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 そのときフィーンディアはビクセンシティーを離れていて、王宮には僕しかいなかった。新しく作られた戦艦の試運転だとかで、フィーンディアは海の上にいたんだ。洋上で二泊する予定で、王宮には明後日まで帰ってこないことになっていた。サウカノの大使がいかめしい顔をして王宮に現れたのは、そういうタイミングだったんだ。

 さっそく『蜂追い係控室』へ、マーガが僕を呼びにきた。彼女にしては珍しく、少しうろたえている様子だった。

「クスクスさま、困ったことになりました」マーガは言った。

「どうしたの?」

 僕は机の上から顔を上げて、読んでいた書類をほうり出した。またまたとんでもなく退屈な書類だったので、邪魔をされたことがとてもうれしかった。今度は線路の話じゃなくて、養蜂業界の関係者から寄せられた請願書だった。最近は外国から安い蜂蜜が輸入されて生活が苦しいので、輸入品にかける関税を引き上げてくれという内容だった。僕はとっくに鉄道大臣は辞任して、今は養蜂庁長官だったから。この国には様々な『庁』が山ほどあって、僕に与えるポストにはことかかなかった。ただ、養蜂庁の専任スタッフは僕一人だけで、部下一人いなかったのだけどね。

 マーガが言った。

「いまサウカノの大使が広間に来ているのですが、なにやらひどく腹を立てているようなのです。語気も荒く、『わが国は開戦も辞さぬ』などと申しております。興奮がひどくて、何が起きたのか要領を得ないのですが」

 マーガに連れられて、部屋を出て、僕は広間へ行くことにした。フィーンディアがいないんじゃあ、僕が会うしかない。僕とマーガは、とんとんと階段を下りていった。

 ビクセン王宮の二階は他の階よりも天井が高くて、二倍くらいの高さがあった。この階には広間があったから、それに合わせてあったんだ。

 僕は広間の中へ入っていった。マーガがついてくる。広間は大きな部屋だけれど、王宮内のほかの部屋と同じで、飾りと呼べそうなものはほとんどなかった。そもそもビクセンは荒地の国で、農業には適さなくて、豊かな国とはとてもいえなかった。おまけに北の国境がロシュケンに接しているから、軍備に金がかかる。

 僕はいつも思ったのだけど、本当にここは王宮の広間というよりも、どこかの倉庫みたいな感じだった。がらんとした空っぽの倉庫。一番奥には玉座があって、そこだけ床が一段高くなっているから、かろうじて女王の部屋なのだとわかる。窓は部屋の東側にしかないから、午前中はともかく、午後遅くにはとても薄暗くなる。

 僕は玉座に近寄っていった。もちろんこれはフィーンディアの玉座なのだけれど、フィーンディアがここに座るところは、僕はあまり見たことがなかった。フィーンディアは、これに座って人と会ったりするのがあまり好きではないようだった。でも僕は好きだった。だからときどき勝手に座ってみたりしたけれど、フィーンディアは何も言わなくて、好きなようにさせてくれた。

 サウカノの大使は、この玉座の前に立って僕を待っていた。小柄で、顔の下半分に真っ黒な濃いひげを生やしている。おなかが大きくて、ビール樽のような体型をしている。中年というにはまだ若い。したたかそうで鋭い目つきをしている。役人というよりは、抜け目のない商人という感じがする。細かな刺繍のされたサウカノ風の衣装を身につけている。

 僕はすぐに微笑みかけたけれど、大使はにっこりもしてくれなかった。釘のようにとがった目つきで見つめ返してきた。それでも、軽く頭を下げて僕にお辞儀をした。

 大使の名前がブプコロンだということは、僕はもう知っていた。変な名前だから印象に残っていた。サウカノ人は、変わった名前を持っていることが多かった。

「あの…」僕は話しかけようとした。でも、続きを言うことはできなかった。ブプコロンが突然、機関銃のように話しはじめたから。

「この事実について、今すぐご説明いただきたい。イプキン陛下はお怒りです。場合によっては、出兵も辞さぬとのお考えです」

 ブプコロンの語気は強かった。でも同時に、氷のように冷たい。本当に怒っている人の話しぶりはこうだということを、僕は過去の経験から学んでいた。経験って、たいがいは学校の試験で僕が悪い点を取ったときの教師たちの反応からだったけれど。

