アップルティー、そして友情。
5,6年前に僕が初めて完結させた短編です
供養がてらあげてみます
*
大学一年の初夏のことである。
高校の同級生の一人が僕の家に泊まりに来ることになった。この四月から一人暮らしを始めて、元同級生が家に泊まりに来るのは初めてのことだ。彼女とは高校卒業以来あっていないから、四か月ぶりの再会となる。ただ単に、四か月ぶり、というとそれほど経っていないように感じるが、四か月前までは毎日会っていたのだ。それが急に四か月も会わないとなると、「久しぶりの再会」感が強い。あと、先ほど彼女を「高校の同級生」と紹介したが、この言い方は正確ではない。僕と彼女は確かに同じ高校の生徒だったが、それだけではなく中学校も小学校も一緒だった。十二年間も同じ学校に通っていたのだ、四か月もあけば久しぶりというには十分だろう。さて、こういうと僕と彼女が特別な関係であるかのように見える。実際、僕は彼女と非常に親しかった。しかし、僕はとりわけ彼女と仲がいいというわけではないのだ。彼女にとっての僕もそうだろう。僕と彼女は小中高と同じ学校だったが、僕らの通っていた学校は小学校と中学高等学校―中高一貫だった―の両方を有する私学だった。しかし生徒数は多くなく、中高にいたっては一学年一クラスであり、「高校の頃の同級生」は、必然的に全員が幼馴染状態だったのだ。男の部屋に女が一人で泊まりに来るなんて普通の友人関係ではちょっとあり得ない、と思われるかもしれないが、僕も東京の大学に進学した元同級生の女子の家に泊まりに行ったことがある。僕らの学年はみんな、はたから見れば異常なほど仲良しだったが、僕らにとっては普通のことだ。まぁ何にせよ、僕と彼女は良い友人であった。
僕は高校を卒業して地元を出て、他県の経済学部に進学した。地元を出て、とはいっても別に都会に出てきたわけではない。今住んでいる場所のほうが地元より間違いなく田舎だろう。僕の住むアパートは大学に隣接しているが、家の周りには水田しかない。畑もあるだろうか。まぁどうでもいい。そんな田舎でも僕の大学生活はまあまあ楽しかった。友達はすぐにできたし、野球サークルにも入った。生活はすぐに軌道に乗った。学部の勉強は大変だったが、苦痛というほどではなかった。そんな前期の授業も終盤に差し掛かり、期末試験を三週間後に控えたある週末。彼女から連絡があったのはそんな時だった。泊まりに行きたい、と言い出したのは彼女のほうだった。僕は少し躊躇したが、断る理由などもちろんなかった。話はすぐにまとまり、次の土日に決まった。一週間はすぐに過ぎた。
その日は快晴で、梅雨明けの空に青が鮮やかに映えていた。僕は大学で彼女を待っていた。しばらく待っていると、駅と大学をつなぐシャトルバスから彼女が下りてきた。
「久しぶりだね。」
「おう、よく来たな。」
僕らは再会した。
*
大学から僕の家に向かって歩く途中、僕は彼女にどうやってここへ来たのか尋ねた。彼女は京都の大学に通っている。バスで来るには厳しい距離だ。電車だと彼女は答えた。
「新幹線?」
「いや、快速とかを乗り継いできた。」
「高かったろ?」
「まぁね。でも新幹線より安いし、はやさも大して変わらないよ。」
「そんなもんなのか。」
「そんなもんだよ。」
そんな他愛もない会話をしているうちに、僕は大事なことを忘れていたことに気が付いた。
「ごめん、うち今お菓子とか飲み物とか何もないんだ。寄り道して買いに行ってもいい?」
「いいよ。どこ行くの?」
「近くにスーパーがあるから。」
僕らはペンギンが目印の総合ディスカウントストアへ向かって歩き出した。
「京都と違って道がまっすぐじゃないね。」
彼女が言った。京都の町は碁盤の目とかよく言われるもんな。中学二年の秋に修学旅行で京都に行った時のことを思い出した。だが五年前のことだ、道の真っすぐさまでは思い出せ
