第三話 大喧嘩(1/5)
父母に頼まれた畑仕事を手抜きで終わらせ、ココロはいつものように歩いてウゴウゴに向かっていた。
道中、民家の屋根に目を向けると、猛暑の間ほとんど動かなかった風見鶏が今は元気にはしゃいでいた。
何日か前に木の下に落ちていた蝉の死骸はいつの間にか消えている。
夏の終わりを実感した。
「はいはい毎度あたしでーす」
到着を知らせる程度に挨拶してココロはウゴウゴに入店した。
店主用の机に座っていたのはライガードでなくポニータだった。
彼女は笑顔で迎えてくれる。
「いらっしゃい。今日は私が先生よ。ライガードさんは忙しいみたいで」
「やったぁ!」
ココロは飛び跳ねて喜んだ。
ポニータの授業はライガードよりも面白い。
何せ、話が脇道に逸れていくのだ。
引き算の勉強をしていたのに旅で出会った冒険者イケメンランキングの発表を始めたときは脈絡がなさすぎて自分の耳がおかしくなったんじゃないかと疑った。
優秀な先生ランキングがあったとしても確実に選外なポニータだが、好きな先生ランキングではサキを抑えて堂々のトップを飾る。
友人のような親近感があり、一緒にいて楽しいのだ。
「さぁ座って」
ポニータに促されてポークの隣に座った。
ポークとは相変わらずだ。
一緒にいて喧嘩しなかった日はない。
またくだらないことで言い争いをするかと思うとうんざりする。
「あらポーク、今日も馬鹿面してるわね」
「お前は馬鹿そのものだけどな」
これくらいであれば挨拶である。
ウゴウゴで勉強するようになってからポークはずいぶんと賢くなった。
卑怯にもココロの帰宅後にその日の授業を復習しているらしく、今ではココロと同じレベルで読み書きができる。
そのためココロがポークに読み書きを教えるという約束は形骸化して、今はポークと二人でライガードやポニータの授業を受けている状態である。
何も教えていないのに高価な本を読ませてもらっているのだからライガードたちに感謝しなければならない。
「今日は『アトラ大陸民話集』を読みます」
ポニータが棚から赤い背表紙の本を取り出してページをめくり、机に置いた。
『醜いトカゲの子』というタイトルと、溺れたトカゲの挿絵が載っている。
「あたしこの話知ってる!」
「あら、本当」
有名な童話だとサキに聞かせてもらったことがある。
要約するとこんな話だ。
昔、あるところに醜いトカゲが生まれた。
トカゲは生まれつき鱗の色が悪く、兄弟にいじめられていた。
その醜さから親に近寄るなと言われ、独りで歩いているところを鳥に捕まってしまった。
死にたくないとトカゲは暴れる。
運良く逃げ出せたものの、そこは海の上だった。
トカゲは波に飲まれてしまい、見知らぬ孤島の砂浜で目覚めた。
兄弟が探しにきてくれるだろうとトカゲは待った。
しかし誰も来ないまま、年月だけが過ぎていく。
やがて成長したトカゲは自分の手が手ではなく翼だったことに気づいた。
大空を駆けるトカゲ。彼を見て、かつての兄弟は言うのだ。
ドラゴンだ、かっこいい、と。
「スカっとする話よね。いじめてきた兄弟にドラゴンになった姿を見せつけられたし」
「ココロちゃんはそう思うのね」
「ポニーさんは違うの?」
「同じ話でも人によって解釈は違うわ。だから面白いの。もう二人とも文字を読むことはできるわね。次は物語を読む練習をします」
ポニータがにっこりと笑った。
ポークはこの話を読んだことがないようで、文章を目で追っている。
「物語を読むって、文字を読むのと違うの?」
「全然違うわ。文章や単語からは明確な意味が読み取れるけど、物語は読み手によって解釈が異なるの。……ごめんなさい、説明が下手ね。うーん、物語を読むっていうのは、そのお話が何を伝えたいのか、どんな教訓が含まれているのかまで考えて、自分のこれからに役立てることよ」
「難しいなぁ」
「そうね、難しい。でも大事なことよ。ちゃんと物語を読めるようになれば、得られる情報が格段に増えるの。その話が何を伝えようとしているのか、裏の裏まで読み込めるようになりなさい」
物語を読む力。
ピンとこないが言われた通りに学んでみようと思った。
ポークと一緒に本を読み込んでみるが、やはり大筋は祖母から聞いた話と変わらない。
本を読み終えたポークがうーんと唸る。
「空が飛べて良かった。主人公のトカゲは幸せだっただろうな。また兄弟と会えて」
ココロとはまったく異なる感想である。
主人公の辛い生い立ちや実はドラゴンだったというどんでん返しに着目せず、ただ兄弟との再会を喜んでいる。
醜いと蔑んでくる兄弟なんてココロであれば喉チョップ百連撃をかましたいくらい憎い相手だ。
とても信じられない。
「ほらね、面白いでしょう。同じ文章を読んだはずなのに受け取り方はこんなに違うの。もちろん正解はないわ。でも他の人の感想を聞くことで視野を広く持てる。そしてそれは寛容さに繋がるわ。人の気持ちを理解してあげられるって、すてきなことよ」
一理あると納得した。
ポークと二人で、もう一度トカゲの生涯を追った。