「はい」僕は、なんと答えていいかわからなくなってしまった。

「これをごらんいただきたい」

 ブプコロンは、手に持っていた紙を僕の前に差し出してみせた。僕は視線を落とした。ブプコロンは、いらいらした様子でわずかに振ってみせた。

 しっかりとした腰のある白い紙で、筒状に丸めてある。真ん中を黒いリボンでとめてある。すぐに僕にも、それがビクセンの公文書の様式だということがわかった。

「お手にとってごらんください」ブプコロンは言った。

 僕はそれを受け取った。手触りからみても高級な紙で、ますますビクセンの公式文書っぽく思えてきた。僕はリボンをポンと引き抜いて、筒を広げて眺めた。

 書式もビクセンの公式文書と同じだった。表面のつるつるした紙に、文字はインクで手書きされている。黒い色なのだけど、ごくわずかに緑がかったインクの色にも見覚えがあった。用紙の一番上のところには、三つ尾ヘビの姿が印刷されている。ビクセン王国の紋章だ。

 僕は、書かれている内容に目を通した。読んでいくうちに、僕は胸がどきどきしはじめた。

 軍事行動の命令書だった。ビクセン陸軍第三師団に対して、戦闘準備を整え、サウカノとの国境へ移動せよと命令する内容だった。文書の一番下のところには、フィーンディアが直筆したサインもある。僕は何度も目をこらしたのだけど、間違いなくフィーンディアのサインだった。子供のころから一緒にいるのだから、見間違うはずがなかった。書類が作成された日付も確かめたのだけど、ほんの一週間ばかり前だ。

 ビクセン陸軍には、六つの師団があった。第三師団は国のいちばん南の守りを固めていて、砂漠での戦闘に備えて訓練されていた。サウカノを攻撃するのにはいちばん適任だ。

 ブプコロンが口を開いた。「ご説明いただきたい。それは、フィーンディア陛下がわが国を攻撃する意図をお持ちであることの動かぬ証拠です。ロシュケンの脅威に備えるために戦車をご用立てしたことをもうお忘れか?」

「でも…」僕の顔は、もう真っ青だったろうと思う。「なぜこんなものを持ってるんですか?」

 ブプコロンは、僕をまっすぐに見つめたまま答えた。「そんなことは問題ではありません。問題なのは、フィーンディア陛下がこういう命令書を書かれ、正式に師団へ送ったという事実です」

「だけど、第三師団だけでは戦争なんか始められません。本当に始めるのなら、第六師団に側面防衛をやらせるはずです」

 ブプコロンはにっこり笑った。「第六師団も動きはじめているという情報を、われわれは得ております」

「うそだと思う。何かの間違いですよ」

「それはイプキン陛下に直接申し上げられればよろしい。お望みであれば、クスクスさまを今すぐサウカノへお連れしてもよいとの指示も受けておりますが、どうされますか?」

 マーガに言って、僕はすぐに旅行の支度を始めた。マーガはいい顔をしなかったけれど、僕は押し切ってせかした。

「せめて、フィーンディアさまに相談されてからになさっては?」マーガは何回も僕に言った。でも僕は、そのたびに首を横に振った。

「もうサウカノは本気にしてるよ。すぐに行って説明しないと」

「しかし、こんなことはばかげていますよ」マーガは鼻を鳴らした。

 スタウかハニフが王宮にいれば、僕は違う行動をとったかもしれない。でも二人とも、フィーンディアと一緒に出かけていた。だからカバンの用意ができると、僕はすぐに引っつかんで自分の部屋を出た。「せめて、電報の返事がフィーンディアさまから届くのを待たれては?」というマーガの声が背後から聞こえていたけれど、僕は無視して廊下を歩きつづけた。

 ブプコロンは、飛行場に飛行機を待機させていた。今から考えたら用意がよすぎるけれど、あのときの僕は、そんなことに気が回る状態ではなかった。数人の護衛を連れただけで、その飛行機に乗り込み、三十分後にはブプコロンと一緒に空の上にいた。

 国境を越えて、夕方前には、飛行機はサウカニアン近くの飛行場に着陸していた。すぐに自動車に乗せられて、王宮へ向かった。

 僕はひどくあせっていたのだと思う。ビクセンとサウカノの間で戦争が起こりつつある。何とかして止めなくてはなくちゃ。僕はブプコロンに連れられて、王宮の中へ入っていった。

 玄関を通り抜けて、見覚えのある廊下を歩いていった。でも、ある曲がり角まできたとき、僕は不思議に思って立ち止まった。おかしいな、ここを右に曲がるんじゃないの?

