かくれんぼ
大人の『かくれんぼ』です。(R15)
なるべくソフトにしたつもりですが、暴力的な部分もあります。
ちょっときわどい描写もあるので、ご注意ください。
放課後、普段は通らない裏道を歩いていると、右手前方に聳え立つ廃屋が見えて来る。
地元でも有名な、幽霊屋敷だった。
私が生まれる前から空き家だったらしく、いろいろな幽霊話がまことしゃかに囁かれていた。
鬱蒼と雑草が覆い茂る廃屋には、言い知れぬ不気味さが漂っているように見える。
人間以外の存在が、今もこちらを窺っていそうな雰囲気があった。
子供の頃は親たちや学校の先生からも入らないようにと、散々注意されていた場所だった。
だがそんな大人の注意など子供の好奇心にかかってしまえば、右から左。当時は友達の中にも入った子がいて、その武勇伝は尾ひれを付けていろいろと聞かされていた。
中には怪我をした子もいて、かすり傷程度の子から、骨折まで、頭を打って、救急車で運ばれた子までいた。
べつに怪我が、怖いわけでは無かった。
怪我なんて子供の勲章だとまでは言わないが(女の子の私が言うことでは、ないけどね。親が泣くわ。)、好奇心を満足させようとすれば、それに伴うリスクはあたりまえだと思ている。
私が本当に、怖いのは・・・・・・・・。
こんなこと大きな声では言えないが(小さな声でも言いたくない)、中
に入った子たちが語る、怪奇現象や幽霊との遭遇の類の話だった。
誰もいない窓に映る人影だの、笑う人形。空中に浮かび上がり、手招きする手首、などなど。
私が聞いただけでも、20以上はある。七不思議より、多かった。
はっきり言って、その手のものに私は滅法弱い。ホラー映画など頼まれても見てやらないくらいだった。
(要は凄―い怖がりってこと。・・・・とほほ)
私自身幼少期にあの廃屋で、幼馴染の洋介と『かくれんぼ』をしたことがあった。
当時中学生だった私は、高校生の洋介のことが好きだったのだと思う。
洋介に嫌われたくなくて、今考えると笑えるくらい精一杯背伸びしていた。
だからここで『かくれんぼ』の最中、洋介に突然キスされた時、怖くて恥ずかしくて逃げ出した。
今思えばあれが、私のファーストキスだった。
高校生になった現在では、お子様だった私の忘れ去りたい恥ずかしい過去だった。
◇◆◇◆◇
「・・・思えばあれが、私の初恋だったのかなぁ?」
私の呟きに、戸田裕矢がジロリと怪訝そうなそうな眼を向けた。
怒っていると言うよりは、拗ねている感じに近い。
(ひょっとして、やきもち?)
「そいつのこと、好きだったのかよ?」
不満げに口を尖らせ、突慳貧に言う。
私は少し考えるふりをして、
「うーん、たぶんね」と、笑い混じりに応えた。
あの頃はまだ幼くて恋なんて知らなかったから、相手を酷く傷けてしまったのだと思う。
好きにもいろいろな形があることを知らなかったから、どう応えたら良いのかも解らなかった。今思えばあれは、好きは好きでも親愛に近かったのかもしれないと思う。
(もう、昔のだけどね。今は・・・・)
「今でもそいつのことを?」
「何言ってるの祐矢?そんな怖い顔をして」
半分笑いながら言った私に、祐矢の真剣な眼差しが、はぐらかすなと釘を刺した。
祐矢の眼って綺麗な二重で、笑うと凄くセクシーなんだけど、睨まれるとその辺のヤーサンより怖い。
眼に迫力があるって、言うのかな。
その上、190センチ近い身長に、モデルばりのプロポーションとくれば、そこにいるだけでとても存在感がある。
(人眼を惹くタイプなんだよね)
なのに無愛想だから、学校でもへんな誤解を受けちゃって、クラスの中でもいつも一人で孤立していたりした。
みんな本当の祐矢を、知らないから。
整い過ぎた綺麗な顔は、学校での無表情とは違い、私の前でだけいろいろな変化を見せてくれる。
(これって私が特別って、言うことだよね)
こんな風に嫉妬してくれることが嬉しくて、思わず口元が自然に緩んでしまう。
「ごめんね」
思わず誤ってしまっていた。(何言っているんだろう、私?)
こんなところで誤ったら、祐矢が変に思うに違いなかった。
「あっ、違う。・・・・そうじゃないの」そうじゃない。
何か言い訳を探すのだが、焦れば焦るほど言葉がスムースに出でこない。そんな私の性格を知ってか、知らずか、祐矢はその凛々しい顔を緩め、
「まだ、そいつと会ったりしてるのか?」
と、両手で私の顔をやさしく包むと、覗き込むようにして顔を近づけた。
祐矢はいつも真直ぐに私を見つめ、愛していることを隠そうとはしない。
日本人離れした、彫りの深い顔立ち。茶色に染めた長めの前髪が、額に落ちて影を作る。
祐矢は自分の容姿を、自覚しているのだろうか?
