第七話 アトラの歴史・ドリアニア(2/5)
食事を終えて部屋に戻ったポークは机に向かって歴史に関する本を開いた。
せっかくの授業時間を無駄にしないためにアニーに何を質問するか事前に考えておくのだ。
ロビンとも話し合い、自分が何を知らないのかを頭の中でまとめた。
始業に間に合うように余裕をもって寮を出た。
教室に着いてもぎりぎりまで本を読み込みロビンと古代の歴史について話す。
鐘が鳴りアニーが来る頃には、教室全体を巻き込んだ討論会になっていた。
「では授業を始めます。どこから話しましょうか」
長机の上にはそれぞれ用意した白紙と羽根ペンが置いてある。
座学の授業は基本的に担当した先生の話を聞くだけなので覚えておきたい事柄は記録する必要がある。
しかしすべてを書き留めていては紙がいくらあっても足りないので、読み返して授業を思い出せる程度に要約しなければならない。
ロビンの話のまとめ方が抜群にうまいため、ポークは筆記を任せてしまっている。
そのぶん、ポークは積極的に質問している。
座学の授業にもチームワークが必要なのだ。
「オレは古代種族についての話が聞きたい。人魚とかドラゴンとかさ」
ポークは持っていきたい方向へ話を誘導した。
エスペルランスが活動した時代にはすでにドラゴンはおらず、彼の書いた本を中心に歴史を学んできたポークにはその辺りの知識が不足していた。
「わかりました。冒険者はみんなドラゴンが好きですね」
「アニー先生も?」
「現役時代は憧れていましたね。始まりの冒険者サムソンが竜王シンドバーンを従え大空を飛び回ってから二百年が経ちました。未だ彼以外にドラゴンの背に乗った者はいません。おかげで、ドラゴンは冒険の象徴として扱われています。ですが現在、ドラゴンは最高難度の古代遺跡『断離の長城』の向こう側にしか生息していないとされています」
「ドラゴンって寿命が長いんだろ。人間と関わった個体も多いはずなのに、なんでサムソンが死んでから急に姿を隠したんだろ」
「そうですね。では順を追って話しましょう」
アニーはこほんと咳払いをした。
ロビンがかりかりとペンを走らせている。
「はるか昔、およそ二万年前に一つの文明が生まれました。古代アトラ文明です。古代人……私たちのご先祖さまが発展させた技術は今とは比較にならないほど進んでいて、船は空を飛び、人の声は大陸の端から端まで届いたといいます。現在でもその技術は遺跡となっている建物やそこに埋もれた魔道具として断片的に残っています。代表的なのがアトラチウムですね。古代の超技術で精製された金属です。ごく稀に古代遺跡で発掘されます」
「たしか、魔素を内部に保存して増幅するっていう特殊な金属だよね」
「そうです。歴史的に有名な将軍や冒険者の多くがアトラチウム製の武器を使っています。逆に考えれば、アトラチウムの武器を持っていたからこそ彼らは歴史的な活躍を遂げることができたのです。同じ魔術を放つにしても桁違いの威力になりますからね。そういった武器や魔道具を作る技術を含め、古代人の戦闘能力は極めて高かったと推測されています。古代の戦争では想像もできないほど多くの人間の血が流れたはずです。そのせいかはわかりませんが、大陸を二つに分ける大きな戦争が起きた際、古代人たちが選んだのは武力衝突ではなく、分断でした」
「分断……」
「こうして西と東、大陸を二つに割ったのが今では最高攻略難度とされている遺跡、断離の長城です。我々が住んでいるのはアトラ大陸の西部、いわゆる西アトラです。断離の長城の向こう側には我々とは異なる発展を遂げた人間たちが住んでいるとされています」
「されているって言い方はおかしくないか。二百年前、実際にサムソンが向こうに行って見てきたんだろ」
「ええ。ですがサムソンは向こう側についてほとんど語りませんでした。東アトラの住人たちは西アトラからの侵入者をひどく警戒していたようなのです。元々、争いが原因で分断されたのですから当然といえば当然かもしれません。サムソンは向こうの住人たちの意を汲んで、東アトラの文化、生態、そして断離の長城の攻略方法についても情報を残していません。自分が情報を残さなくとも、資格ある者ならば向こう側にたどり着くことができるだろうと語っていたそうです。しかし先述の通り、断離の長城を攻略した者はいません。現在ではその危険度の高さから冒険者協会の許可を得た者しか入れなくなっています」
断離の長城はあのエスペルランスが人生の最後に挑み、戻ってこられなかった遺跡だ。
難攻不落と思われがちだが、少なくともフォクスはそこに挑んで生きている。
ポークが虹のかけらの色を変えると、呼びかけに応じるようにフォクス側からも色を変えてくれるのだ。
サムソンという先駆者もいるわけで、真の冒険者ならば攻略できる遺跡だ。
ポークはいずれ断離の長城を越え、東アトラを探検したいと思っている。
