声
「えー、本当にそんな事あるの?」
昼休みに話していた事が気になって、帰りの支度をしながら三人で話しをしていた。
明日は、各教科の小テストがあるため、部活はお休みのところが多い。そのため、みんなで一緒に帰る約束をしている。
私はあの後にハルちゃんに聞かされた話が信じられなかった。ところがアリちゃんは否定しないで頷いている。
「ありがとうだけで麗子ちゃんの事が好きになっちゃうの?」
優しくされた。とかなら分かる。人に優しくされたら嬉しいし、その日一日が楽しくなったりする。そんな事が続けば相手に惹かれるのは分かる。でも、ありがとうだけで好きになるなんて、男子ってそんなに単純な生き物なの?
「男子になったつもりで想像してみてね。落ちた消しゴムを拾ってあげたら、あの美人が笑って「ありがとう」って言ってくれるのよー」
遥乃は一旦言葉を止める。そして「どう、この破壊力?」
私は目を瞑って想像してみる。
「スキ…」
「ねっ、恋に落ちたでしょ?」
遥乃は人差し指をピンと立てる。
「うん、ぎゅーって麗子ちゃんに意識が集中した後に、ぱーってお星様が散らばった」
「そう、それが恋というものなの」
遥乃はしみじみと頷き、腕を組んでから何かを思い出すようにうんうんと頷く。
「これが恋なんだ。田中屋のロールケーキを見た時と同じ感覚なんだね」
「うん、それは大好物なだけ。スズちゃんにはまだ早かったかー」
遥乃は目を瞑りあちゃーという顔をする。
「その感覚に胸のドキドキが加わったものがラブってものよ」
「ふーん、そうなんだね」
ロールケーキだって十分ドキドキするのにな。
そういえば、この類の話が好きなアリちゃんが混じってこないと思っていたら、横でポリポリと頭を掻き出した。
「いや、消しゴム拾っただけだから…、そんな…、全然気にしなくていいよ」
今度は見えない誰かに小さく手を振っている。それを見たハルちゃんが目を丸くする。
「ちょっと亜里沙ちゃん、相手の男子みたいに顔を赤らめないで。架空の男子に感情移入しすぎよ」
「あっ、ゴメンね。初心で青春真っ盛りのイガグリ頭の中が麗子ちゃんでいっぱいになっちゃって」
「もしかして男子の設定って昭和?今みたいに男女の距離が近くない時代とか?」
亜里沙は小さく首を振る。
「野球部の爽やか好青年。今まで白球しか見えてなかったのに、突然雷が落ちるの。」
「そっちかー」遥乃は楽しそうにおでこに手を当てる。「手が触れた瞬間に全身に電気が走ったりしちゃうやつ?」
「そう、それで意識し始めちゃうの。でも、麗子ちゃんはこっちに全然興味ないの」
「うわー、頑張れ主人公ー」
遥乃は手を体の前で小刻みに振り、体を素早くくねらせる。その後も亜里沙の作り話に楽しそうに反応をする。
どうやら二人とも異世界に旅立ってしまったみたい。パパのダーリンネタを話せるのは打ち解けた証拠ね。
この時間を利用して帰る準備の済んでいる二人を待たせないように、私はそそくさと支度を進める。
最後に残った筆箱を鞄の中に仕舞っても二人はまだ話を続けている。盛り上がっている二人の会話に途中から混じるのが難しそうなので、ひと段落つくまで私はゆっくりと周りを見渡す。
授業が終わった教室はみんな肩の力が抜けてふんわりとした空気が流れてる。部活へスイッチを切り替える人、明日までしばしのお別れを惜しむようにおしゃべりに夢中になっている人、何かが待っているのか帰りの支度を急ぐ人。この雰囲気が好き。
窓際では藤原君と杉原さんが楽しそうに話している。最近あの二人は仲が良い。二人を見ているとこちらまでニヤニヤとしてしまう。あっ、杉原さんが笑ったのを見て藤原君が嬉しそうにしている。とっても楽しそう。あの二人は相手がどういう風に見えているのかな?ガンバレ、アオハル。
私にもああやって楽しくおしゃべり出来る人が現れてくれればいいな。
教室を眺め終わっても二人はまだキャーキャーと話を続けていた。
入り口でおしゃべりをしていた女子の声が少し高くなる。そっちに目を向けると一人の男子が教室の入り口に立っていた。
目が悪いせいかドアに手を掛けて教室内を探す顔が厳しくなっている。その顔を中和するどころか魅力的に見せるほど彼の顔は整っていた。周りの女子はその顔にチラチラと視線を送る。入り口に背を向けて立っていたのに不自然に場所を移動する人までいた。
「おっ、いたいた」
さっきの顔から一転して友人にみせる砕けた笑顔に、近くの女子達は会話のペースを乱されている。
「おーい北村ー、持って来たぞー」
そんな彼女達の会話を止めたのは彼の何でもない一言だった。
しゃがれている訳ではないのによく通る声。程よく低くお腹の辺りに響く声。その声を聞きたくて彼女達は会話を不自然に止めてしまった。
「樹ありがとー。助かるよ」
茶封筒を掲げる吉澤に教室の奥から元気な声が返ってくる。そして、特徴的な二つの声が何回か行き来する。
相変わらずのいい声。
声フェチではないけれど、あの声はずっと聴いていても飽きないと思う。現生徒会長の人柄を表す透明感のある甘く爽やかな声と、教室にいる女子達の耳を優しく癒している声。どちらが好みと問われると迷ってしまうほど甲乙つけ難い。
その声の主は北村君達と楽しそうにおしゃべりをしている。そのうち、男女問わず人が集まりだした。
吉澤君の周りには笑顔が集まりやすい。
「樹君なんてどうなの?」
「あっ、アリちゃんおかえり」
「ただいま。ああいう王子様タイプはどうなの?」
「どうって?」
「好きか嫌いかってこと」
「好きだけどそういうのじゃない気がする」
「お眼鏡にかなってはいるのねー」
「ハルちゃん、そんな上から目線じゃないって」
「いいじゃない、校内を仲睦まじく歩いて女子達の心を砕きまくればいいのよ」
「アリちゃん?さっきまでのキャーキャー感はどこ入ったの?顔が悪魔よ」
「樹も彼女欲しいなんて言ってたし、丁度いいじゃん」
「遥乃ちゃんもそう思うでしょ?どうお鈴、おすすめよ?」亜里沙は鈴香に顔を向ける。「そうなると楽しくてスリリングな高校生活の始まりよ。靴に画鋲入れられたり、怪文書が届いたり、吉澤君の彼女という幸せと妬み嫉みに魂が削られる事とのせめぎ合いに悩み出すの」
「気を抜けるのはトイレだけなんて思っていたら、洗面台の辺りからわざとらしく嫌味が聞こえてきたりして」
「いやーーー」
言った当人同士が頭を抱えている。
「そんなの絶対に嫌」
恋愛って全然楽しくなさそう。
用事が済んだのか、二人のせいでくしゃみがしたくなるんじゃないかと思われる人がこちらに歩いてきた。二人もそれに気がついたみたい。