そんな風にじっと見つめられると、心臓が勝手にドッキンドッキン。ああ、つられて顔まで、赤くなってしまう。
「う、うん。あの日以来、洋介とは会っていない」
実際4年前のあの日から、会ってはいなかった。
「ふーん」
祐矢はさして気にもならない風な頷き、私の顔を包んでいた手をそっけなく放した。
(信じてくれただろうか?)
まだ始まったばかりの私たちの恋は、ちょっとした疑心にも揺らいでしまう。
だから私は恥ずかしい気持ちをぐいっと押さえ込んで、ちゃんと言葉することにしていた。
「私が好きなのは・・・」ん・・・・?
ふぃに塞がれた、私からの告白。
軽く唇が合わされ、祐矢は甘い息を吐きながら何かを確かめるように、何度も何度もキスを繰り返す。
私が好きなのは、-----祐矢・・・・。祐矢しかいない。祐矢しか見えない。
「友視が好きなのは、俺だよな」
キスの合間に、囁きが洩れる。
それは質問、それとも確認なのか?
私は黙って眼を閉じると、祐矢の腕の中へと身を預けた。
◇◆◇◆◇
「友視、『かくれんぼ』しようか?」
長い長いキスの後、唇が離れると祐矢が言った。
私の方はなんだか息が、上がってしまっていた。祐矢って、キスが旨すぎると思う。
「・・・・・もしかして、それって妬いてるの?」
「ち、違う」
私は意地悪く、探るような瞳を祐矢に向けた。
なんだか嬉しくて勝手に顔の筋肉が、ピクピクしてしまう。
祐矢はニタニタ笑う私の視線の先で、カーッと赤くなり、慌てて顔を逸らした。
「べつに、嫌ならいいけど」
不貞腐れたようにそう言うと、さっさと先へと歩き出す。
(・・・・・まったく、恥ずかしがりやさんなんだから)
私は慌てて追いつくと、祐矢の腕に自分の腕を絡ませた。存在を知らせる様に、絡ませた腕にぎゅっと力を込める。
「べつに、嫌じゃないよ」
私の初恋にやきもちを焼くなんて、思ってもみなかった。
これって、愛されてるって証拠だよね。(なんだか、くすぐったい)
「じゃあ、友視が鬼だから、な」
「えっ、またあ?」
「またあってなんだよ、またぁって。俺と『かくれんぼ』するのは、初めてだろう」
「だって、私は二度目なんだもん」
この場所では二度目なのだ。たまには隠れて見たい欲求もある。なんだか捜してもらうのって、ドキドキするよね。
「いいから、ちゃんと眼を瞑って、百まで数えるんだぞ」
「・・・・いくない」
私の苦情など、完全に無視。自分の言いたいことだけ言い残すと、さっさと中へ入って行ってしまう。
「祐矢―っ。ねぇ、祐矢ったら」
「黙って、数えろ」
廃屋の中から祐矢の声が届く。やはり鬼を変わる気はないらしい。
(私だってたまには、隠れる方になりたいよ。鬼って、つまんなーい)
「いい、じゃあ数えるからねーっ」
私は半ば自棄糞に叫ぶと眼を閉じ、数を数え始めた。
1・2・3・・・・・・。
あの日、洋介とした、『かくれんぼ』のように。
◇◆◇◆◇
「もういいかい?」
百を数え終えた私は、入り口に向かって大声で叫ぶ。
「・・・・・・まぁだだよ」
木霊する声に被さる様に、祐矢の声が返って来た。
「まだ、ですか・・・・?」
私は壁にもたれ、ゆったりと辺りを見回した。
眼の前に広がる風景は、新しい家やマンションが立ち並び、あのころとはすっかり変わってしまっていた。
唯一あのころの面影を残す廃屋も、老朽化が激しく、外形こそあのころのままのようにも見えるが、足元に転がる瓦礫の量は前にも増して山を作っていた。
「あれから4年、かぁ・・・・・」
月日の経つのは早いと言うが、あの日の洋介の年と、私は同じ歳になってしまっていた。
あの頃はまだ幼かったと思う。
(キスぐらいで、狼狽えちゃったんだよね)
まだ中学生では、無理もなかった。小学生に毛が生えたようなものだものね。今ならあの日の洋介の気持ちが、解るような気がした。
「もういいかい?」
もう一度、中に向かって声をかける。
「・・・・もういいよ」
いったい何処に、隠れたのだろう? 祐矢の声がくぐもって届いた。
私はゆっくり足元を確かめながら、廃屋の中へと足を踏み入れた。
ーーーーーーゲームスタート!
