一二三
レオポルドの言葉に女性陣は一様に渋い表情を浮かべた。アイラ、ソフィーネ共に言いたいことはあったものの、それはさて置き、フィオリアに視線を向ける。
レオポルドと同じ屋根の下で育った血の繋がりはなくとも、姉弟のように育ってきたフィオリアは弟のように思っている彼を睨みつける。
「それで」
「政略結婚の道具みたいに扱われてフィオが怒るのは理解できる。だが、ムールドと俺の立場の安定化には、こういう方法が最も有効なのも理解できるだろ。不満かもしれないが」
「御託はいいから」
フィオリアにぴしゃりと言われて、レオポルドは口を閉じた。
「それで、相手は誰なの」
彼女の言葉にレオポルドだけでなく、他の女性陣も呆気に取られた顔をした。
「よ、宜しいのですか……」
「宜しいも何も、家の都合で結婚させられるなんて、よくある話じゃない。ムールド人でもそうでしょ」
狼狽するキスカの問いにフィオリアはあっけらかんと言い放つ。
「あたしだって貴族の家に引き取られて、貴族の世の中をいくらか見て、いつかそうなるかもってことは考えてたのよ。夢見る乙女って性格でもないしね」
そう言ってフィオリアは手にしていたティーカップを傾ける。
「とはいえ、いくらなんでも老い先短い老人だの、女を道具みたいに扱う残虐な輩だの、言葉も通じない相手に嫁がされるのは御免被りたいもんだわ。私のこの先の一生がかかってるんだからね。まぁ、レオなら、ちゃんとした相手を選んでくれてるって信じてるけど」
彼女はやや冗談めかした調子で言って、レオポルドを見やった。
視線を向けられたレオポルドは目を泳がせる。
「あー……相手はまだ決まって、ない」
曖昧極まる言葉にフィオリアは途端に眉根を吊り上げた。
「相手も決まってないのに、結婚することだけは決まってるってどういうことよっ。アヤフヤな状態で話を持ってくるんじゃないっ」
フィオリアに怒鳴りつけられ、レオポルドは思わず後ずさる。
「いや、候補者は何人かいるんだ。まだ、その内の誰にするかを決めていないだけで。フィオには早めにそういう話があるんだってことを知らせておいた方がいいかと思ってだな」
「いいからっ、話が決まってから来なさいよっ。私の機嫌を取ってる暇があるのっ。さっさとあんたの仕事しろっ」
その怒声に弾かれるようにレオポルドは部屋を飛び出していった。
「まったく、いつまで経っても、どっか抜けてるのよね。あいつは」
不肖の弟を嘆くように言いながら、彼女はティーカップの中身を飲み干す。
「本当に宜しいのですか。フィオリア様はレオポルド様を」
「あんたが何を言いたいのか、あたしには全くわかんないけど。確かにレオはあたしにとって大事な存在よ。たった一人の家族だからね」
生後間もなく捨てられ、貧しい孤児院で育ち、クロス家に引き取られた彼女にとって、クロス家の人々は家族そのものであった。アルベルト亡き後、レオポルドは彼女に遺された唯一の家族なのである。
キスカは尚も何か言いたげな表情を見せていたが、結局何も言うことができず、口を閉じた。
「しかし、あいつはまたどっか危ない所に行くのね。いつまであたしに心配かけたら気が済むんだか」
「まったくその通りです」
それまで黙っていたアイラがティーポットを持ちながら眉根を寄せて言い募る。
「ここ暫くは一緒に暮らせていたのに、またいなくなってしまうなんて。一体、いつになったら落ち着いて頂けるのでしょうか」
皆のカップにお茶を注いで回りながら、彼女はぶつぶつと文句を言った。
「さあねぇ。敵がいなくなれば戦争に行く必要もなくなるでしょうから、サーザンエンド辺境伯になったら、まぁ、もう敵はいないってことになるのかな」
フィオリアは首を傾げる。二人は実質的にウェンシュタイン・フェルゲンハイム・クロス家の家政を取り仕切る立場にあるものの、あまり政治に関して詳しいわけではないし、さほど興味があるわけでもないのだ。
この部屋にいる四人の女子の中で最も政治に関与しているキスカであるが、彼女とてレオポルドの思惑の全てを理解しているわけではないし、政治情勢は時間や状況によって変化するもので、今の時点でどこが終着点で、そこに至ればもう戦争はないとは言えないものであることくらい理解していた。
故に回答を持ち得ない彼女は黙っていた。
「しかも、今回はキスカお姉さまが同行できませんから、危ない目に遭わないかとても心配です」
全員のカップにお茶を注いだアイラが心配そうに呟く。
「そこで、どうして私にお鉢が回ってくるのか皆目わからないのだけれどもね」
それまでずっと黙っていたソフィーネが不機嫌そうに言った。彼女は大抵面白くなさそうな顔をしているので、いつもどおりのようにも見える。
