第四話 アルノマと手を繋ごう(2/5)
「じゃああたし、準備するね」
ココロは麻布の袋を手にとって昨晩作った爆発イモを一個ずつ詰めていった。
怪我で片腕しか使えないのでいちいち床に袋を置かなければならない。
爆発イモは護身用の武器になるし、爆発音は遠くまで響く。
ポークが道に迷っているなら音を頼りに戻ってこられるかもしれないと考えた。
布袋の紐を引いて肩に担いだ。
他に必要なものはないか家の中を探し歩く。
父は器にスープを残したまま、火の暖かさに負けて眠っていた。
無理もない、夜通し歩き回ったのだ。
朝の鐘まで眠ると言っていたので、父の寝床から毛布を持ってきてかけた。
部屋に戻るとサキがココロのベッドで寝息を立てていた。
ちょっと横になるだけのつもりだったのか、頭と足の位置が真逆になっている。
「臭っ……ここが地獄か……臭っ……」と寝言が聞こえた。
普段ココロの足がある辺りにサキの顔があった。
「悪夢でも見てるのかなぁ」
原因は明らかだったが認めるつもりはなかった。
窓から光が差し込んできた。
雲は多いが白くて薄い。
今日は一日晴れそうだ。
これは不幸中の幸いである。
雨が降ったら食糧採集を諦めてでも雨宿りできる場所を探すべしと本で読んだ。
雨は体温を奪い、飢えよりも早く命を脅かす。
ポークも同じ本を読んでいたので雨宿りはしているはずである。
ポークが雨を警戒して村に戻れなかったのだとしても、これだけ天気が回復すれば動けるはずだ。
声も昨日より遠くまで届く。
捜索にはもってこいの日である。
「おばあちゃん、起きて」
サキの肩を揺すってみたが深い夢の中にいるようだ。
むにゃむにゃとうなされている。
「行くよ、おばあちゃん」
やはり返事はない。
一晩中寝ていなかったのだ、年齢を考えても辛いだろう。
しかし一刻も早くポークを見つけなければ最悪の結果になりかねない。
こうなったら強行するしかない。
「約束したでしょ。起きないんなら起こしちゃうよ」
ココロはブーツを片方脱いだ。
以前に川で洗ったとはいえ新たな汗と菌が染み込んでいる。
純然たるにおいの暴力。
それをサキに嗅がせた。
「ぐっ……ぐぇー!」
サキは目を剥いて陸に上がった魚のように全身を跳ねさせた。
両の鼻に指を突っ込み何度も何度も掻き出している。
苦しそうだが起きてくれた。
ポークの命がかかっているのだ。気つけに手段は選ばない。
「よし、起きたね。行こう?」
ココロは何事もなかったかのように靴を履きなおした。
サキは手のひらをココロに向けると、ぷるぷると震わせた後、力尽きてベッドの上に落とした。
「おばあちゃん?」
揺すっても反応しなくなった。
呼吸はしているが寝言は消えた。
皮膚の伸びきった腕はもうぴくりとも動かない。
死人に見紛う姿で気絶していた。
「やっちゃった……」
サキはしばらく目覚めないだろう。
父はココロが捜索に加わることに反対していた。
相談しても家を出してもらえない可能性が高い。
だが自分が原因でみんなに迷惑をかけているのに、家にこもっているなんてココロには耐えられない。
考えた末、ココロは一人で捜索することにした。
誰も起こさないように窓からこっそりと抜け出す。
鶏の鳴き声がうるさいので両親が起きてしまうのではないかと心配だったが、杞憂に終わった。
外は肌寒く、長袖とはいえココロの着ている薄手の服では風邪をひいてしまいそうだった。
日が昇れば暖かくなると自分に言い聞かせ、いつもの道を行く。
目的地はウゴウゴである。
当然ながらウゴウゴの汚れた看板は外に出ていなかった。
あれがないということは店主の不在を意味する。
念のため、正面扉の隙間から店内を覗いてみるが誰もいない。
店主用の机に誰も座っていないとやはり寂しい。
いつもは気にならない埃汚れや蜘蛛の巣が目についてしまう。
何か大切なものを失ってしまったようで、ココロは唇を噛んだ。
隣接するポークの家にも誰もいなかった。
もしかしたら森で見つかって帰っきているのではと期待したが、そんなに甘くはなかった。
ココロは現実を直視して、自分が何をすべきなのか考えた。
目ぼしい場所はみんな探したと父は言っていた。
おそらくポークは森の深いところで迷っているのだろう。
やはり元々向かっていた炭工場の近くから森に入ったのだろうか。
