第四話 絶命魔術を覚えた日(2/4)
「絶命魔術とは特殊な強化魔術です。使うことで爆発的に魔素を得られます。たとえば、絶命魔術で体内の魔素を増やした上で熱気の魔術を発動すれば、この校舎は一瞬で炭の塊になるでしょう。絶命魔術はただの魔術を『究極魔術』の領域にまで引き上げてくれるのです」
究極魔術。
人が一生をかけて修練し、ようやく辿り着くといわれる魔術の完成形をそう呼ぶ。
そんな超高度の魔術が使えるほど強くなるのだ。
当然、リスクがある。
「ただしこの魔術、一度発動すれば死にます」
アニーはきっぱりと言い切った。
デブトンが「嘘だろオイ」と呟いた。
嘘ではない。
ドリアン王国が生まれる以前の戦乱期、多くの者がこの魔術を使い、命を捨てて敵国を攻撃していた。
現在ではその危険性から軍人など国防に携わる人間にのみ使い方が伝授されている。
ドリアン第四魔学舎は国営の教育機関でありドリアン魔術兵団の関連組織だ。
どうやらここの生徒には教わる資格があるらしい。
「詳しい原理を説明する前に、まずは簡単にどういった魔術なのか体感してもらおうと思います。準備はいいですか」
アニーが問うと、ポークが申し訳なさそうに小さく挙手した。
「はい、ポーク」
「オレ、魔術が使えないんだけど」
「残念ですがあなたには使えません。絶命魔術は強化魔術の亜種です。発動には強化魔術を習得している必要があります」
ポークは手を下ろした。
魔術の授業でもポークは手を抜かない。
理論だけでも覚えようと真面目に話を聞いている。
だがやはり残念なようで、若干、肩をすくめていた。
「他には?」
今度はココロが手を挙げた。
「学長はなんでいるの?」
バッチは腰に帯剣し、腕を組んで生徒たちを見守っている。
アニーに代わってバッチが答えた。
「事故防止だ」
「事故?」
「こいつは危険な魔術だ。暴発したら一人残らず死ぬかもしれん。危ないと思ったら一時的に心臓を止めるから覚悟しろ」
「それって結局死んじゃうんじゃ……」
「そうかもしれん。だが暴発を止めるには心臓を止めるか、首を刎ねるかしかない。うまく心臓が止まらなかったら、わかるな」
バッチは剣の柄に手を乗せた。
ドリアン魔術兵団支給の長剣である。
ココロは何か言いたそうだったが普段と違うバッチの態度に気圧されて唇をきゅっと結んだ。
質問が止むと、アニーは自分の胸の真ん中に右手を置いた。
「絶命魔術の使い方は簡単です。心臓に強化魔術をかけ続ける。それだけです」
ロビンはアニーの真似をして胸に手を置いてみた。
意識的に心臓を強化したことはないがそんなに簡単なら事故が起きてしまいそうだ。
「では、軽く心臓を強化してみてください」
「えっ、学長に殺されちゃう」
「軽くなら大丈夫です。苦しくなったらやめてください」
ココロはすっかり怯えている。
誰だって命は大事だ。
バッチの帯剣した姿は普段とのギャップがあって威圧的に見えてしまう。
ロビンは心臓を強化してみた。
心音が強くなり、頭がくらくらする。
とても長時間続けられる気がしない。
「今の感覚を忘れないでください。熱く苦しく、それでも強化を続けると心臓が暴走します。血が煮立ち、穴という穴から吹き出ます。ですがその恩恵で本来ありえない量の魔素が血液中に放出されます。いずれ心臓が破裂して死に至りますが、それまでの間、実力以上の魔術が使えるようになるのです」
アニーは胸から手を下ろした。
ポーク以外の全員が練習を終えると、今度はブブカが挙手した。
「アニー先生。この魔術、苦しくて使えそうにないのですが」
「そうですね。説明するのは簡単ですが実際に発動するのは困難です。人間の身体には死を回避するためのストッパーがついています。気絶するまで息を止めようとしてもつい呼吸してしまうのと一緒です。発動には強い意思が必要となります。苦しさに耐え、死の恐怖に耐え、ようやく心臓が壊れます。原始的な生存本能を制御しなければなりません」
アニーの説明で理解した。
本質的には魔術でなく自死なのだ。
