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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第七章 伯領政府
118/249

一一二

 ブレド男爵が撃退された後、ファディにはレオポルド軍が入り、モニスに避難していたレッケンバルム卿や住人が戻り、一月程してカルガーノに残っていた人員や物資が入った。

 入れ替わりに新編成されたムールド旅団は未だにしぶとく抵抗を続けるレイナルの残党や彼を支援する南岸部のハルガニ人を牽制する為、ムールド南部へと送られた。

 ナジカ商人の仲介によってブレド男爵側との捕虜交換は成立し、レオポルド軍に囚われていた捕虜とディエップ中佐の裏切りによって降伏した連隊の将兵のうちおよそ半数がハヴィナへと戻っていき、残りはレオポルド軍に加わった。その家族はレオポルドが迎えに送った兵に護衛されてファディに入った。

 これによってファディの人口は一挙に増加することになった。郊外に駐屯するムールド伯軍サーザンエンド旅団の五〇〇〇近い将兵を別としても、元々の住民、亡命してきた貴族たち、レオポルドに招聘された学者や技術者とその家族、新たにレオポルド軍に加わった者たちの家族は、合わせて五〇〇〇近くになっていた。

 となると住居不足が大きな問題となる。暫くは天幕生活で我慢できたとしても、それも長くは続かない。

 また、彼はムールド伯領の首都をファディに置くと決めており、より多くの住民をファディに集めようと考えていた。人口の増加は労働力の増加でもあり、消費者の増加でもある。経済の発展には欠かせず、人口が多いことは軍事上の利点も大きい。

 とはいえ、現状の中央に小さな広場、集会所と族長の屋敷、それらを取り囲むように住宅や天幕がバラバラに建っているファディの状況で単純に人口が増加しては都市環境の悪化や混乱を招きかねない。

 これらの問題に対応する為、レオポルドはファディの再開発を計画していた。

 計画自体は帝都に滞在しているときから考えられており、彼は自身の招聘に応じた建築家や学者に意見を聞き、建造物等の設計を依頼していた。

 彼らは帝都からカルガーノに到着するまでの間に新しい都市の形を示し、いくつかの建物の設計を書き上げてレオポルドに提出していた。航海中の船の中でレオポルドはそれらに目を通して承認していた。あとはファディに着くなり地元の建設業者を呼び寄せて、設計図の通りに住宅地といくつかの建造物を作るように指示するだけである。

 ファディの再開発計画では、まず中央の広場を拡張し、その周辺に重要な建物を集約する。広場からは十字方向に石畳で舗装された街道を伸ばし、網目状に道路を巡らせ、城壁は設けない。

 これによって人や物はスムーズに移動することができる。防衛上の問題はあるかもしれないが、首都が包囲された段階で最早籠城して抵抗など無意味だとレオポルドは考えていた。それよりはファディの北方に建造したレオポルド要塞をはじめとする防衛網を拡充した方が効率的であり、実用的というのが彼の考えだった。

 ファディは中央の広場周辺と十字方向に延びる街道によって五分され、中央の第一区、北東の第二区、南東の第三区、南西の第四区、北西の第五区に区分けされた。

 このうち、まず、開発が進められたのは第一区と第四区であった。

 広場周辺には公共施設などが建造されることとなっていた。

 その一つは会堂である。レオポルドに招聘されて南部にやってきた建築家の設計による会堂は古代神殿を髣髴とさせるような、床は平らな石敷きで列柱によって支えられるドーム型の屋根を持つものだった。長さ一七〇ヤード、幅五〇ヤード、屋根までの高さは一〇ヤードもあるムールドどころかサーザンエンド、南部でも最大規模の建造物である。

 その用途は一つに限定されるものではない。住民の集会所としても利用できるし、政府からの発表を告示する箇所としても利用できる。また、平素は取引や商談の場としても活用されることになる。

 ファディは貿易の中継地であり、流通の活性化は極めて重要である。にも関わらず、これまで商売は町の中心部の広場、露地で行われていた。日中は日差しが強く、落ち着いて商談ができないし、風が吹けば敷物は吹き飛び、滅多に降らないが雨があれば商品は濡れてしまう。各々が勝手にそこら中で商品を並べれば往来の邪魔になるし、場所の取り合いでトラブルも起きる。

