第二話 大阪国の王 凰煌緋毀
バタンッ
背後で、扉が閉まる音が響いた。
両手を後ろで縛られて、かろうじて意識を保った状態で、日向はある場所につれてこられた。
覚えているのは、最後に届かなかった楓の手。
そして、楓の大鎌が、顔の横をかすめて、もう二度と追ってこなかったこと。
「楓……」
意識が戻った時に、ここまでつれてこられたのだ。
痛かった腹や、身体中の怪我は完治していて、身体には戦闘時に、鉛のようにたまっていく倦怠感だけがのこっていた。
視線をゆっくりと上げれば、床には、深紅の絨毯が敷かれ、薄暗い広間の壁には松明が灯されている。
目の前には、階段の先に玉座があった。
そこには、脚を組んで頬杖をついた褐色の男――王がいた。
「久しぶりだなぁ、龍」
背筋がゾクっとする、地響きのような声だった。
「やっと会えたな」
後ろになでつけた深紅の髪に、燃えるように紅い瞳。
いるだけで、息苦しいほどの威圧のある目の前の男が、大阪国の王、凰煌緋毀だと、一目でわかった。
わたしは、こいつを、殺すんだ。
「来い」
王が指をすっと寄せれば、自然に足が動く。
気づけば、王の玉座の目の前で、日向は膝をついていた。
その様子に、王は、ふっと満足そうに笑った。
「良く見せろ」
顎をつかまれて、顔を上げられる。
「ぼくを知ってるの?」
不思議と、緋毀の威圧感に苦しいと思うことはなかった。
愛知国を苦しめた、極悪非道な男を前にしているはずなのに、なぜか、感情がひどく落ち着いていた。
この男に会えば、自分の過去が分かる、とどこか意識の裏側で、身体がわかっているように。
怒りや不安、恐れ、そういったものが、水面下に落ちて言ったように、日向の心は凪いでいた。
それでも、目の前の男を殺すのが、自分なのだと、それだけがはっきりとしていた。
顎をつかんだ親指が、つーっと、日向の唇を撫でる。
「随分と、貧相な身体になったなぁ、龍」
大きな固い指が目尻を撫でる。
日向のことを、龍と呼ぶ緋毀は、まるで昔を懐かしむ家族のようで、日向は冷えた思考のなか、小首を傾げた。
「こんなつまらんもんつけてんな」
王の指が、自然に獣の鋭い爪に変化する。
息を飲んでいると、その爪が首元に伸びてきて、気づいたら御守りが床に落ちていた。
「え?」
首元を確認した日向の手をとり、その御守りも、一瞬にして切り裂いた。
「足のも、後でとでとってやるよ」
床に落ちた御守りから興味を失ったように、緋毀は紅い瞳を日向に向けた。
「なあ、昔みたいに呼べよ」
尖った爪は人間の指に戻る。
「緋毀って」
また、指が日向の存在を確かめるように口元をなぞる。
「不完全な、出来損ないの龍。一丁前に人間の真似して、楽しかったか?」
紅い眼が、日向の黒い瞳をじっと覗き込む。
「ぼくは、あんたを知らない……もしかして、ぼくの、お父さん?」
「はっ、やめろ」
唇を撫でていた指に力が入り、グッと爪をたてられた。
「痛っ」
血の出た唇を、親指で撫でると、王は日向の血を舐めた。
途端に、眉を寄せた。
「……お前、なにを飲まされてる」
低い、怒りを込めた声だった。
「え?」
