一一七
ムールドの灼熱とも言える夏もようやく終わりが見え始め、酷暑もいくらか和らぎ始めた頃、伯領議会の一回目の議会が開催された。
議事堂どころか会議を行える広い建物が未だに建造されていない状況であった為、第一回議会は屋外で行われることとなり、議員の一部からは青空議会などと揶揄された。
議員の総数は四九名で大きく三つの部会に分かれていた。
一つは部族部会であり、前述の如く、ムールドの各部族から一名ずつが議員として出席している。部族議員は族長が兼務していることもあれば、別人が出席している場合もあり、その選任は各部族に一任されていた。
次に貴族部会があり、二〇名の帝国人貴族によって構成されている。そのうち一五名はレッケンバルム卿、シュレーダー卿、ジルドレッド卿らフェルゲンハイム家譜代の家臣たちであり、五名はキルヴィー卿、マルトリッツ卿ら帝都にてウェンシュタイン男爵家に仕えていた貴族たちである。
三つ目は聖職者部会で、五名の西方教会の聖職者から成っている。当然のことながら、彼らも帝国人であり、元々の南部出身者が三名、帝国本土出身者が二名である。
議会議員は以上の四九名から成り、帝国人とムールド人がほぼ半々で構成されている。
とはいえ、同じ帝国人とはいっても遠い昔の先祖の代に南部に移住して以来、代々この地で生まれ育ってきたサーザンエンド貴族と帝国本土から移住してきた生粋の帝国人とでは立場も文化も価値観も大きく違うだろう。
また、ムールド人とて、親帝国を歩み続けてきた旧七長老会議派とレオポルドと同盟を結んだ北東諸部族、長らく反帝国であり続け、レオポルドと幾度も剣を交えた南部諸部族では立場は大きく違うだろう。
故に議会の構図が大きく二分されると考えるのは早計というものだろう。
屋外議場は、上座にムールド伯レオポルドの席、その前に演台。レオポルドから見て右側に並べたベンチにムールド人議員たちが座り、左側のベンチに帝国人議員たちが着座した。
議場の周囲は近衛兵によって警護されており、それを囲むような恰好で多くのファディ市民が見物していた。
開会に当たって、レオポルドが形式めいた開会の言葉を述べた後、まずは議長及び副議長の選任が議題とされた。議会を取り仕切り、議事を運営する役員が不在では議事の進行に支障を来す為、当然のことと言えるだろう。
「議長にはヨハン・シュレーダー卿が適任と考えるが如何か」
最初に発言したのはレッケンバルム卿だった。サーザンエンド旅団長を務める子息も議員となっているが、当然のことながら、この時、発言したのは父親の方である。
卿の提案にレオポルドは眉間に皺を寄せた。
レオポルドはサーザンエンド貴族の長老ヨハン・シュレーダー卿には行政組織のトップである伯領総監に就任してもらう予定だった。
卿は辺境伯宮廷で法務長官や高等法院評定官を務めていたこともあって、レオポルドには不足している南部における慣習法を含む法律行政に詳しく、温厚な人柄で人当たりが良く、反感を持つ者が少なく、サーザンエンドでは名家の出身という誰もが一目置く長老貴族である。伯領総監に適任と言えるだろう。
同時にこれはサーザンエンド貴族の中で最も有力であるレッケンバルム卿を伯領総監に据えない為の方策でもあった。
権謀術策に長け、独自の人脈や情報網を持つレッケンバルム卿はレオポルドにとっては協力を仰ぎたい人物であると同時に警戒すべき人物である。
卿は長くの間、辺境伯宮廷の侍従長として無力で名ばかりな辺境伯を傀儡とし、サーザンエンド政治を実質的に取り仕切ってきた。
フェルゲンハイム家直系が断絶した時、彼はレオポルドの擁立に賛意を示していた。というのも、彼にとってレオポルドは南部のことなど何も知らない帝都で生まれ育った子倅に見えていたからだ。今まで通り、自分が実務を握ることができると考えていた。