 すぐに気づいて、ブプコロンは振り返った。「陛下は広間ではなく、居間でお待ちです」

 僕は納得して、曲がり角を左に曲がった。ブプコロンの後を歩いていった。

 イプキンの居間は、王宮のずっとずっと奥にあった。こんなに奥まで連れてこられるなんて相当異例なことに違いないと、突然僕は気がついた。

 とうとう居間の前に着いた。ブプコロンがドアを開けて、僕を中へ入れてくれた。もちろん、ブプコロンもついて入ってきた。

 居間の中は明るく照明されていた。僕は、ここへ連れてこられた理由も忘れて、まわりをキョロキョロした。

 内装は、玉座と同じ材質の黒いすべすべした木材で作ってあった。光を受けてきらきら輝く貝殻で装飾がしてあるところも同じだ。どこかでたかれているのか、かすかに香の匂いがする。壁や柱と同じ材質で作られた大きなガラス戸棚があって、たくさんの本が詰まっている。そういえば、イプキンは大変な読書家だという噂を聞いたことを思い出した。宗教から哲学、科学や軍事の本まで何でも読むらしい。

 居間の中央には、玉座ほどではないけれど、それでも大きな木のイスがあって、イプキンはそこに腰かけていた。本を読むときに使うのか、ひじかけのわきに書見台が作りつけてある。でもイプキンの顔を見た瞬間、僕はなんだかおかしな気がした。拍子抜けしたといってもいいと思う。僕を見て、イプキンがにやりと笑ったようだったから。それも、そういう表情をぜんぜん隠そうともせずに。

 だから僕は、イプキンのだいぶ手前で立ち止まった。イプキンはもう一度にやりと笑い、僕に向かって手招きをした。

「クスクス殿下、どうぞお進みください」ブプコロンがそういって、僕をイプキンのそばへ行かせた。

 僕はつばをごくんと飲み込んで、口を開くことにした。「あの命令書のことですが…」

 イプキンが突然口をきいた。「いい加減な偽造品だが、おまえのような子供をだますには十分だったということさ」

 僕はびっくりして、ブプコロンを振り返った。

「もうしわけございません」ブプコロンが深く頭を下げた。またイプキンが言った。

「自分の妻のサインであろう? 本物と作り物の区別もつかぬか? フィーンディアのサインは、もっとのびのびしておるわ」

「じゃあ、何のために?」僕はもう一度、居間の中をきょろきょろ見回した。イプキンとブプコロン以外は誰もいないことに気がついた。「僕の護衛はどこにいるんです?」

 イプキンがくすりと笑った。「別の部屋で待たせておる。心配することはない」

「何のために僕を連れてきたんです?」

「さあ、それよ」イプキンはまじめな顔になった。「おまえに、どうしても話しておかなくてはならぬことがあってな」

 イプキンはイスから立ち上がろうとした。ブプコロンはすぐに気づいて、そばの小卓の上に置かれていた杖をとって、イプキンに手渡した。イプキンは受け取り、ゆっくりと背筋を伸ばして立ち上った。僕は黙ってみていた。

「ついておいで」イプキンが歩きはじめた。僕を連れて、居間を出ていった。ブプコロンは居間の中に残ったので、廊下に出ると、僕はイプキンと二人きりになった。

 長い廊下だった。居間を出てすぐのあたりでは数人の近衛兵を見かけたけれど、しばらく行くと誰も見なくなった。分かれ道や交差点もなくなって、ただ一本まっすぐ続いていくようになった。