ぐいっと胸ぐらをつかまれ、引き寄せられたと思ったら、王は日向の唇に噛み付いた。
目を見開いて、固まっていると。
しめった舌が、切れた唇からでる血を舐めた。
「んっ」
「……くそまずいな」
口を離し、眉間にシワを寄せた王は、低い声で言った。
「な、なにして!」
顔を真っ赤にした日向に、王は酷く冷たく睨む。
日向の抵抗なんて、赤子のように気にも留めない緋毀は、日向の顎をぐっと掴んだ。
「おい、お前の付き人はなにしてんだ」
低い、地響きのような声に、心臓が震えた。
「つきびとってなんですか……」
「龍、お前、死ぬぞ」
その言葉に、青と緑の言葉が脳裏をよぎった。
「いや、もう半分死んでる」
眉をひそめた王の言葉に意味が分からなかった。
「お前の血は、もっと美味かった……誰よりも」
怒りを孕んだ鋭い眼が、日向を射抜く。
「お前は俺の理想の母体だった。何故、そんなに毒を飲んだ」
「毒って、なに?」
「……黒い薬、飲んだんじゃねぇのか」
「あ、あの阿修羅を止めるための! それが?」
「それは、お前を殺す薬だ」
「え……」
「お前は、もうその薬に蝕まれすぎてる。それに……」
日向の胸ぐらをつかんで、赤黒く染まったシャツを引きちぎった。
「ちょ! はぁ?」
シャツの下のさらしからはみ出た黒い印を見て、王は完全に顔をしかめた。
「俺のものに、ふざけたことしやがる」
呆然と王を見上げる日向。
それを睨む王の眼は、どす黒く渦巻いていた。
殺気だけで人を殺しそうなほど怒気を孕んだ緋毀。
「お前の付き人を殺す」
付き人って、司のこと?
「まって、意味が分かんないんだけど、あんたとぼくって、初対面だよね? ぼくがどうだろうと関係なくない?」
緋毀の纏う空気が、一気に黒く染まった。
「てめえは、俺の子孫を孕む、その役割は変わらねえ」
「は?」
ぽかんと、する日向の阿呆面に、くっくっと喉の奥を鳴らす。
「言っただろうが、てめえが理想の母体だって」
「いや、なにそれ、知らないし」
「阿呆面は、五年前と全く変わらねーな」
日向の頬を掴みながら満足そうに口の端を上げる緋毀。
「いや、女って知ってるの?」
緋毀は鼻で笑って、さっき日向を喰べた唇を撫でた。
「なんで、てめえがばれてねーのかが不思議だ」
そうなんだ、周りが鈍感すぎるのか。
「まって、五年前ってなに?」
「なんも覚えてねーみてーだな、あのクソ野郎、本当に殺しといてよかった」
日向の顔を確認するように色んな方向へ向かせながら、緋毀は日向の目尻のあざをなでる。
いまのところ、緋毀は日向に危害を加える予定はないようで、むしろその逆のようにもとれる。
酷く冷静に、日向は頭を動かすことができた。
「あのさ、ちゃんと教えてほしいんだけど、ぼく、きみの友達だったの?」
緋毀はくっくっと喉をならすと、ニヤリと笑った。
「ああ、おれたちは切っても切れねえ仲だ」
日向のあざを忌々し気に撫でながら、緋毀は答える。
「勝手にこの世に生まれ落とされて、同じ場所で育てられて駒にされてたんだ。あの化物に」
「化物って?」
「俺が殺した、偽りの神様さ」
日向は愕然とした。
「え、は? ははっ」
大阪の王が殺した神様って、「帝」のことだよね?