ない。
「でも大学の辺りは結構碁盤の目になってるよ。」
僕はそう返した。彼女が意外そうな目で僕を見る。
「この辺りは田んぼばっかだから、道も直線で直角に交わるんだよ。京都は都市だから碁盤の目だけど、ここは農地だから碁盤の目なんだ。」
僕らは笑った。こんな談笑も久しぶりだ。懐かしい。
稲田の横の車道を通り、水路にかかった橋を渡れば、そこは目的地だった。大きなペンギンが僕らを歓迎してくれている。僕らは中に入って、お菓子を選び始めた。二人で一泊するとなるとどのぐらい消費するだろうか。まぁたくさん買っておけば問題ない。余っても一人で食べればいいのだ。チョコ系とポテト系を買えばとりあえずOKだろう。お菓子を選び終えた僕らは、次に飲み物を選び始めた。僕は目当ての炭酸ジュースを見つけて、それをかごに放り込んだ。すると、彼女がふいにつぶやいた。
「アップルティーってさ、ないんだね。」
僕が顔を向けると、彼女と目が合った。彼女は僕に尋ねてきた。
「ここ来てさ、アップルティーって見たことある?地元にはいくらでもあったのに、京都では全然見かけないんだよね。ここにもないし。」
彼女はそう言うと僕の返事を聞く前に商品棚に目を戻した。言われてみれば長いこと見かけてない気がする。とはいっても、僕は別にアップルティーが大好きというわけではないし、単に気づいてないだけかもしれない。
結局この店にアップルティーはなかった。
*
家に着くとすでに四時前だった。そもそも待ち合わせたのが昼過ぎだったから、当然といえば当然である。家についてしばらくは雑談していた。この間まで毎日しゃべっていた相手との四か月ぶりの再会に話題は尽きない。お互いの大学の話、浪人している元同級生の話、そして恋の話。僕は尋ねた。
「ほんとに彼氏とか居ないの?」
彼女はかわいい。僕の好みではないし、いまさらそんな目で見るなど想像もつかないが、魅力的であることは確かだった。全員幼馴染状態の仲良しクラスは、「仲が良い」という美点と引き換えに、クラス内恋愛を妨げた。一学年一クラスの中高六年間でカップルは二組しか現れなかった。身内感が強すぎて恋人という感じにはならないのだ。実際彼女は中二の時同級生の男子―もちろんそれは俺にとっては親友の一人である―に告白してフられていた。僕も彼女が恋人という状況は想像できなかった。だからこそ、周りが他人ならば、つまり大学に進学すれば、彼女はモテるだろうと僕は思っていたのだ。
「彼氏どころか、男友達さえいないよ。」
そういう彼女の答えは意外だった。一人で僕の家に泊まりに来る時点で彼氏はいないのだろうと察しがつく。だが男友達さえいないのか。彼女はそんなに内気なタイプではなかったはずだ。
「ぼっちなの?」
「失礼な奴め。」
ぼっちではないらしい。彼女は続けて言った。
「女友達はたくさんいるよ。同性なら向こうから話しかけてくるじゃん?話しかけられた相手とはいくらでもしゃべれるの。でもこっちから話しかけるのは苦手なんだよね。」
彼女はおどけて笑った。
「男子は話しかけてこないから、会話のきっかけがないし。結局友達もできない。」
彼女に声をかけないとは京都の男は見る目がない。
「彼氏ほしい?」
「そりゃもちろん。」
一瞬の沈黙。だがそれはすぐに破られた。そんなことよりさ、と彼女が口を開く。
「彼女いないの?私ばっかりしゃべってたんじゃずるいでしょ。」
「いないよ。っていうか作る気もない。」
「えぇー、つまんない。なんで?」
「勉強が忙しいんだよ。そんな余裕ないと思う。」
「うっわ、そんな理由で恋人作らない人って実在したんだ。」
「うるせぇ」
こんな調子で僕らは会話を楽しんでいた。僕らはその後も一時間ほど雑談にふけり、それは僕の電話の音によって打ち切られた。
*
電話の主は僕の大学の友達だった。
