表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サーザンエンド辺境伯戦記  作者: 雑草生産者
第六章 ムールド伯
104/249

九九

「ピクニックだと」

 書斎で書き物をしていたレオポルドはレンターケットの言葉に顔を上げた。片眉を吊り上げ、口をへの字に曲げる。

「レイクフューラー辺境伯がそう仰ったのか」

「ええ。フライベル姉妹を連れて、ピクニックにでも行けば親交が深まるのではないか。との仰せでして」

「まるで子供の御遊びだな」

 呆れた様子で羽ペンを机の上に放り投げる。

 レオポルドの傍らにいつものように佇むキスカは無言で机の上に転がった羽ペンを拾い、主が今しがた書き終えた書類を取って、近くに控えていた書記のコンラートに手渡す。コンラートはそれを持って部屋を出ていった。

 書記が出ていくのを目を追い、扉が閉まってから、レオポルドは口を開いた。

「あの方は大層優れた資質をお持ちだが、男女の駆け引きに関しては素人同然だな。町娘だの百姓娘だのならばいざ知らず、何処の世にピクニックに連れて行って喜ぶ貴族の令嬢がいるというのだ」

「はぁ、まぁ、いやはや」

 レンターケットは苦笑いを浮かべながら困ったように頭を掻く。

「大体、わざわざ、フライベル姉妹と親交を深める必要などないだろ。これはあくまでも純然たる政略結婚なのだから、レウォント方伯に働きかければ事は済むはずだ。彼女たちがいくら私との結婚を嫌がっても、最終的には方伯が決める話だからな」

「あ、いや、まぁ、その通りなのですが。それがどうも芳しくないようでして」

「芳しくない。とは、どういうことだ」

 レオポルドは不機嫌そうに眉を吊り上げる。

「レイクフューラー辺境伯側からも、私からもレウォント方伯やその御家臣の方々に働きかけをしておるのですが、反応は上々でも、中々承諾が頂けないのです」

「渋っているのか」

「そういうわけではなく、彼らとしてもこの縁組の話は悪くないと考えてはいるようです」

「では、何か条件でも付けてきているのか」

「そういった要求をしたいようでもないようです」

「だったら何が引っ掛かってるってんだ」

 レオポルドは苛々した様子で椅子に背を預ける。

「それがそのぉ、実はですなぁ」

 レンターケットは相変わらず苦笑いを浮かべたまま、言い辛そうに口を開いた。

「どうやら、当人たちの意向に配慮している模様です」

 当人とは、要するに実際に結婚する当事者、つまり、フライベル姉妹のことだろう。

「それって、つまり、アレか。レウォント方伯家の連中は揃ってあの姉妹の御意向伺いをしてるってことか」

「はぁ、まぁ、そういうことになるんでしょうなぁ」

 レオポルドの呆れたような驚いたような言葉を、レンターケットは変わらない苦笑のまま肯定した。

 貴族社会では政略結婚が当たり前である。多くの場合、貴族の子女の結婚相手は家と家の関係から決まり、当主が娘の結婚相手を決め、それを指示する。花嫁は結婚式の当日まで相手の顔を見たこともないということすらある有様だ。

 しかし、フライベル家の場合は違うらしい。

 当主であり、姉妹の兄であるハインツが結婚を指示するわけでもなく、後見や親戚筋が取り決めるわけでもなく、姉妹の意思というものを確認しなければ縁組は結べないというのだ。

 今までの交渉やフライベル家の内情に関する調査によって、そういった事情を把握したレイクフューラー辺境伯は、ならば、フライベル姉妹と親交を深めるしかないと考え、「ピクニック作戦」を提示したらしい。将を射んとすれば馬を射る。というが、馬を射ることができなければ、やっぱり、将を射るしかないのだ。

 レオポルドは吊り上がっていた眉を下げ、への字口は変わらないまま、腕を組む。

「なんじゃそりゃ」

 呆れ果てたといった様子で言い捨てた。

いやしくも政を為す家の者が、私情によって判断を鈍らせるとは、なんと愚かなことか」

 レオポルドはそう言ってから、はっと気が付いて、気まずい表情を浮かべる。傍らに佇む誰かさんから、物言いたげな突き刺すような視線が向けられている気がするのだ。

 私情によって、一族の政治的決断を拒み、あまつさえ、裏切り、逆に一族を皆殺しにしてしまった恐ろしい女が身近にいることを彼はすっかり忘れていたのだ。

 しかし、正確には彼女としては一族の政治的判断は誤りで、自分の目指した方向こそが部族の利益に叶うと確信していたのだから、全てが全て私情によって判断を狂わせたとは言い難い。

