第三話 大喧嘩(4/5)
「今日は助けてあげたけど、次はないからね」
そう言ってココロはポークの手をとり引き起こした。
後ろを向かせて砂だらけの背中を払い、ある程度綺麗になったら正面を向かせた。
肘の辺りの砂を払っていると、ポークが憎々しげに睨んできた。
「お前のせいだ」
助けてあげたのになんという言い草だろう。
ココロは握り拳を見せつけて、「もう十発殴るよ?」と睨み返した。
「ひっ」
また殴られると思ったようでポークは腕を上げて顔を守った。
しかしその目つきは変わらない。
ココロを憎しみの対象として見ていた。
あれだけ理不尽ないじめを受けても相手に敵意を向けないくせに、ココロだけは例外なのだ。
睨み合いが続く。
ココロはポークが話すまで黙って待った。
「お前、ずっと隠れて見てただろ」
ポークは恨むように言った。
どうやらばれていたようだ。
何か言い返したかったが、うまい言い訳が思いつかない。
ポークはぺっと口の中のどんぐりを吐き出した。
「何が助けてあげただ。オレがいじめられてるのをこそこそ覗いて、出てきたと思ったら殴ってきて。目的はなんだ。オレをいじめてそんなに楽しいか」
「楽しいわけないじゃん。あんたが情けないから殴ったんだよ。あんた、自分が思ってるより百倍は無様なんだよ?」
「オレは無様じゃない。すぐ暴力に頼るお前よりずっとまともだ。だいたい、あいつらに付きまとわれるようになったのはお前のせいなんだぞ」
「ひとのせいにすんな。あんたがやり返さないからいじめがエスカレートしたんじゃない!」
頭突きで豚っ鼻を潰したくなったがぐっと堪えた。
これ以上泣かれては話ができなくなる。
たまには本気で話し合わなければならないのだ。
「オレ、お前を殴ったりしてない」
「は?」
「ナマハムに嘘の告げ口しただろ。オレがお前を殴ったって。そのせいで、人間を襲うアルノマは死ねって、頭がおかしい豚めって、石を投げられるようになった。オレは一度もお前を殴ってないのに、ライガードに言われてずっと我慢してるのに、お前があいつらに嘘を言ったんだ。オレがいじめられるのは全部……全部お前のせいだ!」
息が届くほどの距離でポークが怒鳴る。
ココロは両手でポークを突き飛ばした。
「あたし何も言ってない!」
大声でごまかしながら嘘を重ねた。
ナマハムたちの怒りを煽った自覚はあった。
あのときは慰めてほしくてつい被害者ぶってしまったのだ。
嘘はココロの悪癖だ。
ついた嘘を守るためにまた嘘をつく。
ずっとそれを繰り返してきた。
「やっぱりお前、最低だ! 嘘つきだ!」
「嘘じゃないもん! 嘘じゃ……」
情けなくて涙がこみ上げてきた。
ポークは正しい。
悪いのは自分だ。
わかっているのに謝れないのだ。
どうやって謝れば良いのかわからないのだ。
誰も教えてくれなかった。
ココロは優秀な魔術師で、村の権力者の曾孫だから。
みんな優しすぎたのだ。
「そうやって泣いて騙すのか。そうやっていい子のふりして、オレの家族を奪うのか」
「家族ってなによ」
「母ちゃんもライガードも、お前がウゴウゴに来るようになってからお前の話ばかりするんだ。ココロちゃんがかわいいとか、ココロちゃんの覚えがいいとか言って……オレを見てくれない。オレには母ちゃんとライガードしかいないのに。大事な家族をお前がとっちゃうんだ。オレは……独りになるんだ」
ポークは苦しそうに自分の胸の辺りの服を掴んだ。
ポークがココロを敵視している理由がわかった。
アルノマであるポークを蔑視することなく受け入れてくれる大切な家族。
それをココロにとられる気がして不安だったのだ。
「あたし、あんたの家族をとったりしない」
「嘘だ。みんなお前がとっていくんだ。オレはアルノマだから、母ちゃんもライガードもお前のほうが大事なんだ。オレがアルノマだから……父ちゃんはオレを捨てたんだ」