 それらの問題を解決する為、会堂を建造し、そこで商談や商売をさせようというわけだ。会堂で商売をするのに許可は不要であり、誰でもそれほど高くない料金を支払えば区画が商人に貸し与えられる。商人たちはそこに敷物を敷くなり、天幕を張るなりして商いをするのだ。

 会堂は広場の北側に建築され、会堂の突き当りには四角い議事堂が建つ。

 議事堂は文字通りムールドの有力者が一堂に会し、話し合う為の施設である。三階建ての白い煉瓦造りの建物で、大会議室の他、いくつかの小会議室、事務局が入る。

 会堂の向かい側には教会が建設され、その隣には新たに赴任するムールド司教の屋敷、更にその隣に裁判所が建つ。

 元々はカルマン族の族長の屋敷で今はレオポルドの住居と化している建物は広場の西側にあったが、その奥に新しい屋敷が建造されていた。上から見るとほぼ正方形で中央に中庭を設けている。新旧の屋敷は渡り廊下で連結されており、ぐるりと石壁で囲われていた。

 その他、第一区には帝国人貴族、ムールド人の有力者らの屋敷が建てられていく。

 これらの上流階級の住宅は各人が土地を購入して思い思いの屋敷を建てることになるのだが、ファディの土地の大部分は事前にレオポルドがカルマン族から買い上げて、非常に安い値で新しい住人に払い下げていた為、彼らの実質的な出費はほとんど住居の建造費だけであった。

 第二区には喫緊に住宅を必要とする新たにファディへやって来た移住者向けの住宅地が造営される。

 ファディの中心部から真っ直ぐ北に延びる街道に沿って、一〇〇棟の集合住宅を建造する計画である。

 住居は主に日干煉瓦で作られ、一部に焼成煉瓦を用いて補強される。上から見下ろすと長方形になる四階建ての建物で、側面の壁を両隣の家と共有している。これによって資材と工期を大幅に短縮することができるのだ。

 一階部分は店舗や食堂などが入り、住人は二階以上に入居する。上階まで上るのは億劫である為、上の階ほど賃料は安い。

 建物の中ほどに吹き抜けを設け、街道に面した玄関から真っ直ぐ裏口に繋がるような構造にしているのは通気性をよくすることによる酷暑対策である。吹き抜けは採光の為でもある。

 以上のような形状の建物が一〇棟単位で連結されており、その間には公共水場が設けられる。

 水場は地下水路でファディ近郊の井戸やオアシスと連結されており、常に新鮮な飲料可能な水を供給し、誰でも無料で利用できる。

 地下水路の建設と同時に下水道の整備も進められる。道路の路側には排水口を設け、生活排水などの下水は町の南にある地下貯水池に集約されるようにしていた。これらの下水は農業用水などに用いられる予定である。

 中央の整備と同時にファディ郊外でも工事が進められた。

 ファディの北には約五〇〇〇人の兵員を収容できる兵舎と三〇〇〇頭の馬や駱駝を収容できる厩舎が建設される。

 兵舎は主に日干煉瓦で建造された四階建ての四角い建物で、基本的に兵卒用の四人部屋が二階から四階までに一二ずつ設けられ、一階に下士官用の二人部屋が八つ、それに食堂と共用便所がある。これで大体一個中隊が入る。それが全部で三〇棟並ぶ。

 東には近郊のオアシスや井戸から集約された水を集める巨大な地下貯水池が建設され、貯水池や水路を管理する水道局が置かれ、その近くには公衆浴場と競技場が建てられる予定である。

 西には煉瓦工場があり、その近くには更にいくつかの工場を建築する予定である。

 これらの土木・建設工事に従事したのは元々ファディに住んでいた住民の他、多くは兵士たちだった。というよりは、建築業者に雇われた兵士と言うべきだろう。

 レオポルドは五〇〇〇名にも及ぶ将兵を遊ばせておくつもりはなかった。食事や衣服を与え、宿舎を提供し、給金を払い続けるのは大きな出費である。

 とはいえ、南北に敵を抱えるムールドの現状では兵を解雇するわけにもいかない。

 そういったわけで、彼は大半の兵士に休暇を与えた。

 身分は兵士のままだから、軍紀に従わなければならないし、召集があれば直ちに参集しなければならないし、中隊長から外泊の許可を得ない限り、寝起きは宿舎でしなければならなかったが、副業として工場や建築会社で働くことを許可したのだ。

