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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第八章 南岸
128/249

一二二

「艦隊が壊滅しただと……」

 伝令を前にしてレオポルドは愕然とした表情を浮かべた。

 その知らせを届いた時、レオポルドはシュレーダー父子とジルドレッド将軍、キルヴィー卿らと共に昼食を摂っているところで、彼は思わず食器を取り落とした。

 ムールド伯に叙任されてから彼は平素から冷静沈着であろうと努め、あまり感情を表に出さないようにしていた。それでも明らかな狼狽を見せてしまうほど、彼は狼狽していた。

 思わぬ敗報に驚愕したのはレオポルドだけではなく、他の面々も同様であった。

「まさかっ、こちらは戦列艦とフリゲートを擁する艦隊だぞっ。何故、我が艦隊が敗れたというのかっ」

 キルヴィー卿が怒鳴ると、汗と砂埃に塗れた伝令は息も絶え絶えに報告を続けた。

「敵は何艘かの小舟に分乗し、闇夜の乗じて戦列艦に乗り込んで、火を放ちました。艦内は混乱し、敵との戦闘、消火に手間取り、戦列艦は炎上。その間に敵の船が他の艦を攻撃し、戦列艦の支援に向かえない中、火から逃れようと海に飛び込んだ多くの兵が溺死。少なくない将兵が敵の軍船に捕らわれました。また、その混乱の中で、ブリッグ・スループ一隻が敵に拿捕されております。残ったフリゲートとブリッグ・スループは敵の攻撃を避ける為、ラジアの港から離れました」

 伝令の述べた戦闘の詳報を聞いた面々は何も言葉を発せず、その場は重苦しい沈黙に包まれた。

「その後、アスファル族の使者がバレッドール将軍の陣営を訪れ、ディーテル卿他六〇余名を捕虜としていること。彼らの解放の条件としてハルガニ地方からの撤兵と身代金の支払いを要求しております。将軍は回答を避け、閣下の御意見を求めるとのことです」

 現状は最早現場指揮官の職権を超えている。将軍が率いる軍隊は身代金を支払える程の現金を所有していないし、撤兵することはハルガニ地方攻略を断念することと同義である。かといって、独断で多数の捕虜と帝都出身の貴族であるディーテル卿を見捨てて攻略を敢行するわけにもいかない。将軍がレオポルドの指示を仰ぐのは当然だろう。

「我が方の艦隊が敗れるとは、なんたることか……」

 老シュレーダー卿が悲嘆し、その子息は険しい顔で黙り込む。

「閣下。如何いたしますか」

 ジルドレッド将軍が困惑した表情で尋ねると、レオポルドは鋭い視線を向けて怒鳴りつけた。

「如何も糞もあるかっ」

 レオポルドの激昂に高官たちは茫然とする。

「なんとしても、連中に思い知らせてやるっ」

 吐き捨てるように言った彼はナプキンを床に叩きつけ、唖然とする面々を無視して食堂を出た。

「キスカとレンターケット、ルゲイラを呼べっ。直ちにだっ」

 食堂のドアの前で警護任務に就いていた兵士に怒鳴るように命じてからレオポルドは執務室に入り、自分の机の上に積まれていた雑多な事務書類を机の端に押し退けてからペンを手にして真っ新な白紙に猛然と文字を書き連ねていく。

 レオポルドが紙の半ばほどまで書き進めたところでキスカが飛び込んできた。

「レオポルド様。お呼びですか」

「我が艦隊が壊滅し、ディーテル卿他多数の者が敵に捕らわれた。状況は最悪に近い」

 キスカの問いにそう応えてから、レオポルドは苛立たしげに机の脚を蹴った。

 五〇門戦列艦は旧式で戦列艦の中では小型とはいえ、彼にとっては非常に高い買い物であった。それが一夜にして海の藻屑と消えてしまったのだ。その喪失は非常に大きなものであることは言うまでもない。経済的損失のみならず、海軍力の喪失は港湾都市ラジアの攻略を極めて困難とするものである。

