第一食 異世界(?)からの朝食、それだけ。(パート3)
本日最後の投稿です。
前回の後書きでも申し上げた通り、今回から現実世界の物語、要するに本編が始まります。
それでは、第一食(パート3)です、どうぞ。
「──あか姉、朝だぞ~」
布団の向こう側、部屋の外から聞こえてくる、可愛さを含んだ男の子の声。
ぼやっと覚醒しきらない意識の中、耳元でアラームを響かせるスマートフォンに目をやると、示された時刻は午前七時十分を回ったところ。
十分置きにスヌーズで鳴るように設定していることからして、二度目のアラームのようだ。
朝、いつもと変わらない見慣れた天井と、嗅ぎ慣れた匂い。
カーテンの隙間から差し込む光。
壁に掛けられたハンガーには汚れ一つ無い新品の制服、その横にはほとんど漫画しか置かれていない本棚と姿見が立っている。
そして、ベッドの上で布団に包まる私。
まさに一般的な学生の部屋と言った感じの、見紛うことのない自分の部屋。
体を覆っている布団は、元々ふかふかだったはずの羽毛が、長年の使用で少々しぼみ気味だ。
欠伸を一つ布団の中に残して薄暗い中を素足で数歩、豪快にカーテンを開けば、暖かみのある陽の光が一気に注ぎ込まれてくる。
明るくなった部屋に目を細め、限界まで高く腕を伸ばして朝の始まりを全身で受け止めた。
「んんーーーーっはぁ~……やっぱ夢か、そりゃそうだよね。異世界行けたと思ったんだけどな~」
昨日のことのように記憶に焼き付いている束の間の出来事を思い浮かべながら、脱力感に虚しさを添えて呟いた。
それにしても鮮明な夢だった、リアルすぎるし意識も痛みもしっかりとあった。なんなら今も額と後頭部に痛みが残っている気もする。
「ま、まさかほんとに異世界に行っちゃってた? なんてね……」
そんなことを言いながら、まだ肌寒さを感じる部屋で一人、黄緑色でチェック柄なパジャマのボタンに手を伸ばし、のんびりと着替えを始めた。
「あか姉、早く起きないとご飯冷め──」
おぉ? 今、ガチャッて。
なかなか部屋から出てこない姉に痺れを切らしたのか、ノックも無しにドアノブを回して突入してくる。
「うぉっ──ごめん!!」
大きな音を立てて閉まるドア。
私の瞳がその姿を捕捉するよりも速く、一瞬のうちに消えていった。
「別に良いよ、実になら見られても。減るもんじゃないしさ~」
実際、弟にこんなだらしない格好を見られたところで、何とも思うことはない。
これが漫画みたいに、隣の家に住む幼馴染のイケメンとかなら話は違ってくるのだろうけど、生憎そんな存在は私にはいない。
「全っ然良くない! 俺の精神力的な部分が減るの!」
何を言ってるんだか。
姉の下着姿に何を思うことがあるのか、弟心という物は何ともよく分からないものだ。
そんな彼『実』は、二つ下の可愛い可愛い弟。
私と同じ明るめの髪色に少しだけ青みがかった瞳、義理でも何でもなく正真正銘の実弟だ。
明るく活発な中学生の男の子で、背は私と同じぐらいで、年齢的に見て、平均かそれより少し小さいくらいだろう。
つい最近までは素直だったのに、ちょっとだっけ生意気になりつつあるけれど、反抗期とはまた違う、思春期の何か。
そのこともあってか、たまに言い争うことも多少増えたが、私としては喧嘩というよりじゃれている感覚のほうが近い。
他の家の兄弟や姉妹と比べても、仲はかなり良い方だと自信を持って言える。
数少ない私の自慢ポイントだ。
足早に階段を下りていく音をドア越しに聞きながら、袖に腕を通してスカートのファスナーを上げ、リボンの調整。
着替えを終えたところで姿見の前に立った私は、くるりと回ってキメポーズ……はせずに「よしっ」と一言を添えた。
あとは──。
鞄を手に、階段を一気に駆け下りて、向かった洗面所。
急いではいるものの、洗顔に歯磨き、髪の毛のセットなんかは乙女の大切な身嗜みだ。
お気に入りのシュシュを手に取り、左サイドで纏めた髪をシュシュッと通して、今一度、鏡の自分と向き合う。
「うん、今日も私は可愛いっ!」
自分で言うのかよってツッコミをされそうだけど、これを言うのと言わないのとで私の一日のやる気度がそこそこ変わる、気がする。
「灯梨ー、早く食べて家出ないと入学式から遅刻するわよ」
少し離れた先のキッチンから聞こえてくるお母さんの声。
急がなきゃ、高校デビューが遅刻なんて先生や生徒どころか、周りの人たちにもにも示しがつかない。
そんなことで存在感を出したくはないし、出すならもっとこう、なんか、ある。
身支度を済ませてリビングへ向かうと、既に用意されている美味しそうな朝食が、私に食べられるのを今か今かと待ちわびている。
「おはよ~っ」
私に気付いて、「おう」と淡白に挨拶したお父さんは、既に食べ終えてコーヒー片手に新聞を開いていた。
しかしニュース系の見出しにこれっぽっちも興味が無いこの人は、夕方辺りの番組表を「あー、今日は何も面白そうなの無いなぁ」と残念そうに眺めている。
そう、この家における新聞は、最早ニュースペーパーとしての意義が存在していない。
「はいはい、早く食べて早く行ってきなさい」
私に目を向けることもなく、黙々と朝食を作るのに使用した調理器具や食器類を洗いながら言うお母さん。
性格は違えど容姿はよく似ているそうで、近所のおばさまたちには姉妹みたいだと言われることもしばしば。
ちなみに言うと、性格を受け継いだのは弟のほうで、男の子らしからぬ可愛さを感じるのも恐らくお母さん譲りだろう。
あれ、だとするとお父さんの要素って何? 強いて言えば私の性格、とか?