ところが、レオポルドは統治者としての才能を発揮し、今やムールドにおける名実ともに最高権力者の地位を固めつつある。この現状は卿にとっては予想外であり、面白くないことだろう。
権謀術策に長けた彼のことである。その地位に相応しい権限を与えたならば、その力を利用して、レオポルドの力を削ぎ、実権を奪いかねない。
レオポルドはこれを警戒していた。少なくとも強力な権限を委ねて枕を高くしていられるほど彼の忠誠心を信じてはいないのだ。
レッケンバルム卿もそのことには勘付いているのだろう。そして、どうやら、自分ではなくシュレーダー卿を伯領総監に任じようとしていることも聞きつけたらしい。
そこで彼は伯領総監の人事が公表される前にシュレーダー卿を伯領議会議長の席に就けてしまおうと考えたらしい。
「成る程。シュレーダー卿ならば適任でしょう。長年の経験と実績から良い議論になるよう導いて頂けるでしょう」
そう言ったのはモールテンブルク卿だった。サーザンエンドの中堅貴族であり、辺境伯宮廷では御料長を務めていた。レッケンバルム卿の腰巾着と専らの噂である。
「私も賛成です。シュレーダー卿の公平正大にして、温厚で寛大な人柄は議会の長に相応しいというものです」
続けて賛意を示したのは、これまたレッケンバルム卿の腰巾着との噂が絶えないカッセル卿である。辺境伯の宮廷では財務顧問官を務めていた経歴を持つ。
推薦を受けたシュレーダー卿は山羊のような長い白髭を撫でつけながらレオポルドと視線を合わせた。レオポルドはまだ伯領総監人事を公表していないが、シュレーダー卿本人とごく身近な近親には既に人事の見通しを話しているのだ。
「皆様。まず、ご本人の意向を聞かねばなりますまい。シュレーダー卿。如何ですかな」
辺境伯宮廷で衣装長を務めていたハルトマイヤー卿が声を掛ける。衣装長は侍従長の配下にあった役職である。彼もまたレッケンバルム卿の影響を強く受けているのだろう。
「御推薦はありがたいと思っております」
シュレーダー卿はなんとかそれだけを言った。
断る理由が思いつかないのだ。今ここで高齢故に体力気力に心配があるだの大任に耐えられるか自信がないだの言ってしまっては、後日、伯領総監に就任するとき矛盾が生じてしまう。あの時は嘘を吐いたのかと攻撃を材料を与えるのは宜しくない。
「恐れながら閣下の御意見を伺いたいのですが」
ブラウンフェルス卿が場の流れを遮るように声を上げた。ブラウンフェルス家はさほど高位ではない家柄で、卿は辺境伯宮廷で法務顧問官を務めており、レオポルドの下でも法案の作成などに協力していた。彼の娘リゼはレオポルドの官房で事務掛を務めている。
「待ちたまえ。議長の選任は議会内での事案。如何に伯といえど、議員でない伯が無用な介入をすべきではなかろう」
レオポルドが口を開く前にレッケンバルム卿は鋭い声を発す。
「確かにその通りだ。議長の選任は議員の互選によるはず。閣下の御意向を伺うのは筋違いというもの」
司教座聖堂参事会長ボーデン司祭が賛同の意見を述べた。
議場の各所から賛同の声が上がり、この場はレオポルドの意見を聞かないまま議事を進めることとなった。
その間、レオポルドは黙って議論の行方を見守っていた。議会内における自身の発言権においては今のところ強硬に主張せず、無用な諍いを招くことを避けることにした。
それよりも今は議長人事である。
「反対意見も無いように思われる。採決をすべきではないか」
辺境伯宮廷で宗務顧問官を務めたビッカード卿が声を上げる。これもまたレッケンバルム卿の意向を受けての発言に思われた。
ビッカード卿の意見に、これまで静観を続けていたムールド人議員たちはざわつき、口々に言葉を囁きながら、時折、レオポルドへと視線を向けている。
