日々に起こる、ちょっとした不思議
●カギ1
このごろ毎晩同じ夢を見る。
男の子が、部屋に閉じ込められている夢だ。部屋の天井には、小さな窓が一つあって、その窓からは空が見えた。
男の子は窓を見上げて、ため息をつく。
「ここから出たい!」
男の子の必死の思いが、ボクに痛いほど伝わってくる。
というのも、その男の子はボク自身だったから。
その部屋は不思議なことに、部屋のなかからカギがかけられていた。
男の子は、いやボクは、必死にカギをさがす。机のひきだしをかき回し、本棚からはすべての本をひっぱりだして、本のなかにカギが滑り込んでいないか、一冊一冊本を振ってみる。
もちろんベッドの下ものぞいてみる。
だけどカギはでてこない。夢のボクはすっかり落胆して疲れきって、小さな窓をながめるのだ。
毎晩毎晩、夢のボクはカギを探し回り、見つけられずにしょぼくれている。
そして部屋から出たいという思いは、日増しに強く強くなって、そのぶんよけいに失望の思いは大きくなっていく。
だけどなんと、現実のボクには、不思議なことにカギのありかがわかっているのだ。こういうのを、閃くというのだろうか? それは全く疑うことがないほど、はっきりと「そこだ」と思えるのだ。
クローゼットの一番奥にある茶色の上着のポケットの中!
だからボクは夢を見ながら、
「カギは茶色の上着のポケットの中だ! クローゼットを探せ!」
と夢のボクに叫ぶのである。
でも夢のボクに、ボクの言葉は届かない。
そして毎晩毎晩、カギを探している夢を見る。
もううんざりだ。なんとかして夢のボクにカギのありかを伝えないと、きっとこの夢は終わらない。
夢のなかに行くには、どうしたらいいのだろう。
そう考えて、ボクは里見くんを思い出した。 里見くんは無類のSF好きだ。かれならひょっとしたら、夢への行きかたを知っているかもしれない。
つぎの日、ボクは思い切って里見くんに聞いてみた。
「夢の世界に行くには、今日と明日のさかい目に、入りこまなくっちゃいけないんだ」
里見くんは事も無げに、そう答えた。
「今日と明日のさかい目?」
ボクは里見くんを、これ以上大きく開けられないと思うほどの目でみつめた。
「そう。それには振り子時計が必要なんだ」
「振り子時計」
ボクは、またおおむがえしに言った。
「ほら、時計のしたに金色の丸い円盤がぶら下がっているやつ。右に左に揺れているだろう。夜中の十二時、時計の短い針と長い針が重なったとき、振り子がちょうど真ん中にきたときに」
里見くんは、ここで息をついだ。
「真ん中にきたときに・・・それから?」
ボクは大きな目のままで聞いた。
「夢のなかへ! って叫ぶんだ」
そう言って、里見くんはニヤリと笑った。
「振り子時計」
ボクはつぶやいて、さっき里見くんが笑ったみたいにニヤリとした。
ボクの家には振り子時計なかったが、おじいちゃんの家の居間には、それががある。おじいちゃんの家はたった一駅向こうで、ボクは自転車で行くことができる。
その週の土曜日、ボクはおじいちゃんの家にお泊りに出かけた。おじいちゃんもおばあちゃんも、ボクが泊まりに行きたいと言ったら大喜びだった。
おじいちゃんの家では、いつもダラダラ起きていて、「早く寝なさい」といわれるのだが、今夜はちがった。
ボクはもう十時半から、ふとんに入って眠るふりをした。おじいちゃんたちにも早く寝てもらわないと困る。
「時計の前では、きみは一人じゃないとだめだ」
里見くんがそう言ったからだ。
ボクは十二時前にそっと起きだし、そっとそっと居間に行った。
短針と長針がしだいに重なってくる。振り子は同じ速さで動いているのだろうが、自分の心臓がバクバクするので、なんだかどんどん遅く揺れていっている気がする。
そしてついに短針と長針は重なり、振り子が真ん中にきた。
「夢のなかへ!」
ボクは叫んだ。
振り子時計は真二つに割れて、ボクはその中に吸い込まれた。
そこは真っ暗だった。でも目がなれてくると、そこには黒い馬がいるのがわかった。
「黒い馬がいるから、それに乗るんだ。そうしたら、馬がきみの夢に連れていってくれる」
里見くんがそう言ったとき、ボクは馬に乗れるかどうかが不安だった。なにしろ、馬に乗ったことがないのだから。
でも「この馬に乗るんだ」と思った瞬間にボクは馬に乗っていたし、黒馬はもう駆け出していた。
黒馬は地上を走っているのだとばかり思っていたが、あの見慣れた部屋の窓が、下のほうに見えたので、馬が空を駈けていたことに気がついた。
夢のボクは、悲しそうな顔をして、窓を見上げていた。
「やれやれ」そう思ったとき、きゅうに馬はいななき、ボクは振り落とされた。
ボクはまっすぐに夢のボクに落ちて、ボクたちは合体した。
合体したボクは、すぐにクローゼットをあけた。
そして迷わず、一番奥のすみにある茶色の上着をみつけると、そのポケットのなかをまさぐった。固いものが触れた。
取り出してみると、まさしくそれはカギだった。
「やっぱり、ここだった」
ボクは自分の勘の鋭さに、また里見くんのように、ニヤリと笑った。
ボクは誇らしげに、そのカギを天井にかかげてから、ドアのかぎ穴に差し込んだ。
カチャリ。
ドアは開いた。
ぐぐっとドアを開けてみると、そこは!
