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 目を覚まして、僕はすぐに気がついたのだけど、もう朝になっていて、窓のカーテンの透き間から太陽の光が派手に差し込んでいた。ビクセン王宮は丘の上にあって、日当たりだけはとてもよかった。夏は南から暑い風が吹いて、冬には北にある山から強い風が吹き降ろして、とても寒いのだけど。

 時計を見るとまだ起きるには早かったので、僕はベッドの中でじっとしていることにした。起き出して学校へ行かなくてもいいというのが、とてもうれしかった。もちろんだからって、もう勉強しなくていいというわけではなかった。学校へ行く必要はないというだけのことで、王宮内で家庭教師をつけられることになっていた。それでも僕にとっては、学校へ行かされることよりもよっぽど気楽だったんだ。

 かすかな音がして、誰かが外からドアをそっと開いたことに僕は気がついた。僕がもう目を覚ましているか、さぐっているようだ。でも僕は知らん顔をしていた。こういうところって、僕は結構いじわるなんだよ。

 軽い足音が聞こえて、その誰かが部屋の中に入ってきた。寝たふりをしたまま目のすみっこでちらりと見たら、女官のひとりだった。マーガという名前で、女官の中では一番年上で、特にガミガミ口やかましいわけではないのだけど、他の女官や侍女たちや、官吏や軍人たちの間では恐れられていた。思ったことをずけずけ言うタイプで、フィーンディアのことは少女のころから面倒を見ていた。今では王宮で最も古株で、王宮内での習慣やしきたりについて何か疑問が起こると、結局みんなマーガの意見を聞きにいくことになった。

「クスクスさま、お目覚めでしょうか」ベッドのそばに軽くかがんで、そのマーガが言った。

「どうしたの?」僕は目を開いた。いま目が覚めたばかりだというふりをした。

「フィーンディアさまがお呼びです。すぐに会議室へおこしになるようにと。ロシュケンのことのようです」

 あくびをしながら僕がベッドの上に身体を起こすと、マーガは黙って部屋を出ていった。ロシュケンというのは、隣国の一つだった。ビクセンとは仲が悪くて、いつもケンカをしていた。何度か戦争もした。これまでのところは、なんとかビクセンは負けずにいた。でもそれだって、いつまでもつかわかったものではなかった。

 僕はすぐに着替えて、階段を下りていった。王宮の六階から下は、軍と王国政府のオフィスになっていた。僕は、五階にある会議室へ行った。

 ここは広い部屋で、真ん中に楕円形の大きなテーブルがある。そのまわりに、イスが三十脚ぐらい並べてある。戦争のときには、このテーブルの上には大きな地図が何枚も並べられるのだけど、このときはまだ一枚もなかった。

 軍人たちが二十人ぐらい集まっていた。みんな軍服を着て、ざわざわ話をしている。僕が入ってくると、軍人たちはそれぞれ軽く会釈をして迎えてくれた。全員がそうしたと思うけれど、ざわざわしたおしゃべりはやまなかった。自分でもよくわかっていたのだけど、僕は重要人物とはみなされていないようだった。あまり気にもならなかったけれど。

 僕も軍人たちの間に混じって、イスに腰かけた。軍人たちは、まだ私語を続けている。でもそこへとうとうフィーンディアが入ってくると、ぴたりと静かになった。

「それでどうなのです?」僕のほうへ向かって歩いてきながら、フィーンディアが言った。フィーンディアは僕の隣に座った。あちこちで咳払いが聞こえて、軍人たちはイスの上で座りなおして、背筋を伸ばした。その中にはスタウもいた。

「状況はよくありません」スタウが言った。「ロシュケンが例の新型戦車の本格的な量産に入ったという知らせが入りました」

 ロシュケンは工業力が優れた国だった。戦車や飛行機も、いつもとても性能のよいものを作った。ただ、国土の面積や人口はビクセンのほうが上回っていたから、性能のよくないビクセンの兵器でも、多勢に無勢というやつで、これまではなんとかロシュケンからの攻撃をはね返すことができていた。