本にも載っていない異国の地を自分の足で進んでいくのだ。
想像するだけでわくわくする。
「はいはーい。あたしも質問。どの本を読んでもわかんなかったんだけど、なんでその古代アトラ文明は滅びたの?」
だいぶ機嫌が治ったらしく、ココロは元気よく挙手して聞いた。
アニーは「難しい質問ですね」と言って悩んでいる様子を見せた。
「それはいわゆる大災害という歴史の節目です。ファントムの大発生、古代兵器を使った戦争、治癒できない疫病の流行など、世界中の学者が様々な説を提唱していますが、どれも証明されていません。ですので確かな話はできませんが、私は巨大な津波の発生により文明が滅んだのだと考えています」
「津波。大きな波のことね」
「ええ。これはドリアンの学者が唱える説ではありません。隣国マダガストを中心に信仰されている宗教、アトラ神話教の教えです。元々、アトラ神話教はリリアという唯一神を信仰し、教訓を広めるだけのありふれた宗教にすぎませんでしたが、サムソンがリリアの実在を周知してからは世界中の学者から注目されるようになりました。彼らの語る神話は創作でなく、古代人の見てきた歴史が神話という形で現代まで口伝されてきたのではないか、そんなふうに考えられるようになったのです」
「その神話では津波のせいで文明が滅んだのね。でもどうして津波なんて起きたんだろう」
「それがわからないせいで、ドリアンの学者は大災害が津波であるという説に懐疑的なのです。ただ彼らのいうように戦争や疫病が原因だとすると、現存する古代遺跡があまりにも少なすぎます。これは私の考えですが、おそらく大陸全土を呑み込む巨大な津波によって人も物も建物も地表ごと海に流されてしまったのではないでしょうか。今も残っている古代遺跡はすべて頑固石という特殊な石でできています。アトラチウム以外では傷もつけられないほどに強固で重たい物質です。私はその頑固石の建物のみが津波のエネルギーに打ち勝ったのではないかと考えています。我々の先祖は頑固石の建物……今でいう古代遺跡の中にいて難を逃れたのでしょう。こうして文明は滅びましたが、人類は命を繋いでいったのです」
アニーがやっと一息つくと、筆記音が一気に増えた。
みんなアニーの話を集中して聞いていたのだ。
他の先生ならば自国の通説を引用するだけで終えるような話だが、アニーは自分自身や他国の考えまで教えてくれる。
こんなに知識欲を刺激される授業は他にない。
「じゃあ今のオレたちの文明は、まったく新しいものなんだな」
ポークが聞くと筆記音は急減する。
アニーは疲れた様子もなく続きを話してくれた。
「大災害があったとされるおよそ一万年前を境に、動物とそう変わらないレベルにまで文明が衰退したことが確認されています。かろうじて受け継がれたのが文字と言葉の文化です。おかげで私たちはどこの国に行っても、たとえ東アトラに行っても同じ文字や言葉で意思疎通ができるのです」
「それがわかるってことはどっかに古代の文字が残ってたんだな」
「ええ。紙や金属は一万年の自然劣化に耐えられなかったようですが、古代遺跡には石版という形で多くの文字が残っています。攻略の手助けとなる情報もあるため遺跡に潜った際には見逃せません。古代遺跡についてはみなさん、どれくらいの知識がありますか?」
アニーは教室全体に問いかけた。
冒険者志望のポークは他の生徒よりも遺跡に詳しいと思っているが、ここは知らない生徒に合わせるべきだろう。
黙っていると、軍人志望の女の子が「あんまり興味がなくて、何もわかりません」と答えた。
「大災害を耐え抜いた遺跡の多くはかつて魔術の実験施設だったと考えられています。遺跡の構成物質である頑固石には魔術を反射拡散する性質があり、頑固石でできた建物は魔術を内部に閉じ込めることができるのです。これがいわゆる『遺跡特性』で、ほとんどの古代遺跡内部には何かしらの魔術的効果があります。そのせいでせっかく遺跡を見つけても古代の遺物を持ち出すのが難しくなっています。頑固石が頑丈なおかげで我々の先祖は助かったわけですが、頑固石の建物しか残らなかったせいで危険な遺跡を攻略することでしか古代文明の恩恵が手に入らないのです」
遺跡に特性があるというのは有名な話である。
冒険者志望のポークとしてはもっと詳しい説明が欲しかった。
「できればもっと具体的に古代遺跡ってどういうものなのか教えて欲しい。オレ、いつか遺跡を見つけて探検したいからさ」
少し突っ込んだことを聞くと、アニーは「そうですね」と言ってまたしばらく考え込んだ。
ロビンの筆記速度が物凄い。紙から発火しそうな勢いだ。
喋ったそばからペンを動かすので、誤った情報を口にできない。
ロビンがいるだけでなかなかの重圧になっているだろうが、アニーは優秀な教師だ。
しっかりと内容をまとめて話し始めた。




