第九話 桜銀色の光
ガッ ガガッ
薄暗い部屋の中、刀の交わる音が響く。
「翠、この部屋から出てください」
「でも!」
「いいから!」
翠は、まだ殺気に動けない暁を引きずって、部屋を出ると、扉を閉めた。
身体の中の阿修羅が、驚くほど馴染む。
ここまで自分の意思で阿修羅を扱えるのは、初めてだ。
その分、少しでも気を抜くと、自分を抑えられなくなりそうだ。
日向はベッドの上で、緋毀に黒刀を大きく振りかざした。
ザンッ
周りのカーテンの支柱が切れて、落ちてくる。
それを紅の刀で斬り上げて、緋毀は日向の刀を受け止めると、獣のような力を押しつける。
その力に耐えられない日向は、布団に足元をとられて、腰をついた。
「はっ弱ぇな」
瞬時に緋毀が馬乗りになり、なおも、紅の刀を押し続ける。
「うっ」
「いまのお前が、俺に勝てるわけねぇだろ」
鼻で笑った紅い眼が、ギラリと光る。
「なぁ」
グッと込められた緋毀の力に、日向の上半身が、ベッドに沈む。
「お前を汚した人間を、一人ずつ殺してやってる最中だ、まだお前と遊ぶのは後にしようと思ってたんだがなぁ」
緋毀の爪が、獣のように鋭くなる。
日向の刀を押す力が増した。
「そんなに待てができなかったか?」
その爪が、日向の首につきささる。
「躾がなってねぇなぁ」
日向の首から、血が流れた。
緋毀の顔が近づいて、あつい舌が、首を這う。
ゾクッと背筋を痺れが走った。
一瞬かたまった緋毀が、くっくっくっと肩を揺らす。
「美味ぇな、お前の血は!」
グッと力技で押され、日向の刀がそらされた。
瞬時に刀を構えなおそうとしたとき、その手が取られ、
はっと息をのんだときには、その手がベッドに留められた。
「目元に“二つ”も呪いがかかってんだ。なりそこないの龍」
首元に大きな菊の花を咲かせた緋毀が、鼻で笑う。
「昔みたいに、泣いてろ」
ガッ 首筋に痛みが走った。
「うっ」
鋭い牙が首を噛み、熱い舌が這った。
「やっめろ!」
腹部を蹴り、暴れても、びくともしない。
そのとき――バサバサバサッ
大きな窓から、巨大な鷹が現れた。
「鷹!?」
声を上げた日向。
その視線を追って、一瞬、気のそれた緋毀。
その腹を蹴り、ベッドから飛びのいて、窓側へ走った。
窓枠にとまった鷹の爪には、桜銀色の紙が巻かれていた。
――桜銀。
ふと、思い出した。
楓が、鷹便を使っていたことを。
楓がいる!
息をのんだ日向は、背後で立ち上がった緋毀を振り返ることもせず。
最上階の大窓から身を乗り出した。
新月の夜、闇は深く、なにも映さない。
けれど、日向は信じた。
楓の好む新月の夜。
窓枠をつかみ、体を垂直に倒す。
そして、窓枠を蹴った。
日向の目の前を、道を示すように、鷹が直線に下へ飛んでゆく。
日向は、その鷹を追いかけて、城壁を蹴るように走った。
ほぼ真っ直ぐ地面へ落ちている視界のなか、日向はひたすら走った。
背後で緋毀の怒号が響き、城中が騒がしくなる。
目の前の鷹は、深淵のような森へ入っていく。
日向は身をかがめ、壁を蹴る。
跳躍し、その森の中へ飛び込んだ。
地面に降り立ち、視線を上げたときーー
光なんてない。
明かりなんてないはずなのに。
鷹が翼を広げて降り立った木の下で、その桜銀色の髪が、日向には、輝いて見えた。
「楓!」
日向はその桜銀色の髪をもつ、この世のものとは思えないほど美しく、そして、どこまでも追いかけたくなる男の胸に、抱きついた。
バサバサッ 鷹が空高く飛び立ち。
