第七話 飛翔のトリネラ(1/4)
五十歳近くになろうという大人も大人な女性が懺悔するように両膝を地面に着ける姿をポークは初めて見た。
「そんな……また……偽物だったなんて……」
「そんなにショックなのか」
「私が何年、いや何十年ドラゴンを探してきたと思ってるんだ。ドラゴンの噂があるところにはすべて行った。青春をすべてドラゴンに捧げ、もう全然青春じゃない年齢になってもドラゴンを追い求めた。それなのに、冒険者人生も終盤に差しかかろうというのに、またも偽物に引っかかったんだ。ドラゴンとコカトリニクスを間違えるとか目撃者は頭にクソでも詰まってんのか。街に戻ったら消してやる。ぐぞおおおお」
彼女は両腕で地面を叩いた。
ここまで悔しがってもらえるとポークの落胆が緩和される。
冒険者の大半はドラゴン好きだが、彼女の好きは愛の段階だ。
しばらく黙って待っていると、呪詛を吐ききったのか彼女はすくっと立ち上がり、土を払い落とした。
「すまない。取り乱した」
「急に冷静とか逆に怖ぇよ」
「私はトリネ・イラ・リューグ・ノトゥカイ。そっちのロビンとは話をしたが、お前たちとは初めてだな。気軽にトリネラと呼んでくれ」
「オレはポーク・カリー。ポークでいいよ。一応、肩書はミザール調査隊の副隊長だ」
「そっちの彼女は?」
「あたしはココロ。平隊員だけど、普通の隊員とは一緒にしないでよね。気持ち的には隊長だから」
「なるほど。なるほど? ……まぁいいか。二人とも、よろしく」
細かいことは気にしない性格らしい。
トリネラはポークと、次にココロと握手を交わした。
彼女の手は全体的にごつごつしていて、指の付け根のタコが石のように固くなっている。
あの巨大な斧を振るうのに並外れた握力が必要なのだろう。
ポークはコカトリニクスとの戦闘中、空からトリネラが降ってきたことを思い出した。
「あのさ、トリネラ、聞いていいか」
「なんだ」
「コカトリニクスを倒したとき、すげー高いところから落ちてきたように見えたんだけど、トリネラってジャンプが得意なのか?」
「いや、私は浮けるから」
「……ごめん、意味がわからない」
「そのまんまだ。ほら」
トリネラが強化魔術を全身に満遍なく纏う。
普通、強化魔術というのは纏った部位によって強化の度合いが異なるものだが、彼女は凪の日のように静かに均等に全身を強化している。
さすがベテラン、並外れた練度だ。
だが驚いたのはそこだけではない。
彼女の足が地面から浮いたのだ。
筋力を使って跳ねたのではない。
気泡が水面を目指して浮かぶように、すーっと空に浮かんでいくのだ。
彼女を見続けて首を反らせたポークの口は開きっぱなし。
衝撃的な光景に言葉が出なかった。
「改めて見ると凄いね、これ」
ロビンが沈みかけた太陽を手で隠しながら言った。
トリネラは上昇を続け、もう空にぽつんと映る影にしか見えない。
「知ってたのか」
「昨夜教えてもらった。落下のエネルギーと巨大斧の重さを利用した斬撃の威力は……見たからわかるよね。彼女の使う浮遊魔術は戦闘の役に立つだけでなく地形を一望する目にもなる。彼女は探検のスペシャリストだ」
「探検家……なんだ」
「ドラゴン専門のね。ドラゴンに人生を懸けてきたといっていい。協会にドラゴンの情報が入るたび、現地に行って、調べて、落胆してを何十年も繰り返してきたらしいよ」
浮遊魔術を解いたのか、トリネラが空から降ってくる。
両膝をしっかりと曲げて衝撃を和らげていたが、着地点ははっきりと凹んでいた。
落下のエネルギーだけでもかなりのものだ。
「ま、こんなもんだ。索敵なんかじゃなかなか役に立つ。魔素の消耗が激しいから頻繁には使えないがな」
「すげーじゃん。でもさ、飛べるんだったらドラゴンいらなくね?」
