涙の理由
教師一年目。ある私立の中学校に就職した和田太一。彼は良い教師になろうと一年間必死に奮闘した。そのため担任した三年二組の生徒は立派に成長して卒業する。そう信じていた。
迎えた卒業式の日。彼は教師になったことを後悔した。
卒業式の日に何があったのか…?
そして彼が後悔した理由とは…?
〈プロローグの続きの物語が今始まる。〉
そしてもう一人今日の始業式で気になった生徒がいる。小林柚奈だ。彼女は今日のホームルーム中も、始業式の式典中も、ずっと勉強をしていた。顔には大きなクマがあった。まるで、この前までの僕を見ているようだった。心配だ。しかし、一生懸命に何かに打ち込む生徒に声を掛け、邪魔をするのは申し訳ない気がした。だから、注意するのは式典中に勉強している時だけにした。それでも、その後もこっそり本を読んでいるようだった。彼女の成績は学年七位。クラスでも矢沢蓮、吉川輝星に続き三位の成績上位者だ。そして、生徒会の書記でもある。二年生の高校進路調査では内部進学希望。だからそこまでして、勉強する意味がわからない。次の日の朝のホームルームでも、小林さんはずっと勉強をしていた。顔も昨日より寝不足のようで疲れていた。放課後にでも話しかけてみようか。
そう考えていたら、事件が起こった。僕のクラスが数学の授業の時だった。隣のクラスの田村先生が担当している授業だ。田村先生が突然職員室に入って来て、
「今、授業がない先生方助けて下さい。あっ、和田先生、先生のクラスの生徒が大変なんです。」
っと涙目でおっしゃった。急いで、他の何人かの先生と教室まで向かった。その途中、何があったのか事情を伺った。きっかけは、小林さんが吉川さんに、
「キララちゃん。この大問二の問三の答え、黒板の計算間違えてない?」
っと何気なく話しかけたことだった。普通ならこの会話で問題が起きるはずがない。しかし、聞いた相手が悪かった。きっと矢沢くんに質問していたら、こんなことにはならなかっただろう。授業を全く聞かず、授業中にお喋りをしていた吉川さんは、
「ちょっと待ってね。すぐ計算するから。」
っと言うと、物凄いスピードで暗算したらしい。そして田村先生に向かって、
「マイちゃん大問二の問三の答え違うよ。」
っと言った。先生を名前で呼ぶのは良くないことだ。しかし、それより大きな問題はここからだ。それを聞いた田村先生は、
「えっ…。ごめん。ちょっと計算し直すね。吉川さん、何処から違うか教えてくれる?」
っと慌ててしまった、田村先生が聞くと、
「もういい。先生計算遅いし、キララが授業するから。皆んなそれで良いよね?マイちゃんそんなんでよく先生になれたね。」
っとだいぶ腹が立つ嫌味を言ったらしい。それを聞いた小林さんは、
「賛成。キララちゃんが教えるの、田村先生より上手だから楽しみ。もうこれからも、キララちゃんが授業してよ。」
っと釘を刺すことを言ったらしい。そしてクラスの他の子も、
「そうだ。そうだ。」
っと茶化したようだ。僕は勝手に昨日と今日の朝の様子から、小林さんは、クラスでは余り前に出ないタイプの子だと、思っていた。だから吉川さんに話しかけていたこと、吉川さんの味方をしたことは意外だった。僕は二日で人の性格を理解した気になっていた。そのことを物凄く後悔した。そして、矢沢くんが吉川さんと小林さんを注意してくれなかったことも、意外だった。
何となく事情がわかった所で、教室に着いた。大きく深呼吸して、ドアを開ける。その瞬間他の先生方が、
「いい加減にしなさい。今は授業中だ。勝手なことをするな。」
っと怒って下さった。僕も、
「吉川さん席に戻りなさい。田村先生から話を聞きました。授業は先生がするものです。そして先生達も人間です。間違えることも有ります。仕方ないんです。ここにいる三十人が同時に田村先生否定したら、田村先生がどんな気持ちになるかわかるだろう。困っている人がいたら助ける。そして、その人に寄り添ってあげる。それぐらいのこと、小学生でも出来ます。君達が今日したことは授業妨害です。そして今日こうして多くの先生方が君達のために時間を使ってくれました。有難いと思いなさい。」
っと教師になって初めて生徒を叱った。
しかし、