彼らとしは多数を占めるムールド人から議長を出すべきという気持ちはないようであった。中にはレッケンバルム卿の意向よりもレオポルドの意向を尊重したい様子の議員もいたが、黙って心中が察せられるわけがない。そもそも、現状では議長候補は一人しか話題に出ていないのだ。反対する理由がなければ賛成するしかないだろう。
このままではシュレーダー卿が議長にされそうな勢いである。
「私としてはレッケンバルム卿こそ議長に相応しいと思われる」
そう言ったのはエティー卿であった。辺境伯高等法院の筆頭評定官を務めていた経歴を持ち、ブラウンフェルス卿同様にレオポルドに法務関係の助言を行っていた。ちなみにレッケンバルム父子の息子の方の副官であるエリー・エティー大尉は卿の息女である。
「これまでサーザンエンド貴族をまとめてこられたレッケンバルム卿こそが、我々を導き、まとめる大役に相応しいと考えるが如何か」
エティー卿の言葉にレッケンバルム卿は不意を打たれたような顔をした。
伯領議会議長という役職は決して閑職や名誉職というわけではない。政府の役職の任免や伯領に発布する法律や命令は議会の承認を得なければならず、その議会の議事運営を司るのは議長の職分である。
とはいえ、その職権は議院内に限られるものであり、実際に統治に関わる行政権に密接したものではない。より行政に密接な権限を欲するレッケンバルム卿にとっては望ましからざる役職だろう。
しかし、これを辞退することもシュレーダー卿と同じ理由によって難しい。
「伯領議会は我ら臣下の代表たる機関。その長たる議長には我々の代表たる指導力と格式が必要でしょう。レッケンバルム卿はそれに最も適格であられると思われます」
レッケンバルム派が黙り込む間にブランフェルス卿が賛同の声を上げ、シュレーダー卿の子息ゲハルトとライテンベルガー父子が「異議なし」との声を発した。
ライテンベルガー家はサーザンエンドでは数代前の辺境伯の庶子が興した家で、父親のディルナート・カールは辺境伯宮廷の尚書長官を務めていた。その子息ハルトムート・ヨハンは元宮廷顧問官であり、ハルトムート・ヨハンの子コンラートはレオポルドに書記として仕えている。
しかし、これにそれまで沈黙を保っていたムールド人議員から異論が出た。
「議長には何よりも公正さが求められるというのは衆目の一致するところでしょう。それは帝国人のみならず、ムールド人にも配慮できる人物でなければならないということです。一方のみを重視し、もう一方を軽視するような議長はとても受け入れられません」
キオ族の族長アギの発言にムールド人議員たちから一斉に賛同の声が上がった。
名指しこそしていないが、このタイミングでの発言は異民族に対して非常に高圧的な言動を取るレッケンバルム卿が議長になることは拒否するという意思表示に他ならない。
その後も議論は続けられたが、結局、一時休会となった。
その間にレオポルドに近い議員たちはレオポルドと共に近くの天幕に入って、今後の対応策について話し合うことにした。
「議長人事がこれほど難航するとは予想外でしたな」
ブラウンフェルス卿が渋い顔で言い、レオポルド派の議員たちは揃って頷く。
彼らの当初の予定ではレオポルドに近い老ライテンベルガー卿を議長に推挙し、自派とムールド人議員の賛同を得る計画だったが、予想外にレッケンバルム卿から先制を受け、混乱を招く結果になっていた。
「まさかとは思うが、レッケンバルム卿を議長にするつもりはないでしょうな」
ゲハルト・シュレーダー卿が尋ねるとエティー卿はしかめ面で応えた。
「勿論だ。卿に議長などやらせては議会が連中の牙城と化すぞ」
「それにムールド人たちが納得しないでしょう。レッケンバルム卿が議長では議会は混乱し、停滞するのは明らか」
バレッドール将軍の言葉に皆が頷く。
「レッケンバルム卿とて、自分が議長に座ることは望ましいとは思っていないだろう」