「一枚だけですが、写真も手に入りました」

 スタウは立ち上がって、その写真をフィーンディアに手渡した。フィーンディアが手に取ると、僕も首を伸ばしてのぞきこんだ。この時代のことだから白黒写真だけど、大きく引き伸ばしてある。砂漠のどこかの風景を、離れたところから望遠レンズを使って隠し撮りしたもののようだ。粒子が粗くて不鮮明で、ピントもきちんとあってはいないけれど、戦車が写っている。車体の後部から排気ガスを出し、キャタピラで砂ぼこりを立てながら走っている。一台や二台ではなくて、少なくとも二十台はいる。望遠レンズで撮った写真だから風景が小さく切り取られていて、全体を見回せばその何倍もいるのだろう。車体も砲塔もクサビのようにとがっていて、とてもスマートな戦車だ。墓石のように四角いビクセンの戦車とはぜんぜん違う。

 いろいろなところから得た情報で、この戦車とビクセン戦車の間には、かなりの性能差があるだろうと思われていた。ビクセン戦車の薄い装甲板を、この戦車の砲なら簡単に破ることができるだろう。逆に、ビクセン戦車が撃った砲弾では、この戦車を破壊することはできないだろう。きっと砲弾は、装甲板にするりとはじかれるだろう。もちろん、ビクセン戦車の砲を増強したり、装甲板を分厚くしたりすればいいようなものだけれど、エンジンの馬力の関係で、これ以上車重を増やすことはできなかった。ビクセンでも新型戦車の研究が始まっていたけれど、完成はまだ先になるという話だった。

 結局この日の会議は、何の成果もないままで終わってしまった。我々も新型戦車の開発を急ぐということが決まっただけで、それ以外は何もなかった。だけど数日後、フィーンディアが僕を自分の執務室に呼んだ。フィーンディアの執務室は、王宮の六階にあった。

 ところで、学校を卒業してしまうと、僕にはすることがなくなってしまった。ちゃんとした役職を与えられるには若すぎたからね。もちろん、フィーンディアにくっついて何かの儀式に出席することはあったけれど、それだってそうそう毎日のことじゃなかった。だから僕は、ふだんは本を読んだり、フィーンディアの執務室へ行って、書類の整理を手伝ったりしてすごした。そういう仕事は、本来はフィーンディアの秘書の役目だから、秘書たちはいい顔をしなかったけれど、僕は気がつかないふりをしていた。

 だけど僕も、いつまでもそうしてはいられなかった。だからフィーンディアに頼んで、半分冗談だったのだけど、『女王執務室・蜂追い係』というのを新設してもらった。

 フィーンディアの執務室には、どういうわけか年に一度か二度、開け放ったままの窓から大きな蜂が迷い込んでくることがあった。僕は、それを部屋から追い出す役職に任命されたんだ。もちろん無給だったのだけど、僕の名前はその役職名で王宮の勤務者名簿に載せられた。それどころか、役職が新設されるときには、その由が官報に記載されたりした。

 フィーンディアはその蜂追い係を執務室に呼んで、こういったんだ。

「サウカノ王国の女王から手紙が届きました」

「イプキンから?」

 サウカノも、ビクセンの隣国の一つだった。イプキンという女王がいる。王家はお互いに親戚で、何世紀か前に分家した関係だときいたことがある。

 フィーンディアはうなずいて、僕にその手紙を手渡した。それは、分厚くて滑らかで高級そうだけれど、それでもただの白い紙に書かれたものだったから、まあまあ普通の手紙だね。でもフィーンディアの机の上には、これが入れられてきたらしい二重の木箱が置かれていたから、国家間の正式な外交文書だ。たぶんサウカノ大使の手でじかに届けられたのだろうけど、こういうのを目にするたびに、僕はいつもあきれてしまった。たかだか手紙一つにものすごい無駄づかいだ。普通なら、切手を一枚貼ればすむことなのに。

 フィーンディアの部屋のすみには、木製の小さなスツールが置いてあった。誰が決めたわけでもないけれど、これはいつの間にか僕専用のイスになっていて、誰か他の人が座るところは見たことがなかった。僕はそれを机のそばまで引っ張ってきて、座って手紙を広げて読みはじめた。少し長い手紙だったけれど、要約すると、「ロシュケンの新型戦車については私も聞いている。ビクセンは戦車の数が足りておらぬようだが、わが国は少し余裕があるから、いくらか貸してやろう。礼を失せぬように、ふさわしい地位の者を受け取りによこせ」というものだった。

 どうやらイプキンも、ロシュケン戦車のことには神経をとがらせていたらしい。もしビクセンがロシュケンの手に落ちたら、サウカノはロシュケンと直接国境を接することになるわけで、そんなことになるよりは、ビクセンを援助するほうが得策だと判断したのだろうね。

