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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第八章 南岸
130/249

一二四

「だいたーいっ。前へーっ。進めーっ」

 先任曹長の号令が響き渡ると同時に真っ赤な行列は動き出す。

 揃いの緋色の軍服に身を包んだ近衛大隊の歩兵たちはフリントロック式マスケット銃を担ぎ、食糧や着替え、食器などの手荷物を詰め込んだ背嚢を背負っている。帝国人歩兵で構成された第一中隊の兵は腰にサーベルを提げ、三角帽を被っている。他の三個中隊のムールド人歩兵の腰にあるのは半月刀、被っているのは白い房飾りの付いた円筒形の帽子だ。

 ファディ市民の歓声に見送られた近衛大隊の兵士たちはきびきびとした動作で行進する。

 隊列の先頭を行くには白馬に跨ったムールド伯レオポルドで、真紅の軍服を身に纏い、白い羽飾りを付けた三角帽子を被り、不機嫌そうに顔を顰めていた。

 レオポルドに続くのは近衛大隊長であるキスカの代理として近衛大隊を率いるサライ・ナザム・タキム少佐である。彼はレオポルドからレイナルへと裏切った過去があるエジシュナ族の出身で、部族が裏切った時、レオポルド軍に参加していたエジシュナ族将兵がレオポルド軍に留まったのは彼の働きによるものである。その功績により、エジシュナ族が冷遇される中、唯一近衛大隊長代理という重要なポストに抜擢されていた。

 レオポルドの傍には純白の修道服を着て、教会軍特有の長大な十字剣を携えたソフィーネも従軍司祭という役職で従っている。実際のところはレオポルドの護衛役であることは言うまでもない。

 彼らの後ろには大隊旗手カール・ハルトマイヤー中尉が続く。彼はゲオルグ・ハルトマイヤー宮内長官の子息である。

 大隊旗の後を行くのは近衛大隊副長兼第一中隊長であるハイドリヒ・ハルトマン大尉と第一中隊副長のカスパル・レーダー卿に率いられた第一中隊一〇〇名。ハルトマン大尉はサーザンエンド・フュージリア連隊の中隊長などを歴任した士官であり、レーダー卿はウェンシュタイン男爵家出身で、高等法院評定官アリウス・レーダー卿の子息である。

 第一中隊の後ろには荷駄隊の列が連なっている。酒や水を詰めた樽を積み込んだ六頭立ての馬車四五台、牛四〇頭、羊五〇〇頭、山羊一〇〇頭、小麦や豆類、野菜を詰めた袋を背負った駱駝三四〇頭、武器弾薬、馬や家畜用の秣を満載した馬車四〇台、更に一〇門の砲を牽いている。最後尾は第四中隊であり、第二中隊と第三中隊は荷駄隊の間に分散して配置されている。

 その隊列の長さは三マイルにも及び、先頭のレオポルドがファディを出た数時間後に最後尾の第四中隊がファディを出るくらいの長さであった。それでもラジアを包囲する五〇〇〇の将兵の一ヶ月分の食糧にしかならない。

 かくの如く戦争とは大変な量の物資を消耗するものである。

 これだけの物資を掻き集めるのにレオポルドは一ヶ月を要した。

 元よりムールドは食糧が豊かに取れる地ではなく、その多くはない食糧もラジア攻略軍によって徴発されていたのだ。その上、ここ数年の戦乱によってムールドにおける食糧生産量は大きく落ち込んでいる。レオポルドが推進する食糧増産計画もまだ軌道に乗ってすらいない。

 これ以上の徴発を強いればムールド中から大きな反発を買うことは疑うべくもない。

 となれば物資を輸入する他ないだろう。金はかかるが、そこは毎度のことながらレイクフューラー辺境伯のツケにしておけばいい。問題はその輸送に少なくない時間がかかることであった。季節は冬であり、他の地域でも食糧は余っているわけではない。金に糸目を付けず、帝国本土からも海路を輸送させて掻き集めた結果、一ヶ月かかってどうにかこれだけの物資が集まったのである。

 その間、レオポルドは遊んでいたわけではない。

 レッケンバルム家とエティー家にマクシミリアンとエリーゼの婚約を勧め、ジルドレッド将軍に子息とフィオリアの婚約を提案した。

 父親であるレッケンバルム卿は微妙な顔をしていたが、子息本人は相手の承諾を条件としてあっさりと縁談を受け入れた。その足でエティー家に向かったところ、上司との縁談を聞いたエリー・エティー大尉が顔面を真っ赤に染めて主君であるレオポルドを罵倒して、父親から拳骨を食らうという波乱があったものの、縁談自体を渋ることは全くなかった。

 両者に異論がないとなれば、話は呆気ないほど素早く進み、粗方完成したばかりのファディ教会において結婚式まで済まされた。その間、一週間という早さで、事を仕組んだレオポルドがこんなに簡単に済ませていいのだろうかと疑問に思う程であった。

 一方、ジルドレッド家の方はそれほど素早くというわけにもいかなかった。将軍が本人不在の場では承諾することができないと至極尤もな理由を述べた為である。花婿候補であるカール・ルドルフ大尉はラジア攻略軍に参加しているのだ。

 レオポルドとしてもレッケンバルム・エティー両家の例のように早い結婚を望んでいるわけではないから、話をしておくに止めることにした。レオポルドはジルドレッド家に義理の姉を嫁がせても良いと思っていることが相手に伝わるだけでもジルドレッド家を反乱に加担させないある程度の効果があるだろう。黙っていれば主君の縁戚になることができるのだ。わざわざ、その主君を追い落とすような賭けに手を染める必要性はないだろう。

