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サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第七章 伯領政府
114/249

一〇八

 ムールド北西の町ハジに集まった戦力はドレイク連隊の他、帝都までレオポルドに同行した若干の騎兵と歩兵半個中隊、それに陸揚げした軍艦の砲を合わせて二〇門の大砲を擁する砲兵隊であった。

 他の戦力は二個歩兵連隊と一個騎兵連隊、小規模な砲兵隊がバレッドール准将の指揮下にあってファディ及びその北に構築された防衛線でブレド男爵軍の迎撃に当たっている。残る一個歩兵連隊、一個騎兵連隊はムールド南部にあって、こちらはジルドレッド将軍の指揮下に入っており、ファディの南にある町ロジに移動していた。

 対するブレド男爵の軍勢はサーザンエンド中南部の都市ナジカに六〇〇〇の兵が集結し、レオポルドがカルガーノに上陸した日には南下を開始した。

 これを迎え撃つのはバレッドール准将が半年以上の月日をかけて構築したファディ北部の防衛線である。見張り台を網の目のように張り巡らせ、要所要所には砦を設け、それらは整備された道路で連結されている。

 見張り台に駐屯する連絡兵によってブレド男爵軍の様子は逸早くバレッドール准将に把握され、男爵軍の目前には常に防衛体制を万全に整えた砦が立ち塞がる。

 砦には外部と連絡できる地下道が設けられており、概ね二〇〇人程度の守備兵が詰めていた。

 二〇〇という少数の守備兵とはいえ、防御態勢を整えた砦を攻略することは容易ではない。安易な強攻策は大きな損失を被るものだ。軍勢の進軍を止め、宿営地を整備し、陣形を整え、攻城戦の支度をするのに六〇〇〇もの大軍であれば数日を要する。

 更に周辺の砦から派遣された部隊や騎兵が男爵軍の後方を脅かし、その行動を妨害した為、攻城戦には余計に時間を費やす羽目になった。

 砦はあくまでも時間稼ぎの障害でしかなく、程々のところで放棄される。残った兵糧や弾薬には火が放たれ、生き残りの守備兵は地下道を通って近くの砦へと退避し、地下道は破壊される。

 砦を落としたブレド男爵軍は態勢を整えた後、再び進軍を開始し、次の砦の攻略に掛かる。

 こうしてブレド男爵が四つの砦を攻略し、ファディまで辿り着いたのは南下を始めてから一ヶ月近くが経った頃だった。

 バレッドール准将指揮するサーザンエンド・フュージリア連隊と第二ムールド人歩兵連隊は、住人が退去したファディを放棄し、ファディ北方の小高い丘に建設されたレオポルド要塞に籠城した。

 ムールドの新たな支配者の名を冠したこの要塞はムールド防衛の要として建設された新式の要塞である。

 角が七つある星型の要塞で、二重の空濠と分厚く低い土塁に囲まれており、砲撃に弱い旧来の高い城壁は姿を消している。低い土塁は砲弾や銃弾を防ぐ。角によって守備兵は広い射角を確保し、要塞に取りつく敵兵に側面から攻撃を加えることができる。

 二個連隊と砲兵隊合わせて二〇〇〇以上の兵が籠ったレオポルド要塞を攻略することは容易ではなく、ブレド男爵は攻城用の陣地を設けて要塞を取り囲み、一〇門の大砲で砲撃を加え、安易な攻撃を避けた。ファディ攻防戦は長期戦の様相を呈していた。

 その間にレオポルド率いる軍勢はハジを出発し、ファディより西に位置するタイガルという名の小村に入って、ロジにあったジルドレッド将軍の部隊、アルトゥール率いるサーザンエンド騎兵連隊と合流していた。

 ブレド男爵はこの合流を妨害すべく一部の騎兵を差し向けていたが、アルトゥールの騎兵連隊から反撃を受けて、みすみす合流を許してしまっていた。

 彼は防御態勢の整った要塞を攻略するよりもタイガルに集結した野戦軍を撃破することが先決と考え、要塞の包囲に一〇〇〇の兵と砲兵を残し、残りの兵を率いて西進した。

 この程度の兵力では要塞の守備軍が打って出たときに撃破されかねないが、それでも男爵はレオポルド軍本隊を撃破することに重点を置いていた。要塞の包囲に残した兵は時間稼ぎの為の兵といえるだろう。砲兵を残したのはこの一〇〇〇の兵を補強すると共に本隊の行軍速度を落とさない為だった。


「ブレド男爵軍。東一〇マイルの地で停止。その数五〇〇〇以上」

 夕刻近く、伝令の報告を聞いたレオポルドは黙って頷き、副官であるキスカが視線で下がるように伝令に指示する。

 伝令がレオポルド軍本営となっている陣幕を出た後、レオポルドは居並ぶ軍幹部たちを見回して口を開いた。

「聞いての通りだ。敵は明日にも攻撃を仕掛けてくるだろう」

 彼の言葉に居並ぶ幹部たちは表情を引き締める。

 その場にはジルドレッド将軍の他、サーザンエンド騎兵連隊の連隊長アルトゥール、第一ムールド人歩兵連隊の連隊長であるジルドレッド将軍の弟、ムールド人軽騎兵連隊を率いるサルザン族の族長ラハリ、ドレイク連隊の指揮官であるハワード・ドレイク、キルヴィー卿、ディーテル卿の弟、各連隊の副長、それにレオポルドの副官であるキスカが出席していた。