簡単に使えるはずもない。
「では次に使用が許可される条件についてです。一生使わなくていい、使ってほしくない魔術ですが、状況によっては使用が推奨されています。ロビン、わかりますか」
アニーと目が合った。
以前、本で読んだ記憶がある。
ロビンは淀みなく答えた。
「挑戦家エスペルランスの提唱する判断基準によると、二つの条件をクリアしている必要があります。一、確実な死が間近に迫っている。二、絶命魔術を使うことで大切なものを守れる。以上を満たしていなければ決して使ってはならないとされています。ただし、それは冒険者を含む一般人の話です。軍などの国家機関にはそれぞれ定められたルールがあります。ドリアン魔術兵団ではファントムと遭遇した際に使用が推奨されています」
一部の生徒がざわついた。
魔術兵団への入団を志望する者たちだ。
「ロビンの説明通りです。他にどうしようもないという状況でなければ使ってはいけません。それとドリアン魔術兵団についてですが」
「なんでファントム?」
割り込むようにココロが聞いた。
聞いてから慌てて挙手した。
アニーは眉をひそめたが、叱ることなく質問に答えた。
「皆さんご存知でしょうが、ファントムとは蘇った死体です。動物だったり魔物だったり、人間もファントム化した事例があります。原因は解明されていません。恐ろしいことにファントム化した者は生前をはるかに凌駕する身体能力を得て見境なく他の生き物を襲います。緑色に変わった皮膚は弾力があって普通の斬撃は通りません。よほど強力な武器を使うか、桁外れの魔術でしか退治できないのです。ドリアン王国は他国に比べるとファントムの発生件数は多くありませんが、それでもここ十年ほどで激増しています。ファントムはその圧倒的な強さから軍でも一握りの猛者にしか倒せません。しかし放置すればいくつもの街を壊滅に追いやります。よってその討伐に絶命魔術の使用が推奨されているのです」
アニーは目を伏せた。
生徒の大半は卒業したら魔術兵団に入る。
二年も同じ屋根の下で暮らす子どもが命を落とすなんて考えたくもないはずだ。
「この国では絶命魔術でファントムを倒した者を英霊として祀ります。ですが私には死後の名誉を言い訳にして人命を軽視しているようにしか思えません。もしファントムに遭遇したとして、本当に絶命魔術でしか対処できないのか、本当に命を捨ててまで倒す意味があるのか、よく考えて判断を下してください」
生徒の間にざわめきが広がった。
アニーは絶命魔術を嫌っているようだった。
亡くなった卒業生でもいるのかもしれない。
周りが静かになるのを待って、ロビンは質問した。
「少し本筋を逸れますが、気になることがあります。ぼくは昔からファントムについて、恐ろしいとだけ教わってきました。ですが正直、ファントムの何が怖いのか想像できません。もしファントムがこの場にいたら具体的にどのような被害が出るのでしょうか」
「俺が答えよう」
バッチがアニーの前に出た。
デブトンが逃げるように後ずさる。
「ファントムの強さは素体によって変わる。なので一概には言えないが、そうだな。なんの訓練も受けていない一般人がファントム化してこの場を襲撃してきたとしよう。ここにいる半数は何が起きたかわからないまま首を引っこ抜かれて死ぬ。残りの半数は他の奴らが殺されている間に逃げるだろうな」
「それはこの場に学長やアニー先生がいる前提でしょうか」
「当然だ。俺やアニー程度では時間稼ぎもできん。生物がファントム化すると知能が大幅に低下する代わりに圧倒的な戦闘力を得る。安い剣じゃそもそも刃が通らんし、魔術で撃退しようにも奴らは再生能力が高い。並の魔術師では対抗できん」
バッチは言い切った。
しかしロビンは納得できない。ロビンの見立てでは学長バッチ・コイヤーと寮長アニー・デリシアスは街の衛兵などとは比べ物にならない強者である。
いくらなんでも大げさすぎる。
「とても信じられません。もしそんな敵がいるのならとっくに国は壊滅的なダメージを負っているはずです」