身長がそこまで高くないからそこは実が受け継いで……ってダメだ、そんなことを考えている場合じゃない。
「キャン」
私の謎の思考を止めるように現れたのは、ご飯を食べ終えてすり寄ってきた一匹の家族、茶色と白のポメラニアン。
名前は『味』。
二歳手前で見た目には小さいがもう立派な成犬で、人間で言うと二十歳ぐらいだとか。
名前の由来に関しては、また今度気が向いた時にでも。
「てか実まだ着替えてないじゃん、学校は? あ、もしかして風邪でも引いた? よ~し、お姉ちゃんが看病してあげよう」
味の頭を撫でながらふと正面を見ると、パジャマ姿のままで、こんがりと焼かれたトーストを呑気に齧っている子が一人。
「俺は入学式じゃないしね。始業式は来週の月曜日、だからまだあと三日休み残ってるよ」
うわ~単純に羨ましい。
上辺百パーセントの心配は、一言一句聞いていなかったんじゃないかと思うくらいにスルーされてしまった。
「いいな~、私ももうちょっと春休みを満喫したかったよ~」
「いいじゃん。どうせ明日と明後日また休みなんだからさ。それに今日も午前中で終わりなんでしょ?」
「そうだけど、そうじゃないんだよねぇ。……あれだよ、木曜日が祝日だったときの金曜日の感覚」
「ん~~、まぁ分からなくもない……か?」
そもそも何故に金曜日に入学式をするのか、どうせ土日挟むのなら月曜日からでいいじゃないか……。大人の考えることはよく分からない。
まだ見ぬ他の学生たちも、きっと同じことを思っているだろう、そうに違いない。
「父さんには分かるぞ、その気持ち! 折角休みだと思ってたら上から土曜日出勤してくれ~って言われたときのアレだな!」
「「それは多分違うと思うよ」」
共感できる内容があったらしく、マグカップの中身を飲み干して会話に参戦するが、残念ながら、息の合わさった二つの声にあっさり否定されることとなった。
「そうか……じゃあ、お父さんは仕事行ってくるぞ」
萎れてしまったお父さんは、私たちの「いってらっしゃい」には返答せず、肩を落としたままリビングを出ていく。
そんな寂しそうな後ろ姿見せられたら、悪いことしたみたいになるじゃんか。
「いつまで喋ってるの、食べないなら下げるよ?」
やっばい。
下げられてしまっては朝の……いや、丸一日分の活力が大幅に失われてしまう。早く食べなければ。
慌てて姿勢を正した私は、目の前の朝食に意識を集中させる。
よし湯気はまだ立ってる、冷めてはいない。
「さて、と」
薄くバターが塗られたトーストと半熟の目玉焼きにウインナーが二本、一つの白いお皿の上に配置されている。
正に朝食、定番。ザ・朝食。
それと……スムージー。
いただきますと手を合わせ、三角にカットされたトーストの上に、塩コショウで味付けされた目玉焼きと、その下に敷かれていた一枚のレタスを乗せて一気にかぶりつく。
プリッとした柔らかい白身に、フレッシュだけど卵の熱でしんなりとしたレタス。
その先に待ち構えるトーストは微力な抵抗もむなしく、サクッと歯が通り抜けてふんわりとした食感が私を包み込む。
(ちなみに私は、表面がほんのりきつね色の焼き加減で、焼き目が付きすぎていないトーストが好き)
口の中に広がるバターの風味が食パン自体の香りをより引き立てて、コショウからのピリリとした刺激が全体を引き締めている。
最高、その一言に尽きる。
二口目。
ここで、一口目ではその姿を確認できなかった『黄身』の登場である。
近くの商店街で売られているこの卵の黄身は濃厚で、甘みとコクが深くて罪深い。
スーパーに売っている物とは一味も二味も違う。
かぶりつくや否や口から逃れようとするとろとろを、逃がしはせんと言わんばかりに舌で絡め取った。
そこへ、続けざまにウインナーを放り込むと、パリッと気持ちの良い音で皮が破れ、内側に溜め込んだスパイシーでジューシーな味わいが、卵でまったりとしていた口の中いっぱいに広がっていく。
