一二六
昼食後、レオポルドは幕僚を引き連れてラジア城砦の様子を視察に向かった。
ラジアの城壁の高さは目測で五〇フィート程度。城門は真北と東西の三つ。城門を守る塔が各々の城門に二つずつあり、それとは別に城門と城門の間くらいに一つずつあった。城壁は海水を取り込んだ堀に囲われているようだ。
これが元々あったラジア城砦であろう。古代からある城砦を改築や増築してきた年代物だ。これだけならばレオポルド軍が有する二〇門以上の大砲を有効に活用すれば落とせないものではない。問題はその外側にある。
堀の外側は分厚い土塁でぐるりと囲われ、幅の広い濠が掘り抜かれている。その上、それぞれ城門の前面とその間には角のように張り出した三角形の外塁が築かれていた。そこには大砲が備え付けられ、多数の銃眼が周囲を睥睨している。当然、外塁の周囲にも幅の広い濠が掘られている。攻城側はこの濠から土塁を這い上がる間に砲弾を撃ち込まれ、銃眼から突き出されたマスケット銃に狙撃され、頭上からは擲弾や煮えたぎった油が浴びせられるだろう。
「帝国本土の要塞に見劣りしないな」
望遠鏡を覗き込んだレオポルドは呆れたような顔で言った。
レオポルドの言葉は実際は大袈裟というものだった。帝国や西方諸国の本格的な要塞ならば外塁や堀は更に二重三重に張り巡らされている。それに比べればラジアはまだ攻め易い。
とはいえ、急ごしらえにしては十分過ぎる。それほど大軍ではなく、大砲の数が不足し、攻城戦の経験も浅いムールド軍相手ならば役者不足ということはないだろう。
賢明にもバレッドール将軍は無謀な突撃を敢行することはせず、攻城壕を張り巡らせていた。既に城壁と平行な壕を掘り、更に城壁へと接近する壕を掘り進めている途中であった。城壁と平行に掘られた壕を平行壕と言い、城砦へと向かう壕を斜壕と言う。塹壕を掘り進める作業は敵の砲撃を受けながら進められる為、斜壕はジグザグに掘られ、六本もの斜壕が出来上がっていた。そろそろ、第二の平行壕を築く頃合だろう。
これに加え、本格的な攻城戦では地下坑道が掘られ、敵の城壁の真下に爆弾を仕掛けるということも行われたものだが、レオポルド軍には地下坑道を掘れるだけの技術がある工兵が不足していた為、坑道の掘削は行われていなかった。
防御戦術を重視するバレッドール将軍らしい堅実な策ではあるが、これだけではラジアを陥落せしめることはできないだろう。陸上の要塞ならばいざ知らず、ラジアは港湾都市である。糧食などの補給は海側からいくらでもできる。陸側の包囲を固めても音を上げることなどあるまい。
「どうやって攻めるべきか。誰か意見はあるかね」
望遠鏡を下ろしたレオポルドの問いに答える者はいなかった。
レオポルドは不機嫌そうに眉間に皺を寄せてから、ドレイクを見た。
「ドレイク卿。何か策はないだろうか」
大陸各地で幾多の戦場を潜り抜けてきた傭兵隊長ならば妙案を持っているかもしれないと期待してのことである。
レオポルドが視線を向けた時、相変わらず草臥れた緑色の軍服を肩に引っ掛けた酔っ払いはちょうど鼻毛を引っこ抜いているところだった。
「おっと、失礼。おぉ、こいつは長い……」
「ドレイク卿っ」
思わずバレッドール将軍が怒鳴りつけるが、ハワード・ドレイクは気にした風もなく、摘まんだ鼻毛を吹き飛ばしてから口を開く。
「海側を包囲せんことには何ともならんでしょうなぁ。後は、まぁ、お勧めはしませんが、力攻めしかありますまい」
ドレイクの言葉に士官たちは溜息を漏らす。その肝心の艦隊が壊滅してしまった為に攻囲軍は苦境に立たされているのだ。
「新たな艦隊は来援しないのでしょうか」
ジルドレッド准将の問いに多くの士官が期待を込めた視線でレオポルドを見つめた。
「そのようなものが来るものか」
レオポルドが不機嫌そうに言い捨てると、士官たちはあからさまな落胆を顔に出す。
「とにかく、まずは攻囲軍を再編せねばなるまい。まずは病人用天幕は最も東の外側に移動させろ」
「しかし、それでは傷病兵用の天幕は敵の恰好の標的になります」
バレッドール将軍が昼前にも述べた懸念を繰り返す。言うまでもなく、傷病兵は満足に動くこともできないくらいに弱っている。襲撃されれば抵抗する間もなく虐殺されるだろう。
「それでも隔離は必要だ。このままでは我が軍は敵にやられるまえに病で壊滅するぞ」
健康な将兵を病魔の手から救うには病人との接触を絶ち、距離を取るしかない。病人を後送しようにもラジアからファディまでは一ヶ月半以上の長旅であり、その旅程は満足に休息を取ることも難しい砂漠と荒野なのだ。病人の体力が持つわけがない。しかも、十分な護衛の兵を付けて送り出すだけの余裕はレオポルド軍にはなかった。