「お忙しいところすみません。今お時間ありますでしょうか?」
「なんだよ急に。」
「いや、今夜カラオケにでも行こうかなと思ってさ。どう?来ない?」
僕は迷った。彼とカラオケに行くのはよくあることだ。僕一人なら二つ返事で行っていたことだろう。しかし今日は僕一人ではない。
「ちょっと考えさせて。また電話するわ。」
「了解いたしました。早めに頼むよ。」
「OK。」
ほかに誰を誘っているか聞いてから電話を切った。どうしたの、と彼女が尋ねてくる。普通に考えれば古くからの友人がわざわざ訪ねてきてくれたときに、別の友達とカラオケに行くなんてありえないだろう。一諸に行こうよ、なんて誘うのも気が引ける。私は気遣いができませんと宣言しているようなものだ。でも僕は彼女をカラオケに誘おうと思った。僕は知っていたからだ。彼女はやりたくないことは絶対に拒否する人間であると。僕に気を遣って、本当は行きたくないカラオケに行くと返事をするようなことは絶対にないだろう。僕は断られると予想していたが、ダメ元で聞いてみた。
「友達からカラオケ行こうよって誘われたんだけど、一緒に行かない?」
「え?」
彼女はあからさまに困惑していた。そりゃそうだよな。友達に会いに来たら友達の友達とカラオケすることになりました、なんて困るに決まっている。しかし、予想に反して、彼女の反応は前向きだった。
「まぁいいよ。」
「ほんとに?」
「うん。でも一つ聞いていい?」
「何?」
「男だけ?」
その疑問はもっともだ。知らない男どもの中に紅一点ってのはきついだろう。でもさっき聞いた話だとその心配はなさそうだ。
「いや、少なくとも一人は来る。女子。」
「そうなんだ。」
「そいつイタリアからの留学生なんだよ。」
「そりゃまたすごいね。日本語しゃべれるの?」
「まぁしゃべれることはしゃべれるけど、普段は英語で話すことが多いかな。」
「ふうん。」
僕は電話をかけなおし、高校の頃の友人が来ていることと、彼女と一緒にカラオケに行く旨を伝えた。電話を切ると、沈黙が訪れた。彼女は少し不安そうだった。僕が口を開く。
「心配しなくても大丈夫だよ。あいつらはフレンドリーだから、すぐ仲良くなれるって。会話が続かなくて気まずい、なんてことにはならないよ。」
「いや、その心配はしてないよ。中身のない空虚な会話を続けることは得意なんだ。大学入
って学んだんだよ。」
彼女の口調には棘があるように感じた。本当は行きたくないのだろうか。さっきまでの確信はどこかへ消え、少し不安になる。しかし、そういうことではないようだった。
「高校の友達はさ、半分幼馴染みたいなもんだから、友達になろうとして友達になったんじゃなくて、気づけばもうみんな友達だったって感じじゃない?だから友達を作ろうとしたのは大学が初めてだったんだよ。」
そういう彼女は少し懐かしそうだった。入学したての頃を思い出しているのだろうか。
「初めの頃はつまらない上辺だけの会話を繰り返していたのにさ、今やちゃんと友達だよ。空虚な会話も大事だよね。」
どうやら彼女は不愉快というわけではないらしい。しかし僕は彼女の言っていることはよくわからなかった。僕も四月の頃初めて友達を作ろうとしたけれど、それを空虚だなどとは感じなかったのだ。僕は普通に会話を楽しんでいた。僕は彼女の気持ちに共感できなかったけれど、追及するのはやめようと思った。ここで追及していっても、彼女の気持ちを理解することはできないだろうと感じたのだ。しばらくすると大学の友人たちとの待ち合わせの時間になったので、僕らは家を出た。
*
僕らが待ち合わせ場所の駅に着くと、すでに二人の友人が先着していた。僕は彼らに尋ねた。
「あれ、お前ら二人だけ?」
「そうなんだよ。みんな忙しいらしくて。」
