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寿司屋での出来事です。
だいぶ前、会社の同僚と一緒に寿司屋に行きました。
当時は今と違って、回転ずしはあまり普及していなかったので、いわゆる普通のお寿司屋さんに行きました。
会社近くの繁華街に在る寿司屋でしたが、それほど敷居は高く無さそうなお店でした。お昼にランチをやっているぐらいですから。
我々はのれんをくぐり、店内に入ることにしました。
店内は活気づいていて、すし職人さんの威勢のいい掛け声が、まさにいなせな江戸っ子といった風情でした。
「いらっしゃい!おふたりさん?こちらへどうぞ」
我々はテーブル席ではなく、カウンター席に案内された。されてしまったのだ。
まずいなあと思ったけど、同行してくれた同僚は余裕の表情でした。
「あ、取り合えず、ビールお願いします」
わが愛すべき同僚は、ここを居酒屋と同じと思ったようだけど、意外にお咎めは無かった。
「何、にぎりやすか?」
「ええっと、玉子と穴子をお願いします」
セオリー通りに注文するも、我が同僚は一言。
「刺し盛りいいっすか?」
「へい!刺し盛り一丁!」
まあ、変に拘る必要もないかと思いつつ、寿司を堪能しました。
我が同僚は、とうとう日本酒に手を出し、若干ろれつが回らなくなってきた。
「あへええ、なむねんすか?」
すまん、何を言っているか分からないけど、おおよそ理解はできるよ。
「私は、お茶でいいよ」
私は楽しげにお酒を呑んでいる同僚を尻目に、ネタをどんどん頼んだ。
玉子に穴子、光物と頼み、中トロを頼んだ。
セオリーだと思うけど、私は江戸っ子らしくハイペースで食し、同僚はハイペースでお酒を呑んでいた。
「かんぴょう巻きお願いします」
「へい」
何だろうか、威勢が良くないなあと思ったけど、その時は気にしなかった。
同僚が潰れはしないか、そっちが気になったからである。
「へい、お待ち」
来た来た。
お寿司屋さんのかんぴょう巻きは、海苔がパリパリしていてとても美味しいと、その時は思った。
「お客さん、まだいるんですか?」
「へ?ええっと、これで最後にしますけど?」
「はい、こちらのお客さん、おあいそ!」
え?何それ?かんぴょう巻き、食べてないけど。同僚は、にやにや笑ているだけだけど。
店員は片付けに入り、レジには我々が来るのを待つように、こっちを見ていた。
空気が読めない私でも、さすがにこれは分かる。
早く帰れと、そういうことだろう。
「へへへへへへへ、まらのれまふよ」
スマンが、何を言っているか分からないが、空気を読もうよ。
私は同僚を肩に担ぎながら、会計を済ませ、店を後にした。
「あ、領収書お願いします」
店員は無言で、領収書を出してくれたが、何も書いていない白だった。
今ならアウトだろうけど、当時はこんな領収書は結構あったらしい。
ということは、何かの接待と思われたのだろうか?
まだいるんですかは、まだ居るんですかなのか、まだ要るんですかなのか、今でもよく分からないけど、両方の意味があるのかな?
お店の人は、我々を不快な客と認識したに違いないが、それが何かは分からない。
酒ばかり呑む同僚、気に入ったネタを何度も注文する無粋な客と、そう思われたのだろうか?
かんぴょう巻き、折り詰めにしてもらえば良かったなあと思い、寿司屋は敷居が高いと思いました。
こういったことに詳しい友人に後で聞くと、寿司屋のカウンターに座ったら、お任せでお願いしますと頼むのが、セオリーらしい。
だったら、最初からそう言えよと思うが、とりあえずビールだけは、絶対にやってはダメだと言う。
でもさ、そんなの知らんよ。
当時の私たちは、まだ駆け出しの若者なんだから。
とは言え、それ以来寿司屋はあまり行くことは無くなりました。
時代は移り、気が付くと普通の寿司屋よりも回転ずしがよく目につくようになりました。
私はよく、くら寿司とかスシローとかに行きます。
他の回転すしは、私の地元にはまだありませんので、出店したら行こうと思いますけど。
回転寿司は何と言っても、目の前に流れている寿司を任意に選択出来る事。いちいち、寿司職人さんの顔色を窺わなくていいのが、メリットだろうと思う。
タブレットからも注文出来るから、好きなネタを好きなだけ頼める。
店員さんもニコニコしているし、怖い思いをしなくていい。
明朗会計という意味でも。
ある日、ちょっと高級な回転ずしに入りました。
店内に入ると、ちょっといつもの回転ずしと違っていた。
「へい!らっしゃい!」
威勢のいい掛け声に、ちょっとトラウマを掘り起こされそうな気がしたけど、普通に案内された。
寿司職人さんの目の前に。
どうしようか?
目の前のレーンには、寿司が流れていない上に、そもそもレーンが停止している。
「なに、にぎりやしょうか?」
へ?
「ええっと、玉子と穴子をお願いします」
「玉子は握りですか、つまみですか?」
「え?何それ?いつの間に、時代は変わったの?」
「ええっと、じゃあ握りで」
「穴子はどうしますか?」
穴子までもか?
「ええっと、何があるんですか?」
「一本穴子と、普通の穴子です」
「じゃあ、普通のでお願いします」
「へい!ギョクと穴子一丁!」
ここって、回転寿司だよね?
ドキドキしながら、目の前で握られる寿司を見ていた。
「へい、お待ち!」
「ああ、どうもありがとう」
う、うまい。
いつもの回転ずしと違って、高いだけあって美味しい。
「次、何にぎりやしょうか?」
「ええっと、しめさばとアジがいいかな?」
しばらく、寿司職人さんがオーダーを聞いてくる、私がそれに答えるという、コールアンドレスポンスが成立していた。
早い時間だったからか、お客はまばらだったので、他の席でも似たような状態だった。
「えんがわをお願いします」
「あぶりますか?」
え?何それ?
「お願いします」
わざわざ聞いてくるんだから、何かあるに違いない。
すると、寿司職人さんはガスバーナーを取り出し、ネタを炙るというより、ネタを火炎で焼いていた。
その光景にはびっくりしたけど、食べたその味にはそれ以上に驚いた。
魚の油がいい感じで溶けだして香ばしく、それでいて甘いのだ。
うまいは甘いって、誰か言っていたなあと思い、ある誘惑にかられた。
お代わりしたいなあと。
しばらく、思案していたら、寿司職人さんの方から声を掛けてくれた。
「美味しかったでしょう?」
「ええ、とってもうまかったです。お代わり、いいですか?」
「喜んで!」
最後に念願のかんぴょう巻きを頼んでみたが、まだいるんですかとは、聞かれなかった。
目の前で作られるかんぴょう巻きの海苔は、出来たてでパリパリしていて、とても美味しかった。
値段は張ったけど、たまにならいいかと思う。
少なくとも、普通の寿司屋よりはリーズナブルには違いが無いので。
とは言え、これは混雑していない時間帯での話で、お昼のピークアウトした後だと、店員の休憩や午後の仕込みで、こういったサービスはありませんでした。
あの時、歓迎されなかった理由は、何だったんだろうと時々思うことがあります。
一見さんお断りと、そういうことだったのかもしれない。
初めて来るなら、常連客と一緒に来いとか、そういうことかもしれない。
常連さん達の憩いの空間を、我々が乱したのなら悪いことをしたのかもしれないと、今は思うようになりました。