「ま、まぁ、結婚させられる当人にとっては重大事であるから、ゴネるのは仕方ないとして。問題はそれを統制しきれていないレウォント方伯だ。あの方は御自分の妹に言うことも聞かせられないのか」

 レオポルドは少し気まずそうに言い回しを変える。

「私たちが感じた限りでは、そのようですな」

 レンターケットはそう言ってにっこりと笑った。

「ですから、ピクニックです」

 レウォント方伯の力に期待できない状況で、フライベル姉妹のどちらかと結婚する為には、姉妹と親交を深め、彼女たちがレオポルドとの結婚を望むように、或いは許容できる状況に持ち込むしかない。要するに、彼女たちの気を惹かねばならないということだ。

 その方策として、レイクフューラー辺境伯は「ピクニック」がいいと考えたらしい。

「その発想がわからん。閣下の頭の中では、男女が出かけるのはピクニックと相場が決まっているのか」

「はてさて」

 レンターケットは首を傾げる。

「とにかく、そんな児戯めいたことに付き合っているほど俺は暇じゃない」

 レオポルドは不機嫌にそう言い放つと、机の端に除けていた書類を手に取る。彼が声をかけた学者や職人から寄せられたムールドの産業振興について建策書だ。今週中には目を通し、優秀な意見を述べた者は、要職に取り立て、ムールドに招聘する予定なのだ。この他にもやらねばならない仕事は山ほどある。ムールドに敷設する予定の道路の工事計画書に目を通さなければならないし、ムールドから届いた手紙の返事はまだ半分ほどしか書き終えていない。クロス家の屋敷の改築工事もだいぶ進んでいる頃合なので、一度工事の進捗状況を見に行きたいと思っていたところだし、広間や食堂の家具は目星が付いているが、寝室や客間の家具、調度品はまだ選んでいない。近々、ウェンシュタイン男爵の屋敷で開く予定の宴の準備もまだ途中だ。招待客の選定、料理の手配、広間の飾り付けの準備。ムールドに帰還する際に乗る船の手配も忘れてはならない。来るときに比べ、帰るときはドレイク傭兵団が徴募した一個連隊が増えるのだから、当然もう何隻か船が必要だろう。

「それは困りましたなぁ」

 レオポルドがそれらの仕事を思い浮かべていると、レンターケットはわざとらしく困ったような声を上げた。

「既にレイクフューラー辺境伯閣下より先方に誘いの声が掛かっているのですが」

 レオポルドの表情は更に不機嫌さを増した。

「普通、そういうのは当人が、男が直に誘うか誘いの手紙を出すものだ。辺境伯閣下から声を掛けるのはおかしいだろ」

「まぁ、そうですな」

 その指摘にレンターケットはあっさりと頷く。

「しかし、もう約束をしてしまったようですし」

 レオポルドは眉を吊り上げ、口を開きかけたが、結局何も言わず黙り込んだ。今ここでレンターケットに文句を言っても意味がないと考え直したのだ。文句を言う相手はレイクフューラー辺境伯だが、彼女に文句を言えるほど身の程知らずではない。

 諦めたように深く溜息を吐いて尋ねた。

「いつだ」

「ちょうど来週です。目的地は任せるそうです」

「勝手に決めたくせに、細かいところはこっちに丸投げか」

 レオポルドは苛々と文句を呟き、呑気に笑っているレンターケットに視線を向けた。

「じゃあ、帝都近郊で風光明媚な適当な地を探しておいてくれ。あぁ、あと、姉妹が馬に乗れるか調べておいてくれ。それと、当日の昼食の支度を頼む」

「えぇっと……。確か、帝都の御生まれで御育ちですよねぇ」

「そうだが、それが何か。で、他に何か用事はあるのか」

 じろりと睨みつけると、レンターケットは困ったような顔をして退室した。

「ピクニックですか」

 溜息を吐いて、再び書類を取り上げると、背後で氷のように冷たい声がした。

「いいですね」

 キスカは彫像のような無表情でそう言うと、レオポルドの書斎の片隅に設けられている自分に机に座って書類仕事を始めた。彼女の事務仕事は、主にムールド諸部族に宛てた手紙や指示書の代筆である。