途端、またあの埃混じりの冷たい空気が、私を包む。
あの日と同じ・・・・、黴臭い、饐えた臭い。
ただあの頃と違うのは、この薄闇が少しも怖くなかった。あの震えるような恐怖は、今はなかった。
(少しは、大人になったってことかな?)
あちこち壊れて、瓦礫の量が増えているにもかかわらず、廃屋の中はまるで時が止まったように4年前と変わらないように思えた。
(祐矢は、どこだろう?)
探しているのは祐矢のはずなのに心の何処かで、あの日の洋介の姿を追っている自分に気づく。
確かこの辺り・・・。洋介が私にキスした、場所だった。
4年経った今でも、鮮明に思い出せる。
酷く辛そうに眼を伏せた洋介。・・・・傷つけてしまっただろうか?
「初恋、かぁ」
あれから洋介は、どうしたのだろう?
あの後直ぐ、私は熱を出し、寝込んでしまったらしい。
キスされたくらいで熱を出したとは考えられないので、どうせ風邪か何かだったのだろうが。その辺の記憶が曖昧で、よく覚えていなかった。
その後直ぐに決まった父の転勤で、家族と共に引っ越してしまい、2年前に高校受験に備えて、この土地に戻って来た時には、洋介の家は知らない表札に変わっていた。
その後もずっと洋介の消息は気になってはいたが、子供だった私には知る術はなかった。
◇◆◇◆◇
『友視、俺を探して・・・・』
どこからか洋介の声が聞こえたような、気がした。開けっ放しのドアの隙間を、黒い影が過ぎる。
・・・・・・洋介?
慌ててドアに駆け寄り、その人影を追う。
だがそこには何もなく、ただ静まり返った薄闇が広がっていた。
(気のせい、気のせい)
あれから4年も経っているのだ、こんなところに洋介が居るはずがなかった。
4年前と変わらぬ設定が、私の意識をあの日の出来事とオーバーラップさせる。
『-----友視・・・・』
「えっ?」
『-----友視、ここだよ』
「・・・・どこ?洋介、どこにいるの?」
『-----友視、俺を探して』
影が私を揶揄うように、あちらこちらに現れては消えた。
これはただの幻影、私が探しているのは・・・・・・。
『-----友視、俺を探して』
「ごめん、洋介。私が探しているのは、洋介ではなく祐矢だから」
『-----友視、俺を探して・・・・』
私は両手で耳を覆って、洋介の声を遮ろうとした。
なのに洋介の声は耳にでは無く、直接頭へと響いてくる。影が目の前に現れては、消えた。
『-----友視、俺を探して・・・・・・』
「ごめん、洋介」
これはあの日、洋介の気持ちに応えられなかった罪悪感が聞かせる幻聴。これはすべて、私の心が見せる幻だった。
「洋介、ごめん。応えられないよ。
あれから4年も、経ってしまった。人は変わる、・・・・私の心も」
今は誰よりも、祐矢を愛している。だからもうきみを探せない。もうきみを探さない。ごめん、洋介・・・・・・。
さよならあの日の残像。さよなら、私の初恋。
私は眼を閉じ、あの日の洋介の面影にそっと別れを告げた。
さよなら、洋介。
あの日、あの瞬間の光景が、鮮明に甦る。
唇が色を失うほどに強く噛み締め、深い影を落とした瞳を、一瞬、私へと向けた洋介。
タンタンタン・・・・、だんだん遠ざかって行く靴音を、聴いたような気がした。
◇◆◇◆◇
コトン !
・・・・・あれ?(---頭隠して尻隠さず)
ふふふ・・・・、祐矢くん、190センチ近い身長が禍したね。
部屋の角に備え付けられた収納棚の中に、大きな身体を精一杯小さく丸めて、隠れている祐矢がいた。
(随分、窮屈そうだよね)
私はしばらく気づかない風を装い、祐矢が気を抜いた隙に後ろに回り込み大声で叫んでやった。
「祐矢、見つけた」
「うわーっ!」
慌てた祐矢は急に立ち上がろうとして、ガン!棚の天板が、鈍く堅い音を立てた。
「いてーっ」
悲鳴を上げ、床の上を転げまわる。
(うわーぁ、痛そう)制服が、汚れてしまう。
驚いた拍子に棚の天板で、したたか頭をぶつけたらしい。
すごく厚い一枚板みたいだから、そうとう痛いよ。
(たぶん、・・・・・いや、絶対)
「友視―っ!おまえなぁ」
「わーん、ごめんなさぁい」
口では誤りながらも、顔がニンマリ笑ってしまう。私って結構、意地悪なのかも、案外サド気質とかだったりして。
「こいつ!」
大きな掌が私の襟首を掴み上げ、自分の方に引き寄せる。
(く、苦しい・・・・)女の子に、暴力はいけません。
こんな凶暴な奴には、早いところ誤ってしまうに限る。
「祐矢、ごめん。ごめんなさーい。なんでもするから、許して」
それでも顔がニンマリと笑ってしまうから、困ったものだ。
一応これでも悪かったかなぁとは、思っていた。ほんとだよ。
「ほんと、ごめん」
「キス、1回で許してやる」
薄闇の中の祐矢は、痛そうに後頭部を擦りながら苦笑していた。
(やっぱり痛いよ、ねぇ)
「友視?」さぁ、どうする?
