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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第七章 伯領政府
117/249

一一一

 レオポルド軍とブレド・ウォーゼンフィールド男爵軍が衝突する二日前。

 ファディ北方にあるレオポルド要塞の前に一人の士官が立っていた。

 彼の名はコンラート・ディエップ中佐。レオポルド要塞の抑えとしてブレド男爵が残した歩兵連隊の副長を務めている。元々はサーザンエンド辺境伯軍の士官であり、ジルドレッド兄弟やバレッドール准将、レッケンバルム、ルゲイラといったレオポルド軍の士官とは顔馴染であった。

 ブレド男爵の軍勢は大きく三つの軍隊の混成である。一つはブレド男爵の家臣や彼が徴兵、徴募した兵。もう一つはウォーゼンフィールド男爵の兵。残るはサーザンエンド辺境伯軍である。

 男爵がハヴィナを制し、辺境伯宮廷の実権を握ると、ハヴィナ及び中南部のナジカなどに駐屯していた辺境伯軍は彼の隷下に編入されてしまった。彼らの上官である辺境伯軍司令官ジルドレッド将軍がサーザンエンドから離れ、辺境伯代理ロバート老がブレド男爵に付いてしまっては本意はどうあれブレド男爵に従うより他になかったのだ。

 とはいえ、これに不満を抱く辺境伯軍将兵は少なくなかった。ディエップ中佐もその例外に漏れず、異教徒のテイバリ人に従うことには強い抵抗を感じていた。

 彼は密かにレッケンバルム卿に通じ、南都ハヴィナの情勢を流し続けていた。軍の高級士官の一人である彼の情報が非常に有益であったことは言うまでもない。

 その為、四男爵の関係の変化、ブレド男爵軍の動向などは、かなり早い段階でハヴィナからファディにいるレッケンバルム卿の耳に入っていたのだ。

 ディエップ中佐は男爵に対する叛意を胸に秘めたまま、連隊副長としてムールド遠征に従軍することとなった。不本意ながら男爵の為に働いていたところ、彼の連隊はレッケンバルム要塞の抑えとして残されることになった。連隊長には男爵の家臣が送り込まれていたが、将兵の多くは元辺境伯軍の者ばかりで、彼はこれを千載一遇の好機と考えた。

 本隊が離れて一日もしないうちに士官たちの間で密かに策謀は進み、数日としないうちに、中佐に率いられた帝国人将兵数十名は連隊本部を急襲して、連隊長や幕僚ら男爵派を捕縛した。

 そうして、彼は白旗を掲げて、レオポルド要塞に籠るバレッドール軍に降伏したのである。

 出撃準備を進めていたバレッドール軍は即座に中佐の降伏を受け入れ、その連隊を自軍に編入し、男爵軍本隊の後を追った。

 タイガル村近くで行われたレオポルド軍と男爵軍の戦いの結果が知らされたのは、その翌日のことだった。


 ブレド男爵と極僅かな側近が戦場から遁走した後、程無くして男爵軍主力はレオポルド軍に降伏した。

 彼らは既に何時間もレオポルド軍のドレイク連隊と第一ムールド人歩兵連隊と激しい戦いを繰り広げていた。そこへ本営を急襲したレオポルド軍騎兵が襲いかかる。退路を断たれ、前にも後ろにも敵を抱えた状態で戦えるわけがなく、残された士官たちは無駄な抵抗を止め、降伏を決めた。

 ブレド男爵軍の死傷者は一〇〇〇名を超え、二〇〇〇名以上の将兵が捕虜になった。降伏した一〇〇〇の兵を合わせると、ブレド男爵派四〇〇〇もの兵を失ったことになる。

 一方、レオポルド軍の死傷者は最も激しく戦ったドレイク連隊を中心に五〇〇余であった。

 レオポルドは第一にドレイク連隊の不屈の働きを称賛し、第二にサーザンエンド騎兵とムールド人軽騎兵連隊の勇敢な戦いを褒め上げ、第一ムールド人歩兵連隊が崩壊しかけたドレイク連隊を援け、支えた動きを称えた。そして、全将兵に褒賞を与えることを約束した。