 とりあえず、一つの婚姻を成立させ、もう一つの婚姻の話を進めておいて、キスカとレンターケットという目と鼻と耳がよく利く二人の側近を残すことでレオポルドは満足することにした。

 そもそも、親レオポルド派であるカルマン族の根拠地であるファディにおいて密かに反乱の謀略を巡らせ、兵を起こすこと自体が難しいだろう。

 二つの婚姻はレッケンバルム家とジルドレッド家に余計な動きをさせない為の保険のようなものである。

 自分が保険の為によく知らない他人と婚約させられそうになっていると聞いたらフィオリアはなんと言うだろうか。

「貴方がフィオを他人の嫁にやるのは意外でした」

 レオポルドがぼんやりと怒りっぽい義理の姉に思いを馳せていると、彼の考えを呼んだかのような棘のある言葉が飛んできた。

 馬首を並べたのはその身を包む純白の修道服とは対照的な長い黒髪を靡かせた修道女である。髪を露出させ、腰に十字剣を携えている姿はあまり修道女らしいとは言えないが。

「……何が言いたい」

「言わずとも分かるでしょう」

 馬首を並べた彼女はそう言ってニヤリと口角を吊り上げる。

「まぁ、利害の為ならば私情を捨てるのが施政者というものですからね。個人的な思想や感情で事を為す輩は政に向かないものです。利害の為ならば個人的な感情など溝に捨てるべきでしょう。そういった意味で貴方は正しい行動をしています」

「今日は随分と雄弁じゃないか。君はいつから修道女から政治学者に転職したんだ」

 レオポルドが苛立たしげに言い放つとソフィーネは醒め切った視線で彼を見つめる。

「施政者としての貴方を評価しているのですよ。同時に人間としての貴方を軽蔑しているのです」

 似たようなことを帝国人の婚約者に言われたな。と思いながらレオポルドはソフィーネを睨む。

「何故、君にそんなことを言われねばならんのだ」

「ここまで私の人生を振り回して、都合の良い時にはしっかりと利用しておいて口出しするなというのは随分と傲慢ですね。まぁ、貴族という連中はそういうもんですけど」

 レオポルドは閉口する。確かに彼はソフィーネを都合よく使っている。フィオリアやアイラの護衛役として彼女ほどの適役はなく、キスカの都合によっては自身の護衛としても使っているし、今回は戦にまで引っ張り出しているのだ。その代償に彼女の衣食住を世話しているのだけれども。

「貴族とは高慢で利己的で冷徹なものです。私たちのような下々の者のように一時の感傷や意志などといった些末な事柄を超越した視点によって物事を判断しているのでしょう。まぁ、貴族でも矮小な自己の欲望に囚われる輩も少なくありませんが」

 ソフィーネは皮肉っぽく言い、レオポルドを見つめる。

「そういった意味で、貴方は冷徹で利己的で合理主義者の統治者なのでしょう。個人的な感傷や欲望によって判断を誤らせることはなく、それは統治される民にとって幸福なことかもしれません」

 ソフィーネの珍しく雄弁な言葉を黙って聞いていたレオポルドはふとある考えに思い至る。

「もしかすると、君は私の判断を擁護してくれているのか」

 彼女の先程からの言葉の数々はいつものように皮肉めいていて棘があり冷たいものだったが、言っている内容としては貴族、統治者としてレオポルドは間違った判断をしていないという趣旨である。

 レオポルドの問いかけにソフィーネは顔を背けた。

「暇だからたまに世間話をしてみただけです。つまらない思い違いをなさらないように」

 そう言って彼女は勝手に馬を駆けさせた。放っておいても戻ってくるだろうから、レオポルドはそのままにしておくことにした。


 レオポルド率いる近衛大隊と物資を満載した荷駄隊は長い隊列を組んでムールドを南へと縦断する。見渡す限り山も川もない平坦な荒野をひたすら歩く道程である。進む速度はせいぜい一日五マイルといったところであった。

 ムールド全域はほぼレオポルドの影響下に置かれており、五〇〇の兵に警護された物資を狙うような大規模な野盗の類などいるわけもない為、ムールドを出るまえの一ヶ月間はただただ南へ南へと歩くだけの毎日であった。

 兵隊にとって最も重要なことは指揮官の命令の通り黙って行進することである。何故ならば、軍隊にとって最も長く行うことは歩くことなのだから。黙って長期の長距離の行軍を行わせるのは言う程簡単なことではなく、日頃の訓練と規律が試される。

 幸いにも近衛大隊は指揮官であるキスカの鬼のような指導と鉄の規律によって隊伍を乱すことなく一ヶ月以上の行軍を難なくこなした。一方、毎日馬に尻を乗せたレオポルドは尻の皮が剥けそうなほど痛くなり、常に尻の状態を気にする有様となっていた。

 レオポルドの尻の皮がいよいよ悲鳴を上げ始めた頃、隊列はようやくムールドを出て、南岸部ハルガニ地方へと入った。

 とはいえ、アーウェンとサーザンエンドの境、或いはムールドとサーザンエンドの境のようにその境界は全く分からない。ムールド人もハルガニ人も大体この辺といういい加減な決まりで分けているだけなのだという。

「ここからラジアまで、あとどれくらいだ」

 レオポルドの問いに近衛大隊長代理サライ少佐が答える。

「あと半月程です」

 それまでレオポルドの尻が持つとは思えなかった。

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