第一話 共同生活(5/5)
窓から吹く風が涼しい。
ロビンとの話が一段落して、ポークはベッドに横になっていた。
寮のロビーには建物全体に音の届く鐘が設置されていて、起床や就寝など決まったタイミングで鳴らされるため時計台ほど正確ではないがだいたいの時刻がわかる。
すでに夕食ができたことを知らせる鐘は鳴っているのだが、今日は歓迎会を兼ねているため上級生が部屋まで呼びに来てくれるらしい。
もちろんそんなサービスは今日だけだ。
明日からは鐘が鳴ってすぐに食堂に行かなければ、一日二回の貴重な食事を他の誰かが食べられると聞いた。
強靭な肉体をつくるには良質な食事が必須だ。
寝過ごしたりしないよう、規則正しい生活を心がけなければならない。
それにしても遅い。
なかなか呼びに来ないので忘れられたのではないかと不安になったが、ようやく扉を叩かれた。
続いてがちゃがちゃと取っ手が動く。
「はーい」
「遅い。なんで鍵なんかかけてんの。早くここ開けなさい!」
ココロの声である。
なんだか焦っているようで、乱暴に扉を叩き始めた。
ポークは急いで内鍵を外して開ける。
廊下にココロがこの世の終わりのような顔をして立っていた。
「ポーク、逃げましょ。ドリアンを出るの」
「落ち着けよ姉ちゃん。何があったんだ」
「あたし、このままだと死刑になっちゃう。人を……ルームメイトを殺しちゃったの!」
袖を掴まれ廊下にぐいっと引っ張り出された。
今すぐ国外逃亡するつもりらしい。
あまりの慌てようにポークも動揺しかけたが、いくらココロでもこの短時間に人は殺すまい。
逃げる前に話を聞くべきだと判断した。
「あのさ、まずは何があったか教えて」
「そんな暇なんてない。捕まっちゃう」
「話してくれたらどこへだってついていくから。他の国にだって一緒に逃げるよ」
ポークが味方でいることに多少は安心したのだろう。
落ち着かない様子ではあるが無理に引っ張るのはやめた。
「あのね、最初はあの子と部屋で喋ってたの。生まれた村の話とか、これからどんな生活を送りたいとか。それからちょっと眠くなってあくびをしたら、後で起こしてあげるから寝てなよって言われたの。だからあたし横になろうとしてブーツを脱いだの」
「そしたら?」
「死んだの」
そんな馬鹿な、と言えないところが恐ろしい。
ココロの足は悪臭兵器だ。
野外ですら風下に立たないように気をつけなければならないのに、風通しの悪い部屋でブーツを脱ぐなんて暴力行為と変わらない。
ポークは慣れているからいいが、耐性のない人間があれを嗅いで正気を保てるとは思えない。
至近距離から鼻腔に直撃すれば即死もありえる。
「なんだ、いつもそうやって冗談ばかり言っているのかい?」
部屋で話を聞いていたロビンがにこにこ顔で廊下に出てきた。
寸劇でロビンをからかっていると思ったようだ。
「いや、それが姉ちゃんの足は殺人的に臭くて」
「それはちょっとココロに失礼じゃないか。たとえ冗談だとしてもだよ」
「違う違う。そういう冗談じゃないんだって」
「わかった。見に行こう」
ロビンはさっさと廊下を歩いていった。
ココロの部屋の前で立ち止まり、取っ手に手をやった。
がちゃりと扉を開けた瞬間、ロビンの笑顔が崩れた。
「なぁポーク、死体のにおいだ。本当に人が死んでいるかもしれない」
「いやだからそれ足の残り香……」
説明するのも面倒くさいのでロビンを押しのけて部屋に入った。
隅の方にココロのルームメイトの女の子が横向けに倒れている。
泡を吹いて口周りが白くなっていた。
ポークは窓を全開にして換気する。
ここは山の中だ。
美味しい空気を吸えばいずれ起きるだろう。
ロビンは女の子の手首を出して脈をとった。
それからココロに顔を向け、残念そうに目を伏せた。
「死んでる」
「やっぱり!」
「嘘だよ」
ロビンはぷっと吹き出した。
心臓に悪い。
あと少しネタばらしが遅かったらココロが口封じに出るところだ。
後でロビンにはあまりココロをからかわないように言っておかなければならない。
「気を失ってるみたいだけど、呼吸してるから大丈夫。ただ、念のためアニー先生を呼んできて」
「わわわ、わかった」
「それとココロ、ルームメイトが倒れちゃって混乱したのはわかるけど、逃げるより先にすることがある。救助だ。友達が倒れたならまず周りに言って助けてくれそうな人を呼ぶんだ。アニー先生ならどんな怪我でも治してくれる。もし近くにいなかったらぼくを頼ってくれてもかまわない」
ココロは拳をきつく握りしめてロビンを睨みつけた。
何か言い返そうとしたのかもしれない。
だがあまりに正論すぎてぐうの音も出なかった。
悔しそうにぷいと顔を背け、部屋を出ていった。
「ロビンは大丈夫?」
「正直、意識が朦朧としてるよ。新しいブーツをプレゼントするのは嫌味かな」
「あれでけっこう気にしてるから、傷つくと思う」
「だけど放ってはおけないよ。もしも今深呼吸したらぼくも白目剥いて倒れるだろうね」
ロビンは臭いに耐性がないようだ。
部屋で屁をするときは窓から尻を突き出そうと決めた。
少ししてココロがアニーを連れてきた。
やはり女の子は気を失っているだけらしい。
診察を終えたアニーは優しく彼女を抱き上げるとベッドに寝かせた。
その後、異臭の原因について説明を求められ、ココロは泣きそうになりながら答えた。
するとアニーは特別ルールを課した。
一つ、寮に戻ったらすぐに足を洗うべし。
ニつ、寮では通気性の良い靴に履き替えるべし。
三つ、定期的にアニーの治療を受けるべし。
アニーが寮長で本当に良かった。
魔物退治と同じくらい、水虫退治が得意だそうだ。
どんな病気が混在しているのか知らないが、二年もあればきっとあの足くさを治してくれるだろう。
ルームメイトの女の子は夕食前に目を覚ましたが、気絶する直前の記憶を失っていた。
何が起きたかを説明しても、「そんなはずないじゃない」と笑っていた。
しかしほんのり残る悪臭に記憶を刺激されたのか、鼻をくんくん鳴らした後、急に真顔になって「あー、でも私臭いの無理だわ。誰か部屋代わって。うん、これほんと死活問題」と言い放った。
向かいの部屋の女子生徒たちと相談した結果、ココロは今いる部屋を追い出されブブカと相部屋することになった。
「わたし、昔の怪我のせいで鼻が利かないんです。安心して裸足になってください」
「あんたは今日から親友よー!」
異臭騒動を経て、正式に部屋割りが決定した。
明日、ポークたちは初めて魔学舎へ登校する。
実家から寮への引っ越しに時間がかかる者もいるため、その後はしばらく自由登校期間となるが、ポークは毎日通うつもりだ。
ただでさえ魔術が使えないのにスタートダッシュで躓くわけにはいかない。
上級生主催の騒がしい歓迎会を終えると、部屋に戻ってロビンと雑談を交わした。
暗くなると口数が減っていき、やがて静寂が訪れた。
ロビンの寝息はすーすーと耳当たりがよかった。
同室にしてくれたアニーに感謝だ。
寮での生活に今のところ不満はない。
けれどやっぱり、寂しかった。
ライガードがいないから。
ポークは毛布に包まると声を押し殺して泣いた。
ふんわりと優しい月明かりが頭を撫でてくれた気がした。