口調の意地悪さとは裏腹に、甘い微笑みが私を急かす。
早く自分にキスしろと。
私はクスっと笑いを漏らすと、祐矢の首に腕を回し、そっと口付けた。
軽―く合わせただけのキスだけど、私からしたってことが重要ポイントだった。
だっていまだかつて私からなんて、したことがなかった。
(うーん、でも恥ずかしい、このポーズ)
慌てて離れようとした私の顔を、祐矢の力強い腕が引き止め、もう一度キス。今度はちょっとふか―いやつだった。
祐矢の唇が私の上唇と下唇を交互についばむように挟みながら、甘噛みする。キスだけで頭も、身体も溶けだしてしまいそうだ。
「・・・・もう、強引だなぁ」(でも、そこが好きなんだけどね)
キスだけでまるで全力疾走したかのように、息が上がってしまう。
うるうるに潤んだ瞳で睨んでみても、なんの迫力もないことは解っていたが、せめてもの抵抗に睨まずにはいられなかった。
案の定、祐矢は穏やかで優しい仕草で額に下りた前髪を描き上げ、目尻に浮かぶ涙を拭ってくれる。
祐矢の優しさに酔ってしまいそうだ。うっとりと彼を見つめてしまう。
「祐矢、好きだよ」
「どうした、友視?」
祐矢が不思議そうに眉を上げ、腕の中の私を覗き込む。
何時もは恥ずかしがって言わない私が、言ったからなんだろうけど。
そんな変な顔しなくてもいいと思う。
「ううん、なんでもない。
ちょっと昔を思い出して、感傷的にでもなってるのかな?どうしても今の気持ちを、祐矢に伝えておきたかったから」
「・・・・そうか」
私の言葉に、祐矢はさも嬉しそうにニンマリ微笑むと、
「言葉で伝えられるのも嬉しいけど、できるなら身体で伝えてくれるほうがもっと嬉しいかな」
などと、のうのうと言ってのけた。
「うっ、祐矢。身体でって?」
じょ、冗談だよ、ねぇ。
こんな埃っぽい場所でなんて、絶対嫌だからね。汚れるし、身体にも悪い。
まじ埃っぽくて、気管支炎にでもなりそうだった。
その前に私たちまだ未成年だし、初体験はもっとムードのあるところで、お願いしたいと思う。
海の見えるホテルとか、ね。(ちょっと夢、見過ぎかな?)
◇◆◇◆◇
『・・・・・・淫乱だよね』
誰かの声がした。
「えっ?」
「どうした、友視?」
「今何か、聞こえなかった?」
「いや、何も聞こえなかったけど」
(気のせいだろうか?)
「なぁ、しようぜ?」
しようぜって・・・・・・、ここで何をと聞ける雰囲気ではなかった。
私もそれなりに大人になったと思うが、一応まだ高校生だし、罪悪感がある。
同級生たちのその手の経験談を聞いて耳年増ではあるが、知識だけでまだ経験は皆無だった。
「・・・じ、冗談」だよね。
大人の会話過ぎて、祐矢の真意が掴めなかった。
ここで断ったら、嫌われちゃうのかな?
祐矢にだけは、嫌われたくはなかった。
どうせいつかは体験することなら、今でもいいのかもしれないと、気持ちが揺れる。
『ほんと好きだよね。淫乱なんだ友視は。知ってる?友視の最初の男は、俺なんだよ』
「なんだって?」
今度は祐矢にも聞こえたらしい。迫って来ていた祐矢の動きがピタリと止まる。
声の主から隠すように、私は祐矢の厚い胸の中へと抱きしめられた。
『もっと激しくしてごらん。きっと友視は泣いて喜ぶから。もっと、もっとって』
「誰だ、おまえは?」
『ほら友視、俺の時みたいにさぁ』
なおも謎の声が、私たちを煽立てる。その卑猥な言葉の数々に、耳を覆いたくなった。
「誰?何の恨みがあって、そんなこと言うの?」
『友視は、酷くすると興奮するんだって』
「嘘―っ、何でそんなこと」
『普通こんなところでなんて、しないよね。だから友視は、淫乱なんだよ』
「馬鹿野郎、人の秘め事見てんじゃねーよ」
「・・・そんな」
まだ秘め事と言うほどのことはしていないが、羞恥と恐怖に身が竦む。一気に血の気が惹いて、身体が冷たかった。
祐矢も気を削がれたのか、先ほどまでの大人っぽい雰囲気は消え失せていた。
『友視はしたいって、言ってるよ』
「ち、違う」
「誰なんだよ。顔を見せろ」
ぎゅっと、祐矢の腕の中に抱きしめられる。
身体の震えが止まらない。こんなところを誰かに見られるなんて、思わなかった。
「・・・・祐矢?」
この理解できない状況に、縋り付くような眼を祐矢に向けた。どうしたらいいのか、解らなかった。
(・・・・この声の主は、いったい?)