 その上、艦隊の組織化に尽力したディーテル卿が敵の捕虜となったことは極めて重大な問題である。一兵卒ならばまだしも、帝国人貴族の一員である卿が捕虜となったことはレオポルド配下の帝国人諸卿に大きな影響を与えるだろう。彼をレオポルドが見殺しにしたならば、反発は必至だろう。とはいえ、アスファル族の要求を受け入れ、身代金を支払うなど言語道断である。

「このままではラジア攻略は非常に困難だろう。バレッドール将軍に任せて何とかなる状況ではない」

 レオポルドは苛立たしげに呟く。

「レオポルド様ご自身が出馬なさるおつもりですか」

「そのつもりだ」

「では、近衛大隊に出撃に向けて準備を整えるよう命令致します」

 キスカの言葉にレオポルドは初めて顔を上げて彼女を見つめた。相変わらず不機嫌そうな顔でぶっきらぼうに言い放つ。

「命令するのはいいが、君は連れて行かんぞ」

「なっ、何故ですかっ」

「何故も何もないだろう。自分の腹を見てみろ」

 元々ほっそりと引き締まっていた彼女の腹はすっかり大きくなっており、医者の話では出産まであと二月ほどということであった。

「本来ならば、部屋で安静にしているべきなんだぞ」

 それでも部屋の外を自由に出歩いているのは、彼女が部屋に引き籠ることを嫌がっている為である。レオポルドは何度か彼女を寝台に縛り付けようとさえ考えていた。

「しかしっ、私がお傍にいなければ、誰がレオポルド様の御身を守るというのですかっ」

「近衛兵がいるだろう」

「信用なりませんっ」

 忠誠心が信用できないのか能力が信用できないのか。とにかく、彼女としてはレオポルドの傍を離れるのは不安だという。

 レオポルドは暫く考えてから、ふとある考えに思い至った。

「じゃあ、ソフィーネを連れて行こう」

 その言葉にキスカは声を詰まらせる。

「剣の修道院でも有数の剣士だった彼女ならば能力的には全く問題あるまい。おそらく、我が軍でも彼女に勝る剣士はいまい。私に忠誠を誓っているというわけではないと思うが、今までもなんだかんだと私やフィオやアイラを守ってくれていたのだから、頼めば護衛くらいしてくれるだろう」

 レオポルドはさも名案だとばかりに言葉を連ねる。

 キスカは終始渋い顔を崩さなかったが、反対する理由が出てこないようだ。

 ちょうどそこへレンターケットとルゲイラが現れた。

 ラジア攻囲の情勢を聞いた二人も艦隊の呆気ない壊滅に衝撃を受けたようであった。

「いやはや、なんということでしょう。このままではラジア攻略はままなりませんな。ラジアを攻略できなければ、他のハルガニ人も我々に従属はしますまい」

 レンターケットの言葉に他の面々も頷く。

 ハルガニ人もムールド人と同じようにいくつかの部族に分かれている。そのうち、最も力を持っているのがラジアに住むアスファル族で、他の部族はいずれも規模は比べるべくもない。ハルガニ地方の支配権はアスファル族の動向次第なのである。つまり、ラジアを攻略しない限り、ハルガニ地方を征服することは難しい。

 そのラジア攻略の鍵となるのが艦隊であり、その中核が五〇門戦列艦だったのである。それが失われた今、彼らは問題の新しい解決策を考え出さなければならない。

「バレッドール将軍からの報告を読むに、現地では糧秣や水が不足しているようだ」

 ムールド伯軍ムールド旅団がラジアを攻囲しはじめてから既に一月以上が経過している。所有していた補給物資は既に食い潰してしまっている頃だろう。

 補給の手段として、レオポルドは艦隊に物資に輸送させようと目論んでいたが、その艦隊は海岸から遠く離れてしまっており、補給物資を陸揚げするどころの話ではない。

「輜重隊にも物資を陸送させておりますが、敵の遊軍の襲撃に遭っております。輸送は遅れ、いくらかの物資が奪われたり焼かれたりしています」

 ルゲイラ兵站総監が苦々しげな顔で述べる。

 アスファル族は全員がラジアに籠城しているわけではなく、もっと小さな町や村に住んでいる者もいて、彼らが妨害活動を行っているのだろう。他の部族がアスファル族に協力している可能性も高い。