「わたし、帝に育てられたの?」
乾いた笑いをこぼしながら、緋毀を見上げる。
「まあ、正確には違うが、そういうことだ」
浅黒い肌でよくわからなかったが、王の首元に大きな黒い菊のあざが咲いているのに気づいた。
「菊のあざって、そういう意味だったんだ」
この大日本大陸で、菊の模様を使えるのは、帝と、それに準ずる存在だけだ。
「あいつの所有物の印、呪いだ」
王はそう言って、日向の顎をつかんで顔を上げさせる。
「てめの心臓に張られたやつは、俺たちの中を殺すための封印だ。はっ 本当にふざけたことを考えやがる」
「それは聞いたよ、一カ月後には、完全に封印されちゃうって?」
淡々と話す日向に、王は顔をしかめた。
「その封印をとけば、まだ間に合う、簡単にお前を殺させねーよ。とにかく、これであいつの希望も消えたことはわかった」
「どういうこと?」
「お前は俺たちを殺すために育てられてたんだ」
黒い笑いに、日向は口を紡いだ。
そうだ、わたしは、この男を倒すために、ここにいるんだ。
「俺を殺すための封印を、自分に使っちまったからなぁ、もう誰も俺を殺せねえ」
「この封印は、本当はあなたに使うものだったって、ことだよね?」
くっくっくと口の端を上げて笑った緋毀は、そうだ、と頷いた。
「でも、自分に使っちゃったから、帝さんのやりたかったことが成し遂げれなかったってこと、だよね」
頭の中で整理しながら聞く。
「ああ、そうだ、よくわかったじゃねえか」
愉快そうに日向の頭を撫でる緋毀は、心底楽しそうだ。
「わざわざ、お前の呪いを不完全にしてまで、俺を殺したがってたからな」
分からないことが多すぎる。
いきなり洪水の様に入ってくる情報に戸惑いながら、緋毀を見上げる。
「きみを育てたのに、きみを殺そうとしてたの?」
「ああ、あいつはどこまでも勝手だからな、でも、もうその計画は途絶え、お前は俺のものだ。 くっくっ、はっはははは! ざまぁねぇな」
緋毀は一頻り愉快そうに笑うと、満足げに日向を眺めた。
「ずっとお前を探してた」
膝に肘をたて、頬杖をつきながら、自分を見上げる日向を見て、赤い瞳を細める。
「あのクソ野郎のせいで、記憶を奪われて、五年もかかったが、結局お前は俺のところに来た」
そして、日向の唇の血をもう一度舐めた。
「お前に投与させてた、おれの血もほとんど消えてやがる」
「は?」
「喜んで食ってたと聞いたが? 月桂から」
脳裏に、月桂にご褒美としてもらっていた饅頭を思い出す。
「もしかして……あの苦いの、あんたの血だったの!?」
「ああ、彼岸花の種を植えておいた方が、逃げられねーだろ」
くっくっと笑う緋毀に、饅頭を食べてから体調が一気に悪くなっていったことを思い出す。
そして、死獅に豹変した月桂も。
その月桂と、常に行動を共にしていた楓は、何を思って、何を背負って生きていたんだろうか。
目の前の男は、楓をどれほど苦しめたんだろうか。
胸の奥に、酷く暗い靄が渦巻いた。
「ああ、愉快だな、結局お前は俺から逃れられねぇ、誰もが欲しようと、てめえの身体は、俺のもんだ」
ぐっと腰を引き寄せられて、王の膝を跨ぐように座らせられた。
ああ、わかった。
こんなにもこの男に、抱くはずの憎悪の感情が湧かないのは、この男の血のせいだ。
身体の中にある彼岸花の種のせいだ。
緋毀の血のせいで、緋毀に不快感を覚えられないんだ。
「だから、なぁ、龍、俺は自分のもんを汚されたのが、一番気に喰わねぇんだ」
額を合わせられ、焦点が合わなくなるほど至近距離で眼を見つめられる。
腰をつかんでいた掌が、日向の腹を撫で、その下へとおりていく。
感じたことのない、ゾクッとした感覚が、背筋を駆ける。
「てめえを汚したやつ、全員殺してやるよ」
合わせられた唇の隙間から、緋毀の血が流れ込んでくる。
「それが終わったら、好きなだけ遊んでやる」
溢れるほど流れる血を、こくり、とのみ込めば、鉄の味が広がって、身体の奥がドクリとはねた。
「それまでに、お前の身体をちゃんと躾てやるから、この味、覚えておけ」
その言葉を最後に、日向の意識は途絶えた。