『友視、忘れちゃった?俺たち、ここで愛し合ったよね』
「そんなの、・・・・知らない」
何か引っ掛かりを感じた。(ここで愛し合った?)誰が・・・・?
『初めてだったから、怖い、怖いって泣いて、大変だったんだ』
ーーーーーー怖い・・・・、洋介、怖い。
何か思い出せそうで、思い出せなかった。
「いやーーーーーーっ!」
もう何も聞きたくなかった。思い出してはいけないものまで、思い出してしまいそうで、怖い。
私は両手で耳を塞いで、その場に蹲った。
「誰だよ。何で友視の名前知ってるんだ?」
『俺、友視の最初の男だから』
「いい加減なこと言うなーっ」
『・・・・友視、俺を探して』
声の調子が変わった。挑発すると言うより、どこか切実な感じに聞こえる。
「なんだよ、いったい」
『・・・・友視、俺を探して』
声があちらこちらから、聞こえてくる。
「悪戯かよ。絶対、探し出して、一発殴ってやらないと、気がすまねぇ」
祐矢の拳が震える。私も・・・・・・。
殴り合いがしたかったわけじゃない、ただ会ってこんなことを言った理由を、どうしても知りたかった。
◇◆◇◆◇
『・・・・もういいよ』声の主が言った。
私は身を捩って祐矢から離れると、辺りを見回した。
声はすれども、辺りに人影はなかった。
『もういいよ』
また、声がした。早く見つけろとでも言うことだろうか?
「馬鹿にしてんのか、あいつ?」
ーーーーーーーガタン!
突然、何かの崩れ落ちる音が響いた。
一瞬、私の脳裏に、ある光景が映る。
あまりに一瞬のことで、何が見えたのか理解する前に消えてしまい、もどかしさが残った。
「友視、危ないからもっとこっちに来いよ」
祐矢の顔に、洋介の顔が重なった。こんな光景、前にもあった?
『・・・・友視、危ないからもっとこっちにおいで』
そうだ、あのかくれんぼの日、私は洋介にキスをされて・・・・。
『友視、お願いだ。なんとか言ってくれよ。おまえにそんな顔されると、酷く悪いことをした気分になる。友視・・・・、俺のこと嫌いにならないでくれよ』
洋介は唇が色を失うほど強く噛み締め、深い影を宿した瞳で見据えながら、一歩一歩私に近づいてくる。
私は洋介との距離が近づかないよう、後退りした。
(・・・・洋介が怖い)
『友視、危ないからもっとこっちにおいで』
洋介の声音は、酷く優しい。その優しさの裏に、何か触れてはいけないものを感じた。
差し出された手を振り払い、私はさらに後退りする。目の前にいる、洋介が怖かった。
知らない男に、見えた。
『洋介、なんか嫌いよ!』
それは本心では無く、子供の腹立ち紛れの言葉だったのかもしれない。
だが、洋介は言葉のままに、捉えたようだった。
洋介は凍りついたような瞳で、じっと私を見つめていた。
広い肩がかすかに、揺れる。内心の動揺を隠し切れないように。
『・・・・洋介?』
恐る恐る名を呼び、私はそっと近づいてきた洋介の肩にふれた。
とたん弾かれたように、その瞳にきつい光が走る。
『・・・・・嫌われたなら、もう何をしても一緒だよな』
冷ややかに何の感情も映さぬ声で、洋介はぽつりと言った。口の端を歪めて、酷薄な笑みを浮かべる。
(・・・・・何?これは、誰・・・・?)
