第三食 自己紹介からのおしゃれカフェ、それだけ。(パート1)
いろいろあった入学式の金曜日から早三日、灯梨たちはまだまだ通いなれていない通学路を進んで行く。
それでは、第三食(パート1)です、どうぞ。
入学式も終えて、ついに今日から授業が始まる。
と言ってもどの教科も初物だから、ほとんど本格的に始まることはないと思う。
確か、中学の初日はそんな感じだった。
だからと言って、同じような流れになるとは言えないけれどね。
不思議な夢を見たり、その夢で出会った女性と担任が瓜二つだったり、リムジンで登校するお嬢様が同級生だったりと、いろいろなことががありすぎた入学式から、二日間の休日を挟んでの登校。
入り慣れていない校舎を思い出すと、まだ少しだけ緊張が残っている。
天気は良好、気分は最高、風邪なんて滅多に引くことないから体調も万全だ。
勉強は……うん。なるようになる、なるようにしかならない!
朝食を食べ終えた私はそんな事を考えながら、まだまだ履き慣れていない靴に、爪先を通していく。
ドアノブに手を掛けて一気に開放すると、それまで玄関で戯れていた空気は揺らぎ、「いってらっしゃい」とでも言うように私の背中をそっと押した。
「お待たせ、おはよ~!」
私の第一声に反応して、返事をするように片手を上げるみーちゃん。
その口は「よっ」と言っている風だったけれど、私の耳には届かなかった。
さて、本日の串カツは~っと。
ジャカジャンッ!
レンコンだ。
前髪の左側で癖のある存在感を放つ、数箇所の穴が空いた丸い形のデザイン。
言っちゃあ悪いけれど、豚バラよりも大分とダサさがある。
でも、ちょっと美味しそうなのが、なぜか悔しい。
「せや、次会うたら聞こう思とったんやけど、この前のアレ、ほんまになんやったんや?」
歩幅を合わせて歩き始めて少し経った時、その疑問は持ち掛けられた。
「ん、何かあったっけ?」
しかし、ボケーッとヘアピン眺めて歩いていた私は、一ミリも記憶を探ること無く、考えるよりも先に声が出てしまう。
「何って、もう忘れたんかいな……入学式終わって教室戻ったときのやつや、なんや急に止まって一人でブツブツ言うて考え込んでたやんか」
「あーーあれかぁ、あれは実は、かくかくしかじかでさ」
そう言って、身振り手振りした。
「なるほどなぁ。そりゃアレやな……って、かくかくしかじかをまんま口にされたとこで、何も分からへんやろっ!」
「ぃでっ!」
的確なノリツッコミは、コンプライアンスを意識した柔らか素材のハリセンによって、後頭部に衝撃を与えられる。
「そんなのどこから出てきたの、お腹に次元の違うポケット付いてたりする?」
「うちの鞄はなーんでも入っとるからね、四次元には繋がっとらんけど」
……そう言えば、先日の詐欺師みたいな誓約書も鞄から出てきたっけ。
一度、その中身を全部ひっくり返して見せてもらいたいものだ。
「……ちなみに今のって、忘れ物にはカウントされないよね……?」
誓約書というワードとついでに思い出された、『忘れ物をした場合はその度にジュース一本』のペナルティ。
あればあるだけ使っちゃう癖がある私は、余りお金を多く持ち歩かないようにしている。
なので、こんなことで毎回徴収されてしまうと懐が氷河期に突入してしまうだろう。
「まぁそんなことまで気にしてたら、灯梨の財布スッカラカンなってまうやろからな~」
セーーーーーーッフ。
さすが、私のことを完全に理解している。
「ほんで? なんやったんよ、アレは」
「そうそう、あの日変な夢見ちゃってさ────」
そう言ってあのとき起こったこと、つまり異世界チックな夢を見たことや、夢で出会った女性と担任である栗山先生の特徴が異様に似ていたことを、大雑把に説明した。
「ほーん、なんや変な夢やなぁ。でもまあ、さすがにおんなじ人ってことはないやろ。そもそも先生も初対面な訳やし、第一、夢に出てきた人てなぁ。たまたまや、たまたま」
「やっぱり普通に考えるとそうだよね」
異世界に転移するなんて、普通に考えてそんな事は現実的に起こる事はまず無い。フィクション作品の中だけに存在する、それこそ夢みたいな話だ。
でも、あれが本当に異世界だったら夢叶ってたのになぁ……。
