第二十四話 死獅の悲劇
残暑ののこる九月。
土曜の昼過ぎ、日向は研究室で実験台の上で寝転がっていた。
「今日は、記憶についての研究ね」
清と沖奈が分厚い紙をもって、いままでの質問表などを確認しながら、メモをとっていく。
今日は珍しく、柴波も近くの椅子に座って新聞を読みながら日向の様子を見ている。
「落ち着いて、ゆっくりでいいから答えてね」
清の優しい声に、落ち着いてうなずく。
「日向は、五年前、九歳の時に朝日奈家に拾われたんだよね」
「うん」
「それまでの記憶で、思い出したことはある?」
「あ、えーっと」
以前、楓と二人でいた時に思い出した記憶は、だれかに手を引っ張られて走っていたものだ。
それから、青と緑がやってきたときに聞いた、「生きろ」という言葉。
それを清に伝える。
「うーん、なるほど」
あまり成果はないようだけれど、それでも思い出したことは全部話した。
「きみがやってきた五年前は、ちょうど『死獅の悲劇』の年と重なるんだ」
五年前の「死獅の悲劇」。
名隊に入ってから聞くようになったその出来事を、日向は詳しくは知らない。
「それ、ぼく詳しく知らないんです」
眉を下げると、いままで黙っていた柴波が立ち上がって、椅子を寄せた。
「俺が話してやるよ」
そのために来たのだろう、柴波は新聞をたたんだ。
日向は実験台の上で上体を上げて、柴波を見つめた。
「あれは、五年前――」
いまから五年前の一八九五年。隣の関西州の大阪国の情勢が最も悪かった頃、京都の帝を奉る政治が中心として行われていた。
しかし、それに以前から対立していた大阪の反対勢力が動きだした。
その年の七月、大阪国は帝の首をとり、『帝殺しの大阪国』と呼ばれるようになった。
それから、大阪国は関西州を統一した。
その七月に、大阪国が関西州に放った死獅が、州境をこえて、中部州の愛知国まで侵略した。
「初めて見た化け物に、おれたちはぼろぼろにやられたってわけだ」
中部州が死獅と全面的に対峙したのはそこが初めてだった。
人ならざるモノの暴走に、多くの名隊員が亡くなった。
そこで頭角を現したのが、現在の首相、織田だった。
当時、三番隊長だった織田は亡くなった一番、二番隊長の代わりに名隊員をまとめあげ、中部州に侵略してきた死獅を殲滅した。
「あの人は、『死獅の悲劇』で出世したともいえるわけだ」
柴波の言葉には含みがあって、日向は少しだけ引っかかった。
「織田首相の右目の大きな傷は、その『死獅の悲劇』で対峙したある死獅にやられたらしい」
死獅はまっすぐに日向を見つめた。
「織田首相が、ただ一匹、逃した死獅がいたんだとよ」
その言葉に、日向は心臓が速まった。
深緑の瞳に、日向は目がそらせなかった。
「ま、五年前はそういう激動の時期だったわけだ」
そう言うと、柴波は新聞をつかんだ。
「いま、大阪の動きがあやしい。次が、大戦争になる可能性もある。自分の力はしっかり自分が握れるようになっとけよ」
柴波は四番隊長の眼をしてそう言うと、ひらっと手を振って研究室を出ていった。
日向はじっとその背中を見て、それから自分の手のひらを見た。
「大丈夫? なにか、思い出したことはある?」
清の声に、日向は小さく首を横に振った。
「ううん、なにも、分からないことが増えただけ」
『死獅の悲劇』でとり逃した、ただ一匹の死獅。
その言葉が胸にずんっと響いた。
その後、また記憶に関する連想できそうな事柄をいくつか話されて、その日の研究は終わった。
収穫はほとんどなしだ。
「ありがとうございました」
清と沖奈は資料に向かってなにやら話し込んでいて、日向は青と緑のもとに向かうために研究室をあとにした。
もう日は暮れ始めていて、廊下の窓から茜色の光が温かく差し込んでいた。
一人で廊下を歩いていた時、ジジッとピアスのチェーンが鳴った。
―― 日向 ――
「あ! 楓! どうしたの?」
夜に連絡があるなんて珍しい。
いま、楓の声が聞けて、なんだかほっとした。
―― 明日、首相と会うことが決まった ――
「え」
―― 正装の準備をしておけ、今夜詳しく話す、今夜は帰って来い ――
それだけ言うと、楓からの通信は切れた。
首相って、あの織田首相?
サッと血の気が引いた。
いましがた話がでたばかりの男。
わたしの命を握っている男だ。