 レオポルド軍はバレッドール軍と合流した後、ファディに入った。

 ファディは、北に自分の名が付けられた要塞が建造されたことと要塞の建造に必要な煉瓦を製造する工場が建設されていたこと以外、レオポルドが帝都に向かって発った半年以上前とほとんど変わりなかった。

 彼はファディにおける自宅となりつつある族長の屋敷の一室に入ると、渋い顔で顎を擦りながら呟いた。

「拙いことをしたな」

 彼に従って部屋に入ってきたキスカ、バレッドール准将、ルゲイラ兵站監は怪訝そうに顔を見合わせた。

「何か問題がありましたでしょうか。ブレド男爵軍は撃退され、大きな打撃を受けました。我が軍は健在であり、ファディは取り戻され、優勢を維持しています」

「いや、男爵相手には確実な勝利を手にできたと思う。ただ、少し勝ち過ぎた」

 ルゲイラの言葉にレオポルドは椅子に座りながら応えた。

「勝ち過ぎ、ですか」

 キスカが怪訝そうに言うと、レオポルドは不機嫌そうに頷いた後、気が付いて彼女に座るよう指示する。彼女は大人しく長椅子に腰を下ろす。

「その通り。我々は少し勝ち過ぎた」

 彼がそう言ったとき、扉がノックされ、四人分のお茶が運び込まれた。

「まぁ、それはさておき、我々の勝利に」

 レオポルドがそう言ってお茶の注がれたカップを掲げると、三人も同じようにカップを掲げ、勝利のお茶を味わった。

「それで、勝ち過ぎ、とは如何な意味で」

 窓際に立ったバレッドール准将が尋ねる。。

「ブレド男爵という差し迫った脅威がなくなると、余計なことを考える連中が増えるだろう」

 レオポルドが答えると、三人は「あぁ」と納得顔で頷く。

 レオポルドがムールドで強い発言力と権威を維持できているのは強力な軍隊の指揮権を握っているからであり、その軍隊に供給する武器弾薬の補給も彼が独占している。

 ムールド諸部族や反ブレド派の帝国人貴族は、ブレド男爵やレイナルといった敵から身を守る為にはレオポルドの指揮下で結束している必要があったから、将兵を差し出し、彼の指示通りに行動してきた。

 しかし、今やレイナルはムールド南部の砂漠を彷徨い、ブレド男爵は這う這うの体でムールドから逃げ出し、見渡す限り主だった外敵はいなくなってしまった。

 となると、彼らがレオポルドの下に組み込まれている意義は失われ、将兵を引き上げ、自分たちの根城に戻ってしまい、レオポルドの言葉には耳も貸さなくなるなんてことも有り得る。

 勿論、そうならないようにレオポルドはいくつも手を打ってはいる。

 キスカ、アイラとの婚姻によって有力な部族を味方に引き入れ、ムールド人将兵を軍隊の指揮系統に置いて部族と切り離し、ムールド伯に叙任され、帝国法上のムールド統治のお墨付きを手に入れ、リーゼロッテと婚約することによってレウォント方伯との繋がりも得た。

 ただ、ムールド諸部族や帝国人貴族たちがレオポルドの膝下に居続ける意義が失われたことは大きい。

 ブレド男爵軍にこれほどまでの壊滅的な打撃を与えるべきではなかったとレオポルドは考えていた。ブレド男爵にはいつ何時ムールドを侵すかもしれない脅威であり続けてほしかった。

「その上、今回の戦いで最も活躍したのは誰か」

 レオポルドの言葉に途端にキスカは苦々しげな表情を浮かべる。

「将兵はしきりとアルトゥール様の勇敢さ、御活躍を称賛しているようです。ブレド男爵の騎兵を粉砕して、戦いの勝利に貢献し、男爵をあと一歩の所まで追い詰めたとか」

 ルゲイラの答えに、レオポルドも苦い顔をする。

 確かにアルトゥールの働きは称賛に値する。しかも、派手で明確で分かり易い功績だ。兵の先頭に立って敵に斬り込んでいき、敵の大将を追いつめる姿は、さぞ絵になるだろう。多くの将兵が今回の戦いの一番の功労者はアルトゥールだと口々に言い合っていた。

