかけた。
「私に続きたまえ」
後ろに並ぶ部下たちにそう声を掛けると彼は真っ先に梯子を上って行った。
「中佐に続けっ。野郎どもっ。さぁ、上がるんだっ。ぐずぐずするなっ」
下士官にどやしつけられた兵たちは次々に塹壕から這い上がる。
第二大隊が潜んでいた第二平行壕から目標とする外塁までは半マイルとない距離である。言うまでもなくラジア城砦の大砲の射程距離内だ。ラジア城砦に設けられた大砲の砲口が向けられ、数発の砲弾が放たれる。そのうちの一発が第二大隊の不運な兵士数人を吹き飛ばす。
安全な塹壕から這い上がった兵士たちは士官と下士官の命令によって横一列に整列させられた。兵たちが整列する間、戦列の前に立ったブローゼル中佐はラジア城砦に背を向け。一列に整列する兵たちを眺めていた。綺麗な戦列が形成されると中佐は食事にでも誘うような口調で言った。
「諸君。では、行こうか」
「だいたーいっ。ぜんしーんっ」
先任曹長が号令をかけ、戦列は前に進む。ちょうどそこにラジア城砦からの第二撃が飛び込んできた。直撃を受けた数人の兵士の身体はバラバラに吹き飛び、腕や脚を失った兵が地面に倒れ込んで悲鳴を上げながらのた打ち回る。
戦列は砲撃によって生じた穴を素早く埋め、何事もなかったかのように前進を続けた。
ラジアの外塁までの距離が一五〇ヤードを切ると、砲撃に加え、銃撃も加えられるようになった。小銃の射程としては遠すぎる為、命中弾は多くはないが、距離が縮まるにつれ、命中する銃弾も多くなる。身を隠す術のない第二大隊の兵たちは次々と銃弾に撃ち抜かれて倒れていく。
大隊は外塁の右翼、海側の側面から接近していき、外塁まで五〇ヤードの距離に近付くと停止の号令がかけられ、兵士たちはその場に立ち止まった。目の前には深く掘り抜かれた濠があり、その向こうには高い土塁が聳えていた。
この距離まで近づくとラジア城砦の大砲は射角の関係から大隊に砲弾を撃ち込むことはできなくなる。その代わり、数多の銃弾や矢が浴びせられる。
「かまえーっ」
号令が響き渡り、兵士たちは肩に担いでいたマスケット銃を構え、銃口を土塁の上に陣取ってこちらを狙う敵兵へと向ける。
「ねらえーっ」
兵達は土塁の向こうに見えたり消えたりを繰り返し、絶えず動き回る敵兵に震える銃口を合わせようと苦心する。
「撃てーっ」
号令に合わせて一斉に五〇〇発近い銃弾が放たれた。土塁の上で頭を撃ち抜かれた何人もの敵兵が断末魔の悲鳴を上げながら倒れ伏す。
ブローゼル中佐がサーベルを土塁の上へと向けると、先任曹長が叫んだ。
「突撃ーっ」
高らかに突撃喇叭が吹き鳴らされ、第二大隊の将兵は煌めく銃剣を着けたマスケット銃を構え、喊声を上げながら駆け出した。濠に飛び込み、緩い坂になった土塁を這い上がる。梯子を架けて、駆け上がる。
土塁の上からは石や煉瓦などが投げ落とされ、銃や弓を構えた兵が射撃を繰り返す。いくつかの擲弾が投げ落とされ、爆発し、幾人ものムールド兵が吹き飛ばされた。
後方から続いてきた第一ムールド人歩兵連隊第一大隊は濠の傍まで近付くと、マスケット銃を構え、援護射撃を始めた。石を投げ落とそうと立ち上がった敵兵を撃ち殺し、マスケット銃を構えた敵兵に銃弾を撃ち込む。
土塁に掛けられた梯子の数は十数本にも上り、それぞれに数十人もの兵が群がり、次々と梯子を上っていく。負けじと擲弾を土塁の向こう側に投げ込み、姿を見せた迂闊な敵の頭をマスケット銃で撃ち抜く。
そこに予期せぬ方向から数発の砲弾が撃ち込まれ、十数人の兵が吹き飛ばされた。
