第一章 -15-
倖弥は慌ててアンジェルをクローゼットの中に隠し、ドアを開けた。
「こんな夜更けにすまない」
ドアをノックしたのはサントワール国王だった。
「アンジェルがいなくなった。侍女達がちょっと目を離した隙に部屋を抜け出したらしい。
それで、もしかしてユキヤのところに来ていないかと思ってな」
国王は部屋の中を見回し、クローゼットに目を止めた。
「あ……」
クローゼットからアンジェルのドレスの裾が出ていた。
(しまった……っ)
しかし……
「ここへは来ていないようだな」
国王はそう言って再び倖弥に視線を戻した。
「え……は、はい」
そして倖弥が驚きながら返事をすると、
「アンジェルを捜す為に門番まで借り出されていてな、
その所為で城門には今誰もおらん。
早く見つけないとなぁ……」
国王はクローゼットを一瞥し、踵を返した。
「……」
倖弥は国王の背中をじっと見つめながらゆっくりとドアを閉め、クローゼットを振り返った。
(国王様がアンのドレスだという事に気づかないはずはない)
クローゼットから出ている紺色のシルクの生地。
色はともかく、シルクの服など倖弥達兵士は持っていないからだ。
「……アン、少しだけ待ってて?」
クローゼットを開け、中からアンジェルを出してやると
倖弥は外出用のガンビスンに着替えてブロード・ソードとマントを装備した。
(王子だかなんだかは知らないけど……このままアンを取られてたまるかっ)
「アン、一緒に逃げよう」
「本当に?」
「あぁ……俺だってアンと離れたくない。アンが取られるのを黙って指を銜えて見ているより、
逃げてどうにかなるのなら、例えその先どうなるかわからないとしてもアンとの未来を俺は選ぶ」
倖弥はそう言うとアンジェルの手を取り、部屋を後にした。
城の中は夜中だからか兵士の姿はほとんどなかった。
マントでなるべくアンジェルの姿を見られないようにしながら
倖弥とアンジェルはなんとか一階の廊下まで辿り着いた。
「アン、馬を連れてくるからこの先の噴水の影に隠れてて」
そして倖弥が小声でアンジェルに言いながら中庭に続くドアを開けると、
てっきりまだ部屋で安静にしていると思っていたアッシュが立っていた。
「アッシュ……ッ!?」
倖弥が驚いた顔をしていると、
「ずっと体を動かしてなかったからさー、鈍っちゃって。
で、馬で散歩に出ようかと思ってたんだけど夜中だからやめた。
悪いんだけどユキヤ、馬小屋にこいつを戻しておいてくれ」
アッシュはニッと笑うと倖弥に手綱を渡した。
「え? あ、あぁ……」
「んじゃ、よろしくー」
アッシュはドアに隠れているアンジェルの影をちらりと見た後、
軽く手を挙げて訓練場の方に歩いて行った。
アッシュの姿が見えなくなり、周りに誰もいなくなると
倖弥はアンジェルを腕の中にしっかりと抱きかかえるように馬に乗せて走らせた。
国王が言っていた通り、城門には兵士の姿はなく、
倖弥とアンジェルは何事もなくサントワール城から出る事が出来た。
(サンキュー、アッシュ)
倖弥は夜が明ける前になるべく遠くへ行こうと、ひたすら北へ北へと馬を走らせた。
アンジェルは振り落とされないように必死で倖弥にしがみついている。
町を抜け、草原を抜け、やがて東の空が明るくなり始めた頃、
倖弥はスピードを落とし、森の中へ入った。
「アン、大丈夫か? もう少し走って休めそうな所があったらそこで休もう」
かなりの距離を馬で走り、倖弥はまだ整っていない荒い息でアンジェルに視線を移した。
「えぇ……」
倖弥にただしがみついていたアンジェルだが、長い時間の移動は楽ではなかった。
少し疲れた様子で返事をすると小さく笑った。
それからしばらくして、水の音が聞こえてきて小川が流れている場所に出た。
大きな木が横たわっていて、休むにはちょうどいい。
「ここで休もう」
倖弥は馬から降りるとアンジェルの手を取り、馬から降ろしてやった。
そして近くの木に手綱を繋ぐとアンジェルと一緒に
小川の水を手で掬って飲んだ。
「冷たくておいしいっ」
「うんっ」
「ユキ」
「ん?」
名前を呼ばれ、倖弥が顔を向けるとアンジェルは
悪戯っ子のような顔つきでパシャリと水をかけた。
「わっ!?」
「あははっ、水も滴るいい男♪」
アンジェルはまるで子供のように笑っている。
「この〜っ、やったなー?」
すると、今度は倖弥がアンジェルに水をかけた。
「きゃぁっ」
「あはははっ、アンだって“水も滴るいい女”だよ」
倖弥がそう言って笑うとアンジェルは裸足で小川の中に入り、
「ユキ、もっといい男にしてあげるっ」
と、バシャバシャと水をかけ始めた。
「あっ! こら、アン、やめろっ」
「あはは、ユキも入ったら? とっても気持ちいいわよ?」
「てか、アンがメチャメチャぶっかけてるから、もう入ってるようなもんだよっ」
そして、倖弥もブーツを脱いで裸足になると小川に入って
お返しとばかりにアンジェルに思いっきり水をかけた。
そうして二人で水をかけ合って遊んでいるうち、川底の石にアンジェルが足を滑らせた。
「きゃっ!」
「アン!」
倖弥が咄嗟にアンジェルの手首を掴むとそのまま二人同時に倒れ、
倖弥がアンジェルに覆いかぶさる格好になった。
「……」
「……」
二人は無言で見つめ合った。
「アンジェル……」
倖弥はアンジェルの腕を引き寄せるとそっと肩を抱いて唇にキスを落とした――。