 アルトゥールが活躍し、威信を高めることはレオポルドにとって非常に都合の悪いことだった。

 庶子の家系ながらフェルゲンハイムの血を受け継ぐアルトゥールとフェルゲンハイム家の傍系とも言えるウォーゼンフィールド家のエリーザベトの婚姻は、アルトゥールがサーザンエンド辺境伯の地位を受け継ぐ資格を得るようなものである。

 実際にレオポルドの地位を脅かす気があるかないかは、さほど重要ではない。そういう存在が現れること自体が問題なのである。レオポルドに反発する勢力が祭り上げる神輿になりかねない存在になり得ることが大いに問題なのである。

 その上、将兵や大衆からの人気や支持まで集めているともなれば、レオポルドの立場に強い影響を与えかねない。

「事を決するならば、早めに動くべきではありませんか」

 キスカの言葉にバレッドールは顔を顰めた。

「それは、軽々しくできることではないぞ」

「一族の粛清も軽々しくできたわけではありません」

 准将の窘めるような言い方にキスカが言い返すと、彼は言葉を詰まらせた。

「しかし、必要とあらば為さねばなりません」

 彼女は立ち上がってレオポルドに迫る。

「今のうちに片付けてしまうべきです。お任せ頂ければ、今夜にも決行できますし、夜が明けぬうちにレオポルド様に朗報をお伝えできるでしょう。実行部隊は信用できるネルサイの者だけで編成し、夜半頃、将兵の多くが寝静まった頃に動きます」

「座りなさい」

 レオポルドは頬杖を突きながら、きっぱりと言い放つ。

「レオポルド様っ」

「いいから、座れ。あと、そんなに興奮するんじゃない」

 はっきりとした口調で命令され、キスカは不貞腐れたような顔で長椅子に座り直した。

「では、彼奴を如何様に遇するおつもりですか。この先も今回のような働きを見せると、奴に心酔する愚か者が増えかねません」

「それは手を打つ」

 レオポルドの答えに、三人は興味深そうに彼を見つめる。

「まず、アルトゥールはサーザンエンド騎兵連隊から外す。副長のフェリオットとタブラン少佐もだ」

 人事はレオポルドの専決事項であり、重要な武器である。彼は人事によってアルトゥール一派の力を封じようと考えていた。

「しかし、戦で功績を挙げた者を左遷しては将兵の士気に影響がありますぞ」

 バレッドールが懸念を述べると、レオポルドは頷いて言葉を続けた。

「無論だ。よって、三人とも昇進させる。フェリオットはムールド人歩兵連隊の連隊長に就け、タブランはムールド人軽騎兵連隊の副長に据える」

 見かけ上は両者とも昇進である。ただし、二人はムールド人主体の連隊を率いることになり、統率には四苦八苦することになるだろう。二人はムールド語が話せないし、ムールド兵の中には帝国語を解さない者も少なくないのだ。

「フェリオットの下にはムールド人士官を置く。そうだな。ムラト族の有力者を中佐にしよう。中佐が実質的には連隊を統率し、フェリオットが自由に連隊を動かせないようにする。ムールド人軽騎兵連隊の連隊長にはファイマンを昇進させよう」

