第二食 入学式からの揚げたてほくほく、それだけ。(パート4)
入学式が終わるや否や、早々にお腹が空いていた様子の灯梨は、向かう商店街に何を求めるのか。
それでは第二食(パート4)です、どうぞ。
「帰りちょっと商店街寄ってから帰ろうと思うんだけど、一緒にどう?」
座ったまま勢い良く振り返り、その勢いのままに寄り道を提案した。
「どうと言われてもなぁ、うちはただの帰り道やし、同行すんのは強制みたいなとこあるわな」
「あー、それもそうだね……んじゃあ強制ってことで!」
「分かった、分かったから背中押さんといてーな」
半ば強引に了解を得た私は、鞄を持って立ち上がったみーちゃんを両手で突いて押し進めていく。
「ほんで、なんか買いに行くんか?」
「うん、緊張してお腹空いちゃったから、帰る前にちょっとなんか買って食べようかな~って思ってさ」
お腹と背中がくっつく……とまではいかないけれど、お昼前ということもあってすでにお腹はペコペコのペコだ。
ホームルームが始まった辺りからお腹が鳴りそうで、内心ひやひやしていたのは内緒。
「もうお昼なんやし、帰って食べたらええんやないの? って言うても聞かんやろけど」
そのとおりなのは確かだ。
しかし、家に帰ってもまだお昼ごはんの準備はできていない時間帯。
朝から家事や買い出しで忙しいお母さんは、お昼を作り始めるのが大体十二時半から十三時前くらい。
これは今までの統計上ほぼ間違いのないデータで、昨日までの春休みの間も変わらずそうだった。
さらに、今帰宅しても「もうすぐごはんだから」と、決して間食が許さることはない。
つまり外で買い食いしてしまえば私の勝ちである。
……いや、戦ってる訳ではないけどね。
「それにしても良かったな、ペンとかノート使う機会なくて」
校舎を背にして歩いていると、隣から聞こえたその一言で、筆記用具を忘れていた事を思い出させられた。
「あ、そういえば忘れてたんだった、てへっ」
てへペロ、ってね。
「なんや忘れた事も忘れとるんかいな、相変わらず心配でしゃーないわ。ほんま、おんなじクラスで……後ろの席で良かったわ」
そう言うと、わざと長く吐くようにため息を吐いて、首を小さく横に振った。
おっとまずい、呆れられている。
「ま、まあ今回は使わなかったからセーフだったし、結果オーライってことで!」
「なんもAll Lightちゃうわ……まったく、そんなんやったら次から忘れても貸したらへんで?」
「え~そんなぁ、貸してくれても良いじゃ~ん。減るもんじゃないんだし~」
「忘れる前提かいな。それと、ペンも消しゴムもノートも使うたら減るもんやで」
それはまずいと、背後に回り込み、肩にすり寄ってごねてみるも、残念ながら体を捩って振り払われてしまう。
「たっ確かに……減りはするよね、なるべく気を付けます……はははっ」
「なーるーべーくー? そんなんやさかい今日も忘れたんやないか~、そらっ!」
目を反らして、引き攣った笑い声でなんとかごまかすも、ムッとした表情をニヤリと一転させて、脇腹の少し上を後ろから鷲掴んできた。
────やばい!
と思う間もなく、時すでに遅しというやつで。
「あは、ちょっ、くすぐったい! くすぐったいから、あっははっグリグリやめて、許して~!」
ユニークスキル『肋圧擽刑─ドヤ、コショバイヤロ─』
この人は、脇腹をワシャワシャするのではなく、軽い親指の指圧で肋骨周りをグリグリする特殊な擽り方(?)を得意としている。
これが、なかなかどうして耐え難い。
痛みはないものの、通常のそれとはまるで違うタイプの擽ったさで、笑いを堪えられなくなってしまう。
さらにはスキルレベルが高いのか、居様にホールド力もあって逃れることは難しい。
これは秘密なのだけれど、実のところを言うと力加減がマッサージに近いので、ちょっと気持ち良かったりする。
「ほな、『もう忘れもんはせーへん』ってこの誓約書にサインしたら許したるわっ」
「いっひひひ──する、サインするから……ってどこから出してきたのそんなの!?」
どこからともなく取り出し、目の前に差し出された一枚のコピー用紙。
大きく誓約書と書かれた下に「私は今後、一切の忘れ物をしません」と内容が記され、右下には日付や名義を書く項目がある。
見たことないけど、借用書ってこんな感じだったりするのかな……。
「いつか書いてもらお思て鞄に忍ばせてたんや、なかなか用意周到やろ?」
と言いつつボールペンまで差し出してくる。
「こんなもの周到に用意しなくていいよ~~」
拘束されて断れる状況にはない私は、その場で名義の欄を記入した…………いや、させられた。
なんだろう、屈辱に似た何かを感じる。
「おおきに。それとここに書いとるけど、今後もし忘れもんして、うちに借りることあったら、その度にジュース一本奢ってもらうからな~、覚悟しときや」
え?