「それで?」僕は、手紙をフィーンディアの手に返した。フィーンディアは僕を見つめた。不意に、ダンスパーティーの夜にキスをされたことを思い出した。

 フィーンディアが言った。「この役をあなたにお願いしたいのです。私の従兄弟であれば、資格として十分でしょう。行ってくれますか?」

 もちろん僕は、首を縦に振った。ビクセンの首都はビクセンシティーというのだけど、一週間後には、サウカノから迎えの列車が到着していた。目立たないように、ビクセンシティー中央駅の荷物専用プラットホームに入ってきた。僕が乗り込んで、真夜中に発車した。

 すぐに寝台車へ案内されたけれど、僕はまだ眠くはなかった。この列車にはサウカノ王宮から女官が乗り込んできていて、僕はその女官に頼んで、列車の中をあちこち見せてもらった。

 一番驚いたのは、この列車には冷房装置があることだった。ビクセン王宮にだって、冷蔵庫はあっても冷房はまだなかったから。それにこの列車には、食堂車だってきちんとしたのが一両あったし、お付きの者が使う供奉車も三両あった。ふだんはイプキンが旅行するのに使っている列車だそうだけど、そのときにはこの車内が本当に満員になるそうだった。

 女官のあとをついて廊下をキョロキョロ歩きながら、この列車にはいくら維持費がかかってるんだろうと僕は思った。それがそのままサウカノの経済力を示しているわけだけれど。これに比べるとビクセン王室の専用列車は古びていて、たった二台しかなくて、だいぶみすぼらしかった。冬には隙間風が吹いたし、ときどきは雨漏りもした。

 列車は走り続けた。冷房のきいた寝室でベッドに入って、僕は眠り込んだ。翌朝になって、起き出して朝食を食べているときに国境を越えた。

 国境を越えると、急に緑が多くなった。サウカノは雨の多い国ではないから、どこかから水を引いてきているのだろうけど、小麦の畑がずっと広がっている。その中を列車は走っていった。

 一日中走って、列車は真夜中にサウカノの首都、サウカニアンに着いた。くたびれてひどく眠たかったから、列車がプラットホームに止まるとすぐ、僕は大きく口を開けてアクビをした。それを見て、サウカノの女官がにっこりした。

 駅で自動車に乗せられて王宮へ連れていかれて、部屋に入れられると、僕はすぐにベッドに入ってしまった。イプキンには、明日の朝、会うことになっていた。

 朝になって目を覚まして、僕ははじめてまわりを観察できるようになった。昨夜は、眠たかったこと以外は何も思い出せなかった。まず僕は、部屋の中を眺めてみた。

 きれいにととのえられた広い部屋だった。窓が三つあって、淡い水色のカーテンが引かれていた。でもこういう砂漠の国だから、どれも大きな窓じゃない。床にはごく薄い茶色のじゅうたんが敷いてあって、やわらかなイスや、天蓋のついた大きなベッドが並んでいる。ガラス戸のついた戸棚があって、本が何冊も並んでいるのが見えた。

 僕は着替えて、戸をあけて部屋の外に出てみた。すぐそこがテラスになっていて、そのまま中庭に通じていたので、ちょっと散歩してみることにした。

 まだ朝が早いから、太陽の光は城壁にさえぎられている。それでも背後の建物の壁に反射して、力強く差し込んでくる。それがあんまりまぶしいので、僕は思わず手をかざした。そうしながら見回した。

 とても広い中庭だ。ビクセン王宮の中庭の倍ぐらいはあると思う。砂漠の国なのに緑であふれている。花壇が作られ樹木が植えられ、日陰が作られている。魚がいる池もあって、かすかに水の匂いがする。どれもこれも、ビクセン王宮とは手のかけ方が違う。いかにも豊かな国だという感じがする。ビクセンも決して小さな国ではないけれど、ロシュケンと隣り合っていないぶん、この国は有利なのだろうね。

 振り返って、僕は王宮の建物を見上げた。窓の小さい、いかにも砂漠の国風の建物だ。赤茶けた色の四角い砂岩のブロックを積み上げて作られている。少し向こうに背の高い塔が見えていて、とがった屋根の上にサウカノの国旗がはためいていた。

 砂岩でできたベンチがあったので、僕は腰かけてみた。鳥がちゅんちゅん鳴いて、そこらの木の枝にとまったり、僕の頭の上を飛んでいったりした。

「ここにおられましたか」

 声が聞こえたので振り返ったら、列車の中で一緒だった女官が立っていた。ワシプウという名前だということは、もう僕は知っていた。マーガよりは少し若いけれど、同じように位の高い女官だそうだった。