 ジルドレッド将軍はレオポルドの言葉に同意して言った。

「兵力では敵方がいくらか有利ですな」

 タイガルにあるレオポルド軍はドレイク連隊と第一ムールド人歩兵連隊の二〇〇〇余の歩兵とサーザンエンド騎兵連隊、ムールド人軽騎兵連隊の一五〇〇余の騎兵。それに砲兵隊である。

 これをレオポルドは中央に二個歩兵連隊と砲兵隊、左右に騎兵連隊という形で布陣させていた。

 タイガルの村は小さく、防衛施設もほとんどない為、当初から野戦は避けられないと考えていた。

 となると、戦いはタイガルの村の東辺りで、レオポルド軍三五〇〇余対ブレド・ウォーゼンフィールド男爵軍五〇〇〇で行われることになるだろう。

「敵の騎兵は如何程だ」

「報告では二個連隊一五〇〇余」

 アルトゥールの問いにキスカが不機嫌そうなしかめ面でぶっきらぼうに言った。

 アルトゥールとウォーゼンフィールド家の令嬢エリーザベトと婚約にレオポルドは強く反対していたが、現在の情勢からしてそんなことで揉めている場合ではない為、レオポルドは婚約の件を口にすることを避け、アルトゥールもいつも通りの調子であった。

 レオポルドに忠実なキスカにはそれが我慢ならないようで、以前にも増してアルトゥールに対して嫌悪感を露わにすることが多かった。

「おそらくは敵も騎兵を両翼に置き、兵力に勝る歩兵同士の戦いで我が方の中央を破るつもりでしょう」

 ジルドレッド大佐が意見を述べる。

 騎兵を両翼に置くのはこの時代の兵法の常道であり、堅実で慎重な性格のブレド男爵らしいと言えるだろう。

「両軍の騎兵は互角なのだから、歩兵は防御に徹し、その間に騎兵同士の戦いに勝利して、敵中央を挟撃すべきであろう」

 ムールド人軽騎兵連隊を率いるラハリの発言にアルトゥールも同意するように頷いた。

「俺のサーザンエンド騎兵連隊と精強なムールド人騎兵ならば、敵騎兵を破ることは容易い」

 そう言って胸を張り、隣に座ったサーザンエンド騎兵連隊の副長フェリオット中佐が力強く頷いた。中佐はアルトゥールの側近であり、連隊には彼をはじめアルトゥールを信望する騎兵が少なくなかった。

 騎兵たちの強気な意見にジルドレッド兄弟は不安げに顔を見合わせた。

 確かにレオポルド軍の騎兵は元々騎馬民族であるムールド人の性質からして騎乗に長けた者が多いし、幾度もの戦いを経ており、士気、練度共に高い。

 とはいえ、両軍騎兵の数は同数で、敵騎兵の実力もわからず、確実に勝利が得られるという保証はない。

 また、騎兵同士の戦いに決着がつく前に中央の歩兵が破られれば敗北は必至というものだ。

「我が軍の騎兵が精強なのは疑いようもないことですが、同数の騎兵を破るには時間がかかるでしょう。その間、歩兵が持ち堪えられない可能性も考慮すべきです」

 慎重な意見を述べたのは第一ムールド人歩兵連隊の副長を務めるサイマル族の族長の子ハッサンだった。

 彼の意見にジルドレッド兄弟は同意するように頷いた。

「じゃあ、他に手はあるのか」

 アルトゥールが機嫌を損ねて言うと、それまで押し黙っていたキルヴィー卿が声を上げた。

「要塞に籠っている守備隊と挟撃を図るのは如何か。要塞を取り囲んでいる敵兵は少数であり、撃破は容易だろう。我が軍は夜陰に乗じて後退し、守備隊が敵の後背を脅かすのを待てばよい」

 確かに要塞の包囲に残されたブレド男爵軍の兵は一〇〇〇程度であり、要塞の守備兵の半数に満たない。後背を脅かされればブレド男爵軍本隊は安全な地域に後退せざるを得ないだろう。そこを突けば勝利は堅い。

 しかし、その為にはレオポルド軍はブレド男爵軍本隊と距離を保ちながら後退する必要がある。上手く後退することは前進することよりも難しい。後退の最中を捕捉され、攻撃されればひとたまりもないだろう。ブレド男爵にしても挟撃の危険を意識しているはずで、レオポルド軍本隊を逃がそうとはしないはずだ。

