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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第七章 伯領政府
122/249

一一六

 ネルサイ族との交渉を終えた後、レオポルドは二日かけて旧七長老会議派の六部族と会談を行った。

 その中でカルマン族は特別な地位を持っている。ムールドの首都と定められたファディは彼らの町であり、元々ムールドでは最も大きな町でもあった。その上、亡き族長オンドルの孫娘アイラはレオポルドの妻の地位に収まっている。

 その他の六部族はファディほど大きな町を持たず、更に小さな町や村に分かれて居住しており、中継貿易や隊商の警備、小規模なオアシス農業などを営んでいる。

 レオポルドは引き続き彼らムールド人については人頭税、土地税などの財産税を免除することを約束する一方で、関税、消費税、塩税、酒税などの支払い、徴兵などの義務を確認し、今後行われるであろう道路や地下水路建設、法整備、統計調査への協力と西方教会の布教を認めることを求めた。

 それと同時に彼らの小さな町や村を集約して都市化するよう勧めた。住民の移転費用や都市の再開発費用については伯領政府から助成を行い、建築家や技術者を派遣して都市計画の策定を助けることとした。

 六部族の代表はいずれも善処を約束し、早期に再開発に取り掛かると回答した。

 また、これとは別に各部族と個別の問題についても話し合われた。

 カルマン族とは後継の族長について話し合い、レオポルドが族長を務める方向で話を進め、ファディ市内の土地の扱いについても交渉を行った。

 かつて一度レオポルドを裏切っているエジシュナ族については族長ら首謀者が責任を取って死亡していることもあって、これまでの罪を赦し、他の部族と同一の扱いとなることが再確認された。

 キオ族とは彼らの町ハジの郊外にレオポルドが土地を取得することが話し合われた。

 ハジはムールド北西部にある町であり、プログテン山脈と最も近い町である。ファディからは南部西岸の港町カルガーノに繋がるルートの途上にあり、重要な交通の要衝である。

 レオポルドはその町の重要性を理解しており、ハジの郊外にも軍の基地を設ける共に交易の拠点として整備することを考えていた。

 同じように旧七長老会議派の領域では最も南あるサイマル族の町ナロンにも土地を確保する契約を結ぼうとしていた。ナロンの近郊には鉄を産する鉱山があることが知られており、レオポルドは鉄採掘とその加工の拠点としてナロンを整備するつもりなのだ。


 翌日からは北東部族との会合が始まった。

 こちらでの最大の課題の一つはサルザン族が有する塩の町から産する豊富な岩塩の取り扱いだった。

 海からかなりの距離があるムールドを含むサーザンエンド及びアーウェン地方で塩は非常に貴重な物資であり、安定的に高い利益を見込める重要な商品である。

 この塩の生産から取引までをサルザン族だけが一手に握ることをレオポルドは許さなかった。塩は単なる商品ではなく、戦略物資でもあるからだ。サーザンエンドで消費される塩の大半は塩の町から掘り出された岩塩であり、その塩の流通を握ることは重要な意味を持つ。ムールドからの塩の流通を止めれば、サーザンエンドの人々はそれよりもかなり高額な塩を買わざるを得ず、かなりの経済的打撃を被るだろう。

 しかし、サルザン族とて収入の大部分を占める塩の生産をレオポルドに預けられるわけがない。

 しかも、彼らはレオポルドと同盟を組んで以来、裏切ることなく、常に共に戦ってきたという自負がある。族長のラハリはムールド人では唯一大佐として一個連隊を任せられている。レオポルドに対して恩こそあれ借りなどない。と言う者も少なくなかった。

 とはいえ、自他共に認めるムールドの支配者となったレオポルドに逆らうことなどできようはずもない。

 両者の妥協可能な点を探って交渉が重ねられ、結局、塩の町で産する塩のうち一割を伯領政府に納める他、流通する塩には塩税が課せられることが決められた。塩の町には塩の生産と流通を監督する為の代官が置かれ、塩代官には北東部族と親交の深いジッダ族の者が起用された。

 次に重要な課題は北東六部族とレオポルドの関係性についてである。

 レオポルドと北東六部族が関係を結んだのはレイナルという脅威が迫りつつあった北東六部族が、レイナルとの対抗上、レオポルドと同盟を結んだことが始まりである。軍事上の必要からレオポルドに指揮権が集約されていたものの、以上のような経緯からその同盟関係は対等なものであった。

 しかしながら、レオポルドがムールド伯に叙任され、ムールド全域の支配権を確立した今では両者の力関係は大きく変わっており、新たな関係性の再構築が必要だった。

 具体的には北東六部族が明確にレオポルドの従属下にあることが確認されなければならなかった。

 六部族のうちナナイ族、ベイザリ族は逸早くレオポルドに従うことを決めたが、他の諸部族についてはこれまた例の如く部族会議で話し合わねば決められないとして明言を避けた。