よくよく覗き込むと指差された場所には、手書きとは思えない小ささで、それらしい文言が書かれているのを発見した。
ちっっさ、こんなのもう実質詐欺の手口じゃん。
「え、やくざ?」
「まあそんなとこやな」
そんなとこやな、て……。
そうして私の名前が記された謎の誓約書は、みーちゃんの鞄へと吸い込まれて行き、まんまと契らされてしまった。
◇
そうこうしている内に、たどり着いた商店街。
私の目的はと言うと、コーヒーやスパイスの香りに少しタバコの臭いが混じる、昔ながらの喫茶店でもなければ、家族連れや学生達の話し声で賑わう、ファミレスやファストフード店でもなく、はたまたコンビニエンスなストアでもない。
ここはそう、精肉店だ。
「おばちゃ~ん、揚げたてのコロッケ一つ!」
商店街の入り口すぐに構えた店の前に立ち、一瞬の迷いもなく、挨拶代わりの注文をすると、「はーい、ちょっと待ってねー」と声が聞こえてくる。
揚げ物の音がかすかに耳に届く、ベストタイミングだったようだ。
町で唯一の精肉店『肉の西代』、店主の名前がそのまま店名となっている個人経営のお店だ。
今私の声に反応したのは、店主の奥さんで、揚げ物等の加工を受け持っているそう。
鮮度や質がとても良くて、うちのお母さんもお肉を買うときはここだと言っていたのを覚えている。
かく言う私も、中学の頃から学校終わりなんかに度々通っているので、常連レベル三くらいはあるだろう。
近所に住んでいるみーちゃんの友達ということもあってか、顔と名前を覚えて貰えているので、親しみやすいのもポイントだ。
「ところでほんとに食べないの? ほら見て、今なら揚げたてだよ?」
奥を指差す私の問い対して、悩むこともなく首を横に振った。
もちろん来る途中でみーちゃんにも勧めたのだが、「うちはどうせ目と鼻の先に家あるし、帰って食べるからええわ」と言われていた。
この揚げたての美味しさを味わわないなんて、なんともったいない。
そんなみーちゃんを余所に、再び店内を覗くと、たった今こんがりと揚がっただかりだろう熱々は、銀色のトレイの中で油を切られている。
まだショーケースにすら並んでいない、正真正銘、本物の揚げたてだ。
そこから一つ挟み上げられて、真っ白な紙の衣を着せられれば、後は私の手の中にある硬貨四枚と入れ替わるのみ。
「はいお待ちどうさん、八十円ね。特別に丁度今揚がったやつだから、火傷しないように気を付けてね。灯梨ちゃんは特に」
──あげたてのコロッケを てにいれた ──
「やった~ありがと! っても~、そんな子供じゃないってば~」
お肉とは別のショーケースに置かれている「コロッケ一個八十円」、と書かれた小さな札は、色褪せて字が薄くなっているし、きっと昔から値段を変えていないのだろう。
お小遣いが少ない学生たちにも優しい、非常にありがたい値段設定。
この安さもあってか、かなりの人気商品なのだそう。
「お~っ熱々!!」
高く上った陽の光を浴びてきつね色を輝かせるそれは、見ているだけでも唾液が溢れてくる。
同じところをずっと持っているのも難しいほどに熱いコロッケに、私はいただきますも言い忘れて豪快にかぶりついた。
「あっあふ! ……はふ、はひっ」
あっっっっつ!
「……だから言ったじゃないの、相変わらずバカだね~この子は。実柑ちゃんも何か言ってやりな?」
「しゃーないんよ、バカは死んでも治らんってよう言いますし」
「まったくだね、ハッハッハッ!」
忠告を無視した私が悪いのだが、まさかここまで罵られるとは…………。
しかし、これを前にして待ちきれないのは、本能的にも仕方のないことだ。
そして火傷しそうな口内を落ち着かせた私は、早々に二口目へと突撃していく。
────っ!