ポークは思ったことをそのまま口にした。ちょっとした軽口だったのつもりだったのだが、トリネラに睨まれてしまった。
「おい、ドラゴンに対していらないってなんだ」
「あ、ご、ごめん。そんなつもりじゃ」
「ドラゴンは乗り物じゃない、生き物だ。いや、ロマンだ。憧れだ。生ける伝説だ」
「結局なんなんだよ」
「ドラゴンは自らの翼で羽ばたき、空を泳ぐ生き物だ。私は物を知らぬ連中から飛翔のトリネラなどと呼ばれているが、実際は飛んでいるわけではない、ただ浮かんでいるだけだ。雲と鳥くらい違う。私は自分の二つ名に恥じぬよう、ドラゴンに乗って飛翔したいんだ。わかるか」
「よくわかんねぇ。トリネラだって飛んでるじゃねぇか」
「私は飛んでいない」
トリネラは頑なに自分の能力が空を飛べるものだとは認めない。
飛ぶと浮かぶ。
似たようなものだと思うが、彼女にとっては譲れない部分なのだろう。深入りすると機嫌を損ねてしまいそうだったので、ポークは意図的に話題をずらした。
「そ、そういえばトリネラの空から落ちてくるあの技、コカトリニクスの首を切断できるってすげー威力だな」
「あれは虚を突いただけだ。コカトリニクスは知能が高い。人間と同じく、敵から攻撃を受ける瞬間に肉を締めて固くする。だから不意打ちが効果的なんだ。お前たちが奴を引きつけてくれたおかげで助かったぞ」
「いや引きつけたっていうか逃げてたんだけど」
「何をいう、立派に戦っていたではないか。コカトリニクスの炎を防ぎ、嘴を封じ、拳で殴りつけた。普通、専門の討伐部隊を編成して万全の準備で挑む魔物だぞ。たった三人で善戦するなんて驚いた」
「そ、そうか。そういわれると照れるな」
「私も冒険者として長く活動しているが、この若さでこの能力。これほど高いポテンシャルを秘めた冒険者を見たのは、『錯乱獣』マードックが初仕事でベロベロスの群れを殲滅したとき以来だ。ミザールなんかで燻っているのはもったいない。冒険者なら外に出ろ。ミザールじゃ見本になる先輩も……」
トリネラは何かを思い出したようで、きょろきょろと辺りを見回した。
近くには炭化した木とコカトリニクスの死骸しかない。
「ところで他の隊員はどうしたんだ。まさかコカトリニクスに食われたんじゃないだろうな」
コカトリニクスの頭部を見ながらトリネラはロビンに聞いた。
その嘴が人を啄んでいないか気になったのだろう。
ロビンは憂鬱な表情でため息をつく。
「ぼくたちを除いて全員、下山しちゃいました。いやほんとに見事な裏切りっぷりで、卵をぶつけてきたかと思うと全速力で散っていきましたよ。隊長として信頼されていなかったみたいです」
「ほら見たことか。昨日の夜言っただろう。ミザールは昔からクソ溜まりだ。そんな優しい態度じゃ奴らをつけ上がらせるだけだって。舐めた口利く奴は両手両足を縛って川に流すくらいしてやれ」
「ただの殺人じゃないですか。いくらなんでも大げさですよ。犯罪者じゃないんですから」
「お前、そうとう育ちがいいな。恵まれた者の考え方だ。それじゃまた苦労するぞ」
「彼らは部下であって先輩です。年下のぼくに隊長を任せてくれたのだから、せめて敬意を持って接しようと思ったんです」
「敬意だと? お前は冒険者だぞ、自由人の誇りを持て。敬意とか忠義とか騎士の真似事をしたいのならばフォーズに行けばいい」
「わかりました。いや、わかったよ、トリネラ。冒険者らしくする。まったく、ぼくはどこに行っても腹黒扱いだな。嫌になってくるよ」
「お、親近感湧いてきたぞ。次はクソどもの川流しだ」
「しないよ。それより、今後の活動について話し合おう。もうドラゴンや卵の調査をする必要はなくなっちゃったからね」
ロビンは肩をすくめると、腕にへばりついた卵焼きを引き剥がした。