洋介が、怖かった。
足を掴まれ、引き倒される。
『いやーっ!』
頭を打ちつけ、少しの間、気を失っていたのかもしれない。頭の中が、クラクラしていた。
額でも切ったのか生暖かい血がツーっと、伝い落ちてくる。
気持ち悪くて手で拭うと、手が血まみれになった。
『・・・・・・友視?』
出血の多さに驚いているのか、洋介の顔は蒼白だった。
眼の焦点があっていない。まるで夢遊病者のように、洋介はふらふらしていた。
手についた血を見たことで、私の涙腺は壊れてしまっていた。
うわーーーーんと、子供のように大声で泣くことしかできなかった。
洋介がハッ!としたように、私を見つめる。
今やっと自分のしたことに気づいたように、顔に戸惑いの色が浮かんだ。
『・・・・ごめん』
震える声で、洋介はひっそりと呟いた。
つぎの瞬間、踵を返し逃げるように部屋を飛び出して行く。
ーーーーータンタンタン・・・・。
私は遠ざかる洋介の靴音を聞きながら、涙を流していた。
(どうして、こんなことになってしまったのだろう?)
その後、どうやって家まで帰り着いたのか、覚えていない。
ただその後、一週間ほど熱を出して寝込んだと、母から聞かされたことを思い出した。
◇◆◇◆◇
「・・・なんでこんなこと、今まで忘れていられたんだろう?」
こんな残酷な記憶、本当に忘れることができるものなのだろうか?
できることならずっと忘れたままでいたかったと思う。
それでも私は、思い出してしまった。
思い出してしまったからには、その記憶と対峙して行かなくてはいけない。
これは現実。哀しいけど実際に起ってしまったことだった。
こんなことを話して祐矢に嫌われるのではないかと、不安が過ぎる。
祐矢との別れを考えると、身を切られるように痛かった。
思い出した過去を、思いきって祐矢に話すと、「辛かったな」と言って、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「人間、心が壊れそうな時は、その原因を身体が勝手に排除するって言うから。友視を壊さないように、記憶に封印してくれたんだろうな」
もう大丈夫か?と聞きながら、私の顔に優しいキスが降り注ぐ。
その声があまりにも優しくて、思わず涙ぐみそうになった。
こんなに優しくしてもらう価値、私にはないような気がした。
「私のこと、嫌いになった?」
って聞いたら、「ばーか」って、祐矢の額が私の額に、こつんとあたった。
吐息が顔にかかる。間近で見る祐矢の顔は、やっぱり誰よりもかっこよかった。
「おまえは被害者なんだから、気にすることないって。悪いのはみんな、その洋介って奴なんだから」
「・・・・ありがとう」
そんなに優しくされると、私の身勝手な心が、つけ上がってしまう。
際限なく舞い上がって、自惚れてしまう。もっともっと祐矢の優しさを欲してしまう。
『・・・・もう、いいよ』
また声がした。
さきほどまでの卑猥な感じは無く、私たちをかくれんぼへと誘う色が濃い。
何故声の主は、4年前の洋介とのことを知っていたんだろう?まるでその場で、見ていたかのように。
「・・・・ったく、しつこい奴だな」
「どうする?」
「やっぱり探して、一言文句言わなきゃ、気が治まらないしょ」
でも、この声・・・・。どこかで聞き覚えがある。
どこか懐かしい、この声。・・・・・・洋介?
身体が震えた。
(他人の空似?)
でもこの声は確かに・・・・、幻聴?
祐矢にも聞こえているのだから、幻聴であるはずがなかった。
『もういいよ』
(洋介、私に探して欲しいの?)
『友視、俺を探して』
「・・・・・見つけ出して欲しいの?」
身体が震えた。
(本当にあの洋介だろうか?)
「友視?」
「洋介を探さなくっちゃ」
「どうした、友視?」
ふらりと歩き出そうとした私は、祐矢に腕を掴まれ引き戻された。
祐矢の顔を、まともに見ることができなかった。
「友視、この声は洋介って奴の声なのか?」
顎を掴み私の顔を自分の方へと向けると、息がふれそうなくらい顔を近づけて、もう一度聞く。
「これは洋介なのか?」
(・・・・わからない)
これが洋介なのか?洋介ならば何故、自分にこんな酷いことが言えるのか?何が目的なのか?解らなかった。
「でも、探さなくっちゃ」
私のかくれんぼは、終わらないような気がする。
祐矢から顔を逸らすこともできず、涙が頬を伝い流れ落ちる。それがなんの涙なのか、自分でもよく解らなかった。
私が好きなのは、祐矢だけだ。それだけは、はっきりしている。
(でも・・・・・・)
祐矢は私の無言の思いを読み取ったように頷くと、
「探そう、友視」私の手を取った。
「この声の主がその洋介でも、他の誰であっても探し出して、このかくれんぼを終わらせようぜ」
「・・・・そうだね」探そう、祐矢。
祐矢は返事の変わりに、ふわりと微笑むと、私の肩を優しく抱き寄せ、そっと放した。
そんなさりげない仕種で、身体の奥から勇気が湧いてくるような気がする。
(案外私って、単純なのかも)
◇◆◇◆◇
『もういいよ』
声は確かに聞こえるのに、姿が見えない。
(まるで透明人間のようだった。)
「まいったなぁ。どこに隠れているんだ?」
「見つからないね」
さっきからずっと探しているのに、人の気配どころか、猫の子一匹見つからない。
私たちはあれからゆうに一時間以上、探し続けていた。