あまりにひどい自虐観。
なぜアルノマには精神疾患者が多いとされているのかわかった気がした。
きっとアルノマの多くは生まれつき問題を抱えているのではない。
偏見の目で見られるうちに心が歪んでしまうのだ。
「いい加減にして!」
ポークの頬を叩く。
乾いた音が空気を揺らした。
暴力でしか物事を解決できない自分もきっとどこかに問題を抱えている。
このままではいけないとわかっているのに感情を制御できない。
「アルノマだからって泣いてウジウジして我慢して、それでなんになるの。そんな性格だからいじめられるの。あんたの家族をとる気はないけど、とられたくないんだったら戦いなさいよ!」
ココロはポークの顔や胸を殴りつけた。
拳骨が痛い。
じんじんする。
殴りすぎて皮膚が破れ、ポークの服に血がついた。
ココロの拳のほうが先に壊れてしまいそうだ。
「あんたは弱虫だ。だからやり返さない。アルノマだからって我慢するな。かかってきなさいよ。あんたはちゃんと怒るべきよ!」
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい」
「いい子ぶってむかつくのよ。そんなに家族が大事なら、心配かけんな!」
「ブヒャアアアア!」
ストレスが限界に達したようだ。
ポークは獣のような叫びをあげて腕を振り上げると、体重を乗せてココロの左上腕を殴りつけた。
巨大な丸太がぶつかってきたかのような衝撃が腕から全身に伝わってくる。
ココロの身体は浮かされて後方にあった民家に背中を打ちつけた。
うまく呼吸ができない。
受け身がまったくとれなかった。
ココロはうつ伏せに倒れ、小石に頭を打ちつけた。
不思議と痛みは感じなかった。
「……あっ、あああああ」
砂だらけの顔が冷たい。
乾燥しているのように見えた土も実際に肌で感じると湿っているのがわかった。
なぜこんなに土の香りは心地よいものなのだろうか。
このまま地面に溶けて眠ってしまいそうだった。
殴られたのが腕でなければ最悪、死んでいた。
それくらいの衝撃だった。
身体を起こそうとしたが、殴られた左上腕から先が脳の命令に従わない。
右腕を使ってココロはなんとか上半身を起こした。
見ると、ポークは間抜けに口を開いて、何かに怯えるように震えていた。
「ごめ、ごめん。ごめんなさい……ごめんなさい」
ポークはただ謝り続ける。
ぽつぽつと雨が降ってきた。
もう夏は終わったというのになぜだか雨は温かかった。
雨はココロの髪を濡らし、水滴となって額にまで垂れてきた。
さらに鼻の近くまで垂れてきて、ようやくそれが血だとわかった。
倒れたときに小石で頭を割っていたのだ。
「て、手当てだ。オレ連れてくよ」
ポークがふらついた足取りで近づいてくる。
ココロを助けるというよりも、助けを求めるような表情で手を伸ばしてきた。
「寄るな、アルノマ」
ココロはポークの手を払った。
ポークは目を剥き動きを止めた。
「あんたは魔物だ。ナマハムたちが正しかった。アルノマはいずれ人を襲うんだ。こんな……こんな危ない力、人間のわけないじゃない! 大っ嫌いだ。あんたなんか、死んじゃえ!」
ココロの言葉に押されて後ずさり、ポークはがちがちと歯を鳴らした。
「豚は森に帰れぇ!」
その一言がとどめとなった。
ポークはいっそう呼吸を荒くしてこの場を去った。
ライガードのいる工場に向かったのだろう。
「痛い……痛いよ……」
独りになると焼けるような激しい痛みが左上腕を襲ってきた。
転んで擦りむく程度の怪我しかしてこなかったココロには未知の痛みだ。
「助けて……誰か……」
雨が強くなってきた。
今気絶すれば体温を奪われて死ぬかもしれない。
ココロは最後の気力を振り絞って立ち上がると、背後で鳴る雷から逃げるように来た道を戻っていった。