「別に頼んでないけど。怒ってくださいって。先生達の仕事は授業をすることでしょう。その授業が疎かだからキララが授業をしたんじゃん。このままマイちゃん先生が授業をしてたら間違えたことを教えてたし。それなのに感謝しろって言われて感謝出来ると思う?」
っと吉川さんが反抗して来た。僕の言うことを聞いてくれないことに、だいぶ腹が立った。
僕が、
「だからって君達が今日したことは、社会に出た時通用しない。気に入らないことがある度に、こうして多くの人を巻き込んではいけない。君達は世の中を舐めすぎている。吉川さん、もっと周りを見て行動しなさい。」
っと言うと、今度は小林さんが、
「キララちゃんを悪く言わないで。結局大人は綺麗事ばっかりじゃん。私達は何の権力もない子供なの。先生が私達が世の中を舐めているって言うなら、先生は子供を舐めてる。何のために私が勉強頑張っていると思う?向き合いたい?そんなこと簡単に言うな。」
っと泣きながら教室を出て行った。それを何人かの先生が必死に止めて慰めていた。すると吉川さんが、
「あー先生。馬鹿だね。生徒泣かせたら駄目だよ。ユズナ大丈夫かな?今回はこれ以上話しても埒があかないから、大目に見るけど次ユズナ泣かせたら許さないから。」
っと言った。もう訳がわからなかった。僕は何も間違えたことを言ってない。頭が混乱している。
すると今度は矢沢くんが、
「和田先生ちょっと昼休み話があります。」
っと話しかけて来た。
「わかった。多目的教室に来て。」
っと僕は返事をした。今まで気付かなかったが、いつの間にか、僕のクラスに多くの生徒が集まっていた。ふと時計を見た。授業の時間が終わって、今は休み時間だった。小林さんも少し落ち着いてきたが、次の時間は保健室で休むことになった。
そして、昼休み矢沢くんとの約束を守るために、僕は多目的教室にいた。数分後、矢沢くんは約束通りやって来た。そして僕の目の前の席に座った。
「先生、お待たせしました。昼休み先生を呼んだのは、ユズナのことで先生に知って欲しいことがあるからです。」
っと話を切り出すと、
「新学期が始まって、ユズナがずっと勉強していること気付きましたか?あれはきっと、僕が余計なことを言ったせいです。ユズナの家族の会社、去年から経営が危ういんです。最近まで僕、そのことを知らなかったんです。知ったのは春休み、生徒会の活動で学校に来た時。ユズナに友達の話として、経営が危ういことを聞いたんです。それで友達に、私が出来ることって何かあるかなって相談されたんです。でも僕、何て答えていいか分からなくて、商業科のある都立の学費の安い有名な高校に進学したら良いんじゃない。って言っちゃったから。だから今、寝不足になりながら、勉強頑張ってるんだと思うんです。今、考えたら友達の話ではなくて、ユズナの話だったんだ。って、気付いた時にはもう遅かった。だから、今日の数学の授業の時、本当はキララとユズナを注意するべきだったけど、僕がまた、余計なことを言ってしまったらって深く考えてしまって、注意出来なかったんです。それでこれから、また同じようなことが起きたら、どうしていいか分からないから、今日先生に相談したんです。」
っと話してくれた。なるほど。小林さんが今日、何であんなに怒ったのかわかった気がする。矢沢くんに、
「ありがとう。小林さんとなるべく早く話してみる。」
っとお礼を伝えた。
これから、小林さんの保護者ともお話した方が良さそうだ。でも経営のことはどうしようも出来ないからな。いや、待てよ。何で思い付かなかったんだろう。この手を使えば。そうだ。確か進路指導室に資料があったはず。そうと決まれば、早速三者面談をお願いしよう。
こうして二週間後、日程を組み放課後三者面談をした。いや、保護者のお二人が来られたから、正しくは四者面談だ。そこで僕は、一つ提案をした。
「まずはお母様、お父様、今日はお越しくださりありがとうございます。柚奈さんの担任になりました。和田と申します。一年間よろしくお願いします。」
っと軽く挨拶をした。僕にとって初めての面談。やはり、緊張する。
しかし、僕が用意した通りに説明すると、きっと良い結果になるはずだ。
「今日、お越し頂いたのは、柚奈さんの高校への進学について一つご提案させて頂きたいからです。先日、三年生は高等学校への進学調査を行いました。現在、柚奈さんは都立高校の商業科への進学を希望されています。しかし、二年生までは内部進学を希望されていました。ご家族で話し合われて外部進学に希望を変更したのですか?」