「はい」

 そう答えて、僕は立ち上がった。

 ワシプウはにっこりして、僕を見つめ返した。「朝食の仕度が整ってございます」

「イプキン陛下にはいつお目にかかれます?」ワシプウについて歩きながら、僕は言った。

 ワシプウはちらりと振り返った。「朝食後すぐにとのご指示をいただいております」

 僕は建物の中に戻った。寝室の隣にはもう一つの部屋があって、テーブルがあって、その上に朝食が用意されていた。油で揚げて砂糖で甘い味をつけたうすっぺらいパンと、山羊のミルク。ゆでたウズラの卵。鉛筆の芯みたいな色と形の、なんとかいう名前の植物の茎。

「これは何ですか?」僕はイスに座りながら、平らな皿に盛られた〃鉛筆の芯〃を見下ろした。

「やわらかくゆでてあります。お試しください」

 僕はフォークに手を伸ばした。鉛筆の芯を一本だけすくって、おそるおそる口に入れてみた。

 まずくはなかった。それどころか、塩味がきいてて結構うまかったよ。

 僕の様子を見て、ワシプウは満足そうに微笑んで、部屋を出ていった。

 朝食をすませたあと、ワシプウに案内されて、僕はイプキンのいる広間へ向かった。

 僕とワシプウは廊下を進んでいった。もう日が高くて、外はかなり気温が高くなっていたはずだけど、建物の中はひんやりしていた。どこかで窓が開いているからだろうけど、わずかだが風も吹いている。砂岩でできた建物の内部は、洞窟のように薄暗い。床と壁は、淡いブルーのタイルを敷き詰めて飾られている。陶器のタイルだ。暖色系の内装など、この国には用はないのだろうね。

 何度か廊下の角を曲がった。ワシプウはどんどん歩いていくから、僕はかなり遠くまで連れていかれるらしかった。ところどころに歩哨の兵が立っているが、あまりにも動かずに石像のようだから、はじめは本当の石なのだろうかと思った。でもすぐに、気をつけをして立っている衛兵なのだとわかった。

 僕は、とうとう広間へ入っていった。一目見ただけで、ここもとても金のかかった場所だとわかった。運動会ができそうなぐらい広くて、床も壁もピカピカした黒い石だし、左右だけじゃなくて、天井にも大きな明かり窓がいくつもある。この明かり窓は、巨大な雲母の板がはめ殺しになっているが、左右の窓はすべて開かれていて、涼しい風がゆっくり吹き込んでくる。

 イプキンはその広間の中央、ツヤツヤした黒い木でできた玉座に座って僕を待っていた。玉座のところどころには、きらきらした貝を使った飾りがはめ込んである。光を受けて虹のように光る。

 それを見た瞬間、ビクセン王宮の広間には玉座と呼べるほど立派なイスはないことを僕は思い出した。女王が座るイスはあるにはあるけれど、ただ大きいだけの木のイスに過ぎない。

 何年も前には、もちろんビクセンにもそれらしい玉座があったらしい。でも、僕やフィーンディアが生まれる少し前に王宮内で小さな火事があり、そのときに玉座も焼けてしまった。いまビクセン王宮にあるのは、その直後に作られた仮の玉座だったのだけど、いつかはちゃんとしたものに作り直すつもりだったのだろうが、フィーンディアの母親が倹約家だったこともあって、そのままになっていた。そのあと即位したフィーンディアも、玉座を新しく作り直す気などないようだった。

 イプキンは玉座に腰かけて、僕が近寄ってくるのをじっと見つめていた。年を取った小さな女だ。地味な灰色のドレスを着ている。年齢は八十歳をすぎている。

 イプキンの姿を見て、僕はとても驚いた。噂に聞いたのと同じ姿だなとも思ったのだけど、正直に言うと、びっくりのほうがその何倍も大きかった。それが表情に出ていたのだろうけど、イプキンはすぐに気づいて、にやりとしたようだった。イプキンの前に出ると、きっと誰もが同じことを思い、同じ表情を浮かべるのだろう。僕もそうだろうとイプキンは予想していたに違いない。