なんて思って少し肩を落としているところに「あっ」と何かを理解したような、思い付いたようなみーちゃんの声が聞こえて、続く。
「あれやあれ……っと、なんやっけほら…………そう、他人の激似ってやつや」
「それを言うなら空似でしょ~。おっ」
笑い声を混ぜながらボケとツッコみが入れ替わったところで、校門前に先日見たものと全く同じ、黒く長い高級車が停まっているのが見えた。
横には、キャップ型のヘッドドレスの紐を二本揺らし、校舎に向けて頭を下げるメイドさんが立っている。
そして、凛とした佇まいのその女性に背を向けて歩き始めていた二人に、私は思わず駆け寄っていく。
「あぁまたこのパターンや……ちょっと待ってーな! ……次はこれも誓約書作っとくべきやな」
なにやら良からぬことが聞こえた気もするが、今は。
みーちゃんを制止の要請とともに置き去りにして校門を抜け、さらつやとゆるふわの後ろ姿をロックオンした。
「姫野さん、有栖川さんおはよ~!」
私は掛けよりつつ、記憶の片隅に残っていた二人の名前を声に乗せた。
気付いた姫野さんは、ふわりと品を感じる微笑みを溢して振り向いたが、一方で有栖川さんは、驚いた様子で肩を跳ね上げて、隣の陰に隠れていく。
「あら、ごきげんよう。えっと……」
「……同じクラスで席が近い飯沼さんだよ。それと、後ろから近付いて来てるのは稲葉さん……」
挨拶とともに会釈した姫野さんは、名前を覚えていないらしく言葉が詰まったが、隠れたままの有栖川さんは、手前で戸惑う耳に私たちの名前を囁いてくれた。
私だけでなく、みーちゃんの名前までも覚えてもらえていたことに、小さな嬉しさが込み上がってくる。
「あら、ごきげんよう。飯沼さん」
あれ今、時間巻き戻った?
何事も無かったかのように全く同じ仕草で、今一度聞こえたごきげんよう。
「ごきげんよ~っ。ねぇねぇ、こんなこと聞くのもアレなんだけど、姫野さんってどこかのお嬢様なの? はっ──もしかしてお姫様だったり!?」
「ええと……自分で言うのも少々照れくさいですが、そんなところですわ。ただ、残念ながらお姫様ではありませんわね」
微笑みを浮かべるその頬を薄ピンクで染めた姫野さんは、コクリと小さく頷き、片頬に手を添えて肯定した。
おおおおっ、本当にお嬢様なんだっ!
まぁあんなリムジンに乗って、素敵なメイドさんに見送られながら登校してくる時点で、お嬢様以外の何者でもないわけだけどね。
「二人ともおはようさん、うちの灯梨が騒がしくてごめんやで」
遅れ気味にやってきたみーちゃんは、母親感覚で会話に合流してくる。
「すごいっ、やっぱりお嬢様なんだ! いいな~お金持ちって憧れるなぁ。美味しいものいっぱい食べられちゃうよね~! あれも食べたいし、あれも……あとあと────」
私は目蓋を閉じて、次々に浮かんでくる『お金があれば食べたいもの』を指折り数えた。
「それ、本人を前にして言うのはちょっと失礼なんちゃうか?」
言いながら軽く握られた拳を視界の端に捉えた瞬間、特に叩くわけでもなく、地味な力加減でググッと拳が二の腕に押し込まれてくる。
そこまでするのなら、いっそのこと叩いてくれたほうが勢いがあって良いんだけど。
「…………二人とも、朝から元気すぎ……」
すると、隠れたままで私たちのやり取りを見ていたもう一人が、アホ毛を揺らしながら小さな声を残した。
「ごめんなさいね、少し人見知りなんですの。でもすぐ自然に馴染めると思いますわ、ねっくるみさん」
「……ん」
「そうなんだ~。こっちこそごめんね、見掛けたら途端に話し掛けたくなっちゃってさ」
そう言って有栖川さんに向けてひらひらと手を振ると、「大丈夫」と言うように緊張気味の顔で頷いてくれた。
「じゃあまた教室でねっ」
そう残して先に校舎に入ると、上履きに履き替えた私は、階段横にある職員室へと向かう一人の女性の姿を目で捉えた。
「栗山先生おはようございま~す。今日は遅刻しなかったんですネッ──」
「こら、さっきからずっと失礼やで。ええ加減にしいや」
言い切る直前、背後から迫りくるみーちゃんの手刀のようなものを脳天に受けて、語尾が跳ねる。
「い、良いのよ稲葉さん。悪いのは遅刻した私なんだし叩かないであげて……あっそうそう、一時限目のホームルームは先日言った通り自己紹介をしてもらいますので、何を言うか考えておいてくださいね」
