第九話 誰よりも広い背中(4/4)
「行け、ポーク!」
命令されるのは癪だが、ここまではココロの手柄だ。
ライガードの視力を奪い、動きを封じた。
あとは一発当てるだけで勝負は決する。
ポークは涙を拭い、未だくすぐったい目を気合で開いた。
一発。
たった一発だ。
冒険者を目指すと決めたあの日の想いを拳に乗せて、ポークはライガードに突進した。
「ブヒャアアアアア!」
ポークが拳の間合いに入る寸前である。
ライガードの筋肉が肥大して、蔓の鞭が千切れ飛んだ。
ライガードは眩んでいるはずの目を開くとポークの姿を見てすぐに閉じた。
ポークは動揺する気持ちを抑え込み、ライガードに向けて拳を突き出す。
これは最後のチャンスだ。
当てさえすれば勝ちなのだ。
ライガードは目をつむったままポークの突きを手首を掴んで止めた。
先ほど一瞬だけ確認した立ち位置とポークとの戦闘の記憶だけで戦っている。
もう何年も組手を重ねてきたのだ。
ポークが自分を知る以上にライガードはポークを知っていた。
ライガードに手首を捻られ、体勢を崩されたかと思うと見事な足払いを決められた。
宙に身体が浮く感覚、続いて背中に衝撃があった。
ポークは思わず閉じてしまいそうになる目をぐっと堪えて見開いた。
晴れの空が視界いっぱいに広がっていて、遠くに鳥が飛んでいる。
立ち上がろうとする間もなく、空から隕石のような巨大な拳が降ってきた。
死んだ、と思った。
きっとあの隕石に潰されて化石となり、何万年か後に発掘されて古代人は豚そっくりだったという学説が考古学者の間で議論されることになるのだろう。
……そんなの、嫌だ。
ポークは最後の一撃を放った。
なんの捻りもないパンチだった。
当然、ライガードに届くことはない。
ライガードの巨大な拳はポークの鼻先で止まっていた。
寸止めなのに周囲に砂煙が巻き起こるほどの威力だった。
悔しい。
悔しいけど、認めなきゃ。
「……まいった」
何年も溜め込んでいた涙が一気に溢れた。
強くなろうとした。
できることはなんでもやった。
それでも届かなかったのだ。
ライガードは強すぎた。
あまりに強くて、夢を阻んでさえ憧れた。
「あたしは絶対まいらないんだから!」
強化魔術を身に纏ったココロが素手でライガードに飛びかかった。
ここ数年で身体能力は大幅に向上しているが、鞭の使い方に時間を割いたぶん格闘は不得手なはずだ。
ライガードと正面からやり合うのは難しいだろう。
案の定、両の手首を掴まれてしまった。
多少、視力が回復したのかライガードは薄目を開けている。
「俺の勝ちだ。さぁ、まいったと言いなさい」
「手足を千切られたって言うもんか! あたしは冒険者になるんだ!」
じたばたと暴れるココロ。
ライガードは「それなら」と言って腕を広げ、ココロの手首を掴んだまま熱気の魔術を発動した。
ライガードとココロの間の空間に歪みが生じていく。
「熱い! やめてよ!」
「まいったと言いなさい」
「あたしはまいらない女なの!」
さすがココロ、強情である。
どんどん魔術の熱量が高まっていくが、じたばたと暴れるばかりで負けを認めようとはしない。
むしろ術者であるライガードのほうが汗をかいており、このまま根気勝ちしてしまうのではないかとすら思えた。
しかし事態は急変する。
「いやぁぁぁぁ! パーマになっちゃうぅぅぅぅ!」
ココロの前髪がちりちりと踊り出したのだ。
絶妙な熱加減のせいで、ココロのストレートな黒髪たちがダンスパーティー真っ只中である。
踊り終えた髪の毛は茶色くくたびれてしまっている。
「まいった、まいったぁぁぁぁ!」
手足を千切られても諦めないはずの女は髪の毛を燃やされそうになって諦めた。
ココロは手首を離してもらうと恐る恐る頭に手をやり、ライガードを睨みつけた。
髪の毛は全体的に縮れてしまっている。
表面だけなのですぐに直るかとは思うが、ショックだったのだろう、涙目になっていた。
「馬鹿、卑怯、最低、ハゲ、キモコワジジイマッチョ」
悪口のオンパレードだ。
ライガードが憎いわけではない。
負けたことが悔しすぎて誰かにぶつかりたかったのだ。
ポークも同じ気持ちだからわかる。
ポークとココロがこの三年半で培った力はどんな仕事に就いても役立つだろう。
だが夢だった冒険者にはなれない。
