第一話 お猿さま(5/6)
外に出ても道を歩いている人はいなかった。
風がぴゅうと抜けて手に持った地図がはためく。
ほんの少しの間ではあるがロビンがぼーっとしていたのに気づいてポークは声をかける。
「あんまり気にすんなよ」
「うん、大丈夫。悩んでも仕方がないだろうし、危険が迫っているっていう助言を貰ったくらいに考えるよ。ポセイラ海は人魚の領域だ。行けばなんとかなるって単純に考えていたけど、準備を見直すいいきっかけになったと思う。彼らと戦いになる可能性も考慮して、この街で装備を調えよう」
優しい笑顔を作るロビンだったがポークにはそれが作り笑いだとすぐにわかった。
だがあえて指摘はしない。
「じゃあ、まず宿に行くか。トリネラの言ってた宿は……えーと、こっちだ」
ポークが先行し、しばらく滞在する予定であるトリネラおすすめの宿に向かって歩いた。
少しすると西側の空から鐘の音が届く。
時計台のある方角だ。
イワザールの時計台はザック・ノートレッドが若い頃に設計したもので、設定した時刻に自動的に鐘が鳴るという複雑なからくりを搭載している。
この街では始業と終業の時刻の目安として使われており、日照時間の長い夏場と短い冬場では鐘の鳴る時刻が違う。
ちょうど今は冬の鐘に切り替えたばかりらしく、終業時刻にしては太陽が高い位置にあった。
「ポーク、ロビン、探したぞ」
トリネラとココロが道の向かいからやってきた。
斧などの目立つものは置いてきたようだが買い物のためかバッグを着けたままだ。
ココロはいつものブーツとは違う真新しい布靴を履いている。
水虫対策に通気性の良い靴に変えたのだろうが、粘土質な地面を歩いたせいかすでに赤茶く汚れていた。
「なんだよ、待ってればよかったのに」
宿で合流する予定だったはずだ。
なぜ外に出ているのか疑問に思った。
「宿の主人からこの辺りのことを聞いてな。どうも最近は穏やかじゃないらしい。それについて話したかった」
「穏やかじゃない?」
「連続猟奇殺人事件だ。一般人から冒険者まで何人も死体で見つかっているのに犯人が捕まっていない。何日か前にこの街の商人も馬車で荷運びしている最中に殺されたようだ。お前たちなら襲われてもやり返せるかもしれんが、警戒のため知らせておくべきだと思ってな」
「マジかよ……こんなタイミングで」
ポークはロビンの顔を見た。
作り笑顔はどこかへ消え去り唇を内にきゅっと引き込んでいる。
気持ちはわかる。
不吉な未来を占われた直後に連続猟奇殺人の話を聞くなんてなんらかの繋がりがあるように思えてしまう。
「それと問題は他にもあってな。前にも話したお猿さまだがこの辺りをよく歩いているらしい。近寄らないように気をつけろ。誘拐を予告する手紙が届いたらしくて治安維持隊がぴりぴりしている。不要なトラブルを招きかねん」
「おいおい、お猿さまって教皇より偉いんだろ。大事件じゃんか。なんで普通に出歩いてんだよ。どっかに閉じ込めときゃいいじゃねぇか」
「偉いから止められんのだ。お猿さまが外出したくなったらそれがいつでもどんなときでもお付きの者は従わなければならん」
「マジかよ。たしかに早く宿に戻ったほうが良さそうだな。それで話すことは全部か」
「ん、いや、ここからが本題なんだ。実はその予告というのが……」
トリネラの話は笛の音色に中断させられた。
打楽器と弦楽器が加わり、陽気な音楽が聴こえてくる。
ポークは道の曲がり角から大道芸人の一団でもやってくるのかと予想した。
しかし建物の陰から姿を現したのは帯剣して鎖のチョッキを着た男だ。
服の肩に山の形をした紋章が縫い込んである。
あれは治安維持隊だ。
同じ格好をした男女が続々と姿を見せた。
「遅かったか。まぁいい、やり過ごすぞ」
トリネラに腕を掴まれ道の端に連れていかれた。
治安維持隊の男と重なってよく見えないが、彼の膝上くらいまでしかない毛のもさっとした生き物が二足歩行でぴょいぴょいと跳ねている。
あれはおそらくお猿さまだ。
たかが散歩のために護衛八人と音楽隊四人も従えるなんて贅沢すぎる。
トリネラに教わった通りポークは片膝をついて背中を丸めた。
お猿さまより高い位置に頭がきてはいけないと思いなるべく深く俯いた。
横目でココロの様子を見るとポークとまったく同じポーズをとっていた。
しかし首が苦しいらしく顎を上げたり下げたりしている。
「姉ちゃん、動くなよ」
ポークは注意した。
こんなところでトラブルを起こしてほしくない。
「なんでそんなこと言うの。動くわけないじゃない」
「それならいいけど」
「ほら、見て見てポーク。あの猿の偉そうな顔。むかつくわぁ」
「早速、顔上げてんじゃねぇよ」




