第三章 -7-
「わぁー……、天然公園ってどんな所かと思ってたら結構いろいろあるね?」
バスから降りて目の前に広がった景色に郁美は驚いたように口を開いた。
倖弥と共に電車とバスを乗り継いで着いた場所は山梨県の天然公園。
杏花達が出る全国大会の本選が行われる場所だ。
「馬場の他に運動場やそれに温泉と宿泊施設まであるのか……すごいな」
広大な敷地の中、本選会場の馬場はもちろん、羊や山羊、うさぎなどの動物にも
直接触れる事の出来る小さな動物園、そしてなんと言っても温泉があるのには
二人共驚いていた。
「ちょうど園内バスが来てる、あれに乗ろう」
「うん」
公園の入口には数分おきに園内を回っているバスが待っていた。
倖弥と郁美はそのバスに乗り込み、馬場に向かった。
◆ ◆ ◆
「杏花達、もう来てるかな?」
園内バスを降りて大会が行われる馬場に向かいながら郁美はさっそく杏花を捜し始めた。
「開会時刻までまだ少しあるからなぁー、まだホテルの部屋にいるのかも」
馬場の近くには温泉とホテルもあり、今回の大会出場チームはそのホテルに泊まっている。
杏花達馬術部も当然、前日から泊まっているのだ。
「あ、杏花だ」
そして、少し歩くと練習用の馬場の中で杏花達馬術部の部員が馬に乗っているのが見えてきた。
「え、あれ……アン? いつもと違う格好だから一瞬誰だかわかんなかった」
黒の乗蘭に白いパンツと黒いブーツ。
倖弥は初めて見る杏花の競技用の正装に郁美と話していた時とは違い、
とても優しい穏やかな笑みを浮かべた。
「てか、男共が群がってる……」
倖弥は柵の外側から自分と同じ様に杏花に熱い視線を送っている他校の男子生徒達に
気付くと怪訝な顔をした。
「いつもの事よ」
「え……いつもあんな感じなのか?」
「うん、だけど、去年までは杏花は喋れなかったでしょ?
だからほとんどの男の子はすぐに去って行くんだけど
一人だけやっかいなのがいるのよ」
「どんな奴?」
「多分、今日も来てると思う……あ、いた。
ほら、柵にへばりついて首からカメラ提げてる眼鏡かけたデニムシャツの子」
「外見からしてオタクっぽいな」
「どうやら“カメラオタク”みたい。
毎回杏花が出る大会に現れては写真を取り捲ってるのよ」
「……」
倖弥は思いっきり面白くなさそうな顔をした。
「写真を撮るだけならまだいいんだけど、ほぼ毎回話し掛けてきて、
しつこく連絡先なんかを訊いてくるの。
でも、杏花には赤城君がいるってわかれば諦めるかもね」
倖弥と郁美が馬場の前まで歩いて来ると、杏花が二人に気付いて
可愛らしい笑みを浮かべて小さく手を振った。
二人も笑みを浮かべて振り返す。
すると、倖弥達とは反対側にいる例の“カメラオタク”の男がシャッターを切った。
眩しく光るフラッシュ。
その瞬間、近くにいた一頭の馬がフラッシュに驚いて暴れ始めた。
「きゃぁっ!?」
その馬に乗っていた女子部員が振り落とされてしまい、その事で他の馬達まで興奮し始めた。
そして杏花が乗っている馬も前足を高く上げて嘶き、その所為でバランスを崩した杏花は
地面に叩きつけられるように落馬した。
「アンッ!?」
「杏花っ!?」
現場が騒然となり、倖弥と郁美は慌てて杏花に駆け寄った。
「アン! アン!」
一瞬の出来事で声を発する事も出来ずに落ちた杏花は、頭を強く打ったのか気を失っていた。
倖弥が何度呼んでも反応しない。
「杏花! 目を開けて! 杏花……っ!」
郁美は青ざめた顔で泣き叫ぶように呼び掛けた――。
◆ ◆ ◆
救急車で病院に運ばれた杏花は、すぐに救急処置室に入れられた。
ドアが閉められ、廊下に取り残された倖弥と郁美はしばらくその場に突っ立ったまま動けなかった。
――二時間後……、
「アンッ」
「杏花っ」
ストレッチャーに乗せられた杏花が救急処置室から出てきた。
頭が包帯でぐるぐる巻きにされている。
倖弥と郁美、顧問や他の部員達が駆け寄ってもまだ目を閉じたままだ。
「腕は打撲で骨折はしていません。
足や腰、首も大丈夫でした……しかし、頭を強く打っていますので
目を覚ましてみるまでははっきりした事は言えません」
処置を行った医者はそう説明すると、ドクタールームに消えて行った。
まだ処置を終えたばかりの杏花はナースステーションの目の前、ガラス張りの病室に移された。
黙って見つめていると、このまま目を覚まさないのではないかと不安になる。
「杏花……」
普段は人前で暗い表情など見せた事のない郁美も、いまだ目を覚まさない親友を目の前にして
涙を流している。
「……」
倖弥はきゅっと唇を噛み締めたまま、俯いていた。
そうして、窓の外が暗くなり始めた頃……、
「杏花……っ」
郁美が小さく声を発し、倖弥が顔を上げると杏花がゆっくり瞬きをして目を開けた。
「アンッ」
杏花の視界を倖弥の顔が塞ぐ。
すると、杏花は驚いた表情をした後に助けを求めるかのような目で郁美に視線を移した。
「どうしたの? 杏花。赤城君よ?」
郁美がそう言っても杏花は首を小さく横に振っている。
「……アン?」
倖弥が呼び掛けても怯えた表情のままだ。
「「……」」
倖弥と郁美は顔を見合わせた。
そして、次の瞬間……
「え……?」
郁美は杏花の手の動きに驚愕した。
「……っ」
その様子に倖弥も声を失う。
杏花が手話で郁美に話し掛けていたのだ。
「杏花? 手話なんてを使わなくても……それに……」
「な、なぁ、アンは何て言ってるんだ?」
「……それが……杏花……」
郁美は一旦、言葉を切った。
「赤城君の事がわからないみたいなの、『誰?』って……」
「え……」
倖弥は頭の中が真っ白になった――。