 その仕事姿はいつも通り淡々としているが、レオポルドから見ると明らかに不機嫌そうに見えた。

 そういえば、結婚をしたというのにキスカと二人きりで何処かへ出かけたり、何か夫婦らしいことをした覚えがほとんどないことに気付く。それはアイラも同じである。

 今まで移動と戦争続きでそんなことをしている余裕が全くなかったという至極尤もな理由があるのだが、そんなことが言い訳にならないのは言うまでもない。理屈としては理解できるかもしれないが、感情としては納得できないだろう。男女の関係などというものは理屈ではなく、感情によるところが大なのだから、感情を納得させられない限り意味はない。

 レオポルドは山積みの書類、やらなければならない仕事の山を眺めてから、思い切って席を立った。

「あー。キスカ。ちょっといいかな」

「何でしょうか」

 キスカは紙きれに細々とムールド文字を書き連ねながら顔も上げずに素っ気ない調子で言った。

「もし良かったらなんだが、これから屋敷の調度品を選びに行くのに付き合ってくれないか」

 レオポルドの言葉にキスカは顔を上げた。

「今からですか」

「そうだ。何か用事があるのか」

「いえ、大丈夫ですが。その、フィオリアさんやアイラさんと一緒に行かれた方が宜しいんじゃないですか」

 確かに今までそういった家具や調度品、衣類や装飾品の買い物などに付き合うのはフィオリアやアイラの役目だった。フィオリアは長年貴族の家に育ち、レイクフューラー辺境伯の屋敷でも衣装係として働いていた経験があって、西方風の装束や流行に詳しく、アイラもまた生まれ育ちはムールドだが、持ち前のセンスの良さから、その面に疎いレオポルドを助けてきた。

 一方、キスカの役割はレオポルドの護衛を兼ねた副官であって、家具や調度品、衣類などの選定に携わったことはなかった。彼女の趣味が悪いわけではないのだが、あまり派手めでなく質実剛健といった質素で地味だが丈夫で機能的なものを彼女は好むようであった。レオポルドも同じような趣味なのだが、華麗で派手であることが高貴と豊かさの証とされる昨今の流行からは少しかけ離れたものである。

「今日選ぼうと思っているのは、寝室や書斎の家具や調度品でな。客人や余所の人間に見せるところじゃないから、私好みの落ち着いたものがいいんだ。君の趣味は私に近いから」

 レオポルドがそう言うと、キスカは黙って彼を見つめ返す。

 今しがた書いていた紙切れにちらっと視線を落としてから席を立った。

「御伴致します」


 レオポルドは白い長袖のシャツに灰色の上着を着て、茶色のマント羽織り、濃紺色の長ズボンに革の短ブーツという実用的だが地味な装いで屋敷を出た。腰にはサーベルを提げ、つばの広い飾りのない帽子を被っている。

 同行するキスカはムールド伝来の装束を改造して長袖にしたものを着ていた。

 本来、南に住むムールドの民は半袖や半ズボン、或いは裾のふくらんだ長ズボンが基本であるが、それでは帝都の寒さは厳しく、レオポルドに同道したムールド人たちは与えられた給金で布を買い、自らの装束を寒さに適した形に改造していた。

 今日、彼女はほっそりとした長袖の白い上着にフードの付いた深紅色の毛織物を羽織り、灰色の細い長ズボンを履いていた。腰には半月刀を提げている。ムールド人は必ずフードを被り、半月刀を携えるのだ。

 寒冷地用に改造したといはいえ、あからさまに異国風の装束を身に纏うキスカは人々の視線を集めたが、隣を行くレオポルドの地味ではあるが、上等で清潔な貴人の身なりを見て、それでも声を掛けたり寄ってきたりする者はいなかった。

「あの」

 上流階級の邸宅が集まる地区を歩いていると、数歩後ろを歩くキスカが遠慮がちに声を発した。

「供の者を連れずともよかったのでしょうか」

「君がいるだろ」

 レオポルドがそう答えると、キスカは黙って俯いた。

「まぁ、それに、帝都の中は比較的安全だからな。勿論、貧民窟やらは物騒だが、我々が足を踏み入れる場所ではない。我々が今いる地区やこれから行こうとしている商業地区は、上流から中流の人間が住む地域だから、犯罪に巻き込まれることはまずないだろう」

