一一三
レオポルドがファディに入って一月が経ち、ハヴィナからの移住者の住む住宅地の造営が急ピッチで進められる中、ファディの郊外に二四の天幕が張られていた。
ハヴィナや帝都からの移住者の仮の住まいである天幕や兵士たちの簡素な天幕とも違っていて、大きさも形も色も模様も様々であった。
それらの天幕にいるのはいずれも褐色の肌の老人たちであった。頭をすっぽりとフードで覆い、薄手の衣服に絹の上衣を羽織り、だぼっとして膨らんだズボンに革の靴を履き、腰には柄や鞘に意匠を凝らした半月刀を提げていた。
彼らは天幕の中で落ち着かなさそうに煙草を吹かしたり、馬の世話をしたり、深刻そうな顔で話し合ったりしていた。
彼らの視線が時折或いは常に向けられた先には一際大きな天幕が張られ、紅い上着の近衛兵が警護していた。
正午を少し過ぎた頃、大きな天幕から灰色の地味な衣服に身を包んだ背の高い男が出てきた。短めの口髭に鼻眼鏡をかけている。彼の傍には小柄なムールド人の書記が従っている。
「ムールド諸部族の代表者の御方々。遠路遥々ご足労頂きまして誠に恐縮です。お初にお目にかかる方々も少なくありませんので、自己紹介をさせて頂きます。私、ムールド伯閣下の官房を取り仕切っておりますハロルド・レンターケットと申します。こちらは書記のリズクです」
レンターケットはムールド伯官房の官房長という地位を与えられ、レオポルドの側近として公私に渡って万事を取り仕切る立場となっていた。
彼の言葉はキオ族出身でムールド伯官房に出仕することになったリズクがムールド語に通訳する。
「まず、皆様方が揃っていらっしゃるか確認を致したいと思います。部族のお名前をお呼びしますので、いらっしゃいましたらお返事をお願いします」
そう言ってレンターケットはメモを取り出して読み上げる。
「ネルサイ、カルマン、サイマル、エジシュナ、キオ、ダンバ、ジッダ」
名が呼ばれる度に、部族を代表してやって来た族長や長老たちが挙手したり、合図を送ったり、返事をしたりして、わざわざ部族の住む地からファディまでやって来たことを知らせる。
まず、呼ばれたのはムールドの北西部に住み、多くが小さな町や村で定住生活を送る七部族だった。七長老会議と呼ばれる元々からの親帝国派部族で、早くからレオポルドの配下に入っており、レオポルドの軍や政府にも多くが高官として入り込んでいる。
「サルザン、ベイザリ、ナナイ、マサド、サムニ、ゴンタル」
次の名が挙げられたのは北東部に住む六部族だ。サルザン族は塩の町に住むが、他の部族は昔ながらの遊牧生活を送っている。レイナルの侵略に遭い、レオポルドと同盟を結んだ諸族で、こちらも部族の有力者がレオポルドの軍や政府に高官として起用されていた。
「クラトゥン、ムラト、アイナン、ハズバル、シャグラハン、ダルアンニ、ジャト、ナグララ」
次の読み上げられたのはムールド南部に住む八部族で、翡翠の谷に住むナグララ以外の部族は遊牧生活を送る。クラトゥン、ムラトの二部族が圧倒的に大きな勢力を持ち、他の部族は比較的小さな規模でしかない。彼らはレイナルに率いられレオポルドに抵抗してきた過去があり、レオポルド支配下のムールドでは肩身の狭い思いをしていた。
「パレテイ、フェゼ、テドゥイ」
最後に呼ばれたのはムールドの西部、プログテン山脈の山際に住む三部族で、パレテイ族が大きく、残る二部族は数百程度の小さな部族だった。
以上が現在存在するムールド二四部族全てである。
彼らは共通の言語、似通った風習と文化を持ち、ムールドという始祖を同じくする同胞ではあるものの、これまで民族として協調したことはほとんどない。その彼らが代表者たちだけとはいえ、一堂に会することなど一〇〇代前とも二〇〇代前とも云われる始祖ムールドの時代以来のことだろう。
全ての部族の代表者が来ていることを確認したレンターケットは話を続ける。
「皆様方にわざわざご足労頂いたのは他でもありません。ムールド伯レオポルド閣下はこれまでの皆様方の御働きと忠誠には大変満足しております。閣下が今の地位に上れたのも、皆様方のご助力あってこそ」
レンターケットの言葉に七長老会議派と北東部族はいくらか誇らしげな顔をする。彼らには、レオポルドが今の地位に上れたのは、早くから彼と共に戦ってきた自分たちの働きがあってこそという自負があるのだ。
「閣下はこれまで通り皆様方と良好な関係が恒久に続くことを望んでおられます。また、今後のムールドの統治のあり方について、皆様方と相談して決めていきたいことが多々あり、わざわざご足労頂いた次第であります」
