一〇九
地平線の向こうから太陽が顔を出し、大地を朝日が照らしだした頃、レオポルド軍に身を置くフューラー人砲兵隊長ヤン・クラウス・ブランク砲兵大佐は覗き込んでいた望遠鏡を下ろし、手振りで部下に指示を下した。
「砲撃開始っ。距離八〇〇ヤードっ。撃てぇっ」
砲兵士官の怒号から一拍遅れて、レオポルド軍両翼に一〇門ずつに分けて配置された大砲が次々と火を噴く。
夜の間に、当初配置されていた中央から両翼に分散された砲兵隊は夜明け前には前進を始めて、砲兵陣地を設営していた。
撃ち出された砲弾はムールドの砂っぽい乾燥した空気を切り裂き、およそ八〇〇ヤード先の硬い草と石、土砂の地面に着弾して、土煙を巻き上げた。
砲兵が狙った場所よりもだいぶ南にずれた地点で、敵に与えた損害は皆無のようだった。
「命中弾なしっ。着弾地点が南にずれているぞっ。向きを調整しろっ」
望遠鏡を覗き込んでいた砲兵士官が怒号を飛ばし、砲兵たちは苦労して、砲弾を撃ち放ったばかりの砲口から白い煙を上げる砲の向きを変えた。
その間に、ブレド男爵軍の騎兵隊は前進を始めていた。
左翼にはブレド男爵家の軽騎兵連隊、右翼にはウォーゼンフィールド男爵家の騎兵連隊が配置され、両翼共にトロット、つまり速歩で西にあるレオポルド軍陣地へと進軍を始めた。最初から全速では馬が疲労してしまうのだ。騎兵の多くはサーベルとピストルを装備し、甲冑の類は身に付けていない。
「次弾装填せよっ」
砲兵士官が号令を飛ばすと、砲兵たちは砲口から螺旋棒と先にスポンジを付けた棒を突っ込んで、砲腔を掃除した後、砲弾と弾薬袋を込め矢で砲腔の奥に押し込む。火門という砲の後ろにある穴から錐で弾薬袋を突いて穴を開け、そこに点火薬を入れる。これで発射準備完了だ。
「撃てぇっ」
士官の怒号と共に、点火棹で火門から火が点けられた。二〇門の大砲が次々と火を噴き、轟音を轟かせ、砲煙と共に八ポンドの鉄の塊を吐き出す。
二射目は半数ほどの砲弾が騎兵隊の中に突っ込んでいった。運悪く直撃を受けた人馬は粉砕され、血煙を巻き上げ、周囲に肉片を飛び散らす。衝撃で馬が横倒しになり、騎兵は馬上から吹き飛ばされる。
更に、巻き上げられた土砂、四散した肉片や装備が直撃を免れた周囲の人馬を傷つける。小石の一つでも砲弾が着弾したときの衝撃で弾き飛ばされると相当な威力を持つ。当たった箇所の骨を折り、肉を抉る。
轟音と衝撃に驚いた馬の嘶き、腕や脚を失った兵の悲鳴、隊列を組み直そうとする下士官の怒号が混じり合い、場は騒然とする。
「怖じ気づくなっ。散開して前進を続けよっ」
士官の命令が下り、ブレド男爵軍の軽騎兵は左右前後に並ぶ同僚との間を広げた。密集陣形では砲撃を受けたときの被害が大きくなる。しかし、散開していれば、砲弾の直撃を受ける確率は減り、四散した破片などに当たる者も少なくなる。
「やはり、散開したようですな」
敵騎兵を動きを見ていたサーザンエンド騎兵連隊の副長フェリオット中佐が言った。
サーザンエンド騎兵連隊は右翼、砲兵陣地の更に右側に布陣しており、反対側では同じように左翼の砲兵陣地の左側にムールド人軽騎兵連隊が布陣している。
「中央の敵も前進を始めているな」
フェリオット中佐と馬首を並べた連隊長アルトゥールは望遠鏡で中央の戦況を窺いながら呟いた。
中央のブレド・ウォーゼンフィールド男爵軍の歩兵四〇〇〇は対峙するレオポルド軍は二個歩兵連隊二〇〇〇余に向かって前進を始めていた。
レオポルド軍中央はドレイク連隊を前に置き、その後ろに第一ムールド人歩兵連隊、最後にレオポルドの近衛中隊が守る本営が設けられており、レオポルドとキスカ、ジルドレッド将軍はそこで指揮を執っていた。
ドレイク連隊を前に置いたのは、わざわざ高い金を払って雇っているのだから、存分に働いてもらわなければ困るとレオポルドが考えたからである。また、ムールド人連隊を前に置いて、帝国人の盾にしているとムールド人たちから思われたくないからでもあった。