「そうだったっ!」
「まさか忘れてたんちゃうやろな?」
「そ、そんなまさかー、ちゃんと覚えてるよー。そう、ちゃんと……」
危ない危ない、忘れるところだった。……いや、これに関してはきっちりさっぱり忘れていた。
それにしても自己紹介、か。
精々明るいくらいで特、に突出した取り柄も無い私は、いつも当てられてから何を言うか悩んじゃって、結局名前と好きなもの言うだけで終わっちゃうんだよねぇ。
しかし今回は、今思い出せた訳だし、ちゃんと考えてみようかな。
思い立ったがなんとやら、教室に入るや否や私は会話もせずに机に向かって、自己紹介を考えてみることにした。
みーちゃんや、後から来た姫野さんたちも同じように考えごとをしているのか、話し声は聞こえてこない。
そうして暫く悩んでいると、前方の黒板の上に設置されたスピーカーから本鈴が鳴り響き、先生が入室して点呼を取った。
初日なためか、少し長引いた朝のホームルームは、そのまま一時限目のロングホームルームへと流れ込んでいくことに。
「それでは早速一時限目を始めたいと思いますが、みなさん自己紹介の内容は考えてきてくれましたか?」
その言葉に、考えてきている人は軽やかな返事を、返事がなかった人は考えてきていない人か、何とかなるだろうと諦めている人たちだろう。
「まだまとめきれていない人も居るようなので、五分ほど時間を取りますね、考えて来ている人もまとめる時間に使ってください」
先生はそう言うと、教卓から一メートルほど離れた位置に置かれていたパイプ椅子に腰掛けた。
シンと静まった教室に、隣のクラスの声がぼんやりと聞こえてくる中、私は別のことに気を取られていた。
やっぱり似ている……。
顔や見た目の記憶も、もう曖昧になりつつあるけれど、それでもすごく似ている……似ていたと感じる。
胸元で光を反射する十字架のようなチャームも気になるところだし、今度聞いてみよう。
「はいっ、それでは五分経ちましたので自己紹介を始めて行きたいと思います。話すときはみんなに顔が見えるように教室の中心に向かって、中心付近の人は前を向いたままで大丈夫ですができれば後ろの人にも顔が見えるように、時折振り返ったりしてくださいね。それから、聞く人もできるだけ話している人の顔を見るようにしてくださると嬉しいです。それでは出席番号一番の相浦君、お願いします」
絶妙に人見知りを敵に回しそうなフレーズに、私の思考も一旦区切られた。
順繰りに趣味や好き嫌い、抱負など色々を掲げて進んでいくが、一人一人の時間は予想外に短く、私の前まで来るのに十五分とかからなかった。
そして最初の人が言ったのを参考にしたのか、みんな誕生日まで紹介するようになっている。
「──では二十三番、有栖川さんお願いします」
最前列に座る有栖川さんは、先生の呼び掛けに小さな返事をして立ち上がり、どこか不服そうな面持ちで振り返った。
「……有栖川、くるみです。誕生日は十月の二十六日、趣味は美味しいものを食べること。…………人見知りなので、あまり人と話たりするのは得意じゃない……です。でもこの性格は、その、できるだけ直せたらなと思っているので、時々話しかけてもらえると嬉しい……です。ちゃんと話せるか分かりませんが…………。あとは、苦手なものは匂いのきついもので…………す、好きなのは……」
入学式の新入生挨拶とはまるで別人のように、ところどころで言葉を詰まらせながら進められていく。
しかし、頑張って出していたと思われる小さめの声は、そこで止まり、人見知りに限界が訪れてしまったのだろうか、ますます声が小さくなった。
「……えと………………」
声を聞き取ろうとする生徒たちの物音一つ立てないという心持ちもあってか、異様に静まり返り、秒針が刻む音だけが響く教室。
たったの数秒すらも長く長く感じるほどの緊張感に、私がごくりと喉を鳴らしたそのとき。
ついにその口は動いた。
「好きなのは…………愛苺理、です……」
ここまで読んでいただきたい、ありがとうございます!
緊張のあまり飛び出した有栖川さんの衝撃発言、一体どうなってしまうのか……。
次話(パート2)は「明日、正午頃」の投稿を予定しておりますので、是非続きもお楽しみください!