第三話 ココロとブブカ(5/6)
校庭の隅にある物置からブブカが木製の担架を持ってきた。
バッチは患部を動かさないように注意しながらシャクレマスを担架に乗せる。
「笑っていられる状況じゃないぞ。治癒魔術をかけてみたがこの深手だと痛みを和らげる程度にしか効かん。アニーなら治せるだろうが、あいにく今日は出張だ。帰ってくるのを待っていたら足が死ぬ。二度と歩けなくなるぞ」
バッチの引き締まった表情が事態の深刻さを示していた。
いつの間にか酒がどこかへ飛んでいる。
バッチはロビンに担架の片側を持つように指示すると、しっかりとした足取りで校舎に向かった。
防げる事故だった。
意表を突くためとはいえ他に生徒がいる場所で光りイモを使うべきではなかった。
だが後悔は償いにならない。
ココロは自分に何ができるかを考えた。
「学長……アニー先生はどこにいるの。あたし呼んでくる」
「第一ドリアニアだ。お前には入れないし時間がかかりすぎる。それならまだ冒険者協会を当たれ。運が良ければ腕のいい治癒術師が街に滞在しているかもしれん。俺はここで治癒魔術をかけ続ける。出血くらいは止めてみせよう」
バッチは担架を廊下に下ろすと、生徒が持ってきた救護箱から清潔な白い布を取り出しシャクレマスの足の下に敷いた。
患部に手をかざして治癒魔術をかけている。
しかし血は止まらず、布が染まっていく。
「わかった。協会で聞いてくる。シャクレマス、ちょっと待ってて」
ココロは校舎を出ようとした。
するとすれ違うようにブブカと出くわした。
「あの……ココロ、ちょっと待ってください」
ブブカは息を荒くしていた。
身長よりも長い銀の杖を手にしている。
訓練用のものではない。
アニーが何か起きたときのため校舎内に置きっぱなしにしている予備の杖だ。
「学長、あの、失礼ですがその治療方法は間違っています」
「なんだと」
「鎮痛より先に血管を閉じるべきです。それと消毒を。熱気魔術を応用して。後遺症が残ります」
ブブカは学長の隣に膝をついてシャクレマスの患部をじっと観察した。
それから目玉がぎょろりと動き、治癒魔術をかける学長の手を、次にロビンの顔を見た。
「補助がいります。ロビン、治癒魔術はどこまで?」
「接骨と神経接合以外なら」
「わかりました。では膝より下の血流を一時的に止められますか」
「道具を使ったほうが確実だ。ココロ、蔓の鞭を貸してくれ」
ココロはロビンに鞭を手渡した。
ロビンは慣れた手つきでシャクレマスの膝下を縛った。
「壊死しないように気をつけてください。筋肉の修復はお願いします」
「わかった。学長、代わります」
バッチの対面にロビンが座った。
治癒魔術をかけるバッチの手の内側にロビンの手が潜り込む。
普段のロビンでは考えられない非礼だ。
「待てお前ら。まだ治癒魔術は習っていないはずだろ。この場は俺に任せろ。早くプロを探してこい」
バッチはロビンの手首を掴んだ。
シャクレマスはマダガストの留学生だ。
預かった人間を二度と歩けない身体にすれば隣国との関係に影響が出る。
責任のない子どもたちに任せられる事態ではないと判断したのだろう。
「学長、一刻を争います。わたしは弟の肺炎を治したくて治癒魔術を勉強しました。ありとあらゆる怪我の治し方を学んできたつもりです。たしかにわたしは弟の肺炎も、それどころか自分の顔すら治せません。でも、もしこの怪我を負った瞬間に戻れるのなら、傷跡一つ残さず治療してみせます。大事なのは時間なのです。今この場で適切な処置を行わなければシャクレマスは歩けなくなってしまいます。どうかわたしを信じてください」
「しかし……いや、できん」
バッチは苦しそうに俯いた。
ブブカがどれだけ早期治療の大切さを論じても許可は出さない。
それどころか治癒魔術をかけようとするロビンの手首を掴んでどけた。
「学長……お願いです」
「すまないが俺はお前たちの治癒魔術を見たことがない。治せるという言葉を真に受けるわけにはいかんのだ。嘘をついているとは思わないが、治せると思い込んでいるだけかもしれない。納得できないかもしれないが、緊急時の判断は責任者である俺に任されている。今この場では俺がルールだ。従ってくれ」
バッチは自分の治癒魔術を強行するつもりだ。
場がしんと静まった。
待っていてもバッチは治癒魔術を使う許可を出さないだろう。
ココロは諦めて冒険者協会に向かおうと思った。
「ルールだと」
廊下にデブトンの声が響いた。
デブトンはブブカの手から杖を奪い取ると、大きく振りかぶってバッチの脳天に叩き込んだ。
バッチの顔面を二つに割るように頭から血が流れ落ちる。
訓練でも見せたことのない見事な一撃だった。