 一通り指揮官たちの意見を聞いたレオポルドはキスカに視線を向けた。

「ところで、ブレド男爵軍に大砲はないのか」

「斥候の偵察によると砲兵隊はいないようです。おそらく、要塞を攻撃する為、陣地に設営したままなのでしょう」

 レオポルドは頷くとフューラー人の砲兵隊長ブランクに声を掛けた。

「今現在、我が軍の砲はどうなっている」

「中央の陣地に設営してあり、いつでも四半刻以内には砲撃できる状態です」

「速やかに移動させることはできるか」

 その問いにブランクは一瞬呆気に取られた顔をしたが、すぐに応えた。

「移動にはある程度の時間を要します」

「今からならば明朝には別の個所に移動させられるか」

「明朝までならば可能でしょう」

「では、砲兵隊を二分し、両翼の前面に設置せよ」

 レオポルドの指示を聞いていた士官たちは顔を見合わせた後、すぐに合点がいったように頷き合った。

 砲兵を両翼に置いて敵騎兵を砲撃させれば、騎兵同士が激突する以前に、敵騎兵に大きな打撃を与えることができる。その分、中央の戦力が落ちることは避けられないが、レオポルドは自軍騎兵の勝利に賭けた。


 軍議が終わった後、レオポルドはキスカと共に夕食をとることにした。軍事行動中、彼はキスカと二人で食事をすることが多かった。他の士官や部下を交えることもあったが、表面的には社交性をアピールできても、本質的には簡素で質素な生活を好む彼は食事も少人数でひっそりと食べることを好んでいた。

 かつてキスカの指示で鞭打ちされたムールド人の料理人アクアルが作る今日の夕食の献立は去勢鳥と野菜のスープ煮込み、固焼きパン、いくつかのチーズ、葡萄酒といった貴族にしては簡素な食事である。とはいえ、アクアルの料理は簡素なものでも非常に美味で、帝都の有名な料理人が作る香辛料を大量に注ぎ込んだ派手で豪勢な料理よりもレオポルドの舌に合っていた。

 特に今日の去勢鳥のスープは非常に美味であった。しっかりと下味を付けて煮込まれた鶏肉はほろほろで、野菜は程よく煮えており、スープの塩気は丁度良い具合で、香りも素晴らしい。

「今日のスープは絶品だな。鶏肉が非常に美味い」

「はい」

 すぐにスープを平らげて、杯を空にしたレオポルドの称賛にキスカは頷いたが、その表情は浮かないもので、杯の中身はあまり減っていないようだった。パンも何回か齧ったくらいで、チーズも余らせている。

 彼女は特に大食いというわけではないが、少食というわけでもない。レオポルドが食事を終える頃にまだ半分以上残っているなんてことはこれまでの経験ではないことだった。

「どうした。食欲がないのか」

「いえ。御心配には及びません」

 心配してレオポルドが声を掛けると、彼女は咄嗟に否定して、チーズを口に運ぶ。

 しかし、しかめ面でいつまでも咀嚼しているばかりで中々飲み込めないようだった。食欲がないことは明らかというものだ。

「キスカ。自らの体調管理も重要な仕事の一つだ。偽りを報告して無理をして倒れたりしたら、そちらの方が問題というものだ。体調が悪いときは、まだ余裕があるときに休息を取って早期の回復を図るべきだ。そうではないか」

「……仰る通りです」

 どうにかチーズを飲み込んだキスカは悄然とした面持ちで呟くように言った。

「体調がよくないのか。具体的には」

「食欲がなく、たまに吐き気が。あと、頭痛と眠気が」

「いつ頃からだ」

「……アルヴィナを出た頃からです」

 帝国本土の港湾都市アルヴィナを発ったのはもう二ヶ月も前のことだ。その間、一ヶ月の船旅と一ヶ月の行軍があったのだが、彼女はずっと体調不良を我慢していたらしい。

 航海中キスカは具合を悪そうにしていたのだが、それは航海に慣れた水夫以外全員が船酔いで気分悪くなっており、彼女だけが特別というわけではなかった。行軍中は急ぎの進軍ということで、ゆっくりと食事をする暇はあまりなく、忙しさに感けて彼女の調子になど気が付かなかった。

 レオポルドはキスカの我慢強さと自らの鈍感に呆れ果て溜息を吐いてから、天幕の外に呼びかけた。

「誰かっ。軍医を呼べっ」

「医者にかかるほどのことではありません」

 キスカは不満げに呟くが、レオポルドは渋い顔をして言い切った。

「それも含めて医者に判断してもらう」

「しかし……」

「私は先程、君に体調管理について注意をしたはずだが忘れたのか」

 その言葉にキスカは悄然として黙り込んだ。

 軍医といえば聞こえは立派なものだが、軍医の仕事は負傷した手足を切断することで、医療や衛生知識に事欠く者も少なくなかった。

 しかし、レオポルド軍の司令部に詰める軍医は、総指揮官の治療も担当することから、レオポルド軍の中では最高の医者であった。

 シュテファン・ローベルズという名の齢七〇以上の老医者は杖を片手によろよろとした足取りでやって来て、キスカの診断をした。体調を聞き、脈を取り、熱を測り、心拍を聞いて、さして時間も経たないうちに皺だらけの顔を更にしわくちゃにした。

「おめでとうございます」

「何がめでたいというのだ。彼女は体調不良なんだぞ」

「いえ、閣下。これは慶事ですぞ」

 ローベルズ医師にそう言われて、レオポルドとキスカは無表情で顔を見合わせた。

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