っと伺うと予想通りの答えが返って来た。
「いえ、進学調査があったことは、今初めて知りました。都立高校を志望していることも。恥ずかしい話ですが、会社の経営が少し危うくてバタバタしているもので。」
っと、お父様が話されると続いてお母様が、
「私は都立高校ではなく、内部進学で高校に通わせてやりたいです。この子語学留学がしたくて、この学校に入学したんです。ほら、高校生は希望を出せば、成績次第で留学出来るんでしょう?」
そこまでお母様が話された後、小林さんが、
「私だって留学行きたいよ。でも母さん、そんなお金がどこにあるの?現実を見てよ。」
っと悔しそうにいった。
僕は今がチャンスだと想い、
「今日は最初に僕が言った通り提案があります。こちらをご覧下さい。高等学校の内部進学者が必ず受けなければならない試験の資料です。ご存知ないかと思いまして、用意させて頂きました。ここに書かれている通り、成績上位七名は学費が全て免除されます。その試験に近い内容の今年度最初に行った本校独自の実力テストでは、柚奈さんの成績は学年五位。中学卒業までこの成績をキープ出来ましたら充分狙えます。」
そこまで話すと、小林さんの顔が少し明るくなって来た。
これはいけると思い、更に話しを続けた。
「そして、こちらが先程、お母様が話されていた留学についての要点をまとめたプリントです。このように、本校高等部の留学生に選ばれている生徒の多くが、中等部からの内部進学者であり、成績上位者です。具体的にどれぐらいの成績を取っている子が選ばれているかは、お応え出来ませんが柚奈さんなら狙えます。そして留学前試験でトップの成績を取られた生徒は、留学費用が八割免除されます。こちらの詳しい制度の説明は高校進学後となります。ですが、柚奈さんなら狙えると思います。これなら内部進学も留学も諦める必要はありません。」
ここまで話終わると、小林さんが少し涙目になりながら、
「先生調べてくれて、資料を沢山まとめてくれてありがとう。内部進学したい。今度は自分のために勉強頑張る。去年までの先生だったら私だけのために、こんなに時間をかけてくれなかった。その先生と同じだと思ってた。だからこの前反抗してしまって。ごめんなさい。でも、キララちゃんのことはあんまり悪く言わないで。私中学校からの外部進学者なの。だから一年生の頃友達が出来ないし、授業にもついて行けなくて。そんな時、キララちゃんが話しかけてくれた。勉強も教えてくれた。だから今、友達も沢山出来たし、試験で良い点数が取れてるの。私の大事な友達だから。」
そういうことか。吉川輝星、僕が思うより良い子なのかも知れない。そして僕が、
「感謝されることはしてないよ。吉川さんは良い友達なんだね。あと矢沢くんにも感謝した方が良いかもね。君のことが心配だと僕に話してくれたから。だから、小林さんと向き合いたいっと思っただけだよ。これからは寝不足にならないように、体調管理をしっかりして勉強してね。」
っと言うと、小林さんは笑顔で頷いた。僕の力で一人の生徒を笑顔に出来た。この日初めて一人の大人として、教師として、感謝されることの嬉しさを知った。こうして、先生として一番最初の大きな仕事を成し遂げた。
あの日から一週間が経った。小林さんは、僕と約束した通り適度な勉強してくれているようだ。顔色がだいぶ良くなっている。しかし、吉川さんは相変わらず授業態度が悪い。部活の顧問の授業以外では、ずっと近くの子とお喋りをしている。それでも何故か試験で良い点数を取っているため、注意する先生は少ないようだ。矢沢くんが授業中に沢山発表してくれるお陰で、授業が止まらずに出来ている。そして、吉川さんのことを、去年の担任の先生に、電話で何度か相談した。しかし、友人関係のトラブルはなかったため、対応は余りしなかったようだ。僕も授業態度は出来るだけ注意するが、なるべく、そっとしておくことにした。
それにしても、校長先生は嘘吐きだ。三年生は教えやすい?毎日残業だらけなんですけど。今考えると、新学期が始まる前に先生方が、僕の働き方について注意して下さって良かった。新学期が始まってからは、やりがいがある分もっと疲れるから。でも、何故だろう。この仕事が楽しくて仕方がない。
〈和田太一の教師としての物語はまだ続く。〉