第七話 飛翔のトリネラ(2/4)
防疫のためコカトリニクスの死骸を焼却処理し、ポークたちは現場を離れた。
コカトリニクスは魔物としては珍しく食肉利用できるのだが、運ぶには大きすぎて街に持ち帰る前に腐ってしまう。
燃やした際には涎が垂れそうなくらい美味しそうな香りがしたが、羽毛が硬すぎて切り分けるのも難しい。
諦めてロビンの右腕の卵焼きだけで我慢した。
黄身の味が濃厚で、完全に鶏の卵焼きだった。
トリネラの浮遊魔術は集団行動に向いた能力だ。
彼女は目も良いらしく、小山に隠れた黒い煙を空高くから発見し、後続隊の現在地を割り出した。
すぐに暗くなったため合流は翌朝となったが、彼女のおかげで最短距離で移動できた。
ドラゴン見たさに半ば無理矢理先行していたらしく、代わりに後続隊を率いていた副隊長からきつい嫌味を言われていた。
しかしトリネラは意に介さない。
こういう図太さが冒険者には必要なのだと教えられた気がした。
ポークたちを見捨てたミザール支部の冒険者たちは夜通し移動して深夜にオヤマタイショウの後続隊と合流していたらしい。
「コカトリニクスに襲われて部隊は壊滅した」と告げると休みもせずミザール方面に逃げていったという。
他人に卵をぶつけて囮にし、休憩もせず逃げ続けるとは、よほど怖かったらしい。
彼らの危機回避能力はある種の才能なのかもしれない。
採集対象であった巨大な卵はたとえコカトリニクスのものだったとしても情報提供者の見間違いを証明する品として冒険者協会に持ち帰るべきだった。
当然、それを破壊した冒険者は責任を問われるべきなのだが、このまま先に帰られては彼らにとって都合良く歪曲された報告を上げられてしまうかもしれない。
ロビンが卵を割ったせいで襲われたとか、助けようとしたが無理だったとか、涙ながらに語っている姿が目に浮かぶ。
支部長に話せばわかってもらえると思うが、被害者であるポークたちの証言だけでは弱い。
「お前たちと旅するのも面白そうだしな」と言って、ミザールまでトリネラが同行してくれることになった。
協会に上げる調査結果の打ち合わせが終わると、ポークたちはオヤマタイショウ支部の冒険者と別れた。
向こうは副隊長が隊を率いてオヤマタイショウ支部に調査の中止を報告してくれる。
腕も良く仕事のできそうな人なので心配は無用だろう。
トリネラを加えて四人となったミザール組は出発からわずか三日で街に戻れた。
トリネラの目を使うことで最短距離が移動できるだけでなく、少人数なので歩行速度が上げられたのだ。
道中、カマキリの魔物にも遭遇したがロビンの矢で瞬殺だ。
護るべき隊員もおらず、混乱も起きない。快適な旅だった。
街に到着した時点でだいぶ日が傾いていたため、宿にトリネラの部屋をとり斧を置いてから協会へと向かった。
辺りは急速に暗くなり、仕事上がりの農夫たちが収穫の話をしながら道を歩いている。
街を出てから十日くらいしか経っていないのにその光景がもう懐かしい。
ポークは協会入り口の扉を開けた。
むわっとした熱気が顔に当たり、肉とスパイスの香りが食欲を刺激する。
ここは夜間、酒場として営業しているため、すでに多くの人で賑わっている。
奥を見ると普段は一心不乱に書類仕事をしている受付のお姉さんが入ってきたポークを見て氷像のように固まっていた。
「ぶ……豚の幽霊……」
「幽霊じゃねーよ。いやまず豚じゃねーよ」
「あんたら、死んだってさっき報告が上がってきたんだけど」
「あいつらもう着いてんのかよ。どんだけ早いんだよ。逃げるときだけ本気出しやがって」
「何があったのかだいたい察したわ。支部長は今外出中だから、食事でもして待ってて。……ところで、そっちの人は誰?」
お姉さんは羽根ペンの先をトリネラに向ける。
「オヤマタイショウ支部の調査隊長を務めていた、トリネ・イラ・リューグ・ノトゥカイだ。隊の仕事は副隊長に任せてきた。キオチル山脈で何があったのか、外部からも報告を上げたほうが良いと思ってな」
「トリネ・イラ……まさか、『飛翔』のトリネラ?」
机に手を着いて立ち上がるお姉さん。
珍しく彼女が大きな動きを見せたので、賑やかだった酒場が急に静まった。
「ああ。そう呼ばれている」
「ほ、本物なのね。彼女をうちの支部に引き込めれば……うひひ。看板娘……いいえ、看板おばさんの誕生よ。きっと彼女を見倣って、冒険者の質も上がるわ……」
「おい」
「あっ、ごめんなさい、トリネラさん。我がミザール支部はあなたを歓迎いたします。この街にはどれくらいの間滞在する予定でしょうか」
二年近くこの街に住んでいて、ポークは初めてお姉さんの笑顔を見た。
若干頬の筋肉が引きつっているようだが、無理をしてでも逃したくない冒険者なのだろう。