軍の指揮権を握っているとは言っても、ムールドの地を統治するにあたって、住民の大半を占めるムールド諸部族の反感を買わないように注意を払うことは極めて重要なことであった。
当初の位置から距離を半分程度まで詰めてきた敵騎兵に向けて、三度レオポルド軍の砲列が火を噴いた。
数騎の騎兵が吹き飛び、血飛沫が宙を舞う。しかし、散開していた為、脱落した砲弾の直撃を受けた者は前よりも少なく、四散した破片などで負傷する人馬も減っている。
砲撃を潜り抜けたブレド男爵軍騎兵隊は目の前の砲兵陣地に向かって突進を開始する。士官がサーベルを抜き放つと喇叭手が高らかに突撃喇叭を吹き鳴らす。他の騎兵も腰のサーベルを抜き放ち、喊声を上げる。
「行くぞっ。俺に続けぇっ」
アルトゥールはサーベルを抜き放って叫ぶと、馬腹に蹴りを入れ、弾丸のように飛び出していく。
「アルトゥール様に遅れるなぁっ。突撃っ」
フェリオット中佐が怒号を飛ばすと、サーザンエンド騎兵連隊は喊声を轟かせ、密集陣形で突撃を開始した。味方砲兵の射線を避けるように注意しながら、敵騎兵に向かって突進する。
両軍の騎兵は朝日に煌めく白刃のサーベルを水平に構え、土煙を巻き上げながら正面から迫り来る敵に向かっていく。馬蹄が地を蹴る騒々しい音、狂ったように吹き鳴らされる突撃喇叭、喊声、怒号が混じり合い、騒然たる中で両軍の騎兵はぶつかり合う。
水平に構えられたサーベルの刃は敵騎兵の馬首を撫で斬り、胴を貫き、肩を切り裂き、腕を圧し折っていく。哀れな敗者は馬上から振り落とされ、強かに地に打ち付けられる。敵や味方の馬蹄に踏みにじられ、悲鳴を上げながら土煙の中に消えていく。
形勢は明らかに密集陣形で突っ込んだサーザンエンド騎兵連隊が優勢だった。
打撃力は兵の密度に比例すると言ってもいい。兵を散開させることは銃撃や砲撃による損害を抑えることはできるが、白兵戦では打撃力が著しく落ちてしまい、正面からぶつかり合ったとき、容易に部隊は分断、粉砕されてしまう。
それがレオポルドの狙いだった。
砲撃によって敵騎兵に損失を与え、味方騎兵と互角の兵力を持つ敵を削っておく。敵騎兵が砲撃による損失を避けようと散開しても、密集陣形でぶつかる味方騎兵に粉砕されることになる。
これによって不確定な味方騎兵の勝利をより確実なものにしようとしたのだ。
レオポルドの目論見通り、サーザンエンド騎兵連隊はブレド男爵軍の騎兵の密度の薄い隊列を切り裂くように抉り込んでいく。
男爵軍騎兵の先鋒の中隊は真っ先に粉砕され、それに続く中隊もサーザンエンド騎兵連隊の突進に瓦解しつつあったが、三番手の中隊はアルトゥールの突撃を阻むことに成功した。
両軍の騎兵は入り乱れ、サーベルを打ち合い、蹴りを入れ、組み付いて諸共落馬して地面の上を転げまわり、落馬した敵に止めの刃を振り下ろす。
激しい白兵戦の最中、サーザンエンド騎兵連隊の突撃に粉砕された男爵軍先鋒の二個中隊の残余は一先ず戦場から離れ、再編成をしつつあった。
その頃、反対側でもムールド人軽騎兵連隊とウォーゼンフィールド男爵の騎兵連隊が白兵戦を演じ、中央では男爵軍歩兵連隊が前進を止めていた。
「前列っ。撃てぇっ」
前進を止め、射撃体勢を取ろうとする男爵軍歩兵にドレイク連隊は先んじて一斉射撃を見舞った。膝立ちになった前列の兵が一斉に引き金を引く。射撃音が響き渡り、白煙が宙に漂うと同時に、男爵軍の歩兵が断末魔の悲鳴を上げながら血飛沫を上げ、バタバタと倒れ込んでいく。
「後列っ。撃てぇっ」
膝立ちになった前列の後ろに立った後列の兵が一斉射撃を浴びせ、更に男爵軍の戦列に穴を開けていく。
負けじと男爵軍の歩兵が素早くマスケット銃を構えて一斉射撃を行った。男爵軍の保有するマスケット銃は旧式のもので、大きく重く銃架がなければ射撃が難しい代物であった。
