第四話 絶命魔術を覚えた日(3/4)
授業は予定通り午前中で終わった。
倒れそうなほどくたくただったが、街に出ると疲れが飛んだ。
元気一杯、跳ねるようにして歩くポークにつられてしまったようだ。
ココロとブブカも冬眠明けの亀みたいに疲れ切っていたが、ちょっと歩くと談笑するくらいにまで回復した。
まずは古書店に行き、本を物色した。
本は高価なので生活費とは別に家からお金をもらっている。
年間三十冊ほど買える金額だ。
寮で生活するうちに本は普通借りるもので買うものではないと知り、自分がいかに恵まれているのかを実感した。
そのためロビンは読み終えた本を寮に寄贈している。
同級生だけでなく上級生までもがロビンの買ってくる本を楽しみにしているのだ。
ロビンは本棚を眺めながらどんな本を買うべきかポークに相談した。
ポークはその荒っぽい戦闘スタイルのせいで本の知識がないと思われがちだが、実は寮でもトップクラスの読書家だ。
歴史書から魔術の教本まで万遍なく目を通している。
彼の意見はとても参考になる。
「これいいんじゃねぇかな、『失われた古代魔術』。ザックが書いてるなら勉強になりそう」
「ポークは古代文明の本が好きだね」
「探検家になるのが目標だからな。ほら、読んでみろよ。女神が使っていたとされる通信魔道具について記述がある。似た系統の魔道具を改造する形でなら再現できるかもしれない、だって。すげーな、ザック」
ポークは興奮気味に話した。
ここまで読みたそうにされるともう棚に戻せない。
そうでなくともザックの本は見つけ次第買おうと思っていた。
ザック・ノートレッド。
現役最高齢の冒険者であり、いくつもの事業を手がける実業家だ。
魔道具作家として若い頃から活躍しており、その知識と才能は師であるレイモンド・エスペルランスを上回るともいわれている。
七十歳近くになるがその創作意欲は衰えず、今でも多くの魔道具を作り上げている。
ロビンが尊敬する冒険者の一人だ。
いつか会いたいと思っている。
「じゃあ、これとこれと……ブブカは何か読みたいものあるかい」
「いいえ、わたしは特に……」
ブブカが慌てて読んでいた本を棚に戻した。どうやら遠慮しているようだ。
棚に目をやると『野草で生きる』というタイトルの本だった。
ロビンはそれを手にとって、ぱらぱらと流し読みする。
「悪くない。サバイバルの本だね」
「いいえ、お食事を楽しむための本です」
野草で生きてきたのだろうか。
ブブカならあり得ない話ではない。
どちらにせよ薬学的な知識が欲しかったのでちょうど良い。
「じゃあこれで決まりだ」
「あの……その本はいりません」
「そうかい。他に読みたいものでも?」
「いいえ、そういうわけでは……」
ブブカはいつもこうやって遠慮する。
プライドが高いわけではない。
何も返せないことを負い目に感じてしまうのだろう。
「ぼくはこの本を読んでみたい。野草って健康に良さそうだし。料理がまた不味くなったらごめんね」
ほとんど強引に購入を決めた。
ロビンはブブカを信頼できる友人であり良きライバルだと思っている。
経済的な理由で知識に差をつけたくない。
ブブカは申し訳なさそうにしながらも「今度読ませてくださいね」と言った。
好意を押しつけてしまったロビンを気遣ってくれたのだ。
次に向かったのは八百屋である。
かごに乗った野菜たちが店の敷地におさまらず、通りにまではみ出している。
寮に食材を卸している関係で、魔学舎の生徒ならば二割引で売ってくれる優良店だ。
しかしココロはその程度では納得しない。
「このジャガイモ、芽が生えてるじゃない。ゴミよゴミ。タダでよこしなさい」
「芽なんてとりゃいいだろ」
「美味しくないでしょ。だいたいどの野菜も貧相すぎ。野菜のくせに餓死してるじゃん。こんなのもうジャガイモの死体でしょ」
「あんま店先でそういうこと言うなよ」
熱い価格交渉だ。
ココロは店のネガティブなイメージを通りに向かって叫びまくった。
最終的には店主が折れて芽の生えたジャガイモを八割引で売ってもらった。
ココロはつくりたてのじゃがバターみたいなほくほく顔で店を後にした。
ポークの腹が鳴ったため、冒険者協会の食堂で食事にしようという話になった。
寮生活では一日二食が基本だが、外出する機会があればランチも食べる。
特に今日は授業で魔素を使いすぎたため、食事で補充する必要がありそうだ。
四人で街の大通りを歩いた。
雪は訓練が終わる前に止んでいたが寒さはまったく変わらなかった。
こんな日は手足が冷えて痛くなる。
一人で歩いていたならば暖炉のある店に逃げ込んでいただろう。
だが今日は隣に友人がいる。
「寒いね」と言葉にして共有するだけで楽になる。
「ドリアニアは暖かいって聞いてたけど、この調子だと水が凍りそうだな」
「そうだね。暖かいといっても君のいたモモモ森林とそう気候は変わらないはずだ。北方の冬は悲惨らしいよ。雪で家が埋まるんだって」
ポークと並んで話していると、後ろから聞こえていた足音が止まった。
振り返るとココロが店に売られている植物の鉢を見ていた。
ロビンはポークの肩を叩き、ココロのところへ引き返した。
ココロの隣に立ち、聞いてみる。
「植物に興味があるのかい?」
「野菜の魔術って植物ならだいたい効くの。蔓の鞭みたいに実用性のあるものが作れるかも」
店頭に並んだ鉢を見てみると、それがすべて花の苗であることに気づいた。