フィオリアに部屋を追い出されたレオポルドは言われた通りに自分の仕事を始めた。
レンターケットを呼び寄せると単刀直入に尋ねた。
「エリー・エティー大尉を知っているか」
「勿論ですとも」
レオポルドの問いにレンターケットが答える。
「レオナルド・エティー卿の御息女ですな。今はサーザンエンド旅団の旅団長副官を務めております」
内務長官を務めるエティー卿の娘であるエリーゼは女性ながら士官を務めている。
南部を含む神聖帝国では古くからの軍人の家系の当主及び後継者は軍人たるべし。という観念が非常に強い。例え、その本人が軍人としての才覚に恵まれていなくても将軍に列するなどということが日常茶飯事に行われているほどである。
その上、かつて大陸全土、特に帝国において伝染病が蔓延した際、帝国では継承法が改正され、女性でも家の当主となることが可能とされた。この場合でも軍人家系の当主や後継者は当然軍に奉仕すべきであるとされ、以来、帝国軍には少なくない数の女性士官が存在していた。
故にエリー・エティー大尉もさほど珍しい存在というわけではない。
「元々エティー家はジルドレッド家と同じ軍人家系のようです。ただ、現当主レオナルド卿は三男であった為、軍人を志すことは必須ではなく、二人の兄が軍に入っていたようです。その兄たちが戦死した為、当主の地位を継承し、家の慣習に従い一人娘を軍人にしたようです。もっとも、七年前にもう一人御子息が誕生した為、必ずしもエリーゼ嬢が軍人を続けなければならないということはないようですが、軍人として育てられてきたせいか、彼女自身軍人の生活が性に合っているとして、未だに軍に残っているようです」
レイクフューラー辺境伯の間諜として送り込まれているだけあって、レンターケットはサーザンエンドの事情にかなり通じている。今やレオポルドよりも詳しいだろう。
「彼女は独身だな」
「そうですな。レオナルド卿も縁談を持ちかけたことが幾度かあったようですが、相手にされず困っていたそうです。父親としては軍人家系を守る弟ができたことだし、危ない仕事は止めにして、そろそろ、身を固めて、孫の顔も見たいと思っているようですが、エリーゼ嬢は中々の強情で、社交の場にも滅多に顔を出さず、無理矢理出してみたら、軍服姿で不機嫌そうに酒を浴びるように飲むとか。そんな方ですから、年頃の紳士は皆敬遠してしまっているのだそうです」
レンターケットはエティー卿の愚痴の相手でもしたのだろうか。
「ということは同年代の若者はエリー・エティー大尉との縁談を嫌がるのか」
「でしょうな。エリーゼ嬢も拒むでしょう。閣下がご命じになったとしても易々と聞き入れてくれるかどうか……」
エリー・エティーは素直さとは程遠い女性である。軍人としての職務に対する命令には忠実であるが、私的な事柄に関しては素直に服従するとは思えない。
「ただ一人、エリーゼ嬢が受け入れる相手がおりましょう」
「それは誰だ」
レオポルドの問いにレンターケットはあからさまに呆れた顔をした。
「まさか、お気づきでいらっしゃらない」
「……………」
呆れ顔で言われ、レオポルドは腕を組んで考え込むが、咄嗟に思いつかないのであれば思い出せないと考えたレンターケットは早々に答えを口にした。
「レッケンバルム准将が相手ならばエリーゼ嬢も文句は言いますまい」
「マクシミリアン・レッケンバルムだと。しかし、その方が怒りそうな気がするのだが……」
サーザンエンド貴族の代表格たる枢密院議長レッケンバルム卿の子息マクシミリアンは妻に先立たれた一人身とはいえ年齢は三十代半ばで、エリーゼ嬢よりも一回りも年上だ。
老いた貴族が明らかに遺産目当ての若者を伴侶に迎えることは珍しくもないことであり、十歳くらいの違いであれば、さほど不釣り合いとも言えない年齢差ではあるが、結婚を嫌がるエリーゼ嬢が、何故一回り年上の上司との結婚ならば文句を言わないのかレオポルドには理解できなかった。
「やれやれ、閣下はたまに鈍くていけませんな」
キスカがその場にいれば怒り出しそうな無礼な物言いにもレオポルドは機嫌を損ねることなく、困惑したように眉根を寄せるだけだった。
エリーゼ・エティー大尉はマクシミリアン・レッケンバルムが連隊長を務めていた時から副官として仕えており、彼がサーザンエンド旅団長に就いた後も副官の地位に留まっている。極めて寡黙な彼の第一の側近として辣腕を振るっており、レッケンバルム准将に出入りする命令や報告は全て彼女を経由しているという。その役割は単なる副官の域に留まるものではない。
「お二人の関係は単なる主従といったものではないでしょう。レッケンバルム准将のお考えは分かりませんが、エリーゼ嬢は明らかにレッケンバルム准将に対して上官以上の感情を抱いていると思われます」