「補給物資は私が率いる近衛大隊が護衛して輸送する。とりあえず、一ヶ月分の食糧としては如何程必要になる」

 ラジア攻囲に参加しているのはムールド旅団に属する第一ムールド人歩兵連隊、第二ムールド人歩兵連隊、ムールド人軽騎兵連隊、それに援軍として送られているドレイク連隊と砲兵隊である。総員は五〇〇〇名以上にも上る。そこに近衛大隊も加わる。

 レオポルド軍の兵站における総責任者であるルゲイラはいくらか考えてから答えた。

「大まかに言いますと小麦一六〇〇ブッシェルに肉七万ポンド、麦酒一五万パイント、水一〇万パイントは必要となるかと思います。野菜類や豆類も輸送した方がよいでしょう」

 小麦一六〇〇ブッシェルは約五八〇〇〇リットル、約二九〇〇〇キログラムにもなる。肉七万ポンドは三二〇〇〇キログラム近い。一パイントはおおよそ五六八ミリリットルである。

「……それを運ぶにはどうしたらいいんだ」

 あまりにも膨大な分量だけを言われてもレオポルドは困るだけである。

「小麦は袋詰めして駱駝の背に乗せます。ざっと二二〇頭は必要でしょう。野菜や豆類を運ぶ駱駝も一〇〇頭はいるかと思います。麦酒と水は樽に詰めて運びます。六頭立ての馬車が三〇台はいると思います。あとは牛四〇頭、羊五〇〇頭、山羊一〇〇頭といったところでしょうか」

 ルゲイラが淀みなく答え、横で聞いていたレンターケットが溜息を吐く。

「やれやれ。それだけの家畜類を買い集めるだけで大変な金がかかりますな」

「他にも馬や駱駝に食わせる秣が一〇万ポンドは必要となるでしょうし、武器弾薬も輸送せねばなりますまい」

「糧秣や武器弾薬など補給物資の調達と輸送準備は大佐に任せる。可及的速やかに首尾よく整えてくれ」

 頭痛がしてきたレオポルドが言うとルゲイラは指示を了解して退室した。

「あとの問題は、私が留守中のファディをどうするかだ」

 このところ、レッケンバルム卿やアルトゥールは大人しく、表立って反抗するような姿勢は見せていないが、レオポルドは心から彼らの忠誠を信じているわけではなかった。彼が留守中に良からぬ策動をしかねないと警戒しているのだ。

 シュレーダー父子や内務長官のエティー卿らは信用に足るが、彼らにレッケンバルム卿やアルトゥールの行動を押し止める力があるだろうか。

 レッケンバルム卿の子息はファディに残る軍勢の指揮官であり、勇敢な騎兵指揮官であるアルトゥールを慕う将兵は少なくない。ジルドレッド将軍は基本的に政治には口を出さない性格で、反抗的な動きを見てもそれを阻止しようと積極的に動いてくれるか分からない。