日向は、安心して、懐かしい香りに、胸が鳴るのに、ほっとした。
「おい……」
ゆっくりと動く心臓の音が、聞こえる。
「楓……生きててよかった」
二度と離さないようにぎゅっと抱きしめて、その胸にぐりぐりと頭をこすりつける。
「やめろ」
そう言いながらも、引き剥がそうとする力は弱い。
楓が大阪の間者でもいい、名古屋を利用してたとしてもいい。
楓に会いたかった。
「楓、楓……」
はぁっとため息が頭上からこぼれた。
そして、不器用に背中に添えられた手が、トントン、と落ち着かせるようにたたかれた。
「かえでぇ……」
ぎゅぅーっともっと力を込めて、抱きしめれば、がしっと頭を掴まれて、後ろにはがされた。
「痛いわ、阿呆」
顔を上げれば、顔色の悪い楓が、呆れたような、それでも安堵したような眼をしていた。
ああ、楓だ。
「楓、生きてたんだね、うぅ」
「勝手に人を殺すな」
うるんでいく視界のまま、桜銀色の髪の間から見える瞳を見上げた。
「だってぇ」
「いまは、とにかくここから離れる」
「まって、楓、ぼくを助けにきたの?」
「気色悪いこと言うな」
「だって、殺そうとしないし」
そう言って、楓の袖を引っ張れば、桜銀色の瞳が、日向を見つめた。
ふっと細められた眼に、日向は釘づけになった。
「あんさんが、まだわたしの利になると思っただけや」
日向の後ろ襟を猫のように掴んで、楓が引っ張る。
身体が一気に熱くなって、胸があたたかくなった。
「そっか」
ニッと笑って、楓から手をはなした。
遠くから無数の足音が近づいてくる。
ここは、大阪城の敷地内。
敵の陣地だ。
森の木々に隠れながら、大阪城の反対側まで走れば、暗闇の中でもわかった。
目の前には、敷地を囲うように、池がはっていた。
「……お前、泳げるか?」
「なんとか」
「死ぬ気で泳げ」
近くの池に、楓が音もなく飛び込んだ。
「ちょ、待って!」
静かに降りて、すぅーっと息を吸って、闇の中を泳ぐ楓の後に続いた。
翠のおかげで、身体が軽い。
緋毀に噛まれた首が水に染みるけど、きっとこの傷もすぐに治る。
目の前には、もう会えないかもしれないと思った楓がいて……。
日向は無性に笑えてきた。
反対岸に上れば、近くで大隊の声が聞こえた。
日向と楓は息をひそめて、木々に隠れる。
人数は、七人。
馬が三頭。
楓がスッとこちらを見て、合図をする。
その瞬間、日向と楓は大隊の背後から、音もなく斬りさいた。
倒れる男の頭をもって、音を立てないように地面に倒す。
これで、馬を手に入れた。
黒刀についた血を払って、馬に乗ろうとする日向の肩に、楓が手をおいた。
「なんちゅー格好してんねん」
ため息まじりの声に、そういえばずぶ濡れだった、と自分の姿を見れば、あ、と小さな声がでた。
そうだ、さっきまで翠に治療してもらうために下着と肌襦袢しか着ていなかったんだ。
「そこらへんのやつらの服を着ろ」
「そうだね、楓、ちょっとこっち見ないでね」
「誰が見るか」
地面に倒れた男たちのなかで、なるべく血のついてない紅い軍服を拝借して、急いで着替えた。
そういえば、よく見れば、楓もいつもの着物じゃなくて、いまは紅い軍服を着ている。
「楓、大隊の軍服似合わないね」
「お前に言われたないわ」
馬に乗りながら、軽口をたたけば、二人は闇の中を一直線に走った。
「ねぇ楓、どこに向かってるの?」
「帰るんやろ、あんさんの故郷に」
その声に、日向は瞳が熱くなった。
「っ……うん!」
いま目の前にある背中を、ずっと、ずっと追い続けたいと思った。