答えたのはさっき電話をかけてきた方だ。隣には例のイタリア人留学生がいる。僕は二人を彼女に紹介し、彼女に二人を紹介した。男女比2:2。こんな言い方をすればまるで合コンみたいだ。もっともこの面子で恋は生まれそうにない。
「んじゃ、行くか。」
大学の友人が言った。僕らは電車に乗って、都心のほうへ向かった。大学の周辺は田舎だが、それは郊外に位置しているからだ。都心の方、特に駅前はなかなか栄えている。電車の中で、僕はずっとイタリア人留学生の友人と話をしていた。あの女は恋人か、などとからかわれたが、ただの友人だと弁明した。見やれば、彼女は僕の友人と楽しそうに談笑している。僕は少し妬けた―なんてことはもちろんなかった。彼女は今も「空虚な会話」をしているのだろうか。僕の疑問をよそに、僕らを乗せた電車は夕闇の中を駆け抜けていった。
*
家に帰ってきたのは十一時過ぎだった。結局三時間ぐらいカラオケをしただろうか。彼女も最初のうちは少し恥ずかしそうにしていたが、だんだん慣れてきて、途中からはだいぶはしゃいでいた。二次会に行こうかという話もあったが、彼女は明日には帰ってしまうのだ、あまり夜遅くまで付き合わせるのも悪いという話になり、今に至る。予期せぬお誘いのおかげで、昼に買ったお菓子と飲み物がほとんど残っていたので、それらを飲み食いしながら、僕らは語らい始めた。
「結局あの子とは全然しゃべらなかったね。」
僕は言った。「あの子」とは、例のイタリア人留学生のことだ。女子は来るか、と気にしていた割には全然話していなかった。というかほぼ全くしゃべっていなかったはずだ。
「だって話しかけてこなかったんだもん。」
彼女が答える。さも当然、といった雰囲気だ。本当に話しけるのは苦手なんだな、とか考えていると彼女が続けて口を開いた。
「私ね、話しかけられるまではコミュ力0で、話しかけられた瞬間コミュ力爆上げするっていう仕様になってるんだ。」
「また変な仕様があるもんだな。」
「ほんとにね。」
コミュニケーション能力っていうのはそんなにコロコロ変わるものなのだろうか。それに、会話を空虚だと感じているのにコミュ力高いってのはなんか納得いかない。
「あいつとの会話も空虚だとか感じてたの?」
「うん。」
僕はなんだか、お前の友人はつまらない奴だ、と言われているような気分になった。きっと表情にも出ていたのだろう、彼女が慌てて弁明した。
「あの人は面白い人だったよ。さっき空虚だとか上辺だけだとかいろいろ言ったけど、そういうのは悪い意味で言ってるんじゃないの。なんというか、友達になるための必然的なプロセス、みたいな。」
そこで一息つくと、今度は自分の感覚を吐露するように穏やかに語りだした。
「仲良くなった後はあんまり感じないんだけどさ、その前はどうしても自分と相手の間に溝というか壁というか、なんかの断絶があるように感じちゃうんだよね。自分の言いたいことが相手に伝わってる気がしなくて、相手の言いたいことも自分に伝わってる気もしない、そんな感覚に襲われるんだ。しばらくつるんでればだんだん少なくなってくるんだけど。」
彼女の言いたい感覚が、今度は少しわかった気がした。ちゃんと伝わってるかなぁ、ちゃんと理解してあげられてるかなぁ、という感覚はわからないでもない。彼女の言う「空虚さ」とは、きっとそのような感覚の亜種か強化版みたいなものなのだろう。もっとも、彼女の言いたいことが僕にちゃんと伝わっているかはわからなかった。
*
僕らはそのあと、難しい話をやめて思い出話に花を咲かせ、二時を過ぎたころ眠りについた。翌朝目を覚ますと、彼女はすでに起きていた。僕とは違って、彼女は朝に強い。早寝早起きの生活リズムをずっと守っているらしい。大学生のくせに、小学生のような起床・就寝時間だ。まぁ昨日は彼女も二時まで起きていたので、今日も早起きしたってことはさすがにないだろうが、それでも僕よりは早く起きたみたいだ。そんなことを考えていると、彼女が僕の起きたことに気付いたようだった。
