じいちゃんと魚
「水族館行かない?」
彼に言われたそのひと言がきっかけで
何も無かった休日に新しく予定が加わった。
ジリジリと暑い夏。
癒しが欲しかった。
仕事の疲れが吹き飛ぶなら。
そんな気持ちで水族館へと足を運んだ。
その水族館はすごい人だかりだった。
緊急事態宣言が明け、きっとみんな同じ気持ちだったのだろう。
「癒しが欲しい」、「癒されたい」
最後に水族館に行ったのは高校生の時。修学旅行だった。
大人になって水族館に行くのは久々だったから、とてもたのしみだった。
あか、あお、きいろ、
色とりどりの魚たちが水槽の中で必死に生きていた。
その時ふと思い出した。
「じいちゃん」
私の初恋の人でもあり、大好きだった人。
大きな、大きな生簀で泳いでいた魚たちを見て私は小学生だった自分を思い出した。
小学校から帰ると「りんちゃん。おかえり」
そう言って出迎えてくれたのは、いつも「じいちゃん」だった。
じいちゃんは子供のように知的好奇心が旺盛で、子供の私といつも一緒に
子供のように遊んでくれる、そんな人だった。
水族館で魚たちを見てじいちゃんを思い出したのは、
いつも学校から帰ると通信販売で買った「パソコン」で一緒に遊んでいたから。
そのパソコンのデスクトップにはいつも色とりどりの魚が泳いでいた。
学校から帰ると大好きなじいちゃんが
ニコニコ笑顔で待っている。
そんな日々が大好きで幸せだった。
色とりどりの魚たちを見て、私は
「もう一度あの頃に戻れたらなあ」
気がつくと、じいちゃんと過した日々が
宝物のように思えた。
2001年2月5日
父親の転勤先であるアメリカで私は生まれた。
2歳まで伸び伸びと暮らし、そこから日本に家族で引っ越した。まだまだ幼かった私は、当時のことなんてまるっきり覚えていなかったけれど父曰く私たちの帰りを待っていたじいちゃんを見るなり自分から笑顔で駆け寄って行ったらしい。
じいちゃんはあまり子供が好きではなかった。
というより、現役世代は仕事の毎日で
朝早くに出かけ、夜は遅く帰るといった生活を
長年続けていたため自分の子供さえ(父)も扱いがわからなかったらしい。
それなのに、人が変わったかのように私にニコニコな笑顔を向けて
精一杯の力で抱きしめてくれた。
今でもすごく不思議でびっくりした。 と父は言っていた。
それから私と兄、両親、じいちゃん、ばあちゃん の
6人での二世帯生活がスタートした。
私たち家族は2階、じいちゃんばあちゃんは1階で生活をしていた。
「りんちゃあん。りーん。」
じいちゃんだ!
「はーい。」ワクワクした気持ちでいつも階段に走って行った私。
「ご飯食べよう。」「コンビニにいこう」「今日はちょっと遠くまで行ってみようかあ」
銀縁メガネをかけたその向こう側の目は、いつも三日月のように細く、
優しい目をしていた。
「りんちゃんはすごいなあ」「りんちゃんは良い子だなあ」
私はじいちゃんが褒めてくれる、その瞬間がとても大好きだった。
月日が流れ、私は小学校6年生になった。
父はベトナムに転勤をしておりその頃家では
私、兄、母、ばあちゃんの四人暮らしをしていた。
じいちゃんは前よりも体力がなくなり、すっかり痩せてしまっていた。
もう私たちのことなどあまりよくわからない状態で、
施設にいた。
ただ一つ、確信的なのは、
「じいちゃん!きたよ!」
私が来るたびじいちゃんは「りんちゃん」と言いながら笑ってくれた。
もう私と遊んだことも、
一緒にどこかに行ったことも、
きっと忘れてしまったんだろうなあ。
パソコンで遊んだことも。きっと。きっと、
ある日、病院から電話がかかってきた。
じいちゃんが危ないらしい。そう言った内容の電話だった。
私は目の前が真っ暗になった。
従兄弟、そして従兄弟の家族が駆けつけてきてくれた。
病室に入るともういつも私が見てきたじいちゃんの姿はなかった。
両手にはミトンをつけており、ただひたすらベッドに拘束されていた。
苦しかった。見ているのが辛くなった。
神様どうか、どうか助けてください。そう何度も、何度も
天に願った。
時刻は深夜をまわり、私は母の膝の上で寝てしまった。
その時だった。心拍数のメーターが警告を表す音を鳴り響かせた。
じいちゃんが、じいちゃんが、、
看護師さんが、お医者さんたちがバタバタと駆け足で病室にやってくる。
取り急ぎ心肺蘇生が行われた。
全力で助けてくれた。必死に必死に。
何度も呼びかけた「じいちゃん!」「じいちゃんここだよ、いるよ、じいちゃん、じいちゃん、じいちゃん」
その時だった。
じいちゃんが瞑っていた目をゆっくり開き、
あの三日月のような目で微笑んだ。
そして、ぎゅっと目を閉じそこから開くことはなかった。
私は、私は、わんわん泣いた。もうこの世界なんて何も、何も信じられない。私の願いは、祈りは、天には届かなかった。
ー
月日が流れ、私は大人になった。
暑い、溶けるようなジリジリとした「夏」
暑いなあ。勘弁してくれ。
そんな中彼が言った
「水族館行かない?」
色とりどりの魚たち。
あか、あお、黄色。
必死にスイスイと泳いでいる。
私の頭の中にはじいちゃんと過ごした思い出の日々。
デスクトップの魚たち。
じいちゃん。会いたいなあ。会いたいよう。