「まだわからない。だが私は元々、ドラゴンを追うだけの流れ者だ。悪いが街付きの冒険者にはなってやれんぞ」
「……報酬、特別に上乗せしますよ」
「この辺りは元が安いだろう」
「割の良い仕事を優先的に回しますから」
「必要ない。私は自由でいたいんだ」
「お願いっすよー。うちのクズども鍛えてやってくださいよー。仕事の途中でバックレるし、派遣先で盗みはするしで我慢の限界なんすよー」
「本音が出たな。クソの相手なんぞ私は御免だ」
お姉さんはどっかりと椅子に座りうなだれた。
そろそろ転職を考える時期なのではないだろうか。
旅を終えたばかりのポークたちよりもずっと疲れている。
不憫に思いなんと声をかければ良いか迷っていると、後ろで食事中の男が立ち上がった。
「……おいババア、クソって誰のことだ」
髪はぼさぼさ、服はぼろぼろ、古びた剣を腰に提げている。
盗賊みたいな冒険者だ。腕に自信があるらしく、トリネラを前にしても怯まない。
男は拳の届く距離でトリネラと向かい合った。
「おい、受付。この喋るクソは処理していいのか」
トリネラはまったく怖気づく様子がない。
むしろ焦っているのは受付のお姉さんだ。
「お、お待ちください。彼は真夜中にむくりと起きて無表情で人をめった刺しにする男です。人格に問題はありますが、腕は確か。いくらトリネラさんでも相手にするのは危険です!」
「追放してなかったのかよ……」
ポークの呟きは誰も聞いていない。
めった刺し男はぴくりとも表情筋を動かさないまま腰を捻り剣に手をかけた。
訓練された抜剣術だ。
しかし剣を鞘から抜き切る前にトリネラに鼻の下を殴られる。
押し出すような縦拳だった。
床に尻をぶつけるめった刺し男をトリネラはつまりなそうに見下している。
「武器にばかり頼るからそうなる。剣術の基本は体術だろう。ほら、立て」
「ぐぐぐ……外様の冒険者が偉そうに。俺を誰だと思ってやがる」
「知らん。興味がない。私が興味を持っているのはドラゴンと……こっちの三人だ」
トリネラがポークたちに視線を移した。
めった刺し男は剣を抜き、血混じりの唾を吐き出すと口を拭った。
「なんだそいつら、うちのひよっこじゃねぇか。引き抜きでもしようってのか」
「私は自由な探検家だ。どこの支部の専属でもないのだから、引き抜きもクソもない。だがお前のような無能しかいない支部にこいつらはもったいない。伸び盛りだ、まともな人間がいないようなら攫っていくぞ」
「ほざけ。そいつらは俺のような立派な先輩の背中を見て育つんだ。脅しで済ませようと思っていたが、侮辱が過ぎる。二度と冒険できない身体にしてやる」
めった刺し男は立ち上がり剣を構えた。
酒盛りしていた客たちが壁際まで下がり、対峙した二人の近くには誰もいなくなった。
いつもなら酒場内の喧嘩を止めるロビンだが今回は受付のお姉さんを護るように立ち、静観している。
ポークは喧嘩を止めにかかろうとする客に「危ないから」と声をかけて避難させ、ココロは誰かの食べかけのフライドポテトをつまんで「あ、冷めてる」とどうでもいいことを呟いている。
キオチル山脈から戻る旅の間にトリネラの実力は大体把握した。
ちょっと腕に覚えがある程度の人間では彼女の相手は務まらない。
「うおおー!」
威勢の良い声を出し、めった刺し男は剣を薙ぎ払う。
トリネラは身を屈めて避けると同時に深く踏み込み、掌底をめった刺し男の顎にぶつける。
格闘術を専門にしているポークでさえ美しいと思える無駄のない動作だ。
めった刺し男は壁に頭を打ちつけ床に倒れた。
トリネラは追撃を加えない。
ここでようやくロビンが動き、めった刺し男の治療に取りかかる。
この程度の怪我であればすぐに治せるはずだ。
冒険者同士の諍いとしては穏便な決着だ。
「う、噂通りの豪傑ですね……やっぱりうちの支部に欲しいです」
受付のお姉さんは倒れている男を指でつんつんして動かないことを確認すると、また暴れないようにと縄で手足を縛り上げた。
「さて、彼は正当な理由なく敷地内で剣を抜いた。ポークくん、帰りに連れていって」
「オレに任せるってことは反省部屋か。治安維持隊に突き出してもいいんじゃないか。この国じゃ私闘はご法度だろ」
「こんなのでも人手だから。うちの支部から犯罪者を突き出してたら誰も残らなくなっちゃうし」
「わかったよ。じゃ、後で連れていくからその辺りに寝かせておいてくれ」
客の目につかないようにとお姉さんはめった刺し男をカウンターの奥に引きずっていく。
客は何ごともなかったかのように飲食を再開した。
ココロが「卑しいポテト泥棒め!」と罵られ、代金を請求されている。
トラブルに慣れきったミザール支部の人間は日常に戻るのも早い。
ロビンはまだめった刺し男の治療をしているので、ポークはトリネラと向かい合ってテーブルについた。




