其の九 ――髪を飾る
長い髪の女性が二人、大きなガラス窓から中を覗いている。
二人とも年齢は二十才後半だろうか。一人は、晴天の青の髪が腰まであり、もう一人の髪は緩い巻き毛で紅色で背中の真ん中ほどまでの長さがあった。その二人は、食い入るように店の中を見つめている。
彼女達の見つめている店の奥では、首回りを隙間なく止めたケープを着けて、上下に高さが変わりリクライニングも水平に近い角度まで倒れる椅子に座った黒髪のやや長い髪をした男性が、其の後ろに起立する人に切れ味の良いはさみで髪を整えられている風景が広がっていた。もちろん中には女性も居る。
彼女達がのぞき込んでいるのは、ピュアリアの理髪店。ルーンフェリアにはない――正確には、髪を整える整髪店はある――店だ。
髪を切り終わって、出て行く客の見送りに出た黒髪に赤のメッシュを入れた店員が、店をのぞき込んでいるルーンフェリアの二人に気づく。そして、彼女達の髪の質に目が引きつけられて、しばし立ち尽くしていた。窓から店内を覗いていた二人の女性は、自分たちへの視線に気づき驚いて逃げてしまった。
「あれは、ルーンフェリアの人だよな。……すっげー綺麗な髪だったなぁ……。」
この理髪店の店員はつぶやいて、その後ろ姿を見送っていた。
数日後。また、同じ二人組が店の中をのぞき込んでいた。それに気がついた同じ店員が、二人に声をかける。が、また、彼女達は、脱兎のごとく逃げていった。
そんなことを、数回、繰り返したある日。理髪店の出入り口を控えめに開いて、ルーンフェリアの二人組が中をのぞき込んでいた。店員達は、その二人を見て、一人の店員に声をかける。外から店をのぞき込んでいたときから、彼女達に声をかけていた黒髪赤いメッシュの店員だ。
彼は、彼女たちの髪を間近で見たいと、他の店員達にため息交じりで愚痴り続けていたのだ。そんな彼を差し置いて、ルーンフェリアの女性二人の接客をしてしまえば、その後がどうなるか分からない。ある程度髪が伸びれば、お互いの散髪の練習台になるのだ。そのときにどんな髪型にされるか……。だから、彼女たちに気づいた店員は、彼に接客を譲ったのだ。
「いらっしゃい。どうぞ、中へ。」
店の入り口を開けて中をのぞき込んでいた二人の女性は、声をかけてきた店員がいつも自分たちに気づき声をかけてきていた黒髪のピュアリアの人たと気づき、お互いに顔を見合わせると決心し、彼に促されるように店の奥へと入っていった。
奥の方には、接客のための応接室、もしくは、お客の髪の相談に乗る為の接客テーブルがあり、カーテンで仕切られている。黒髪赤メッシュの店員は、上座に彼女たち二人を座らせると、お茶の用意に一度席を立つ。その間、二人の女性は、興味深げにテーブルに置かれたファッション雑誌を見ていた。
「お待たせしました。いつもお店の中を覗かれていましたが、何か気になる物がありましたか?」
彼女ら二人、自分の順にお茶を置くと、赤メッシュの彼がまず口を開きました。
「ええ、髪を結う技術を見せていただいていました。後は、綺麗に髪を飾る技。」
蒼い髪の女性の、不思議な表現に、店員は一瞬何を言っているのかと混乱をしましたが、自分たちの髪を盛る技のことを言っていると、気がつきます。
翻訳の妙かなぁ、などと思いながら彼女たちに先を促します。
「まず、私達は、ルーンフェリアで髪を整えることを生業にする、整髪師です。言葉の通り髪を美しく見せることが仕事です。」
蒼い髪の女性から自己紹介が入りました。
「こちらで言うところのー、トリートメントしたり、髪を結い上げて飾るのがお仕事なのよねー。髪を切るって言うのは、まずないからなんだけどねー。」
紅の髪をした女性が、少し間延びした話し方で説明を入れます。
「では、全くはさみは使わないと?」
「いいえ、毛先を整える程度であれば、私達でも髪にハサミを入れることはあります。でも、伺った目的は、それではないのです。」
「あ、そろえる程度には切るんですね。意外。」
「ええ、そうですよー。お仕事の内容によっては、毛先が摩れて痛みますから、それを綺麗にするんですー。毛先をそろえる程度なら、切ってもすぐ本来の長さに戻るので大丈夫なんですー。」
「お話、戻して良いかしら?」
失礼、と、赤メッシュの店員が蒼髪の女性に向き直ります。
「ええっと、そうすると、ご相談事は髪型のデザインですか?」
「ええ、そうなんですー。地の方は、簡単にいろんな髪型ができるんですけど、風の方や火の方は、とても難しいんですよー。」
「特に風の方は、整髪者泣かせですよ。軽くて柔らかすぎるので、形にするだけでも一苦労の上に、風で文字通りあっと言う間に崩れてしまいます。」
「火の方はね、興奮するとほどけてしまうのよー。」