 その他、ムールド人全体の特権として人頭税、土地税といった財産税の免除が再確認され、関税、消費税、塩税、酒税などの支払い、徴兵などの義務が課され、今後行われるであろう道路や地下水路建設、法整備、統計調査への協力と西方教会の布教を認めることが取り決められた。

 レオポルドは彼らについては定住化を強く勧めることはしなかった。

 というのも、ムールド北東部には定住できる町や村が数えるほどしかなく、多くの民が一挙に定住生活に移行することは現実的ではなかったからだ。まずは都市を建設し、多くの人口を受け入れる基盤整備が先決とレオポルドは考えていた。北東部で一から都市建設を行うほどの余力はなく、北東部は塩の町以外は遊牧の民が住む時代が今しばらく続くこととなった。


 逆にレオポルドが強く定住化を推進したのは西部だった。

 ムールド西部を勢力圏としているのはパレテイ族とフェゼ族、テドゥイ族だった。

 その中で有力なのはパレテイ族であり、他の二部族は極めて小さな規模で、パレテイ族の衛星的な立場であった。

 レオポルドは彼らに定住化を強く勧めた。

 北東部や南部同様に西部にも町や村といった定住拠点は全くなかったが、集落の建設を伯領政府が全面的に支援するという約束までして、レオポルドは彼らの定住化を推し進めようとしていた。

 その目的はムールド西部を食糧生産地に転換しようという計画からであった。

 ムールドの西には峻険なプログテン山脈が立ちはだかり、湿潤な風を阻害していることは前述の通りである。

 西からやってきた湿潤な風は山脈にぶつかるとその水分の多くを失ってしまい、乾いた風となってムールドの広大な大地に吹き下ろされる。

 ということは、山脈近辺には多くの降雨、降雪があるということに他ならない。

 山頂部に降り積もった大量の雪は春の訪れとともに溶け出し、雪解け水は地下水となってムールドのオアシスの源流ともなっている。

 レオポルドはアイラとの婚礼の場で目にした百合の紋様から、百合がプログテン山脈近くで自生していることを知り、帝国に行く途上に山脈を自らその足で踏んで実態を調査していた。

 帝都からの帰りには農学者を連れ帰り、山脈付近での農業の可能性について調査させ、農耕は十分に可能であるという回答を得ていた。

 レオポルドとしてはパレテイ族らが西部に定住し、農耕に従事してムールドに食糧を供給してくれることを期待していたのだ。

 パレテイ族の族長が難渋を示すとレオポルドは素っ気なく言い放った。

「では、帝国人の移民を募って開発を推進致したいが、異論ないかね」

 ムールドにおいては食糧供給は常に不足しがちであった。それが人口の増大を阻み、都市化を阻害していた一因でもあった(しかし、そのお蔭でサーザンエンド辺境伯はムールドでの長期の軍事行動ができず、ムールドの独立維持の要因となったことも事実である)。

 つまり、ムールドで食糧を生産すれば確実に安定的な収入を得ることができるのだ。

 パレテイ族とてそれくらいのことは理解できる。しかも、今ならば伯領政府が都市建設と農業指導を支援してくれるというのだ。

 この提案を拒絶するならば、レオポルドは帝国人移民に農業開発を行わせると言ったのだ。それはつまり、パレテイ族がその恩恵を得られないということに他ならない。金の成る木をむざむざ余所の他人に譲渡するようなものだ。

 パレテイ族と他の二部族はレオポルドの提案を呑み、農業部族としての道を歩むことを決めた。


「やれやれ、どうにか一段落付きましたな」

「これで大方の案件は片付いたからな。残るのは南部の部族だが、そっちは、まぁ、適当にやればいいからな」

 レンターケットの言葉にレオポルドが同意した。

 今のところ、レオポルドはそれほどムールド南部を重要視していなかった。鉱山などの資源がないわけではないが、開発するにも拠点がなく、手を付けるには初期投資が掛かりすぎる。

 また、つい最近まで反帝国の先鋒であった南部諸部族の支配領域に無理に手を突っ込んで反発を食らうような真似もしたくなかった。

 そもそも、人材にも資金にも限りがある。無計画に手を広げるよりは、まず、手を付け易い北部から開発に取り組み、南部には道路整備をするくらいで止めるつもりなのだ。

 主従関係をはっきりさせる誓約書を提出させ、他のムールド諸部族と同じように財産税の免除、その他の税の支払いの義務化、徴兵と統計調査の協力と布教の自由を認められればそれでいいというのがレオポルドの考えだった。

「ただ、ナグララ族だけは別の扱いをしなければならないな」

 南部で唯一定住生活を営むナグララ族は翡翠を産する谷に住んでおり、生産を独占的に行っている。翡翠は東方大陸向けの重要な商品であり、莫大な利益を生み出す。この翡翠をどう取り扱うかでレオポルドといくつかのムールド諸部族との間で問題となっているのだ。

