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阿修羅螺 ーわたしは生きるために「ぼく」として生き残る-  作者: 朱崎
第二章 狂瀾怒濤 名隊五番隊
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第三話 始めは撫子のごとく



 死獅の事件から一週間経ち、日向は松葉杖を使うことなく戦学へ通学することができるようになった。

 昔から、傷の治りは早く、それに対して疑問すら抱いていなかった日向は、徐々に日常を取り戻した。


 死獅の事件については伏せられ、大量殺人の辻斬りと称して犯人が捕まったことが公表されたため、日向を奇異な目で見る者はいない。

 そのことにほっと息をつく。



「なんだよ、あの試験、受かるわけないじゃん」

「試験で死にそうになるなんて、想像つかねーよ」

 戦学では、昨日行われた名隊の入隊試験について冷めやらぬ興奮に満ちていた。

 死獅の事件や、大阪国の「天下統一」宣言があり、

 募集枠が通年の三倍に増え、三〇〇人の採用を行うことになったのだ。


「本当だったら、ぼくもいまごろみんなと同じ試験を受けて、合格を待ってたんだろうね」

 学制たちが興奮を口にする食堂の端で、日向は昼食を食べながら、学制たちを見ていた。

「結果としては、名隊の、それも五番隊に入隊したんだもんな、すごいよ」

 喜ばしくはないけど、と、日向の正面で弁当を広げる司が言う。


「ぼく、本当に名隊に選ばれたんだ……変な感じ」

 興奮して試験の話をする学制を見て、少しだけ羨ましく思ってしまう日向がいた。


 ガタッ

 日向の肩に、昼食をのせたお盆があたった。

「あ、ごめん」

 振り返ると、藍色の髪をした青年が、申し訳なさそうに眉を下げていた。

 まっすぐな髪はあご下まであり、柔和な雰囲気が人好きしそうだ。身長は司と同じくらいだろう。

「あ、大丈夫だよ」

 微笑んで返す日向に、青年はスッと眼を細める。つい目が口元のほくろにむいてしまう。

 優しそうな雰囲気が増した。

「ありがとう」

 そう言って日向の顔をジッと見たかと思うと、青年は学制があふれる喧騒の中に消えていった。



「日向」

 いつもより少し低い声に呼ばれて、騒いでいる学制から視線を司にうつす。

「なにー?」

 味噌汁をすすって、司の言葉を待つ。


「日向は、来週の入隊式から、名隊員用の寮に移るだろ?」

 名隊員は通常、昼夜平日問わずいつでも任務に参加できるように寮で生活をしている。

 名古屋城には、各五番隊ずつ寮が建っている。


「うん」

「その……大丈夫なのか?」

 日向は、朝日奈道場での集団行動には慣れているが、生活として他人と共に住むのは心配事が多すぎる。


「ぼくもかなり心配なんだけど、一人部屋がもらえるって聞いたから、なんとかなると思う」

 食事は寮の食堂でとり、一人部屋もあるのだ。

 風呂場や厠がどのようになっているかで、日向の生活の質は大きく変わる。

 女とばれたら終わるのだ。


「一応、中部州で一番お金がもらえる仕事だし、寮の設備は良いと信じてるよ」

 名隊が憧れられるのは、中部州で最も実力がある者が集まるというのもあるが、給料や待遇が良いというのも理由の一つだ。

 ご飯を食べながら、あとは運だ、と言い切る日向。


 名隊の寮に期待するのも、中部州で最も実力者の集まるこの戦学の設備は確かに良いからだ。

 午前中の座学を行う本舎は古いながらも手入れが行き届いて綺麗に扱われ、一〇〇〇人以上の学制が不自由なく学べている。

 学食も安く、量より質を求める学制に合った食事をとることができる。


「もう、日向に関しては心配しかない」

 司がため息交じりに弁当のおにぎりを食べる。

「名隊に入っても、午前は座学で戦学に来れるから、こうやって司とも会えるから、安心だね」

 そう言って笑う日向に、司が一瞬固まった。


「司?」

 司は組んだ両手を机の上に置いて、日向を見る。

「なあ、日向、一年間、おれがいなくてもやっていけるか?」

 突然の言葉に、日向は反応できない。