 ちらりと振り返って、僕がついてきていることを確かめながら、イプキンが口を開いた。

「古代王朝の遺物を見せろとゾディアが私に迫ったという話は聞いておるか?」

「はい」

「そのあたりのことを少し説明してやりたくてな。それで呼び寄せたのだ」

 ずいぶんと強引なんだなと思ったけれど、僕は黙っていることにした。

 こつんこつん。イプキンの杖の先が床のタイルに触れる音が響いている。少しせわしないリズムだ。はじめ僕は、こんな年寄りについて歩くなんて、まどろっこしくてうんざりするんじゃないかと思っていたのだけど、実際にはそんなことはなかった。初めて気がついたのだけど、僕はふだんからとてもゆっくり歩いている人間のようで、イプキンのペースにあわせるには、少しスピードを上げなくちゃならないぐらいだったんだ。

「どこへ行くんです?」僕は言った。

「庭さ」

「それはどこにあるんです?」

 イプキンはため息をつくように笑った。「いささか遠いのは事実だわな。少し歩くことになる」

 僕はぜんぜん知らなかったのだけど、この王宮には中庭が二つあった。ひとつは、前回やってきたときに散歩をしたところだったけれど、イプキンはもうひとつの中庭へ僕を案内しようとしていた。

 この王宮は、小さな町ならすっぽり入ってしまうぐらいの面積があった。そのほぼ中心あたり、イプキンに連れられて、うんざりするぐらい長い廊下を歩き、分厚い木のドアを抜けると、その向こうに僕の知らない庭が広がっていたんだ。

 中庭なんだから天井も屋根もなくて、砂漠の熱い太陽が嫌がらせみたいに強く照りつけているはずだった。でもそうじゃなかった。ここは森になっていた。背の高い木々や下草におおわれていて、緑の葉の匂いが満ちていて、でも光がささなくて薄暗かった。光という光を、すべて葉が吸収してしまっていたからね。

 すぐに僕は、ここは人工的に作った森だと思ったのだけど、あんまりすごい景色だったから、どうやって水を確保しているのか質問するのを忘れてしまった。遠くの水路から引いているか、何百メートルもの深さに井戸をほって、ポンプであげてきているか。

 その森の中央に、四角い石の建物が見えていた。半分以上木々に隠れているのだけど、コロンと置かれたサイコロのように四角くて、一辺は二十メートルぐらいある。ほかの建物と同じように砂岩でできているが、少し白っぽい色をしているぶん、作られた年代は違うのかもしれない。きっと何世紀も昔のものだろうという気がした。庭の入口のところから、森の小道のように細い道が、わずかにカーブしながらその建物のところまで伸びていた。

「これが宝物庫なんですか?」と僕は言った。

「宝物庫? そんなもの存在せぬわ」小道を歩きはじめながら、イプキンはちらりと僕を振り返った。葉の間から差し込む光が目に入ったのか、まぶしそうに一瞬目を細めた。

「どうして?」

 なんだか僕って、質問ばかりしてるね。でもイプキンは、その質問には答えてくれなかった。

 僕とイプキンは、建物の入口のところまでやってきた。小道は、そのまま扉につながっていた。建物の大きさに比べると小さなドアで、どこかの家の勝手口だといわれても信じることができそうな感じだ。

「その扉をお開け」イプキンが杖の先で軽く示した。

「鍵はかかってないんですか?」

 イプキンは苦笑いをした。「何でもききたがる子供じゃな。鍵など必要ない。王宮のこんな奥にまで忍び込める賊などおるまい?」

 僕はちょっと感心して、手を伸ばしてカンヌキに触れようとした。鉄製の棒をスライドさせるようになっていて、古びてはいたけれど、軽く動いた。扉は木製で、厚さは十センチぐらい。蝶番の上で軽く動いた。

「この中に、同じような扉がまだ二枚ある」イプキンが言った。

 たしかにイプキンの言うとおりだった。続いて僕がそれらの扉も開けると、短い廊下があって、そこを行くと、四角い狭い部屋に出て、行き止まりになった。。僕はそのまま部屋の中へ入っていった。イプキンもついてきた。