「南部諸部族は何部族だったか」

「八部族です」

 レオポルドの問いにキスカが答える。

 その数字を聞いて、コンラートとリズクの二人の書記が溜息を吐いた。

「もう指が痛くて堪りませんよ」

「嫌っていうくらい字を書きましたからね」

 二人はレンターケットの指揮の下でレオポルドと諸部族との間で取り決められた事項を全て文書化する仕事に従事していた。交渉の場に同席して、話し合われた事柄の多くを記録し、後に清書して契約書や誓約書という文書の形にしていく。

 しかも、文書は帝国語とムールド語の二通り作られ、それがレオポルドの手許と相手部族の手許に保管される為、同じ文書でも四枚同じものを書かなければならない。これにレオポルドと部族の代表者が署名して仕事は完了である。

 文書はいくつかの取り決めを一枚の文書にまとめることもあるが、様々な都合によって別紙として分ける場合もあるから、文書は部族ごとに一つというわけでもない。

 更にそれを全部族分書いてくとなると指が痛くなるのは必然というものだろう。

 しかも、それをあと八部族分こなさなければならないのだ。溜息の一つも付きたくなる。

「あの、一つお聞きしても宜しいですか」

 コンラートが恐る恐るといった様子で言い、レオポルドは発言を許した。

「いくつもの誓約書や契約書を書いていて思ったのですが、個別の契約や取り決めを交わしている部族もありますが、いくつかの部族は全く同じ内容の契約や取り決めをしています。南部八部族も、ナグララ族以外は同じ扱いをされるとのこと。それならば全ての部族と同一の契約を結んで、同じ文書を交わし、その上で個別の問題がある部族と独自の契約を結んだ方が効率的ではありませんか」

 レオポルドは個別の問題や取り決めが生じない部族についてはほとんど同じような契約を交わし、同じような文言の文書を発行するにも関わらず、わざわざ、個別に顔を合わせて個別に会合の場を設けて、文書を書かせていた。これが事務の煩雑に繋がっているというのがコンラートの指摘である。

「君の指摘は尤もだ。しかし、同じ契約を交わし、同じ文書を書くとしても個別に顔を合わせて、個別に契約を結ぶことには重要な意義がある。私と彼らの主従関係を明確化させる契約は、私とムールド諸部族では駄目なのだ。私とネルサイ族、私とカルマン族、或いは私とクラトゥン族でなくてはならない」

 レオポルドが個別の契約に拘るのは横の繋がりを絶つという目的によるものだ。

 彼は部族との間に主従関係を結ぶと同時に部族間の闘争や同盟を禁じていた。また、大きな力を持つ部族が小さな部族に影響力を及ぼすことも除外しようと努めていた。

 各部族はあくまで平等な立場で、レオポルドと個別に主従関係を結ぶ。それによって、ムールド諸部族が横の繋がりで団結してレオポルドに対抗することを防ごうというわけだ。

 また、個別の契約は密室で行われる為、各部族は他の部族がどのような取り決めをレオポルドと交わしたか分からず、相互不信を助長して、協調を阻害しようという目論見もある。

 これらの目的からレオポルドは個別での契約に拘り、結果として事務の煩雑を招いていた。

「せめて、一部族一文書にまとめてくれませんかね。そうなるだけで僕らの負担はだいぶ減るんですけれども」

 リズクが不平を漏らすとキスカが不機嫌そうな顔で鋭い視線を向け、彼は黙って書類の束を掴んで天幕を飛び出していき、コンラートも慌ててその後を追った。

「キスカ。何もそんな睨みつけることないだろう」

「レオポルド様の前で不平不満を漏らすなど不敬です」

 一部始終を黙って見ていたレオポルドが言うとキスカはしかめ面で応えた。

 彼は呆れ顔で黙ってお茶の杯に口を付けた。


 その翌日から、残る南部諸部族との会合が始まり、多くは問題なく、同じような内容の契約を交わし、同じような文書が四部ずつ発行された。

 残る問題であったナグララ族の翡翠の問題については、生産された翡翠のうち、二割をレオポルドが独占的に購入し、五割は他のムールド諸部族が優先的に購入し、残る分はナグララ族の自由処分と取り決められた。購入価格についてはそれぞれの買い手との交渉次第であるから、ナグララ族にとっては売り先が限定されているものの、利益をそれほど損なうことはなく、レオポルドもムールド諸部族も莫大な利益を見込める商品を無事に手にすることができる。

 翡翠の生産と取引を監督する為、翡翠の谷にも代官が置かれ、遠隔地の為、翡翠取引とは無縁であったキオ族の者が起用された。


 全ての部族との会合が終わる頃、回答を保留していた部族が正式な回答をレオポルドに行った。

 全ての部族は正式に名実共にレオポルドの支配下に入り、レオポルドの保護を受け、伯領議会や政府に参加する代償として、免除された税以外の納税、徴兵の義務を負い、徴兵や統計調査、道路などの建設に協力し、西方教会の布教を認めた。

 そして、ネルサイ族は遊牧民としての歴史に終止符を打ち、ファディに定住化することとなった。

 同時にレオポルドはムールド伯にしてウェンシュタイン男爵、そこに更にネルサイ族とカルマン族の族長という地位を兼ねることとなった。

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