「何でそんなことがわかるんだ」
「見ればわかります」
レンターケットに即答され、レオポルドは閉口した。
エリー・エティーのマクシミリアン・レッケンバルムに対する感情はさて置き、この二人を婚約させるのは悪くない。
エティー卿はレオポルドに最も近いサーザンエンド貴族の一人であり、彼はサーザンエンドとムールドの安定を望んでいる。また、マクシミリアンは父親ほど冒険好きというわけではなく、安定化を望んでいるように見える。エティー家との繋がりはマクシミリアンに父親の暴走を止めさせる最適な材料となるに違いない。
レッケンバルム卿としても子息の再婚に反対する理由は少ないだろう。早く孫の顔が見たいというわけではないだろうが、子息には一刻も早く世継ぎを作って欲しいだろうし、サーザンエンドの古い貴族の家柄であるエティー家ならば家格としても異存はあるまい。
「まぁ、いい。そちらはその線で話を進めてくれ」
「承知致しました」
一組の縁組を決めた後、レオポルドはすぐさま次の縁組の組み合わせを考える。
「ジルドレッド将軍の二男の方だが」
「三男です。二男は既に亡くなっておられます」
「えーと、ヨハン・カールだったか……」
「いえ、ヨハン・カールはパウロス・アウグスト・ジルドレッド准将の二男です」
「では、カール・ジギスムントか」
「そちらはカール・アウグスト・ジルドレッド将軍の長男です」
「……………」
「将軍の三男はカール・ルドルフ・ジルドレッド中尉です。現在は第一ムールド人歩兵連隊の中隊長を務めております」
「ジルドレッド家の面々は似たような名前が多くて困る」
「さようですな」
レンターケットがあっさりと言い放つ。彼の記憶力が非常に良いことは十分にわかった。
「私の貧弱な記憶では、カール・ルドルフ中尉は感じの良い青年だったと思う」
レオポルドはカール・ルドルフとは面識がある。ジルドレッド家はサーザンエンドの有力な貴族であり、カールはレオポルド軍の士官としていくつもの戦いに従軍している。
とはいえ、ムールドの統治者たるレオポルドと名門貴族の子息とはいえ、一士官に過ぎないカール・ルドルフとでは接触の機会はそれほど多くはない。帝都に赴いた際には兄のカール・ジギスムントが同行しており、彼はムールドに残っていた。
「士官としての能力は十分優れているようです。現在はムールド連隊におりますので、ムールド人の兵を率いておりますが、ムールド兵と打ち解けようと努力されているとのこと。度々、ムールド兵と共に食事をすることがあり、最近は山羊乳酒が好物になったとか」
「山羊乳酒は好きになれるものなのか……」
レンターケットの報告にレオポルドは唖然とした。それほど彼はムールド人が好む山羊乳の酒を苦手としているのだ。特に臭いが駄目だった。
「我々と山羊乳酒は相容れぬものだと思っていたが……」
「慣れればどうということはありませんよ」
レンターケットが何でもないことのように言うと、レオポルドはぎょっとした顔をした。
「何故、あれを好き好んで飲めるのか理解できない」
「まぁ、山羊乳酒はともかく、カール・ルドルフ・ジルドレッド中尉は勇敢な士官であり、人間性も悪いものではないと言えるでしょう」
「醜聞や良からぬ噂は聞かないか」
「少なくとも私は存じませんなぁ。とはいえ、私とてそこら中の壁に目と耳があるわけではありませんから、私の耳に入らぬこともあるでしょう」
レオポルドの数倍も耳聡いレンターケットの耳に入らないことはレオポルドの耳には一生入らないだろう。
そもそも、レオポルドはあまり他人に興味を持っていないところがあり、個々人の経歴や人柄について疎いところがあった。その手の情報が必要になれば、レンターケットなりキスカなりに聞けばいいと割り切っているのかもしれない。
「とはいえ、カール・ルドルフ・ジルドレッド中尉は異民族に対して差別的ではありませんし、ジルドレッド家と良好な関係を築くことは非常に有益と言えましょう」
ジルドレッド家はサーザンエンドの軍人貴族の中では筆頭格の家柄で、多くの士官を輩出しており、ジルドレッド家を慕う将兵は少なくない。レオポルドとしては何としても味方に引き入れておきたいというものだ。
「では、フィオリアの相手にカール・ルドルフはどう思う。フィオはフェリス人の生まれだが、正教徒だから、法律上の問題はない。出自が不明なのは問題かもしれないが、父上の養子ということにすれば恰好は付くだろう」
レオポルドの提案にレンターケットは一瞬呆気に取られた顔をした。
「フィオリア様は……。閣下の、恋人の一人ではなかったのですか」
「なっ、何を言ってるんだっ」
レオポルドは顔を真っ赤にして怒鳴った。