こんなに鍛錬したのに一撃も当てられないようではライガードが許してくれないのだ。
木こりの仕事は大好きだ。
雑貨屋の仕事も大好きだ。
だがそれでは代わり映えしないこの村の中で一生が終わってしまう。
ポークは旅に出たかった。まだ見ぬ景色を見てみたかったのだ。
ポークは悔しくてひぐひぐと嗚咽を漏らした。
ココロの悪口を吐く声も掠れてきた。
やがて泣き虫だったあの頃のように二人は大声をあげて泣いた。
「……合格だ」
ライガードが言った。
ポークは身体を起こすとライガードの顔に目をやった。
ライガードはポークと目が合うと照れくさそうに背を向けた。
「……なんて?」
聞き間違いかと思いポークは聞き返す。
「二度言わすな。二人とも魔学舎に行っていい。安心しろ、お前たちなら都会の子らにも負けはしない」
ライガードが答える。
すると泣いていたはずのココロがばっと顔をあげ、涙と鼻水でぐしゅぐしゅのまま大喜びでポークに抱きついた。
「やった、やった。あたしたち、行けるって!」
心の底から嬉しそうにはしゃぐココロ。
だがポークはあまりに唐突な展開に魔学舎へ行けるという実感が持てなかった。
「聞かせて。結局オレ、一回もライガードに勝てなかった。なのにどうして合格なの?」
「そ、それはだな……」
ライガードが言い淀んでいると、火消しを終えたポニータがにこにこ顔でライガードに近寄った。
「最初から行かせてあげるつもりだったんでしょ。ライガードさんってそういうとこありますよね」
ポニータは挑発するようにライガードの頬をつんつんと突いた。
煩わしかったのか照れ隠しなのかライガードは手で払い除ける。
「理由もなく行かせる気になったわけじゃない。今日までに俺に攻撃を当てるくらい強くなってほしかったのは事実だ。そのほうが安心して村から送り出せるからな。だが本当に大切なのは結果じゃない」
「どういうこと?」
いつの間にか空は夕焼け模様となり、ライガードの後頭部が沈む太陽と同じ色を反射している。
顔を見て話したかったポークだが、ライガードは後ろ姿しか見せてくれない。
「お前たちは冒険者を目指すようになってから毎日欠かさず鍛錬してきた。時に家の床を踏み抜き、時に店の壁に穴を空け、売り物の本が破れるまで読んで冒険に必要な知識をつけた。俺はその過程を評価したい。続けること、それが一番難しいからだ。大抵の人間は途中で自分を疑ってしまう。努力しても無駄なんじゃないかと悟ってしまう。だがお前たちは違った。愚かしいほどまっすぐに努力を続けた。それは物事を学ぶ上で最も大切な素質なのだ」
ライガードはポークに背を向けたまま話し続ける。
人の顔も見ず話すなんて態度が良いとはとてもいえない。
だがポークはその背中に温かさのようなものを感じていた。
「魔学舎を卒業して経歴に箔をつけたいと思っている子は多い。元々魔術の才能がある子はそれが顕著だ。だがあそこは学び舎だ。卒業に価値があるのではなく、学ぶことに価値があるのだ。ポーク、ココロ。お前たちなら他の誰よりも学び、得て、成長できるだろう。行ってこい」
話し終えてもライガードは振り返らない。
誰よりも広いその背中を見て、ポークは考えた。
魔学舎を卒業して、今よりもっと大きくなったらこの屈強な男に勝てるようになるだろうか。
……きっと永遠に勝てないだろう。
そう思えるほどに憧れた。
彼はポークのヒーローだった。
「あら、ライガードさん、なんで泣いてますの?」
ポニータがライガードの顔を覗き込んだ。にやにやと楽しそうに笑っている。
「ばばば馬鹿っ。泣いとらんわ」
「もしかして、この子たちの巣立ちが寂しいんですかー?」
「寂しくなんかない。嬉しいんだ」
「私、ライガードさんのそういうところ好きですよ」
ポニータはハンカチを手に持ってライガードの顔に当てた。
目元を拭っているようだった。
「ブヒヒィィィィン」
ポークは我慢できず、ライガードの背中に抱きついた。
魔学舎へ行ける喜びと感謝の気持ちが溢れ出す。
ココロもよほど嬉しかったらしく、じゅるじゅるの水っ鼻を背中に押しつけてきた。
ライガードはやっと振り返り、その太い腕でポークたちを抱いてくれた。
そこにポニータも加わって一つの輪になった。
次の日、森に行ってみると桜の花が咲いていた。
新たな季節が訪れる。