よく読んでみると、主人公のトカゲが兄弟を恨んでいるような描写はまったくなかった。
ココロが勝手に兄弟憎しと感じてしまっただけである。
ふと思った。
ではポークはなぜ、いじめてきた兄弟を憎いと感じなかったのか。
ちらりと隣の豚鼻に目をやった。
鼻水垂らして泣いているところは何度も見たが、ポークが本気で怒っている姿は想像できない。
ポークだって、ナマハムたちの暴言に反感を抱かないはずがない。
ココロならば彼らの寝床に毒針くらい仕込むだろう。
もちろん致死性のやつだ。
ポークはそれをしない。
「ポークはなんでこの主人公が幸せだと思ったの?」
「えっ、だって最後に兄弟と会えてるじゃん。ハッピーエンドだよ」
「でもいじめてきた奴じゃん。あたし醜いとか言われたら絶対殺すし」
「オレ何回もブスって言ってるけど」
「だってあんたほんとはあたしのこと好きじゃん」
「それはない。それはないよ」
真顔で否定されたのでとりあえず殴っておいた。
一緒に勉強するようになってからわかったことがある。
ポークは身体がめちゃくちゃ頑丈だ。
「で、なんで嫌な奴と会ってハッピーエンドなの」
「かっこいいって、最後に兄弟が言うだろ。きっと主人公のトカゲはすごく嬉しいと思うんた。だから、うん、いいんじゃないか」
「不健康ね。あんたやっぱり、おかしいよ」
「何がだよ」
「相手を許してるんじゃないもん。自分の中でなかったことにしてる。怒り方を知らないのかも。屁をこいたり髪の毛わしゃわしゃするけど、あんたに本気で殴り返されたことないし」
「暴力はいけないことだって、ライガードに教わった。我慢するのは偉いんだぞ。お前は悪い女だ。そんでブスだ」
「馬っ鹿じゃない。そんなの大人のルールだっての。怒るときは怒る。そうしないといつか自分が壊れちゃうよ」
「お前に何がわかるんだよ」
「あたしはあんたなんてどうでもいいけど、なんか見てて気持ち悪い。もっと自由に生きたら?」
会話が熱を帯びてきた。
ポークはぷるぷると肩を震わせている。
ここからさらに二言三言加えると、大声で泣き出すはずだ。
だが決して、手を出すことはない。
我慢の経験がほとんどないココロにはポークが普段どんな気持ちでナマハムたちの暴言に耐えているのか理解できなかった。
ポークがアルノマであること以前に、やり返さないからいじめられているのではないかとすら思えた。
「そこまでよ。どうしてそんなに簡単に喧嘩になっちやうのかねぇ。二人には姉弟みたいになってもらいたかったのに」
ポニータはポークとココロの肩を抱いて間に入った。
「でも母ちゃん、こいつが突っかかってくるんだ。オレ絶対悪くないぞ」
「あらポークだってブスブス言ってたじゃない」
「それはこいつが」
「どんな理由であれ、ひとの容姿を貶すのはよくないわ。ポークだって言われたら嫌でしょう」
「そうだけど、不公平だ。いっつもオレが悪者にされてる。悪いのはこいつなのに。母ちゃんはオレばっかり叱ってる。こいつが……オレの家族を……」
ポークはついに泣き出した。
泣くくらいならかかってこいよと思うのだが、生まれついての弱虫のようだ。
それでもココロに対しては反論するだけマシだ。
他の村人から罵声を浴びても聞こえていないふりをするだけで目すら合わせようとしない。
「ごめんね。また泣いちゃった」
ポニータは泣きじゃくるポークの頭を撫でた。
いつもこのパターンで勉強が中断されるのだ。
「それで、ポニーさんはこの物語をどう読んだの?」
ココロは醜いトカゲの子の話を続けた。
せっかく教わっているのだ。
ポークの都合なんかで時間を無駄にしたくはない。
「私、この物語には教訓が込められていると思うわ」
「教訓?」
「ええ。生まれたばかりの主人公、他の兄弟からブサトカゲ扱いされていたじゃない」
「ブサトカゲって」
「でも実際は種族が違った。なんと彼は眉目秀麗なイケドラゴンだった。私はこの物語に、狭い社会の評価なんてあてにならない、という教訓が込められているように思えたわ」
優しく、ポークの目を見て語りかけていた。
ココロは気づいた。
ポニータは今の話をポークに聞かせたくて『醜いトカゲの子』を教材に選んだのだ。
ライチェ村は小さな集落だ。
ポークはここで一部の村人に蔑視されている。
けれど村を出れば森があり、森を出れば都市がある。
国を出れば別の国があり、人に疲れたら海や山などの自然がある。
ここはアトラ大陸の最西部に位置するドリアン王国、その領内でもほとんど人の立ち寄らない辺鄙な村だ。
広大な世界のほんの一部にすぎない。
こんな村で何を言われようが気にするほどのものではないと、ポークを慰めていたのだ。
「なるほど。さすがポニーさんだ」
良い勉強になった。
物語を読むというのは面白い。
同じ文章を読んでも人によって得ているものが違うのだ。
「よし、じゃあ別のお話も読みましょう。ほらポーク、元気出して」
ポニータは本のページをめくった。
『トキメキと少女』というタイトルと宝石の挿絵が描かれている。
今度はどんな話だろう。
ココロは本を手元に引き寄せた。