戦列の各所で悲鳴が上がり、バタバタとドレイク連隊の兵たちが倒れていく。
「再装填急げっ」
士官の号令で両軍歩兵は敵よりも早くに次の銃弾を見舞おうと再装填を急ぐ。
マスケット銃を立て、槊杖で銃腔内を掃除して火薬の残り滓をこそぎ出す。続いて弾薬包を突き入れ、撃鉄を少し起こし、フリズンと呼ばれる火蓋と当り金を兼ねた蓋を開け、火皿に点火薬を入れてからフリズンを閉じる。撃鉄を更に起こせば再装填は完了である。
「構えぇっ」
マスケット銃が再び水平に構えられ、敵へと銃口を向ける。銃口の先では男がこちらに同じように銃口を向けている。相手の顔が、表情が見えるくらいの距離で向き合う。
「撃てぇっ」
再び射撃音が響き渡る。両軍の前面に白煙が舞い上がり、新たな犠牲者が悲鳴を上げながら倒れていく。
負傷者は後ろに引き摺られていき、後ろの兵が前に詰めて戦列の隙間を埋める。
士官と下士官はサーベルやピストルを手に戦列の後ろに立って、敵と配下の兵たちを睨みつける。彼らの仕事は兵を指揮して敵を撃滅すると同時に、恐怖に慄き、戦場を離れようとする臆病者を戦列に戻すことであり、それが不可能なときは、その愚か者を斬り殺すことなのだ。
「再装填っ」
ドレイク連隊副長トマス・バーンの野太い怒号が響き、兵たちはマスケット銃を立て、再び装填作業を開始する。
猛訓練に励んだとイレーヌ・リブルが胸を張った通り、ドレイク連隊はブレド男爵軍の歩兵よりも一拍早く装填を終わらせ、三度目の一斉射撃を見舞った。
最新式のマスケット銃を揃えたレオポルド軍相手の射撃戦では分が悪いと考えたのか。ブレド男爵軍の前線指揮官は三度目の一斉射撃を行わせた後、銃剣突撃を命令した。突撃喇叭が吹き鳴らされ、兵たちは半月や手斧、棍棒を振りかざして走り出す。
「前列は銃剣を構えろっ。後列、再装填急げっ」
トマス・バーンの号令で、前列の兵は銃剣を装着したマスケット銃を槍のように構えてずらりと並べ、後列は再び装填作業を開始する。
「撃てぇっ」
装填作業が済むと直ちに射撃命令が出された。
目前まで迫っていた男爵軍歩兵に数百発の銃弾が浴びせられる。百人以上の兵が血飛沫を上げながら吹き飛び、倒れ込み、悲鳴を上げながら地面を這いずり回る。
「突けっ突けっ。敵を寄せ付けるなっ」
運良く銃弾を潜り抜けた兵たちは白煙の中を突っ込み、ドレイク連隊の戦列に迫るが、ずらりと並んだ銃剣にその突進は阻まれる。隙なく並べられた銃剣の列の中に入り込むのは非常に難しい。
男爵軍の兵たちは銃剣と打ち合う間に、士官や下士官のピストルや再装填を済ませた後列の兵に撃ち殺されていく。
先陣の連隊の指揮官がマスケット銃で撃たれて馬上から転げ落ちると、兵たちは一斉に潰走を始めた。
「蛮族どもを追い払ったぞっ」
ドレイク連隊に配され、高級士官の一人として参戦しているディーテル卿弟が叫ぶと、各所で勝鬨と歓声が上がった。白煙を上げる銃口、血濡れた銃剣のマスケット銃を掲げて兵たちが勝利を喜ぶ。
「ドレイク卿。追撃をっ」
ディーテル卿の進言に、ハワード・ドレイクは口端を吊り上げた。
「君の意見には私も同意だ。しかし、閣下はそれを許すかな」
「敵は完全に打ち負かされ、より勝利を確実にする好機ではありませんかっ。後方にはもう一個連隊があり、両翼の騎兵も敵を押しつつある。追撃をしない理由はないでしょうっ」
「その通りだが、あの方は慎重派だからなぁ」
そう言って酒臭いゲップをした。
「私は閣下の代理として連隊に配されています。私が同意すれば、それは閣下の同意を得たも同義でしょう」
「それは一理あるな」
ドレイクは顎鬚を擦りながら唸った後、命令を下した。
「よし。連隊前進せよ」
軍楽隊が行進曲を奏で、ドレイク連隊の兵はマスケット銃を肩に担ぎ、隊伍を組んで前進を開始した。