「だからこその絶命魔術だ。この国の安全は数多の犠牲の上に成り立っている。アニーは否定的だが絶命魔術はファントムへの数少ない対抗手段だ。俺も軍にいた頃、ファントムの討伐に出たことがある。同時に出撃した年下の隊員が周囲の山ごとファントムを焼き尽くしたよ。そいつが絶命魔術を使うまでに仲間が六人死んだ」
バッチの話は実体験に基づいているらしい。
この国では年に一、二件程度ファントムの発生が報告される。
その度に絶命魔術で命を散らしている軍人がいるのだろうか。
「血を流さずに討伐できないのですか」
「ファントムは動く死者だ。皮膚が硬化していてなかなか剣が通らない。桁外れの強化魔術を武器に纏わせるか、元々破壊力のある武器で戦う必要がある。クラックジョー・シュテインダウジーの持つ『絶縁の大鉈』や、リーリー先王陛下の持つ聖杖『永久回生』ならばファントムにも対抗できるだろう。もっとも、絶縁の大鉈はクラックジョー以外には扱えないだろうがな」
バッチが苦笑いした。
彼が腰に装着しているのは軍支給の一般的な剣だ。
鞘まで丁寧に手入れされているが武器として特段優れているわけではない。
「王家の聖杖、永久回生……たしか素材はアトラチウムですね」
「そうだ。古代遺跡から稀に発掘される金属アトラチウムには魔素を保存し、増幅する特性がある。アトラチウムを介して魔術を放てば威力は何倍にもなるし、強化すればどんなものでも破壊できる。最高級の武具の素材だ。しかし現代の技術では製造方法がわからず、その希少性からとんでもない値がついている。おかげで所持しているのは武人でなく資産家ばかりだ。せっかくの武器を死蔵させることに反対の声もあがっている。つい最近も商家のコレクションするアトラチウムの剣が盗まれる事件があった。犯人は怪盗ブレイブレイド。義賊を自称する薄汚い泥棒だ。貴重なファントムへの対抗手段が闇の人間に渡ってしまった。俺としては国がアトラチウムを管理してファントム対策に充てるべきだと思うんだが、現状は絶命魔術だけで国の安全を保てている。国全体の財政を見たとき、軍人の命はコストとして安いんだ」
ドリアン王国はシビアな国だ。
命をコストと考えることで他国を蹴散らし発展してきた。
絶命魔術にしたってそうだ。
たった一人が死ぬだけで大勢が助かるという命の算数なのだ。
巨視的な見方をすればそれは正しい。
だが人間は数字ではない。
「なんだか悲しいですね。一見豊かなこの国が数多の屍の上に成り立っているなんて」
「そうだな。だからこそ感謝せねばならん」
「感謝して死者を手厚く祀ることでまた絶命魔術を使う者が出る。よく考えられたシステムです」
「不満そうだな」
「ぼくは未熟者です。物事の欠点にばかり目がいってしまいます。学長、絶命魔術を使わずに平和を維持する方法はないのでしょうか」
「それを考え、実践するのはお前たちだ。軍の要職に就けばファントムの対策案が出せる。冒険者協会ではファントム化の原因を研究していると聞く。何年か、何十年か先、ここを巣立ったお前たちがどう動いたかで世界は大きく変革する。お前たちは第四に入学を果たした本物のエリートだ。各々、国の未来を担っているという自覚をもって日々の訓練にあたれ」
バッチはそう言って話を終えた。
普段、酒ばかり飲んでいるせいで教育に無関心なイメージだが、ロビンたちの将来に期待する気持ちもあったようだ。
ロビンは卒業後、この国を出る。
一人で生きる力を身につけ、いつかタルタンに行くつもりだ。
バッチの望むようなエリートの道は辿らないだろう。
だがどんな形であれ、自身の考える正しい社会の形成に力を尽くそうと思った。
きっと根が官僚気質なのだ。
アニーの指導が再開した。
絶命魔術の練習は自傷行為に近い。
気分を悪くして座り込む生徒が続出した。
練習に参加できないポークを除くと、最後まで立っていられたのはロビンとブブカだけだった。
本気を出せば発動できそうな手応えはあったが、きっと一生使わないんだろうなと思った。