「近衛大隊が増えた分、より厳重な警備が可能となるだろう。それで敵襲を阻む。夜間でも灯火を絶やさず昼のように明るくせよ」
レオポルドが断固とした口調で述べると将軍は沈黙した。
バレッドール将軍はラジア攻略を任されながら、このような苦境に追い込まれた責任を強く感じており、自身の意見を主張することに遠慮していたのだ。
他の幕僚たちもそれは同じで、それ以上の反対意見が出ることはなかった。
結論から言えば、レオポルドの考えは甘かった。
ラジアに着陣し、傷病兵用の天幕を移動させた僅か三日後の深夜。
自身の天幕で就寝していたレオポルドは顔面を殴打され、文字通り叩き起こされた。
「なっ、何だっ」
彼を物理的に叩き起こしたのは護衛役を務めるソフィーネだった。
彼女が答える前に喇叭のけたたましい音色が鳴り響く慌ただしく走り回る人々の足音、馬蹄の響き、怒号や喊声も聞こえてくる。
「これは、まさかっ」
「少なくともお祭りみたいに愉快な事じゃないことは確かですね」
ソフィーネは澄ました顔で皮肉めいたことを言った。
寝間着姿のまま天幕を飛び出した彼の目に飛び込んできたのは赤々と燃え盛る病棟用天幕の姿であった。
「閣下っ。夜襲ですっ。敵の数は一〇〇騎程度。迎撃に出たムールド人軽騎兵と交戦中ですっ」
「警備の兵は何をしていたっ」
レオポルドに怒鳴られた伝令は答える術を持たず狼狽える。
「伝令に聞いてもしょうがないじゃありませんか。冷静になって下さい」
レオポルドに続いて天幕から出てきたソフィーネが呆れたような顔で言う。
「これが冷静でいられるかっ」
ソフィーネは心底呆れたように溜息を吐いてから、伝令の兵を手で追い払ってから、レオポルドに冷ややかな視線を向ける。
「貴方が冷静でいられないのは自分の判断で天幕を移動させた為に、多くの傷病兵が抵抗もできずに焼き殺されているからでしょう。その苛立ちを部下にぶつけるのは止めるべきです。みっともない」
ソフィーネの刺々しいどころか剣のように鋭い言葉にレオポルドは言葉を失う。
「まずは身支度を整えるべきです。君主たる者、どんな状況にあっても威厳を失ってはいけません。着の身着のままで狼狽えた姿を配下に見せては舐められます。それから現場に向かいましょう」
現場指揮官であれば着の身着のままであっても緊急の臨機応変な対応が求められるが、レオポルドはそうではないのだ。彼は君主であり最高指揮官なのである。敵軍への応戦、燃え盛る天幕の消火、傷病兵の救助や治療の指揮は当直の士官をはじめとする現場指揮官が行うべきで、彼が慌てて駆けつけてやる仕事ではない。
「私よりも君の方が余程君主の器のような気がしてきたよ」
レオポルドの言葉をソフィーネは澄まし顔で無視した。
傷病兵用天幕の周辺には阿鼻叫喚の地獄絵図が現出していた。
火達磨になった傷病兵が天幕から飛び出して苦痛に満ちた悲鳴を上げながらのた打ち回る。その周辺には黒焦げになって動かない人だった物が至る所に転がり、酷い火傷を負った兵は弱々しく水を求めていた。燃え盛る天幕からは悲鳴と怒号、助けを求める声がひっきりなしに聞こえてくるが、北西からの強く乾いた風に煽られた火炎は収まる様子はなく、手を付けられる状況ではなかった。
士官は混乱する兵をまとめ、負傷者の救助と搬送を指示する。軍医は重傷者を見て回り、手遅れだと判断した重傷者を見捨て、助かる見込みがある者を選抜していく。
高らかな喇叭の音色が鳴り響き、ムールド人軽騎兵連隊が既に退却を始めた敵騎兵を追撃に向かっていく。
「丸焼けになった者はもう助からんっ。苦しまないようにしてやれっ」
ジルドレッド准将が怒号を飛ばし、兵たちは狼狽えた様子で顔を見合わす。炎に包まれ、最早誰だか分からない有様だが、ついこの間まで共に肩を並べていた仲間なのだ。若しかしたら、同族かもしれない。友人なのかもしれない。
兵たちが二の足を踏む為、仕方なく士官たちがピストル片手に助かりそうもない者を射殺していった。
「随分と酷くやられたな」
焼死体と重傷者の間を縫って歩きながらレオポルドがジルドレッド准将に声を掛けた。傍らには護衛役のソフィーネの姿がある。
レオポルドは努めて平然とした態度を取った。
「閣下。こちらは見ての通り、傷病兵用の天幕が三つほど焼かれました。死者は一〇〇名を下らないでしょう。他に警護の兵が数人戦死しております」
「敵はどうした」
「既に敵勢は退却いたしました。ムールド人軽騎兵連隊が追撃しておりますが、この闇夜ですから根拠地を突きとめるのは難しいかもしれません。今までの夜襲でも同じように撒かれておりますので」