 イプキンに似た人というのを、僕は一人も思いつくことができない。少なくとも僕は、そういう人には会ったことがない。とても背が低くて、身体も手足も小さくて、小学一年生ぐらいの大きさだ。髪の毛はすべて灰色になっているがとても薄くて、ドームのような丸い形にきれいにゆってあるけれど、それでも頭皮が透けて見えている。頭のてっぺんには、ボールのように丸いまげが座っていて、金色に光るくしが一本突き刺してある。よく見ると、その先端では赤い宝石が光っている。親指の先ぐらいある大きな石だけれど、まさかガラス玉じゃないと思う。

 耳はとても大きい。おとぎ話に出てくる魔法のランプの取っ手みたいに、丸い形で左右に大きく突き出している。顔の輪郭は丸いのだけど、この耳のせいで、左右にとても大きく広がった顔に見える。皮膚にはしわがたくさんあり、小さな二個の目がその中に埋まって、光を反射しながら僕を見つめている。首は短いが、年のせいでしわがたくさん重なっていて、まるで首飾りを何重にもぶら下げているように見える。

「やはりフィーンディアは蜂追い係殿をよこしたか」

 イプキンの口が動いた。でも、不満を述べているような口ぶりではなかった。

 だけどその声は、僕が想像していたものとは違っていた。しわがれて力を失いつつある老人の声じゃなかった。もちろん若い声ではないが、それでも張りがあって、自分が何をしゃべっているのかきちんとわかっている人間の声だ。だますのがもっとも難しいタイプの人間。僕はそんな気がした。きっとイプキンはあの玉座の上から、僕が想像したこともないような様々なものを眺めてきたのだろうね。それも、僕が生きてきたよりもずっと長い間。

 でも僕は、そういうイプキンの前に出て縮こまっていたとか、緊張していたとかいうのではなかったと思う。自分でも不思議だけれど、僕はとてもリラックスしていたような気がする。だますことが不可能な相手の前に出て自分を偽ろうとしても無意味じゃないか。僕が飾ろうが飾るまいが、あちらはすべてお見通しなのだから。

「はい」僕はお辞儀をして、暗記してきたセリフを口にしようとした。「このたびのお心づかい、本当にありがとう存じます。ビクセン女王と国民にかわりましてお礼を…」

 イプキンの表情が変わった。僕は胸がどきんとしたけれど、もちろん悪い方向に変わったのではなかった。イプキンは、もうおやめというしぐさをし、口を開いた。「そんなくだらない口頭試問みたいなセリフはおやめ」

「え?」

 イプキンはまじめな顔でつづけた。「戦車は二百五十台貸し出す。明日の朝、駅で受け取るがよい」

 僕は何か返事をしようとした。でもその前にイプキンが動いた。身体の前で手を軽く振り、もういいからお下がり、というしぐさをした。

 これって、ひどくぞんざいなしぐさだったと聞こえるかもしれないけど、実はそうじゃなかった。僕は別に、ひどい扱いをされたような気も、バカにされたような気もしなかった。もちろん、もっとイプキンの前にいたいとか、もっと話をしたいというのでもなかった。僕はにっこり笑って、くるりと振り返って、広間を出ていった。広間の外ではワシプウが待っていて、僕を部屋までつれて帰ってくれた。

 翌朝、僕は自動車に乗せられて、サウカニアン駅まで連れていかれた。駅の表ではなくて、裏の貨物操車場のほうだったけれど、イプキンが言ったとおり戦車が二百五十台、貨車に積まれた状態で待機していた。屋根のない平らな貨車に乗せられて、みんなカバーをかけておおってあったけれど、僕に見せるために、一台だけカバーがはずされていた。

 ビクセンの戦車よりも一まわり大型で、砲も大きく長く太いものがついていた。車輪が小さいせいで、全体にワニのように背が低くて、不恰好ではあるけれど。幅の広いキャタピラが、かえるの水かきのように左右に出っ張っている。

 身元がわからないように、車体に書かれた文字はすべてペンキで塗りつぶしてあったが、形を見ればどう見たってサウカノの戦車だった。でもイプキンは、そのことでロシュケンから苦情が来ることなんか気にしていないのだろうな、と僕は思った。サウカノの経済力は、ロシュケンとしても敵にまわしたくない規模だったから。

 その日のうちに僕と戦車たちは出発し、二日かけてビクセンシティーまで戻った。駅には、フィーンディアが迎えにきてくれていた。そしてすぐに聞かされたのだけど、この戦車のことをもうロシュケンはかぎつけたようで、新型戦車の製造ペースを落としはじめているということだった。



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