「町の中では階級によって住んだり歩いたりできる地区が決まっているのですか」

 遊牧民であるキスカには街のルールというものはピンとこないのかもしれない。

「何か法律や規則で決まっているというわけではないが、上流階級が住む地域の地代は高いからな。元より十分な収入がなければ住むことはできない。そもそも、多くの市民は賃貸の集合住宅に住んでいるのだが、そういった集合住宅がないところには住めないだろうからな」

「そういうものですか」

「それに、金持ちが多く住む地域の傍には金持ち向けの店が立ち並ぶものだ。貧乏人が住む地域の傍には貧乏人向けの店や仕事の場が集まる。そうやって、自然と区分けされるものだ。通勤や買い物に不便だし、近所付き合いが難しいからな」

 二人は世間話をしながら、石畳を歩いて行く。帝都には雪は降るが、それほど積もりはしない。たまに道の日蔭なぞに土や砂に塗れた汚い雪の塊が転がっている程度だ。

 レオポルドが目的としていた店は歩いて一五分はかかる場所にあった。表通りに軒先を並べているのだから上等な品を扱う店だとすぐわかる。いずれの店でも貴族相手ということで、店主やそれに準ずる責任ある者が相手を務めた。

 まずは、敷物屋に入って、寝室や書斎に敷く絨毯を物色した。商品のほとんどは倉庫にしまわれており、店主は絨毯の一部を切り取った、いわばサンプルを手にして売り込みをしてきたが、キスカの

「絨毯ならばムールドの方が安くて良いものがあります。ここでは急場を凌ぐ一時的なものを買い求め、後日、ムールドから質の良いものを輸送しては如何でしょうか」

 という助言を得て、てきとうに無地の茶色いものを求め、後で屋敷に送るよう言い付けて、店を出た。代金は掛けで買い、後日支払うのが一般的である。

 次にカーテンを扱っている店に入る。一昔前まで窓にカーテンを設ける風習はあまりなく、ベッドや部屋の区切りなどに用いられることが多かった。昨今では貴族や富裕な市民の邸宅では窓にカーテンを設けることが広まり始めていた。無論、庶民にはそのようなものを買い、家に付ける余裕はない。

 大貴族の邸宅のカーテンといったら、金糸や銀糸を織り込み、縁を飾り、複雑精微な紋様で刺繍したものや、鮮やかな色で染め上げたものが多いが、勿論そういったものには莫大な費用がかかる。また、レオポルドの趣味ではない。

 絨毯のときと同じように店主が手にしたサンプルを眺め、アレコレ考えていると、再びキスカが口を開いた。

「ムールドにはカーテンの風習はありませんが、似たようなものならば良質なものをすぐに作れるでしょう」

 そういったわけで、こちらでも適当に地味で安い当たり障りのないものを選んだ。

 二人はそんな調子で、リネン類やら燭台、文房具といった調度品を買い求めていった。意見を求められたキスカはいつでも実用性を第一に考え、次に値段。見た目は二の次といったものを指差し、レオポルドは文句も言わず、それを購入した。

 二人とも合理的で効率性を求めるところがあるせいか、さしたる迷いもなく、さっさと買うものを決めてしまう為、一刻もした頃には目的としていたものは残り一つとなっていた。

「これは、本当に、買う必要があるのですか」

 キスカはレオポルドでも辛うじて理解できる簡単なムールド語で言った。

「はい。必要があるのです」

 レオポルドはぎこちないムールド語で返してから、狭い店に所狭しと並べられている額絵を見て回った。額に入った絵画を屋敷に飾ることは貴族や富裕な市民の邸宅では欠かせないものであった。

「まぁ、ないと壁が寂しいからな」

 帝国語に戻してから、レオポルドはそう言い、傍に立っていた店主を「用があったら呼ぶ」と追い払った。

「君が選んでくれ」

「私には絵画の良し悪しなど分かりません」

「君が選んだ絵を私の部屋に飾りたいのだ」

 レオポルドがそう言うと、キスカはやや赤らんだ顔で絵画を一枚一枚食い入るように見つめていった。

 窓から城壁の向こうに沈みつつある日を見つめてから、ここはもう少し時間がかかりそうだ。と、レオポルドは思った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