「これだけ探して、見つからないはずがないんだけど?」
不思議だった。何かがおかしい。
声だけは途絶えることなく、聞こえて来る。
「探せるところはすべて探したぜ」
『・・・・もういいよ』
「これってなんだよ。俺たちは誰かにおちょくられているのか?」
訳が解らず、私も祐矢も少しイライラし初めていた。身体が重たい。疲れを感じた。
(・・・・何かがおかしい)
「誰かいるんだろう?いるんだったら出てこいよ」
『・・・・もういいよ』
「私もう一度、こっちの方見て来る」
「ああ、気をつけろよ。そのへん特に床板が朽ちてるから」
「うん。祐矢もね」
もう捜せるところは捜し尽くした。なのに声の主は、一向に見当たらなかった。
ーーーーーーおかしい。
何かがおかしいと思う。胸の内、もうこれ以上は近づくなと警鐘が鳴り響く。
祐矢に一言、『もう止めよう』と言えばいいのに。私はは何故だかその一言を言えずにいた。
「誰かいるの?いるのならいい加減に出て来てよ」
踏み出した一歩に体重が掛かる。
途端、バキリッと音をたてて床板割れた。
「うわーっ」
刹那、踏み出した私の足元が、グラリと揺らいだ。
腐った床板が、ミシミシと音を立てて崩れ、足元に開いた穴の中へと、スローモーションのように、ゆっくり身体が傾いていく。
ーーーーーー落ちる!
思った瞬間、思わず私は眼を堅く閉じて次に訪れるはずの衝撃を待った。
深い、深い、闇の中へと、吸い込まれて行く。
「-----友視―っ!」
私の異常に気づいた祐矢の切迫した声が、響き渡る。
ガクンと手首から身体へと、衝撃が走り抜けた。
肘への負担が凄い。肩から腕が、抜けてしまうような衝撃だった。
「うっ」
だが覚悟したはずの、全身への叩きつけられるような衝撃は、いつまでたってもやってこなかった。
脚がなにもない空間を、頼りなくユラユラと揺れる。
恐る恐る眼を見開くと、息を乱して私手首を掴む祐矢の真剣な姿があった。
腰から下を闇の中に隠され、もう少し遅ければ地の底までまっ逆さまだったに違いなかった。背筋に冷たい汗が、流れ落ちる。
この手がなければ、今頃私は大怪我どころか、死んでいたかもしれない。
そう思うとこの大きく綺麗な手が、とても頼もしく思えた。
離すまいと強く握られた手首に、祐矢の指の感触を強く感じる。圧迫されて冷たいはずのそこが、とても熱く感じられた。
「・・・・祐矢」
「今、上げてやるからな」
「うん」
祐矢の力強い腕に引き上げられ、足元に床の感触を感じると、ホーッと息を吐いた。
身体が恐怖で、まだガタガタと震えている。
「友視、大丈夫か?」
「・・・・うん、・・ありがとう」
もうそれだけ言うことが精一杯で、私はへたへたとその場に座り込んでしまった。身体に力が入らない。
正直言って、「・・・・怖かった」
えっーーーーーーーーーーーー?
・・・・・・・・・・見つけた?
◇◆◇◆◇
身体の震えが止まらない。頭がすでに考えることを拒否していた。
心臓をぎゅっと鷲掴みされたように、息が苦しかった。
「・・・・み・・つ・・・・けた・・・・」
声が震えて、言葉にならなかった。足元に広がった穴から、眼が放せない。
「・・・・友視、見つけたって、何を?」
ただ震えるばかりで答えようとしない私の視線に合わすようにして、祐矢が穴の中を覗き込む。
「うわぁーっ!」
数秒後、闇に慣れ眼が映し出したものに驚き、祐矢は腰を抜かしたように、後ろへと転がり、尻もちをついた。
信じられないように首を横に振り、言葉を失ったまま脚とお尻で後退る。
「・・・・嘘だろ?」
ーーーーーーーそこには白骨化した死体が、横たわっていた。
綺麗に白骨化した死体は、高校生くらいで、砂や木屑などで汚れてはいるが、学生服に身を包んでいるのがここから見ても確認できた。
少し離れたところには、土砂に埋もれて鞄らしきものが、転がっている。
学生服の胸にはーーーーーーーーー。
私の眼から、つぅーーーと涙が零れ落ちた。
胸の奥がツーンとして、熱いものが後から後から込上げて来る。
白骨化した死体の胸の名札には、《河原》と、刻まれていた。
ーーーーーーー 河原洋介・・・・・・・・・。
『もういいよ』
・・・・・洋介、見ーーーつけた。
◇◆◇◆◇
その後、祐矢が携帯で警察に連絡し、パトカーは来るわ、報道がくるわで、いつもは静かなこの廃屋の周りも、この時ばかりは大騒ぎとなった。
私たちもとうぜん警察に事情を聞かれた。
警察官にあの場所にいた理由を聞かれて、素直にかくれんぼをしていたと答えたが、信じてはいないようだった。
とりあえずは危ない遊びはしないようにと、注意されただけで終わった。
数日後、現場検証や解剖その他いろいろな検証の結果、死因は事故死と判定された。
4年前のあの日、私を置いて飛び出して行った洋介は、朽ちて緩んでいた床板を踏み抜き転落したのだろうと、年配の警察官が教えてくれた。
打ち所が悪かったのか、ほとんど即死状態だったそうだ。
苦しまなかったことだけが、私にはせめてもの救いだった。
「洋介はずっとあそこで、『かくれんぼ』してたのかな?」
検証の結果を聞きに行った警察署の待合室で、私は廃屋を出てからずっと思っていたことを、ポツリと吐き出した。
(洋介が死んでいたなんて・・・・)
「そうだな、友視が見つけてくれるのを、ずっと待っていたのかもしれないな」
4年と言う月日は、長かっただろうか?