 兵士たちには引き続き宿舎(といっても天幕だったが)を提供し、食事を供していたが、給与は休暇給として大幅に削減することに成功し、何よりも大勢の労働者を生み出すことができた。

 兵士たちは煉瓦工場で煉瓦を作り、運送屋に雇われて煉瓦や資材を運び、建築会社に雇用された者が住居を建て、公共の水場、地下水路を整備する。

 その上、彼らはこの半年の間、バレッドール防衛線を構築する工事に従事しており、土木や建設の工事は最早手慣れたものであった。

 とはいえ、これだけの工事であるから、一朝一夕に完成というわけにはいかない。

 工事は優先順位が付けられ、まず、中央広場の拡張と市内の道路整備と地下貯水池と地下水路の整備が最優先され、次に住宅地造営と公共の水場の建設が行われた。その次に中央広場に面した会堂や議事堂、教会、レオポルドの邸宅などの建造、兵舎や厩舎、工場、公衆浴場と競技場の工事に手が付けられた。


「ちょっと、レオっ。あたしたちはいつになったら屋根のある家で寝られるのっ」

 二人のムールド人妻と午後のお茶を楽しんでいたレオポルドの元にフィオリアが怒鳴り込んで来たのはファディの再開発が始まって半月も経った頃だった。

 ファディの再開発が進む中、今まで滞在していた屋敷にも工事の手が入った為、レオポルドは一時的に町の東側に大きな天幕を張り、キスカやアイラと一緒に生活することになり、フィオリアやソフィーネはその近くに別の小さな天幕を張ってそこで起居していた。

 当初は工事のせいでは止むを得ないと考えていたフィオリアも、終わりの見えない天幕生活に、ただでさえ長くはない堪忍袋の緒は容易に切れたのだった。

「昨日の夜なんか、獣の鳴き声が聞こえてきたしっ。夜寝ている間に獣に食われるなんて嫌よっ」

 南部の荒野や砂漠にはヌーラという肉食獣が生息しており、時には人も襲われることがあるという。

「予定では今年中には」

「今年中……」

 レオポルドの曖昧な回答に彼女は絶句する。

 フィオリアの後からソフィーネがやって来て尋ねる。

「第二区を見てきたのですが、あちらの住宅地の造営は随分と進んでいるようですね」

「住宅地の造営は道路と広場、水道関係の次に優先して工事をしているからな」

 第二区の住宅地は帝都やハヴィナから移住する人々向けの住宅地であり、彼らの多くは未だファディには到着しておらず、旅路の途中であった。

 彼らの多くは天幕生活には慣れていない為、優先的に住居に入れる必要がある。住宅地の造営が優先されているのはそういった事情からである。

「第一区でもかなり住宅が建設されていますね」

「そっちは諸卿の邸宅だ。建設業者に金を積めば早く工事をしてもらえるだろう。しかし、連中、意外と金を隠し持っていたんだな」

 レオポルドは渋い顔で呟く。彼はハヴィナから亡命した帝国人貴族の為に金を貸す準備もしていたのだが、そういう相談に来る貴族はほとんどおらず、大半の貴族は自前の資金で思い思いの邸宅を建設業者に発注しているようだった。

「ハリフおじ様が喜んでいらっしゃいました。帝国人の貴族方は金払いがよいと」

 フィオリアとソフィーネにお茶を出しながらアイラが言った。

 ハリフはカルマン族の有力者で、昔から建設業を営んでいるという。ここ最近のファディ再開発工事の特需によって、彼は多くの仕事を受けて非常に繁盛しているらしい。

「諸卿の中にはムールドの絨毯や岩塩、翡翠細工などを買い集めて、ハヴィナやカルガーノに送って売るという商売を始めていらっしゃる方々も少なくないようです。勿論、関税などは徴収しておりますが、それでもかなりの儲けになっているようです」

 いつも通りの無表情でキスカが報告する。諸卿に依頼を受けて荷を運び、それを護衛するのはムールド人で、その中でも親帝国派だった七長老会議派の部族が多い。彼らはキスカの監視下にあって、その動向は漏らさず彼女に筒抜けとなっていた。