「……え? どういう意味?」

 間をあけて問うと、司は机の上の手を見る。


「一年間、親戚のいる地に留学しようと思ってるんだ」

 日向は呆然として、目の前の司を見つめる。

「急な決定だけど、学びたいことがあるんだ」

 司は顔を上げないから、日向には司の表情が分からない。


「えっと……えっと、いまじゃなきゃ、だめなの?」

 日向の声には不安があふれている。

 この一週間で目まぐるしく変わりだした日常に、唯一変わらない存在の司が離れていってしまうことに、日向の声は震えていた。


「……ああ」

「……そっか。えっと、どんなこと勉強するの?」

 司は、少し息を吐いて、顔を上げた。


「治せないものを治すための医療、だよ」

 その表情が、ひどく悲しそうな笑顔で、それでいて、絶対に曲げない信念が、そこに感じられた。

 だから、日向はもうなにも言えなかった。





 名古屋城から徒歩十五分の場所にある戦学は、位置としても実力としても最も名隊に近い場所として、中部州の全土から優秀な学生が集まってくる。

 司が五年前に中部州の田舎から城下町へ引っ越して来たように。


 食堂を出て、本舎で先生と話があるらしい司と分かれて、日向は、戦学の出口門への近道である裏庭に向かっていた。

 あまり知られていない穴場の裏庭からは名古屋城が見える。日向のお気に入りの場所だ。


 日向は食堂での司の言葉や表情を思い出して、拳を握った。

 司は、何かを決意した顔だった。

 司は、司の決めた道を進むんだ。

 


 四月の盛りに入った桜は満開だ。


 裏庭についた日向は目を奪われた。

 風によって散る桜吹雪と同化するようにぽつりと立っているものに。

 それが人であることに気づくのには少し時間がかかった。


 その人は、憂いに満ちた瞳で、ただ桜を眺めていた。

 無抵抗の小さな桜を少しずつ枝と引き離す風は、その人の髪をなびかせた。

 桜銀色の髪は春の光に輝いている。


 声をかけるのに戸惑ってしまうほど美しくて、でも消えてしまいそうなほど悲し気で、声をかけないと本当にいなくなってしまうように思えた。

 日向はささやくように呼び掛けた。


「楓?」

 若草色の羽織を着た袴姿の楓が、少し間をあけて、視界の端で日向を見た。

「ここで、人と会うのは初めてや」

 もう一度桜を見て呟く楓にかけよった。

 近づかないと、そばにいないと、楓は桜にまぎれて消えてしまいそうだ、と日向は本気で思った。


「楓の髪や瞳は本当に綺麗だね、桜から生まれたみたい」

 楓のそばに走り寄って、光に透ける髪を見上げた。

「……あんさんと話すと、風情も消し飛ぶということはわかった」

「失敬な! でも楓、戦学に来ないって言ってたよね?」

 きょとんと首をかしげると、楓はため息まじりに日向を見下した。


「面倒ごとが多いから、雑務を押し付けられたんや。大方、あんさんの面倒ごとやけど」

 日向の入隊に関する資料や、今後について戦学に伝えるらしい。

「楓はなんか保護者みたいだね」

 あははと笑う日向の両目尻のあざをぐいっと押す楓。


「い、痛いって! そこ骨だから!」

「保護者みたい、やない、保護してるんや。来週の入隊式から、死ぬ気でこき使うから、覚悟しとき」

 日向はニカッと笑った。


「必ず、楓の力になるよ!」

 楓は無表情で日向を見下すと、そのまま日向に背を向けて本舎へ向かって歩き出した。


「そんで、愛知国を守るんだ!」

 ふんぬっと意気込んで、日向は楓の背中を見送った。


 来週には、試験の合格者とともに日向は名隊の入隊式に参加する。


 周りがどんどんと変わっていく。

 桜の花びらが風にどこへ運ばれるか分からないように、日向もこれからどうなってゆくのか分からない。


 それでも、ずっと同じ場所にいることはできない。

 自分だけ変わらないことはできない。


 日向は真っ直ぐ前を見て、自分の道を歩き出した。






食堂での出来事に加筆修正いたしました。(2019年12月29日 16時01分)

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