いくら屁が臭いからといって木にマーキングできるはずはないと思うが、変なにおいがしたという話も気になる。
もしそこから入ったとしたら、近くで呼べば出てくるかもしれない。
ココロは炭工場に向かった。
昨日、ポークを追っていたときと同じ道である。
好戦的な雄鶏がココロを見て寄ってきたが、目を合わさず通り抜けた。
曲がり角の民家を見て、なんであたしは隠れちゃったんだろう、と後悔した。
自然と早足になり、気づいたら走っていた。
ポーク、ごめんなさい。
あたしのせいでいじめられていたのに、嘘ばかりついてごめんなさい。
炭工場に着く頃には額に汗が滲んでいた。
工場の中を覗いてみるが、シャベルや火かき棒などの道具と炭しか見当たらなかった。
外の小屋に新木が重ねて置いてあるが、一部の木が捨てられたように地面に放置され雨に濡れていた。
作業を中断した様子が見てとれる。
ココロは小屋のさらに奥、丸太の椅子の先にあるクヌギの木に目をやった。
ココロがニ十人肩車しても先っぽには届かないであろう背の高い木である。
近づくと幹に止まっていた黒光りする甲虫が森の中へ飛んでいった。
地面に目を向けると茶色く丸い実がいくつも落ちていた。
見覚えがある。
ポークが食べたものと同じどんぐりだ。
「これを見て気が動転したのかもしれない。て、臭っ!」
ココロは袖で鼻を覆った。
父の言っていたどんぐりの木はこれだろう。
今まで嗅いだことのないにおいがする。
腐った酒を吐き散らかした後のようなすっぱい香りだが、目視では吐瀉物は見当たらない。
嗅いだ感じだとポークの屁とは関係がなさそうだ。
この臭気は目を刺激してこない。
「ポーク! 返事してえー!」
森に向けて大声で呼びかけた。
鳥の飛んでいく音がする。
耳をすませるが返事はない。
「あたしはこっちよー! 戻ってきてー!」
村の鶏が返事をしてきた。
やはり森からは何も聞こえない。
「今からイモを爆発させるから! 聞こえたら来てー!」
ココロは持ってきた麻袋を地面に置き、ジャガイモを一つ取り出した。
片腕が使えないと不便である。
慣れない手つきで残りのジャガイモを袋に戻すと、紐を引いて肩にかけた。
ポークは爆発イモの炸裂音を聞き慣れている。
音が届けば道に迷っていたとしても戻ってこられるかもしれない。
爆発イモを投げようとすると、森の奥の茂みが動いた。
「ポーク?」
まさか、夜の間ずっと隠れていたのだろうか。
ココロの声に反応して葉の揺れる音がする。
「あんた、もう、みんな探してたんだよ」
ココロは茂みに近づいた。
まだがさがさと揺れている。
返事がないので警戒して、揺れる葉を凝視した。
「お願い、出てきて」
不安になって小声で呼びかけると、葉の間からひょっこり豚っ鼻が見えた。
湿った鼻がふごふごと鳴っている。
「良かった、みんな心配したんだから」
ココロは茂みに駆け寄った。
今日初めて笑顔になれた。
あんなに見たくなかった豚っ鼻を見て安堵するとは思わなかった。
もう叩いたりするのはやめよう。
村に戻りづらいなら手を引き連れていってあげよう。
ココロは茂みに手を伸ばした。
が。
「ぎゃー!」
茂みから顔を出したのはポークではなかった。
小さな猪が飛び出てきたのである。
生きている猪を初めて見たココロは面食らい無我夢中で突っ走った。
「来ないで来ないで来ないでー!」
きっと振り返ったら頭突きされる。
押し倒されてむしゃむしゃされる。
怖い。
死にたくない。
恐怖心から生まれた人食い猪の幻に追い回されて、ココロは何本もの木を右に左に避けて走った。
息が切れ、足がもつれてしまったせいで腐葉土に埋もれていた木の根に躓いた。
死を覚悟してぎゅっと身体を強張らせたココロだが、いくら待てども食べられる気配がない。
ゆっくりと上体を起こして周辺を見回した。
同じような木ばかりで動物の姿は見当たらない。
毒々しい赤い蛾が舞っているくらいである。
「なんだ。びっくりさせて。危うくまぬけな二次災害になるところだったじゃない」
ココロは立ち上がって服についた土を叩き落とした。
布で吊るした左腕に蟻が這っていたので中指でぴんと弾く。
それから顔をあげてはっと気づいた。
自分がどの方向から走って来たのかわからない。
救助に来たのにパニックを起こして道に迷う。
お手本のようにまぬけな二次災害だった。