時期が時期なので花開いているものはほとんどないが、どうやらここは花屋のようだ。
「あの……」
「わっ!」
いつの間にか真後ろにいたブブカに声をかけられて驚いた。
ロビンは気配に敏感だ。
背後に誰かが歩いていたら警戒する癖がついている。
その警戒を平気でくぐり抜けてくるのだからブブカには何か特殊な能力があるとしか思えない。
「ごめんなさい、驚かせましたか」
「いや、こちらこそごめん。どうしたの?」
「なんだかおいしそうだなと思って。買っていってもいいですか」
「ここ、花屋だよ?」
失言だった。
ロビンの常識はまだまだ第一ドリアニアの生活が基準になっている。
ブブカのいた村では花は食べるものなのかもしれない。
なにしろ『野草で生きる』気なのだ。
しかしブブカは気を悪くした様子もなく、手持ちの巾着袋を覗き込んだ。
「あの、この鉢、いくらですか」
ブブカが選んだのは店の隅にぽつんと置いてあるアロエの鉢植えだった。
トゲドゲした特徴的な厚い葉がイソギンチャクのように広がっている。
残念ながら花は咲いていない。
花屋にも食べられる植物は売っていたのだ。
アロエの果肉は栄養価が高く治療薬の原料にもなる。
店主が値段を言うと、ココロが反応した。
「あら安いじゃないの。ねぇブブカ、半分お金出すから二人で買わない?」
「助かります。ですがちょっと萎びてますね。野菜の魔術に使うなら、もっと瑞々しくないと効きが悪いんじゃないですか」
「あー、ほんとだ。だったらさ、このアロエ食べ頃になるまで育てましょ」
「部屋が狭くなりますよ」
「寮の裏庭に植えちゃえ。ほら、アニー先生、ガーデニングが趣味じゃない。ちょっとくらい増えてても育ててくれるでしょ」
「人任せすぎませんかね……」
ブブカのイエスを待たずしてココロが値段交渉を始めた。
お得意のいちゃもんをつけて値下げを迫る。
それでも応じない店主に対し、ブブカの巾着袋をひっくり返してどれだけ金銭的に苦労しているかを熱弁した。
恥ずかしそうに俯くブブカがよほど不憫に思えたのか、最終的にはタダのような金額で話がついた。
ココロは戦利品の鉢を掲げて「あたしが第四の値切り王よ!」と宣言した。
交渉そのものを楽しんでいる節がある。
商才がありそうだ。
「ありがとうございます。ココロといると勉強になりますね」
「でしょでしょ!」
ロビンとポークの後ろで女子二人が楽しそうに喋っている。
購入したアロエの鉢は重いためポークが持った。
特に不満そうな様子はない。
慣れているのだろう。
「実はですね、わたし、アロエの花が好きなんです。故郷には花を愛でる習慣がありません。なので花の美しさについて本で触れられていてもピンときませんでした。そんな中、唯一心を動かされたのがアロエです。村で食糧として栽培していたアロエは冬になると花をつけるんです。わたしは今も花の美しさはわかりませんが、アロエの花が冬の訪れを告げてくる様子は美しいと感じます」
ブブカがしみじみと語った。
思い入れのある植物を買えたようでなんだかロビンまで嬉しくなった。
「へぇー、あたしアロエの花は見たことないなぁ。ライチェ村には生えてなかったから」
「きっとこれから咲きますよ。みんな好きになってくれたら嬉しいです」
「よーし、ブブカの好きな花はアロエね。ほら、二人ともここ重要だからね」
ロビンとポークは背中にココロの張り手をくらった。
ロビンはちょっと歩幅が乱れた程度だが、ポークは鉢を持っているのでバランスを崩して転びそうになっていた。
「勘弁してくれよ姉ちゃん。せっかく買ったのに鉢ごと壊すつもりかよ」
「そんなことよりあんた、女の子の好きな花の種類はちゃんと覚えときなさいよ」
「こんなの持たされたら忘れねーよ」
「何か特別なときに、女の子の好きな花束をプレゼントできたらかっこいいよ。アロエじゃ花束にならないけどね。ブブカなら鉢植えでも喜ぶでしょ」
ココロがきゃっきゃと笑った。
ブブカは恥ずかしかったのか少し俯いて歩いている。
「ここでブブカに問題。あたしにも大好きな花があります。さて、なんの花でしょう」
「うーん、わたしはほとんど本でしか知らないのですが、やっぱり美しいと評判の薔薇ですかね」
「違いまーす」
「英雄の花アズフォーデでしょうか。冒険者が好むといいますし」
「そんな花見たことないでーす。やれやれ、ポーク、教えてあげて!」
急に話を振られて、ポークはびくりと背筋を伸ばした。
カカシのように立ち止まったまま振り返ることを躊躇している。
そろそろ付き合いも長い。
ロビンはなんとなく先の展開が読めた。
「預かるよ」
そう言ってポークの抱えていた鉢を受け取った。
ポークは腕を盾にして顔面と喉を守り、一撃必殺を防ぐ姿勢で振り返った。
しかしココロの胴回し回転蹴りがみぞおちにヒットする。
訓練では禁止されている威力の蹴りだ。
ポークは身体を折りたたんでその場にうずくまった。
「最っ低! あんたあたしのこと何も知らないのね!」
「オレ、教えてもらってねぇよ」
「桜よ! 桜の花があたしは好きなの!」
「木じゃねぇか」
ロビンはポークの肩をぽんと叩いた。
ポークは悪くない。
正解できるはずのない問題だ。
だがそれを口にしてしまえばココロがもっと荒れるだろう。
冒険者協会に着くまでの間、ポークは何度も「百歩譲っても桜は木だろ……」と不満を口にしていた。
ロビンは聞いていないふりをして二人の仲をとりもった。