「今の砲撃は何処からだ」
「海側からのようですっ」
ブローゼル中佐が尋ねると副官が海を指した。彼らから見て海は左側に位置する。
見ればいつの間にか海上には数隻の軍艦が浮いており、砲門をこちらに向けていた。第一ムールド人歩兵連隊はラジア城砦の外塁と敵艦隊に挟まれるような形になっている。
「このままでは兵たちが浮き足立ちますっ」
「撤退は許されぬ。何としてもこの外塁を落とすのだ」
副官の進言を退け、中佐は渋い顔で土塁に架けられた梯子を上る部下たちの背中を見送った。
再び何発もの砲弾が第一ムールド人歩兵連隊の戦列に飛び込み、幾人もの兵の身体を四散させ、何人もの兵から腕や脚を捥ぎ取っていく。
前面の城砦を攻めるだけでも大変な苦労だというのに、それに加えて側面から砲撃があっては如何に勇敢な兵士でも耐えられないというものだ。兵士たちの勢いは見るからに衰えていた。
戦いが一時間を過ぎようとしてきた頃、本陣から駆けて来た伝令の騎兵が叫ぶ。
「閣下より御命令っ。一時退却せよっ。繰り返すっ。退却せよっ」
ブローゼル中佐は眉間に皺を寄せると副官に退却を命じた。
「だいたーいっ。退却ーっ。退却せよーっ」
先任曹長が怒鳴り、兵たちは一目散に後方へと退く。動ける負傷者は仲間の肩を借りてどうにか下がっていくが、動かしようのない死傷者はそのまま野蛮な敵の目前に残される。逃げる第一ムールド人歩兵連隊の背には雨霰と銃弾や矢が浴びせられ、砲弾が撃ち込まれる。退却中にも数多くの死傷者を出し、この日、第一ムールド人歩兵連隊は兵員の二割近くを喪失した。
第一ムールド人歩兵連隊の攻撃が惨めな失敗に終わった後、レオポルドの陣営にラジアからの使者が訪れた。
使者はアスファル族の族長の従兄弟でハルアクと名乗った。ハルアクがレオポルドの陣営にやって来た理由は当然のことながら和議の為であった。
ハルアクはハルガニ語しか話さなかったが、ハルガニ語はムールド語と極めて近く方言くらいの違いしかない為、ムールド人が通訳をすれば意思疎通に問題はなかった。
ラジアの使者は和議の条件としてレオポルド軍のハルガニ地方からの撤退を求めた。
また、以前の海戦によってラジアに囚われたディーテル卿他のレオポルド軍将兵の捕虜と先の戦いで囚われの身となった第一ムールド人歩兵連隊の捕虜合わせて二〇〇人余の身代金を支払うことを要求してきた。金額はディーテル卿の身代金として一〇万セリン。兵一人につき一〇〇〇セリン。合計で三〇万セリン以上にもなる大金である。
「如何致しましょうか」
バレッドール将軍に声を掛けられ、レオポルドは冷然と言い放つ。
「このような馬鹿馬鹿しい条件を呑むことはできん」
通訳がレオポルドの言葉を訳すとハルアクは不機嫌そうに顔を顰めた。
「貴君らが平和を望むならば、私の要求を呑むことだ」
逆にレオポルドが提示した条件はムールドの王を僭称し、ラジアに逃げ込んでいるレイナルとアスファル族族長の身柄の引き渡し。全ての捕虜の解放。ラジアの開城とレオポルド軍及び艦隊の駐屯を認めることであった。
通訳の言葉を聞いたハルアクは激昂した。
「そのような条件を呑むことはできない。これ以上話すことはない。捕虜の安全は保障できないと述べています」
通訳がハルアクの言葉を訳すとレオポルドは険しい顔で頷く。
「結構。では、城に戻ることだ。我々はラジアに入城するまでこの地を去るつもりはない」
レオポルドがはっきりと言い放つとハルアクは不機嫌な顔で去って行った。