松明と月明かりしかない闇夜の中の行軍は非常に危険であることは言うまでもない。敵を見失うどころか、自分たちの位置を見失って、陣地に戻れなくなったり、逆襲を受ける危険性もある。
「なんとしても敵の根拠地を突き止めねばなるまい。少なくとも捕虜を取る必要があるだろう」
「捕虜ですか」
「敵を追いかけるのが難しいならば、敵に聞くしかあるまい」
そう言ってからレオポルドは傍らのソフィーネを見やる。
「拷問は得意か」
「貴方は私を何だと思っているんですか」
ソフィーネは不機嫌な顔でレオポルドを睨む。
「私は神に仕える修道女ですよ」
その割に彼女の最近の仕事は護衛任務と名ばかり従軍司祭が主であり、レオポルドは彼女が神に祈る姿は食事前にしか見たことがなかった。食事前に祈るくらいならばちょっと信心深い人間ならば誰でもやることである。
「仕方ない。では、他に得意そうな者を探そう」
結局、追撃に出たムールド人軽騎兵連隊は敵の姿を見失い、捕虜の一人も得ることができなかった。
夜襲の翌日の軍議でレオポルドはハルガニ地方一帯の地図を広げさせた。
「先の夜襲で分かったことは敵の別働隊の動きを封じなければ我々はラジア攻略に尽力できないということだ」
いつ何時、背後から攻撃を受けるのか分からないような有様ではラジア攻囲に集中できないのは言うまでもないことで、軍議に席を並べた高級士官たちは異論なく頷いた。
問題は敵の別働隊が何処に潜み、何処から出てくるのか分からないことだ。レオポルド軍は現地の地勢に疎く、今広げている地図もラジア攻囲中の数ヶ月を要して作り上げた苦心の成果なのだ。
「おそらく敵の別働隊は近隣の漁村や海岸に上陸し、いくつかの集落に支援されながら、攻撃の機会を窺い、機を見て奇襲を繰り返しているものと思われます」
ジルドレッド准将の言葉は推論でしかないが、妥当なところだと思われた。毎度奇襲を仕掛けてくる敵の別働隊は機動力を重視した軽装の騎兵部隊で物資などを携行している様子がない。となれば、何処かから糧秣や水の供給を受けていると見るべきだろう。
ラジア攻囲軍の幹部も当然そんなことには気付いている。
「近隣の集落にはアスファル族を支援すれば敵を見做して攻撃を行うと警告を行っておりますが、彼らがそれに従っているかは不明です」
近隣の集落に住むのはハルガニ人の諸部族で、ラジアに籠るアスファル族とは友好関係にある。アスファル族の戦士を匿ったり支援したりすることに躊躇う者は少ないだろう。
「口先だけの警告をしたところで意味はないだろう」
先の夜襲がその明確な証左に他ならない。
「アスファル族の兵を匿ったり、支援したりしないよう全ての部族に人質を出させろ。族長又は族長の末子の子女が良いだろう。少なくとも一部族から一〇人は差し出すようにせよ」
その指示に将軍たちは顔を見合わせる。
「恐れながら、ハルガニ人たちが大人しく我々の命令に従うとは思えません」
「命令に服さぬ場合は村を焼け。見せしめにいくつかの村を焼き払ってやれば連中の良い薬になるだろう」
「しかし、そんなことをしては余計に住民が反発し、兵を挙げるやもしれません」
バレッドール将軍がアスファル族以外のハルガニ人諸部族に対して強硬な態度に出なかったのはそれが理由であった。アスファル族のラジアだけでも手一杯の現状で、他の諸部族の軍勢まで相手にする余裕はないのだ。
「連中が兵を挙げるならば叩き潰すのみだ。我が軍がハルガニ人相手に野戦で敗れるものか。ハルガニ人が連合してアスファル族と共に野戦に打って出ればラジアを攻めるよりも楽に勝てるだろう」
レオポルドはハルガニ人相手の野戦には自信を持っていた。最新式の銃火器を装備し、既にいくつもの戦いを経験しているレオポルド軍ならば、銃火器には未だに不慣れで効率的な軍隊組織や指揮系統を持たないハルガニ人の軍勢に敗れる可能性は低いと考えているのだ。
「人質を取るついでに糧秣も徴発しよう」
物資の現地調達は戦場では有り触れた光景である。大量の物資を買い集めて前線まで輸送するのは非常に困難で手間が多い。現地調達の方がずっと簡単で効率的なのは言うまでもない。
「糧秣を取り上げれば連中もアスファル族を支援することなどできまい。武装蜂起を防止する効果もあるだろう」
武器を取って戦おうにも十分な糧秣が確保できなければ戦いどころの話ではないだろう。
「直ちに近隣の集落に人質と糧秣を一週間以内に差し出すよう布告を出すのだ。来週からは人質を寄越さない部族のところに迎えの兵を向かわせよ」
レオポルドは城を攻める前に近隣の集落をしっかりと支配下に置くつもりだった。外堀を埋める前に、更にその外側をしっかりと自らの制圧下に置かなければ落ち着いて攻城ができないというものだ。