「それにあの不思議な声。あれはやっぱり洋介の声、だったのかな?」
『 淫乱だよね』
『俺は友視の最初の男なんだよ』
あれは洋介の・・・・本心?
聞いて見ても、洋介の亡骸はもう何も応えてはくれない。
あの辱めの言葉を私に言う為に、4年もの間洋介はあの場所で待っていたのだと思うと遣り切れない。
それほどまでに誰かに憎まれていたなんて・・・・・・。
「あれは洋介の、嫉妬から出た声だろうな。
好きだった相手が目の前で別の男といちゃいちゃしてれば、文句の一つぐらい言わなきゃ気がすまないだろう。
まして幽霊じゃあ手も脚もで無いからな、せめてもの嫌がらせってやつだろうな」
(いちゃいちゃって、ねぇ。そう言えば、私たちあそこでいけないことをしようとしたのだっけ?)
なんだかこれが現実に起こったことのようには、思えなかった。
まるでテレビのサスペンスを見ているように、現実が遠い。
洋介の白骨死体を見ても、洋介の死を実感できなかった。
凭れかかった祐矢の身体から、体温が伝わってくる。その優しい体温でさぇ、現実味が薄い。
私は祐矢の体温をもっと確かに感じようと、ピタリと身体を寄せた。
それが祐矢にも通じたのか、肩に回した腕に力を込め、さらに強く抱きしめてくれる。
「きっと洋介は、私を恨んでいるね」
「さぁ、それはどうかな?」
「私は何も・・・・、何も応えてあげなくって。あげくにこんな風に死んじゃって、そこに恋人を連れた私が『かくれんぼ』しにくるなんて」
・・・・なんて皮肉な運命の廻り合わせだろう。
「文句の一つくらい言いたくなるよね」
「友視が自分を、責めることは無いさ。
洋介の死因は事故死だったんだ。誰が悪いわけじゃない。しいて言えば運が悪かったんだな。
洋介も友視に見つけてもらっただけで、満足だったんじゃないか」
(・・・・だったらいいけど)
それでも私は自分を責めずには、いられない。あの時、もう少し自分が大人だったら?
過去は変えることはできない。洋介の死は、現実。
今、私にできることは、洋介が安らかに眠れるよう祈るしかできない。
「ごめん、今日の私は泣き虫だよね」
完全に涙腺が、壊れてしまったみたいだ。
後から後から、涙が溢れて零れてしまう。
「たまにはいいんじゃないの。泣いてる友視も、色っぽくてさぁ」
(・・・・色っぽい、なんて)
「使う?」
言いながら、祐矢が自分の胸を指差す。
目頭が熱く、視界が歪む。これではまるで涙の洪水だった。
(・・・・・・涙腺、壊れちゃったかも)
「祐矢―っ」
私は祐矢の広い胸に顔を埋め、わーんわん泣いた。
眼を瞑ると祐矢の長い指先が、髪を梳いてくれる。ゆっくりと優しく、子供をあやすように、何度も何度も。
やっぱり私はまだまだ子供だよね。
髪を梳く祐矢の手の温かさに、気持ちが落着いて行く。
凍りついていた何かが、溶け始める。
この温もりは現実。そして私は今、祐矢を愛してる。
(洋介、ごめん。応えてあげれなくて)
『・・・・もういいよ』
「洋介、みーつけた」
こうして、私の4年越しの『かくれんぼ』は、終わりを告げた。
読んで戴きありがとうございました。