事前に知らされていた内容を改めて聞かされたムールド諸部族の代表者たちだったが、彼らとて、そんな表向きの理由を頭から真正直に信じているわけではない。
そこには何か裏の事情があることを察している。
これまでムールド諸部族とレオポルドの関係は非常に曖昧で、各部族ごとに違う事情があった。
例えば、族長の娘をレオポルドに差し出しているネルサイ族やカルマン族では、レオポルドが実質的な族長の立場に収まっており、彼らはそれによって政府や軍内で特に厚遇されている。カルマン族の町であったファディも首都に定められ、彼らの土地はレオポルドが高値で買い上げ、その資金を元手にカルマン族は建設業を始めたり、店を構えたり、貿易をより活発に行ったりと、経済的な恩恵も得ていた。
北東部族の中心的立場であるサルザン族はレオポルドの同盟者の地位を得ており、族長のラハリはムールド人では唯一の連隊長を任されていた。レオポルドの政策によってファディやムールドにおいて人口が増えることは塩の需要が増えることでもあり、塩の町を抱える彼らも今後高い利益を期待できる。
翡翠の谷に住むナグララ族はこれまで他部族の支配下にあって苦しい立場に置かれてきたが、レオポルドによって解放され、翡翠という東方向けの高価な商品を生産する部族として発展が期待されていた。
彼らのように利益を得ている部族もあれば、苦しい立場に置かれている部族もいる。
七長老会議派の中でもエジシュナ族は途中でレオポルドを裏切る行動を取ってしまった為、他部族から裏切り者と白眼視されていた。
クラトゥン族やムラト族はレイナルを頂いてレオポルドと幾度となく戦ってきた為、レオポルド支配下のムールドではあまり厚遇されているとは言い難い。
また、これまで自分たちの勢力圏を通る隊商からは半ば強引に通行料を徴収してきたが、レオポルドによってそれらが撤廃されてしまい、経済的にも大きな打撃を受けていた。
このように各部族によって現状や立場、レオポルドとの関係やムールド伯政府によるムールド支配への感情は様々であった。
レオポルドはこれを整理する必要性を感じていた。忠実な部族もそうでない部族もしっかりと自分の配下に収め込み、確固とした統治体制を築かねばならない。
ムールド諸部族の代表たちが参集されたのは、そのような目的からであった。
「それでは、皆様方、こちらへ」
レンターケットの言葉に促され、ムールド諸部族の族長や長老たちはぞろぞろと巨大な天幕へと入っていく。
天幕の中には紅色の上等な絨毯が敷かれ、上座には精微な紋章が刺繍された旗が掲げられていた。紋章は左右二つに分かれており、右側は赤地に立ち上がった黄色い獅子、左側は白地に金色の鍵に巻き付いた銀色の蛇が描かれていた。黄色い獅子はフェルゲンハイム家の紋章であり、鍵に巻き付いた蛇はクロス家の紋章である。これがムールドの新たなる支配者フェルゲンハイム・クロス家の紋章「獅子と鍵に巻き付いた蛇」であった。
天幕の際にはレッケンバルム卿、シュレーダー卿、ジルドレッド卿、キルヴィー卿といった帝国人貴族の高官たちが控えていた。彼らは正装に身を固め、簡易な椅子に座っている。
椅子に座るよりは絨毯に胡坐をかく習慣であるムールドの長老たちは、それぞれ絨毯の上に腰を下ろした。
全員が着座して場が落ち着いたところで、レンターケットは脇に退く。
暫くして紅の軍服を纏ったレオポルドが上座に現れ、ムールドの長老たちは平伏して、新たな統治者を迎えた。
それはムールド諸民族が自分たちの新たなる支配者ムールド伯レオポルドによる統治を受け入れ、服従を誓うことに他ならない。
「各々方、面を上げられよ」
声が掛けられ、長老たちは顔を上げた。
「諸卿におかれては、これまで私の戦いにおいて誇り高き砂漠の戦士の名に恥じぬ働きを示してくれたこと、また、比類なき忠誠を尽くしてくれたこと、切に感謝申し上げる。これからも諸卿の変わらぬ忠節を期待致したい」
レオポルドが率直かつ端的に礼を述べ、臣下の礼を求めるとムールド諸部族は平伏でもってそれに応えた。
レオポルドは長老たちの背中を数秒眺めた後、すぐに顔を上げるように告げた。
彼は貴族でありながら誰かに傅かれるのがあまり好きではないのだ。父アルベルトが平等思想の持ち主で、彼自身もそれに近い思想を持っているからかもしれない。或いは生まれながらに大勢の家臣を従える大貴族ではなく、貴族といえど上級市民とさほど変わらない家柄であったから、誰かに敬われることに不慣れなのかもしれない。