「まぁ、商売が活発に行われるのはいいことだが、しかし、莫大な借金を背負い込んでるのは私だけということか」

 レオポルドはそう言って嘆息した。

 現在のムールド経済はムールド伯政府が起こしたファディ再開発という公共事業によって大きな需要が起こり、カルマン族は土地を高値で買われて、その資金を元手に商売を始め、建設業者は休暇中の兵をはじめとする労働者を高い給金で雇って多くの仕事を手掛けていた。そして、更に労働者たちがその資金で消費を行うことによって空前の好景気が起ころうとしていた。既にナジカやカルガーノの目敏い商人はファディに支店を設けようと算段しており、レオポルドの元にもご機嫌伺いの手紙が何通も来ていた。

 その好景気の大元であるムールド伯政府の資金源はサーザンエンド銀行なのであるが、そこに資金を投入したのはレオポルドの手許金であり、その手許金はレイクフューラー辺境伯からの借金である。

「馬鹿みたいに借金こさえたのはあんたでしょうが。今更何言ってんの」

 絨毯に腰を下ろしたフィオリアは冷たいが尤もなことを言ってお茶を飲む。

「それより問題はあたしたちの家よっ。今年中に完成するって、新しく作る方の屋敷はまだ土台すらできてなかったけどっ」

 ティーカップの中身を一気に空にしてからフィオリアが怒鳴る。

「どうせ、民衆や兵の住まいより優先して工事したら悪い評判が立つと思って、わざと後回しにしてるんでしょっ」

 図星を突かれてレオポルドは渋い顔で既に空になっているティーカップに口を付ける。

「あんたは天幕生活でも寝心地が悪いくらいで大して何とも思ってないかもしれないけど、家事をやるこっちの身になってみなさいよっ。天幕の中には砂埃が入るから衣服も家具もすぐに砂だらけになっちゃうんだからねっ。おかげで頻繁に掃除と洗濯をしないといけないじゃないのっ。あんたは掃除も洗濯もしないからいいかもしれないけどさっ」

 確かにレオポルドの身の周りの家事はほとんどフィオリアに任せっきりであり、慣れない天幕生活は彼女の仕事を増やしていた。

「確かにフィオリアさんのお仕事が増えているとは思います」

 顎に指を当て、小首を傾げながらアイラが呟く。

 彼女もかなり家事を手伝っている方だが、カルマン族は定住型のムールド人である為、彼女も天幕生活には不慣れで、しかも、族長の孫娘というお嬢様育ちな為、水や食料を運んだりする重労働に関しては非常に非力であった。

 キスカにはレオポルドの副官、新編成された近衛大隊長の仕事があり、しかも、妊娠中ということで家事にはほとんど手を貸していない。

 残るソフィーネは気まぐれな性格なので手伝ったり手伝わなかったりしていた。

「ソフィーがもう少し手伝ってくれればいいんだけどねっ。特に毎日の水運びっ」

「今朝は手伝ったじゃありませんか」

 フィオリアが鋭い視線を向けると、ソフィーネは素っ気ない調子で言った。

「そもそも、私は使用人というわけではありませんから」

「あたしの作った飯食っておきながら偉そうなこと言うなっ」

「警護料ですよ」

 黒髪の修道女は平然といった様子でそう言った。確かに彼女にはアイラやフィオリアの護衛を頼んでいる。同性であれば同室でも平気であり、昼夜場所を問わず警護することができる。

「近衛の兵に水や重い物を運ぶのを手伝わせましょう」

 キスカが無表情で言うとフィオリアはいくらか満足したようだった。

「正直、私も天幕生活が長く続くのは耐え難いです」

 レオポルドのカップにお茶のお代わりを注ぎながらアイラが困ったような顔で言った。

「天幕の寝台は小さくて旦那様と閨を共にするとき、些か窮屈ですし」

 何故かフィオリアとソフィーネの白けた視線がレオポルドに集中する。

「それに、昨夜気が付いたのですけれども、天幕の寝台に近い箇所に穴があって、そこから覗かれているようで……」

 彼女の言葉にキスカは無言で立ち上がると寝台の辺りを確認し、黙って天幕の外へ出て行った。

 その日、近衛大隊の一部の兵は、自らの指揮官がどれほど恐ろしい人間かということを知ることになった。

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