若い理髪店店員は、風の魔法を使うルーンフェリアの人の姿を思い出す。確かに髪を結うばかりで、いわゆる『盛る』様な髪型は見ることはなかった。逆に、地の魔法を使う人達は盛る髪型をよく見かけていた。目の前の女性達も、髪の色と軽さを見れば風の魔法と火の魔法を使う人なのだろうと、店員はその髪を見つめていた。
そして、当然、理髪店員として当然の疑問がわく。
「髪を固める整髪剤はないのですか?」
「ありますが、風の方には効果が短いのです。」
「半日もてばすごくいい感じでねー。二・三時間で効果が無くなっちゃうのよー。」
「品質によっては、つけても効果が出ない、とか。ざらですの。」
「火の方には、やや効き目があるけれど蒸発しちゃうのよねー。」
ルーンフェリアの二人はため息をつきます。紅の髪と蒼の髪。二人とも、今説明に上がった『髪が盛りづらい人』で、自身の髪でもいろいろ試したのだろう。
それよりも、理髪店員には聞き捨てならない言葉が聞こえた気がした。
「整髪剤が『蒸発』する、ですか?」
「そうよー。あ、持ってきたから見ます?」
「みせてください!」
即答する、黒髪赤メッシュの男性に対して紅髪の女性は淡々とバックから口の広い握り拳大の瓶を取り出し、彼の前に置く。
彼は、それを手に取ると、成分表をまず見た。彼の持つブレスレットが反応し、文字が翻訳される。内容は、一部ピュアリアで見ない成分があるものの大まかには、変わらなかった。他には、効能。それは、理髪店の彼等にもなじみもある内容が並んでいた。
次に蓋を開け、指でそれをすくい取る。ピュアリアでは、ジェル状であったりスプレーで吹き付けるそれは、まるで少しとろみのある水のようだった。指から手の平に垂らして広げる。今まで彼が使ってきた整髪剤と全く違う感触に少し戸惑っていた。
彼女たちは、それを魔法で霧状にしたり粘りけをつけたりとして使うのだと言う。
「これでも、風の人や火の人の髪を固めやすい整髪剤なんです。でも、水の力が強くて、風の持つ流動に反応して、ほどけてしまうのですよ。」
「……え、整髪剤にも魔法が入っているんですか?」
「ええ、『薬品』と認識される物はほぼ、魔法の力が込められています」
紅髪の女性は、テーブルのカップを手に取りお茶を飲んでからそれを継ぐ。
「火の人の場合は、その水の力を消しちゃうのよー。それで、整髪剤の効果が消えちゃうのー。でね、こっちの傷薬は、あたし達に良く効くていう話を聞いてねー。薬品つながりってことで、整髪剤もそうなんじゃないかなーって思ったのねー。」
ちょっと乱暴だと思ったんだけどねと、言いながら彼女が鞄から薬局で買ったであろう整髪剤をテーブルに置いた。こちらは、握り拳大の口の広いプラスチックケースに入っていた。
「それで、一つ購入してみたのだけれど、私達のとは全然違うから、うまく使えなくてねー。こちらの理髪店を覗いて回っていたのー。」
「こちらのお店で、これによく似た整髪剤を多く使用されているようでしたので、ご相談に伺ったんです。」
彼女たちが薬局店で買ったのは、いわゆる『ワックス』しかも、かなりしっかりと形をキープするタイプだった。蓋を開ければ、中にあるのは少し固めのクリーム状の薬剤。
「なるほど。」
使い慣れていなければ、どんな物でも失敗はつきものだ。その上、効果が強く出るのなら……。
そう、お互いの世界の薬剤が、強く効果が出るというのならば……。
黒髪赤メッシュの店員は、テーブルに置かれたルーンフェリアの整髪剤を手に取り、目の前の二人にお願いをする。
「使い方を教える代わりに、この整髪剤、分けていただけませんか?」
彼女達の説明から、向こうでも髪は傷むと言っていたのだ。そして、彼女達の生業が『整髪店』。ならば、この整髪剤には、傷んだ髪を調える効能のあった。それなら、こちらで傷んだ髪の人に使えば、形をキープしながら髪も修復できるのではと、理髪店の店員は思い至ったのだ。
それを聞いて、ルーンフェリアの二人は顔を見合わせると、少ないですが、と、テーブルに置いた整髪剤を彼の前へと移動させ、霧状にして使うのが一番効果的だと、説明を付け加えた。
ありがとうございます、と理髪店の店員は礼を言い、ピュアリアからの客人をバーバーチェアへと案内し、整髪剤の使い方と髪型のデザインの付け方を教えるのだった。
それから半年後、整髪剤の流通の許可が下り、ルーンフェリアでは、様々に持った髪型を楽しむ人々が増えたという。
ルーンフェリアで、短髪は犯罪者の印でもあります。
特殊な鋏で髪を切られると二度と伸びることがありません。
しかし、普通に生活していても、特に警邏達や消防士達は特に、魔法を使えば毛先が傷みます。それを修復する為に、『整髪』と言う職ができました。
彼等の使う鋏は、普通の物のため、カットしても髪は元の長さへと戻ります。