「おはよう。」
「おはよ。」
一人暮らしだと起き抜けにあいさつされることなどないので、少し懐かしい感じがした。ふと時計を見れば、針は十時を指している。彼女は今日の昼過ぎには帰ると言っていたので、あと三、四時間ほどで帰る計算になる。僕らはテレビを見て、お菓子とジュースを口にしながら、まったり駄弁った。とりとめのない話が続き、気づけばいつの間にか太陽は南中し終えていた。そろそろかな、と思っていると、彼女が言った。
「もう帰らなきゃ。明日一限あるし、課題終わってないし。」
「駅まで送るよ。」
僕らは家を出て、駅へ向かった。道中、彼女が空を見上げてつぶやいた。
「太陽が高いよね。」
「それ俺も思った。地元とは違うよなぁ。」
夏の太陽が照りつける中、僕らは駅に着くまで、そして着いてからも少し地元の思い出を語った。やがて電車が来たので、彼女は去っていった。僕と彼女が次に会うのは夏休み、地元でのことだった。
*
夏の夜空に大小様々な花火が打ち上げられた。黒いキャンバスの上にカラフルな光たちが跳ねる。我ながら詩人だな、などと考えながら、夏祭りのメインイベント、花火を見ていた。
時は少しさかのぼる。僕は八月の初めに地元に帰ってきた。しばらくすると地元を出ていた元同級生達もみんな帰ってきたので、僕らは夏休みの間中よく一緒に遊んだ。ペンションに泊まったり、海に行ったり、焼き肉を食べに行ったりした。彼女も海以外は参加していたので、夏休み中には何回も会っていたが、二人きりで会う機会はなかなかなかった。僕の地元、高校まで住んでいた町では、夏の初めと終わり、七月頭と八月末に二回夏祭りをやる。七月はまだ大学の試験期間中だったので行けなかったが、八月の方は高校の同級生たちを誘ってみんなで行くことになった。それが冒頭の夏祭りである。僕らは僕と彼女とあと五、六人で夏祭りに行った。その帰り道、僕と彼女は一緒に歩いて帰ることになった。徒歩で帰るのが僕らしかいなくて、かつ僕と彼女は家の方向が同じだったからだ。帰る途中、僕は炭酸ジュースを、彼女はアップルティーを自販機で買った。夏とはいえ夜風は涼しく心地よい。しばらく会話がなかったが、やがて彼女が口を開いた。
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「久しぶりだね。」
「夏休み中何度も会ってるじゃないか。この間もしゃべったろ。」
「そうじゃなくて。こうして二人きりで話すのがだよ。」
「あぁー。まぁ確かに。」
「こないださ、海に行こうって誘ってくれたじゃない?あれみんな来てた?」
「あの時はみんなよく集まってたよ。十二、三人はいたんじゃないかな。」
「私行くの断ったけど大丈夫だった?」
「うん。」
「……」
「……」
「あの時さ、本当はただ気乗りしなかっただけなんだよ。」
「知ってる。」
「気を遣ってさ、行こうかなとも思ったんだけど。心から行きたいってならないのに行くのも逆に悪いかなって。」
「お前そういうとこあるよな。」
「あるんだよ。」
「……」
「ちょっと変な話していい?」
「どうぞ。」
「気遣いができるって言ったらさ、なんかすごくいい感じじゃない?でもさ、気を遣うって要は顔色を窺うってことだと思うんだ。」
「……」
「信頼してる相手の顔色は窺わないでしょ。私は友達の顔色を窺いたくない。」
「気の置けない友人ってか。」
「そうそう。気を遣うってさ、なんか自分にうそをついてる気分にならない?怒らないかな、気に入ってくれるかなっておびえてさ、本心を隠すんだ。」
「そこまでは思わんけども言いたいことはわかる。」
「……四月の頃ね。」
「……?」
「友達作らなきゃって少し焦ってたんだ。」
「お前もそういうこと思うのか。」