「私は偉大にして神聖なる皇帝陛下よりムールド統治の全権を与えられたが、専横をもってこの地を支配するつもりはない。諸民族、諸国民の権利と自由を守り、諸卿にも統治に参画して頂きたいと思っている」
レオポルドはこのように述べたが、実際のところ、彼はムールドにおいて絶対的な強権を振るえる程の力を有していなかった。
確かに軍事指揮権を握り、レイクフューラー辺境伯からの支援を受けてはいるが、レオポルド軍将兵の大半を占めるムールド人たちの支持を失えば、その軍隊は瓦解し、彼の立場は危ういものとなるだろう。
「ついては、これまでの諸会議や連絡会を廃し、新たに伯領議会を設立し、各部族より一名ずつの代表者を議員として迎えたい」
その為の方策が伯領議会の設置であった。
合議制は部族内の話し合いで物事を決めてきたムールド人の気風に合っており、議会への参加は彼らの不満を大きく減らし、統治に協力させることができるだろう。
伯領議会には諸部族の代表者の他、帝国人貴族や聖職者も議員として参加する予定であった。議員の定数は五〇名程度が予定されている。その内の二四がムールド人に割り当てられる為、彼らは議会で半分近い勢力を保持することになる。
表向きは民主的な制度に見えるが、これには当然レオポルドの思惑が絡んでいる。
帝国人貴族・聖職者とムールド諸部族。両者の勢力が均衡することによって、議会は一致団結した行動を取るのは難しくなる。両者には共に相手に反発する強硬派が存在しており、彼らが協調することは非常に困難だからだ。両者を仲介することができる親ムールド帝国人、親帝国ムールド人といった融和派は、同時にレオポルドのシンパでもあるから、レオポルドに不利な行動を取ろうとはしない。
伯領議会には反対派の不満を減らし、物事の調整に当たり、伯領政府の法律、命令に議会の同意という大義名分を付ける役割が期待されているのであった。
「議会の招集後、速やかにムールドを統治する機関として伯領政府を発足させる。統治の責任者たる総監、それを輔弼する副総監と長官については私が任命した者を議会で信任願いたい」
議会の次にレオポルドが口にしたのは行政機関たる伯領政府についてだった。
長官としては治安関係を所轄する内務長官、外務を所轄する外務長官、財務を所轄する財務長官、法務を所轄する法務長官が置かれる予定である。
政府の高官の人選について議会の同意を取り付けることによって、政府には皇帝の威光を受けたムールド伯の政府という性格だけでなく、人民の代表たる議会に信任されたという正当性をも持つこととなる。
「また、同時に伯領高等法院を設立し、その院長についても議会の同意を得たい」
議会、政府となれば、当然、裁判所も設置されることとなる。紛争や事件の解決には欠かせないものであり、この院長も伯が任命し、議会が信任することによって正当性が担保される。
「我が政府と我らが議会の統治をムールド全域に行き渡らせる為、ムールドを五つの管区に分割し、各管区に総監の支配を受ける管理官、内務長官の指揮を受ける治安官、財務長官の出先機関である財務官を配置し、地方裁判所を設けることとする」
ムールドはファディの他、四つの管区に分割して統治が為される。第一区は七長老会議派が居住する北部とパレテイ族らが居住する西部。第二区は北東六部族が居住する北東部。第三区はムラト族の勢力圏である南東部。残る第四区はクラトゥン族が勢力を持っている南西部である。
なお、ファディには各管区とは別にファディ長官が置かれ、その支配を受ける。
「政府と管区の職務に就く者は高官らの他、諸卿の意見も伺った上で決定したいと思っている。ついては明日より諸卿と個別に会合を持ち、相談致したいと思っている。全ての部族との会合が終わった後、議会を招集し、速やかに伯領政府を発足させ、ムールド統治に空白をつくることなく、安定した公正なる統治ができることを期待している」
一連の布告の後、レオポルドはムールドの長老たちを睥睨した。異論や反論、抗議の声はなく、彼らは大人しく頭を垂れていた。
「明日よりの会合は追ってレンターケットより連絡がある。本日はこれにて解散し、晩餐を開きたいと考えている。都合が良ければ出席願いたい」
レオポルドがそう言って去った後、残された長老たちは口々にこれからのムールドの先行きについて話し合った。