 ファイマンはムールド人軽騎兵連隊の副長であり、キスカと同じネルサイ族の出身である。レオポルドに忠実で、兵を率いる能力にも長けている。

 連隊編成時から副長を務めるファイマンは連隊をほぼ掌握できるだろうから、タブランが口出しする余地は少ないだろう。

「では、アルトゥール様は如何様に。准将に引き上げるのですか」

 ルゲイラの質問をレオポルドは即座に否定した。

「アルトゥールには軍務から離れ、伯領副総監に就いてもらう」

 レオポルドは帝都にいる頃から密かにムールド統治を行う政府機構の構想を練っていた。伯領政府は総監が率い、その下には内務、外務、財務、法務の長官を置く。

 副総監は総監を輔弼し、総監に危急がある時は、その事務を代行する職務である。

 この職務にアルトゥールを据えて、見せかけ上は重用しているように見せつつも、平素は特に仕事を与えず、飼い殺しにするというのがレオポルドの思惑だった。

「しかし、レッケンバルム卿が総監となれば、副総監のアルトゥールと距離が近く、結託して何やら余計な策謀を巡らせませんか」

「総監はレッケンバルム卿ではないよ」

 バレッドールが懸念を述べるとレオポルドは空になったカップを弄びながら呟いた。

 黙ってキスカが立ち上がり、ポットから新しいお茶を彼のカップに注ぐ。

「総監はシュレーダー卿だ。年功序列なら卿も表立って文句は言えまい」

「成る程」

 准将は感心したように言い、キスカにお茶のお代わりを貰った。

「ところで、降伏してきたディエップの連隊を如何します」

 カップのお茶を一口飲んでからバレッドールが尋ねる。

「ブレド男爵軍の二〇〇〇にも及ぶ捕虜の扱いも問題です」

 キスカの向かい側の長椅子に座ったルゲイラも懸案を口にする。

「とりあえず、町の郊外に収容所を設けておりますが、お世辞にも良好な居住環境とは言い難いものです。兵員の宿舎にも事欠いておりますから。このままでは糧食や飲料水の不足、居住・衛生環境の悪化に繋がりかねません。となれば、捕虜の反乱や騒動が発生する恐れもあります」

「確かに、それは問題だな。早急に解決したいところだが」

 レオポルドは難しい顔をしてお茶を啜り、暫く考えてから口を開いた。

「できるだけ我が軍に編入したいが、それを拒む者、素質のない者は解放してやろう」

「敵の駒を返すのですか」

 キスカがとんでもないとでも言いたげな顔で言った。

「ただで返すわけではない。我が軍に参加する者の家族が安全にハヴィナを脱出し、ファディまで来るのと交換したいと思う」

 捕虜交換に近いとも言えるだろう。家族の安全が確保されれば、レオポルド軍に参加する将兵も少なくないだろう。自軍に大きな打撃を受けたブレド男爵としても自らの部下や兵の無事の帰還は強く望むところだろう。

「間諜や内通者が入り込むことも予想されますが」

「それくらいは許容範囲内だ。ナジカの有力者に仲介を頼もう」

「となれば、軍を再編成せなばなりますまい。ディエップの連隊を基幹として、一個歩兵連隊を新たに編成しましょう。サーザンエンド・フュージリア連隊のムールド人将兵を定員割れしているムールド人歩兵連隊に編入し、不足分に帝国人将兵を入れましょう。同じ連隊の兵は同じ民族でまとまっていた方がトラブルも少なくてよいでしょうからな」

 バレッドールは頭の中に入っている兵員表を思い浮かべながら意見を述べ、レオポルドはその提案に同意してから、付け足した。

「できれば近衛部隊を拡充したい。精鋭を抽出して近衛大隊に再編成して欲しい」

「仰せの通りに。となると、我が軍は二個騎兵連隊、五個歩兵連隊となりますな」

 バレッドールは口髭を撫でつけながら話し続ける。

「騎兵連隊と二個又は三個歩兵連隊。それに砲兵中隊を付けた二個旅団を編成するのは如何でしょうか。これによって二方面の敵と対することができましょう」

 この提案もレオポルドは受け入れ、一個はサーザンエンド騎兵連隊、サーザンエンド・フュージリア連隊、ドレイク連隊、新しく編成される予定の新連隊から成るサーザンエンド旅団。もう一つはムールド人軽騎兵連隊、ムールド人歩兵連隊二個から成るムールド旅団とされることになった。

 同時にその上位に軍事評議会を設け、兵員や兵站の管理を担わせるという構想がなされた。


 後日、ムールド伯軍は二個旅団に再編成され、サーザンエンド旅団の指揮官にはレッケンバルム大佐が准将に昇進して就き、ムールド旅団の旅団長にはジルドレッド弟がこれまた准将に昇進して就任した。

 バレッドールは少将に昇進して、ムールド伯軍司令官として両旅団を統率する。

 軍事評議会議長にはジルドレッド将軍が就いて、形上は軍事の最高責任者となったが、前線の指揮からが離れることとなった。ルゲイラは軍事評議会傘下の兵站部門の長となり、キスカは近衛大隊の指揮官となった。

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