 彼に反発する勢力がファディに残留している兵をまとめて立ち上がった時、レオポルドは退路と補給路を断たれてしまい、絶体絶命の危機に陥ることは明らかである。

「どうにかして、レッケンバルム卿とアルトゥール卿、ジルドレッド卿の三名との橋梁関係を築きたいのだが……」

「何かお考えがあるのですか」

 レオポルドが悩ましげに呟くとレンターケットが尋ねた。主君の口調から何か考えがありそうだと勘付いたようであった。

 レオポルドは暫く難しい顔で考え込んでから口を開く。

「マクシミリアン・レッケンバルム卿は独身だと聞く。齢は三四歳だったか」

 マクシミリアンはレッケンバルム父子の子息の方である。サーザンエンド旅団を率いる准将であり、大変無口な人物である。

「奥方とは五年程前に死別されたようですな。子女が一人いたようですが、こちらも数年前に夭折しているようで」

 何かと情報に通じているレンターケットが補足するように言った。

「ジルドレッド卿には子息が二人いるが、長男の方は結婚しているようだが、二男は未だに独身だとか」

「正確には三男ですな。間の一人は亡くなっておりますので」

 ジルドレッド将軍の三男カール・ルドルフは二二歳で第一ムールド人歩兵連隊の中隊長を務めている。

「アルトゥール卿も独身だ」

「三五歳なのに、未だに未婚だとか。もっとも、ハヴィナに居た頃、女遊びは派手だったようですが」

 一時期、レッケンバルム卿がウォーゼンフィールド男爵家の令嬢エリーザベトとの婚約を画策したことがあったが、レオポルドの強い反対により白紙となっている。

「ムールド諸部族の有力者の中にも未だ妻帯でない若者は少なくないだろう」

「一体何を話されているのですか」

 キスカが困惑顔で尋ねた。いきなり、独身男の話をしはじめた意味が分からないのだろう。

「二つの家の間柄をより近付け、信頼関係を構築する為に、最も手っ取り早い方法が何か君だって知らんわけではないだろう」

 彼女だってそれくらいのことは理解している。対立する二つの家を和解させ、信頼関係で結びつけるのに最も効率的で確実で簡単な方法は古来より決まっているというものだ。

「勿論です。縁組の重要性は十分に理解しております」

 キスカとて従兄との政略結婚を決められていた身であり、彼女自身が選んだこととはいえ、レオポルドとの結婚もネルサイ族の立場を大きく強めることに寄与している。

「レッケンバルム家やジルドレッド家、アルトゥール卿との関係強化は私も賛成です。縁組も選択肢に入るでしょう。しかしながら、前提からして大きな問題があります」

「それは私も疑問です」

 レンターケットもキスカに同意する。

「花婿になり得る殿方はいます。しかし、一体、誰を嫁がせるというのですか」

 妻帯でない独身男がいても、その相手となる花嫁がいなければ縁組が成立するわけもない。レオポルドはクロス家の一人息子で、姉妹がいない。キスカが妊娠しているものの、その腹の子の性別も定かではなく、そもそも、これから産まれるという赤子では縁組には使えないだろう。

「確かに私の縁者に花嫁となり得る娘はいない。が、何も縁組をするのに必ずしも私の縁戚でなければならないということはないだろう」

「ふぅむ。つまり、レオポルド様に近い立場の諸卿の子女とレッケンバルム家やジルドレッド家、諸部族の有力者との縁組をなさるということですかな」

 レオポルドと距離を置く貴族もいるが、現状では彼に忠実な貴族も少なくない。シュレーダー父子や内務長官エティー卿、伯領議会議長ライテンベルガー卿、伯領議会院内総務ブラウンフェルス卿らはレオポルドの側近たる貴族たちである。

「それも一手だが、それ以外にも一人だけ適任の娘がいる」

 レオポルドの言葉にキスカは何かに気付いたようであった。

「レオポルド様っ。それはいけませんっ」

「何故だ」

「何故って……」

 キスカは言葉を失う。

「彼女が私と極めて近しい間柄であることは周知の事実だろう。故に血縁者ではないが、十分に縁組の花嫁候補となり得る」

「ですが……、そんな……」

 レオポルドの言葉にキスカは狼狽し、反論しようとするも思うように言葉が出ず、唇を噛み締めた。

「無論、無理強いはしない。彼女が嫌だと言えば、他の候補を探そう」

「レオポルド様がそのようなことを仰ること自体、傷つかれると思います」

「そうか……」

 レオポルドは顎を擦りながら呟く。

「分かってくれるだろう。フィオなら」

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