再びザクザク食感の衣に歯を通せば、一瞬で私をノックアウトした。
猛烈な熱さに負けてしまった一口目では、しっかりと味わうことが叶わなかったが、息を吹き掛けて冷ました二口目は、じゃがいもとお肉、そして玉ねぎの三銃士が口の中でブワッと一気に広がった。
何と言っても、お肉屋さんのコロッケの魅力である、この惜しげもなく使われた大本命。
粗挽きにされて、全体に散りばめられているミンチ肉。
味が濃くて旨味も強い牛百パーセントのそれは、間違いなくこのコロッケの主役として名を轟かせている。
時たま存在を主張するスジ部位は、小さいながらも歯を少しだけ跳ね返す弾力があり、ミチミチとした噛みごたえを与えてくるので、これがまた最高。
そして、コロッケの主となるじゃがいもは少し荒くマッシュされていて、ねっとりした滑らかな舌触りの部分と、ごろっと大き目のホクホクとした部分があり、口当たりと食感の違いがたまらない。
しっとり部分はお肉の旨味を存分に吸収してこってりと主張してくるが、口の中でホロホロと解けていくホクホク部分があっさりとした内側をさらけ出すことで、完璧に調和している。
さらに、そこへ姿を現す玉ねぎ。
謂わばサブキャラとしての立ち位置に思えるが、みじん切りで炒められた細かな一粒一粒は、シャキリとした歯触りがアクセントと甘味を加えて、存在を確かなものとしている。
無くても良いのではと思う人も居るだろうが、あるのと無いのとではこれがまるで別物で、私としては欠かせない存在だ。
素材自体の旨味が濃いためか、通常のコロッケよりも塩コショウの味付けが若干薄くされているにも関わらず、満足感で言えばスーパーやコンビニで買えるものを遥かに凌駕している。
「はわ~~……」
口いっぱいに広がる至福の三重奏に、ほっぺが溶けていく。
たったの八十円で本当にこの幸せを戴いてしまって良いのだろうかと、食べる度に思ってしまう。
「外でその顔はヤバいと思うで」
「はっ! 危うくコロッケの楽園に行くところだった」
舌の上で舞台を広げるコロッケに飲み込まれ、どこか遠くに意識を持っていかれていた。
「せやからどこやねんそれ…………あかん、見てたら食べたなってきたわ。おばちゃん、うちもコロッケ貰うわ!」
横で食べている姿をジッと見ていたみーちゃんも、いよいよ我慢の限界が来たようで、じゅるりとオノマトペが見えるような舌舐めずりして注文した。
ふふふ、そうだろうそうだろう。このきつね色に輝く熱々に抗えるわけがないのだから。
硬貨とトレードしたみーちゃんは、私とは違い、一口目を齧る前に半分に割った。 すると、「あたし熱いですよ」と言わんばかりに、モウモウと湯気を立たせて陽の光を反射させ始める。
……そりゃあ、あんなのを冷まさずにかぶり付いていたら、バカと言われても当然かもしれない。
程よく冷まされ、少し細かめの衣がザクッと心地よい音を立てて口の中へと吸い込まれていく。
今、私の手の中に同じものがあるというのに、食欲を刺激する見た目に羨ましさを感じる。
「あかん、やっぱおばちゃんの美味しすぎる……食べといて正解やわ……」
私は「でしょ!」と言わんばかりに首を何度も縦に振った。
美味しいものというのは、一人で食べるよりも、誰かと食べるほうが幸福度も増す。
同じ味を共有できたことにより、さらに美味しさも増していく。
「「はわ~~……」」
「あんたらまたスゴい顔してるよ……って聞いてないね。美味しそうに食べて貰えるなら、うちとしては大いにありがたいことけどさ」
口角を上げて笑みを浮かべるおばちゃんの声に反応することもなく、口いっぱいに広がるうま味の余韻に、しばらくの間浸っていた。
「──ごちそうさまっ! やっぱり揚げたてはいいものだねぇ」
完食した私は、コロッケが入っていた包み紙を小さく折りたたみながら言った。
「そやな、揚げもんはやっぱ揚げたてが一番や!」
おお~、串カツ屋の娘が言うと言葉に重みがある。
「またいつでも来なよ、さすがにいつも揚げたてとはいかないけどさ」
「うん、また食べにくるねっ。ありがと、おばちゃん!」
時間にしてしまえばほんの数分間のことだけど、満足度のおかげでかなり長い時間を過ごした気分でいた。
お店の横で長居するわけにもいかないので、おばちゃんとの会話を最後にその場を後にする。
「気い付けて帰りや~。それと月曜日、忘れ物しやんようにな」
「だ、大丈夫だよ! きっと……たぶん」
「尻すぼみやな~、また日曜の夜に連絡入れたるさかい安心し~や」
「うん、ありがと。じゃあまた月曜!」
商店街の奥へと歩いていく後ろ姿を少し眺めた私は、商店街に背を向けて帰路に就いた。
家に待つお昼ごはんを求めて。
※諸事情により、次話から投稿が一日一回になってしまいますが、何卒ご了承ください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第二食はここで終了となり、次話から始まる第三食では、先生が仰っていたように自己紹介をするそうです。
灯梨たちはもちろんですが、例のお嬢様たちが何を言うのかも気になるポイントですね。
次回は「明日、正午頃」の投稿を予定しておりますので、是非続きもお楽しみください。
それにしても、お肉屋さんのコロッケって本当に美味しいですよね~。
スーパーでもブランド牛を使用したものを見かけることはありますが、やはりお肉屋さんに上がる軍配はどうしても譲れません。(決してスーパーをディスっているわけじゃありませんよ?)