「ほら、私こういう性格じゃん?自分から動かないとぼっち確定かなって。だから話しかけたんだよ、色んな人に。でも友達になりたくて話しかけてるわけだから、嫌われたり引かれたりしたくないじゃない?だからすごく気を遣ってさ。疲れた。」
「そうか。」
「人に気を遣うのは嫌だった。高校までの友達はみんな気を遣わなくて良かったから。」
「うちはみんながみんなの親友みたいなもんだからなぁ。気を遣われなくても悪気がないのはわかるし。」
「言いたいことが言えなくてもどかしかった。本当の自分を見せられない息苦しさに苛まれてた。本心を隠して会話してるみたいな感覚だったんだ。」
「けどさ、親しき仲にも礼儀ありっていうだろ。相手のことを思いやるのは普通なんじゃないの。」
「そうなんだよ。それが普通なんだよ。どんだけ仲良くてもさ、気を遣って当たり前なんだ。嫌な気持ちになってほしくないから。」
「じゃあ…」
「でも嫌なんだ。私が嫌なんだよ。顔色を窺ってたら優等生を演じてるみたいな気分だった。たとえ気を遣うのが普通だったとしても、私にとっては苦痛だったんだ。」
「なんとなくわかるけどさ、そんなこと言ってたら新しい友達できなくないか?お前のことをよく知らないやつはその苦しみを理解できないだろうし。」
「うん。だからこれは必然的なプロセスなんだよ。新しい友達を作るためにはこの痛みを受け入れなきゃいけない。嘘で塗り固められた殻に閉じ込められて、心のこもらない言葉だけが飛び交ってても、それを乗り越えていかなきゃならないんだ。」
「それが空虚さの正体か。」
「そのとおりだよ。嫌われたくないから気を遣う。気を遣うから本心が言えない。本心が言えないからうそをついてる気分になる。そうなると中身のない会話だけが上滑りしているように感じる。」
「そうかもな。」
「……」
「……」
「本当はね、今でもまだ怖いんだ。大学の友達は、やっぱり高校までの友達とは違う。気を遣わなかったら嫌われてしまうかもしれないって思えて、ちょっと怖い。」
「…やっぱり納得できないな。言ってることはわかるけど共感はできない。」
「そう?」
「思いやりの心を持つことを空虚だなんて言えない。すごく…」
「自分勝手に聞こえる?」
「…うん。」
「わかってるよ。ただのわがままだって。共感してほしいとも理解してほしいとも思わない。」
「……」
「高校のみんなとは十二年かけて親友になった。気を遣わなくても絶対に見捨てられないと確信できる関係性。私の宝物だよ。地元にはあったけど、京都にはない。それを今から見つけていきたい。だから空虚な会話も受け入れていくんだ。」
「不器用な奴だな。」
「そういう仕様になってるんだ。」
「また変な仕様があるもんだな。」
「ほんとにね。」
そういうと、彼女は空になったアップルティーのペットボトルをごみ箱に捨てた。夜風が肌寒くなってきている。夏が終わろうとしていた。
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大学二年の初夏のことである。
僕はサークルの合宿で京都を訪れた。僕のサークルは全然厳しくないサークルで、今回の合宿も遠征というよりは京都旅行だった。この街に住む彼女とは、もう一年近く話していない。互いに忙しくなってきて、二人でゆっくり話す機会があまり取れなかったのだ。そんな京都合宿の最終日。自販機で飲み物を選んでいた僕は、あるものを見つけて思わずつぶやいた。
「なんだ、あるじゃないか。」
僕の独り言が京都の街に溶ける。彼女も見つけただろうか。彼女に聞こうと思えば聞けたが、その必要はないと感じられた。きっと彼女も見つけたに違いない―なぜかそんな気がしてならなかったのである。
今見返すとだいぶ恥ずかしいですね。
あんまり成長してないところが特に。