そこは、なんとまた同じ部屋だった!
いつのまにか入ってきたドアはかべになっている。ボクはまたクローゼットの上着からカギを取り出した。
そしてドアにカギをさしこむ。
「今度こそ! 1,2の3」
祈るような気持ちで声をだして、ドアを開けた。
「わああ!」
やっぱり同じ部屋だった。
ボクは自分の叫び声で、目がさめた。もうすでに朝だった。
「結局ボクは、あの部屋から出ることができないのか・・・」
ひどい絶望でため息をついたその瞬間、ハッとした。
思い出したことがあったのだ。
おおいそぎで服を着ると「おじいちゃん、おばあちゃん、ボク、帰るね」と大声をだした。
「ユウちゃん、朝ごはん! 朝ごはんくらい食べて帰ってちょうだい」
おばあちゃんの声がボクの背中を追いかけてきたけど、ボクは「バイ、バイ」と手を振ると、もう自転車をこぎだしていた。
「ただいま」
ボクは、全速力で家に帰ってきた。
「まあ、ユウヤ。どうしたの? いきなり帰っちゃったって、おばあちゃんが心配して電話しくれたわよ」
「うん・・・」
ボクは母さんの言葉に軽くうなずくと、急いで自分の部屋に入り、すたすたクローゼットの前に立った。
いきおいよくとびらを開けると、一番奥にかかっている、もう小さくなってしまった茶色の上着を見つけた。
ボクはその上着のポケットに手を入れた。固い金属の感触が指に伝わる。
カギだ。
それは山下くんが転校していくときにくれたものだった。
ボクには、なにへんてつのないカギに見えたけど、たぶん山下くんにとっては、大切なものだったのだろう。大事そうに、そのカギをボクの手のひらにのせると、なごりおしそうに目を細めた。
「手紙を書くからね。返事ちょうだいね」
山下くんは、カギをくれながらそう言った。 ボクは「うん、書くよ」とうなづいた。
三年生の夏のことだ。
そして山下くんから手紙がきた。ボクは返事を書こう書こうと思っているまに、どんどん日が過ぎて、山下くんから二通めの手紙がきた。こんどこそ書こうと思ったのに結局書かなかった。そして三通めの手紙がきた。ぼくはやっぱり返事を書かなかった。もう二年も前のことになる。
ボクは机のなかをひっかきまわして、三通の手紙をさがし出してきた。
山下くんの手紙は簡単なもので、今度の学校の校舎は、とても大きくて、迷子になりそうだとか、サッカー部に入ったとか、そんなことだったが、三通とも「返事を待っています」と結ばれていた。
便せんがないので、ボクはノートをやぶいて、手紙を書き始めた。
五年生になって、クラス替えがあったこと。それで仲のよかった原田くんとは、クラスが分かれてしまったこと。担任の先生は、新任の先生で若い男の先生になったことなど、いろいろ書いた。
手紙を送ったつぎの日、ボクは学校から帰るなりメールボックスをのぞいた。
まだ自分の手紙が着いているかどうかもわからないのに、もう返事を待っている自分がおかしかった。
山下くんもこうしてボクの手紙を待っていたのかもしれない。
そのとき里見くんの言葉がふいに思い出された。
「かぎ穴は、カギが使われるのを、いつも待っているし、カギはカギ穴に差し込まれるのを待っている」
ボクが夢の話をしたとき、こういったのだ。
山下くんがカギをくれたのは、単なるお別れの品物ではなく、ボクを友だちと認めてくれたからかもしれない。カギは、なにかを開く大事なものだから。
一週間たって、やっと山下くんから手紙がきた。サッカーの試合があって、練習で忙しかったらしい。新しい学校にすっかりなれて、元気にしているようだ。
そして最後に、
「ぼくは、きみがぜったいに返事をくれると思っていました!」
とあった。最後の感嘆符がカギ穴を連想させて、ボクはおもわずギクリとした。そして、あの夢はきれいさっぱり見なくなった。
だけど、また別の夢が・・・