「とはいえ、こちらも老シュレーダー卿を議長にするわけにはいかん。伯領総監を務めても不満が出ないのは老シュレーダー卿くらいのものだ。他の者ではレッケンバルム卿を抑えるのが難しい」
「我々に近いムールド人の誰かを議長に据えてはどうか」
「悪い考えではないが、ムールド人の中から一人を選び出すのは困難だろう。副議長ならまだしも総監にも準ずる地位の議長という突出した地位に誰かを選び出すとなると、必ず仲の悪い部族が反発してまとまらないだろう」
彼らはあれこれと話し合った後、再会された議会では当初の計画通り老ライテンベルガー卿を議長に推挙して速やかに採決を強行することとした。
レッケンバルム派が対抗馬を押してきても、レオポルド派はシュレーダー父子にライテンベルガー父子、エティー卿、ブラウンフェルス卿、バレッドール将軍のサーザンエンド貴族七名に加え、キルヴィー卿ら帝都派五名の支持も受けられるという読みがあった。帝都から南部に来たばかりの彼らにはレッケンバルム卿と連携する理由がないからだ。これで貴族部会の大半の票を確保できる。何よりも議員の半数近くを占めるムールド人議員が異民族嫌いと名高いレッケンバルム卿よりはライテンベルガー卿を議長に選ぶだろう。
休憩を終え、議場に戻ったゲハルト・シュレーダー卿が直ちに発言した。
「我が父ヨハンはこの頃、喉の調子が悪い為、議場に声が通らず、議事運営に支障を来す恐れがあります。私としてはディルナート・カール・ライテンベルガー卿こそ議長に適任であると思います。卿は公明正大にして穏和で身分の高低に関わらず、広く多くの人から話を聞くことができる良識の御仁。議長にこれほど相応しい人物がいましょうか」
「まさしく適任でしょう」
「ライテンベルガー卿。如何でしょうか」
素早くバレッドール将軍が賛同の声を上げ、ブラウンフェルス卿が議長に推挙された老ライテンベルガー卿の意向を伺う。
「御推挙誠にありがたく思います。議会の賛同が得られましたならば、微力ながら議長の大任を全うしたいと思う所存です」
ライテンベルガー卿が議長推挙を受ける意思を示し、間髪入れずにエティー卿が立ち上がる。
「これ以上、議長不在の長期化させることは望ましくない。直ちに採決に入るべきと考えるが如何か」
エティー卿の意見にレオポルド派議員は「異議なしっ」と声を揃える。
「ちょっと待ちたまえっ。こんなにも性急に物事を決めていいのかっ」
ビッカード卿が立ち上がって異論を唱え、レッケンバルム派議員たちから次々に反発の声が上がった。
「些か強引ではないか。先に挙げられた議長候補についてもよく深く議論すべきでしょう」
聖職者議員からも慎重意見が出るも、ムールド人議員たちは採決に賛成のようであった。
「これ以上、無益な議論を長引かせるべきではあるまい」
「ライテンベルガー卿が議長に不適ならばまだしも、適任ならばよいではないか」
議場の半数近くを占めるムールド人議員からはこのような声が出て、レッケンバルム派は止む無く採決に応じた。
結局、長々と紛糾した議長人事は満場一致でディルナート・カール・ライテンベルガー卿を議長に選任することとなった。
その後、副議長をムールド人議員の中から選ぶことになったが、聖職者議員から貴族部会から議長を選び、部族部会から副議長を選んだのでは不公平だという意見が出た。これにレッケンバルム派が賛同し、副議長を二人として、聖職者部会からも一人を選出することとなった。
聖職者部会からはムールド司教付司祭のアルゼンブルク司祭が副議長として選任されたが、ムールド人副議長は案の定、ムールド人の間で誰を副議長にするかで揉めに揉め、レオポルドに最も近いという理由からネルサイ族のイブラムが副議長に選出されたのは太陽がすっかり沈んだ頃で、初めての議会は議長と副議長の選出のみに費やされるという結果となった。