 僕は部屋の中を見回した。部屋の中を照らしているのは、扉と廊下を通して差し込んでくる四角い光だけだったから、ほとんど真っ暗だった。空気はひんやりしていて、気持ちがいい。

「奥に窓がある。よろい戸をお開け」また杖で示して、イプキンが指図をした。

 その方向を見ると、たしかに壁に窓のようなものがあって、今は雨戸のようなもので厳重に閉じてあった。僕はそこへ歩いていって、がたがた言わせながら開けた。とたんに外の光がさっと差し込んできて、部屋の中は明るくなった。僕は、もういちど部屋の中を見回した。

 部屋の中はきれいに掃除されていた。床にホコリがたまっているわけでも、クモの巣が張っているわけでも、すみに小さな虫の死がいが転がっているわけでもなかった。だけどそれ以外、この部屋の中には何があるというわけではなかった。空っぽだったんだ。部屋の中央に、砂岩でできた何かの台のようなものがひとつ置いてある以外は。

 高さは一メートルと少し。がっしりした大きなもので、人が三人ぐらいなら座ることができそうだ。かつてはこの上に何かが置いてあるか、飾るかしてあったらしい。この国独特の、レンガのように赤茶けた色をした砂岩だ。

「かつて、その上には何かが飾られていたらしい」イプキンが言った。

「なにが?」僕は振り返った。

「何かは知らぬ。二百五十年前に、当時のビクセン王から預かったものだったそうだ。大切なものだったらしいが、当時のビクセンは国内のごたごたで、安全に保管できる場所がなかったそうでな」

「何だったのか、本当にわからないんですか?」

 イプキンは、わずかに首を横に振った。「何か黒王妃に関するものだったとは聞いておる。それ以上のことは知らん。預かった数年後、国内の情勢が落ち着いたのでビクセンへ返された。私はさんざ口をすっぱくしてそう言ったのだが、ゾディアは信用しなかった。私がうそを言っておると思ったらしい」

 僕はかすかに微笑んだかもしれない。「その結果、娘にあんな名前をつけちゃったんですね」

「それはいうな。私も気にはしておる。だから戦車も貸してやったし、おまえにふさわしい花嫁を見つけてほしいと言われたときにも、二つ返事で引き受けた」

「えっ?」

「そんな顔をするな。そもそもフィーンディアが言ってきたことなのだぞ。だから私は気立てのよい娘を選び、ビクセンへ送ったのだ」

「その人はどうなったんですか?」

「結婚式がすむまで、フィーンディアの手でどこかの塔に閉じ込められておったそうだ。式の翌日にこちらへ送り返されてきたが、傷心をなだめるのにどれだけ骨折ったことか」

「でも式の日の夕方、発表されませんでしたか? 陛下がフィーンディアを養女に…」

 イプキンは突然かみつきそうな顔になって、少し大きな声を出した。「あれは、問題を大きくせぬために、苦しまぎれに発表したことだ。私は何も知らなかったのだ」

「だけど、花嫁の写真ぐらい事前に送ってくれてもよかったじゃありませんか」

 イプキンは不思議そうな顔をした。「何を言う? ちゃんと送ったぞ」それから意地悪そうに笑った。「ははあ、フィーンディアが握りつぶしたのだな」

 たぶんそうだろうと気がついて、僕もため息をついた。

 イプキンの表情がまた暗くなり、その後もしばらくの間、機嫌悪そうに僕を見つめかえしていた。でもふたたび言った。

「分別ある若い女王が、おまえの妻の座を手に入れるために陰謀をめぐらすなど、まったくどうなっておるのだろうな。もしかしたらフィーンディアは、さらにとんでもないことをたくらんでおるのかもしれんぞ」

「なにを?」

 イプキンはもっと機嫌が悪くなったようだった。「それは私にもわからぬ」

「でも…」

 イプキンは僕を見つめた。「私が話しておきたかったのはこれだけだ。疲れたであろう? このままお休み。明日ビクセンへ送り返してやる。命令書のことは誤解だとわかったと電報を打たせておいたから、何も心配することはない」

 翌日、僕は本当にビクセンへ帰ってきた。フィーンディアも心配して、予定を切り上げて王宮に戻ってきていたけれど、僕の姿を見て、ほっとした顔をした。


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