「責任とるのが怖いだけじゃねーか。おい貧乏ブス、さっさとシャクレマスの足を治せ」
「で、ですが……」
「ルールのせいで親友が苦しむのなら俺はルールをぶっ壊す。この酔っ払いがルールなら俺はこいつをぶっ倒す。俺たちは俺たちの正義にだけ従うって、シャクレマスと決めたんだ」
デブトンは杖を振りかぶった。
強化魔術を使っている。
一般人が相手ならば死なせるくらいの速度でもう一度バッチの頭を狙った。
だがその杖が届く前にデブトンの腹部が陥没した。
バッチの腕が肘までめり込んでいる。
デブトンは朝食のスープを盛大に吐き散らかすと、杖を落としぴくぴくと痙攣し、白目をむいて動かなくなった。
「調子に乗りやがって。殺すところだったぞ」
バッチは靴の先でデブトンの脇腹を蹴った。
肉が波打つが起きる気配はない。
バッチの怪我も軽くはない。
頭の皮膚が割れたのだろう、ぼたぼたと落ちる血が止まらない。
バッチは頭部の傷口を手で押さえた。
痛みを堪えているようだったが、突然何かを思いついたようにデブトンとシャクレマスを見比べて、口角をわずかに上げた。
「あー、めんどくせぇ。ただでさえ忙しいっつーのに、息してねぇぞ。おいトレビア。この肉団子が急に倒れやがった。たぶんなんかの発作だろう」
「発作……ですか?」
ブブカがわけがわからないといった様子で倒れたデブトンを見つめた。
バッチはもう一発デブトンを蹴る。
肉に波紋が刻まれていく。
「おう、発作だ。持病でもあったのかもな。このままだとこいつは死ぬ。俺は魔学舎のトップとしてこいつを助けにゃならん。足が折れた男と呼吸不全な男、緊急度が高いのはこっちだからな。あー、だからフリーマンの怪我はお前たちに任せた。俺は人命救助で忙しい。いいか、万が一フリーマンの足が治らなくてもそれは俺のせいじゃないからな」
バッチはしっかりと保険をかけてブブカとロビンに治療を命じた。
デブトンが持病で倒れたなんて大嘘だ。
ぶよぶよの腹が呼吸で上下している。
「わかりました。デブトンが倒れたから学長は治療にあたれないのですね。あの、なんというか、ありがとうございます」
「いいからやってみろ。まったく、どいつもこいつも勝手をしやがって……」
バッチは落ちている杖を拾ってブブカに手渡した。
デブトンは悪夢でも見ているのかうんうん唸っている。
起きたらバッチに厳しく叱責されるだろう。
きっと夢のほうがマシだったと思うはずだ。
「ロビンは足首の固定と鎮痛をお願いします。わたしは消毒が終わり次第、骨からいきます」
「オーケイ、任せてくれ」
ロビンは足首に手をかざした。
シャクレマスの表情が和らいだのを確認すると、折れた足を持って元の形に固定した。
指で何度も骨の位置を調べて間違いのないよう微調整する。
手がべっとりと血で濡れているのを見て周りの生徒が顔をしかめた。
「いいよ。ブブカ、やってくれ」
「わかりました。集中します」
ブブカは杖を縦に持ち、目をつむって集中した。
大量の魔素を杖の中で練っている。
骨を繋ぐには高度な技術が必要だ。
ブブカが優秀な魔術師なのは疑いようのない事実だがそれにしても凄すぎる。
サキですら骨の治療ができるようになるまで二十年修行したと言っていた。
とても同い年の女の子とは思えない。
ブブカは杖先を患部に向けた。
「痛いの痛いの、飛んでいけ」
ブブカが言葉を発すると杖は青い光を放出した。
光はシャクレマスの足首を包む。
ブブカは瞬きもせずじっと患部を見つめ続けた。
「信じられん」
呟いたのはバッチだ。
ブブカの技術は学長の目から見ても桁外れに優れているようだ。
しばらくして青い光が小さくなった。
シャクレマスの呼吸もだいぶ落ち着いている。
「ロビン、筋肉と皮膚の修復をお願いします。わたしちょっと疲れてしまって」
「わかった。ゆっくり休んでくれてかまわない」
ブブカは杖を引いた。
ロビンは手で足首を揉みほぐしながら治癒魔術をかけ続けた。
よほど疲れたようでふらついて倒れそうになったブブカをココロは後ろから支えた。
「骨は接着しましたが力を加えたらまた折れます。完治まで十日はかかるでしょう。毎日アニー先生の治療を受けてください。もし不在でしたらわたしがやります」
顔に汗腺がないためわかりにくいが、ブブカの身体は汗びっしょりだった。
魔術の疲れというよりも精神的な疲れのような気がした。
治癒魔術に失敗は許されない。
失敗すれば一生恨まれる。
ブブカにかかったプレッシャーはとんでもなかったはずだ。
「……あああありがとう」
そのぶん、感謝の気持ちも大きい。
シャクレマスだけではない。
怪我を負わせたポークも、原因をつくったココロもブブカに礼を言った。