溢れる肉汁と旨味、そしてこの薫製の豊かな香り。
「はわ~~……」
睡眠時に消費されたエネルギーが、一気に蓄えられていく。
これを幸せと言わずに、何と表現できようか。
「顔、溶けてるよ。ほんと、いつも美味しそうに食べるよね」
思わずため息が出てしまうほどに美味しい。
舌の上に広がる幸せに、全てがどうでもよくなる。意識がどこか遠くの楽園へと消えていってしまいそうなほどに──。
「ああ……美味しいご飯は世界を救う」
「はぁ、しょうもないこと言ってないでいい加減早く食べちゃいなさい。実柑ちゃんもう外で待ってくれてるわよ」
ため息を混ぜ込んだお母さんはチラッと窓の外を覗いてそう告げた。
「ほんと!? 急がなきゃっ!」
耳に届いた親友の名前で焦りを感じ始めたが、焦って急いでしまうとこの幸せな時間はいとも簡単に終わってしまう。
……だけど仕方がない。今日は特に大事な日なんだし、待たせちゃ悪いもんね。
私は残りのトーストを一気に口に放り込み、幸せ成分をフルチャージした。
そして最後に残されたこの緑の液体。
生の小松菜と茹でてから冷凍されたほうれん草、そこにバナナとハチミツをブレンドしたスムージー。
これが実に苦手だ……。
身体に良いことは分かっているし、多少なりともマイルドにしてくれているお母さんの優しさも伝わる。
しかし、どこまで行っても苦いものは苦い。その所為で手を伸ばすのがいつも億劫になる。
苦手なものって、好きなものと比べても特に強く感じるんだよなぁ、人体の不思議? 神のいたずら?
そういうこともあって、いつも最後に残してしまう。が、もう躊躇っている時間もない。
私は勢いよくグラスを手に取り、目を瞑って一気に喉の奥へと浅緑色のそれを流し込んだ。
「お、あか姉がこれ一気飲みするなんて珍しいじゃん。今日は豪雨になるかもね、傘出しておこうか?」
黙らっしゃい。
自分は苦手じゃないからって、まあ~~なんとも憎たらしいったらありゃしない。
「ぷはっ! うへぇ……やっぱ苦~い…………」
なぜ苦手な物を最後に残してしまうのか、それに気付くのはいつだって食べ終わった後だ。
我ながら学習能力がまるで無い。
「ふぅ、ごちそうさまっ!」
合わせた手のひらでパンッと澄んだ音を響かせ、鞄を持ち上げて玄関へと向かった。
少し履き慣らしておいたほぼ新品のローファーに足先を通し、二回ほど爪先でタイル調の床をノックする。
いよいよ、この扉を開けると私は女子高生……いわゆるJK生活が始まる。
忘れ物はない…………はずだよね。
「よしっと、じゃあ行ってきまーす!!」
勢いよく扉を開けた先は明るく、麗らかな春の陽気に優しい風が吹き、ヒラヒラと小さく手を振る親友が私を迎えた。
「もう遅いで灯梨~、まだ寝とるんかと思ったわ。あとちょっと来やんかったらほってくとこやったでほんま」
「おはよ~! ごめんごめん、ちょっと楽園に行きかけてただけだよ」
「……またよう分からんこと言うてからに、早よ行かな入学式から遅刻することんなるで~」
新生活も早々に、なぜか呆れられた気がする。
挨拶を交わした私たちは、この先に待つ新たな生活に大きく期待を膨らませ、春休みの余韻を置き去りにして、家に背を向けて歩きだした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
今回で一話目が終わり、次回からは二話がスタートします。
ついに灯梨の日常がだらだらと始まりましたが、最後にひょっこり登場した関西弁な親友ちゃんは、既に癖が強そうな予感がしますね。
入学式、何事もなければいいのですが……。
次回は「明日、正午頃」の投稿を予定しておりますので、是非続きもお楽しみください。
遅筆な上にストックが少ないため、投稿頻度は少しずつ落ちていくと思います。何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。