2月14日 しじま②
しじま
ハルシネーション
酸素の味を知れる時がある。
ラムネのように清々しくはじけるような澄んだ味だ。
そんな日はどんな会話も罪も赦せる気がする。
1日を3分に感じることができるし、
30時間にも感じることが出来る。
脳内には、最低限のことが炭酸の泡のようにぱちぱちはじけてる。
世界の天気なんかシカトして、晴天になるのだ。
いや、曇天でも私を覆うヴェールは晴天なのだ。
肌寒い空気も風も、冬を感じれるからって八方美人ぶる。
困ってる人を助けてみようと考えてみたり、そこら辺の野草にときめいてみたり。
太陽が帰って、月が顔を魅せに来た時にふと、思い知る。
普通の日が1番最高だと。
でも、未熟な自分は最高が終わるころにしか気付けない。
”いいことをしなさい。すべては自分に返ってくるから”
なんて綺麗な言葉だろう。
なんて綺麗な事葉だろう。
どこかの幼い自分は、返ってきたことなんてないって知ってる。
少し草臥れた自分は、返ってきたことに気づけてないだけって知ってる。
どこかの偉い人が言っていた。幸福の定理はあーだのこうだのって。
誰かにあげた優しさは、けたたましいアラームより
先に起きれるということで自分のもとに帰ってきた。
思えば、寝起きも心なしかスッキリしていた気がする。
誰かに分けた幸福は、天気に合わせて沈む気分より
酸素の美味しさや冬の香りを感じれるということで自分に返ってきた。
昨日も変わらず冬なのに。息を吸って吐いた時にも感じれなかったのに。
良いことって、不思議で目に見えないことが多い。
悪いことは、不思議と自分の心に刺さるのに。
だって、良いことは悪いことがないことが良いことだから。
だれかが言っていた定理は正解で、でも大間違いだ。
愛よりお金だし、なんならどっちも欲しいし。
忘れ物をすることが悪いことなら、
忘れ物に気づいたことが良いこと。
これって、意識しないと気付けない私の良いこと。
きっとはるか昔に誰かにあげた自分のやさしさ。
想像していたキラキラした宝くじのような良いことではない、
自分の些細な良いことまみれな1日。
やっぱりそんな日はラムネのような空気が自分のそばにいる。
照れ屋で恥ずかしがりやでかくれんぼが得意な私の善いこと。
目に見えることだけ、心で感じれることだけがすべてではない。
自分の足元にそっと佇む私だけの善いこと。
当たり前に享受している私の善いこと。
また寝て起きたらかくれんぼが始まって、
きっと私は見つけれずに息を吐く。




