↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
阿修羅螺 ーわたしは生きるために「ぼく」として生き残る-  作者: 朱崎
第三章 重見天日 新たな協力者
55/111

第十六話 一斗の酒 越鳥南枝に巣くう



 清の研究室に着くと、中から声が聞こえた。

 だれかと話しているようだ。


 禄がそれでは、と去っていく。


「失礼します」


 扉を開くと、中では白衣を着た清と沖奈が、血の入った試験管を前に熱い研究談議を交わしていた。

 その間には酒瓶と透明なグラスが置いてあった。


 そっか、二人はもう成人してるから呑めるのか。

 そんなことをぼんやりと考えていると、清がこちらに気づいた。


「あ、おかえり」

 清が包帯などを持って手招きする。


「沖奈は、まだ帰ってなかったの?」

「三日くらいは寝なくても生きていけるからね、日向の血の謎が分からるまでは帰らないよ」

 肩をすくめる沖奈に、清に申し訳ない気持ちで頭を下げる。


「いいよ、人間性は気に入らないけど、実力は認めているから」


 正直な清の言葉を、沖奈は全く気にしていない。

 ある意味良い組み合わせなのかもしれない。


 清の前に座り、手を差し出す。


「それにしても、本当に血が止まらないんだね」

 清はガーゼで止血しながら眉を寄せる。

 沖奈は手ぬぐいで日向の首元の血を拭う。


「……日向、やっぱ男の趣味悪いね」

 血を拭いた首元には、赤い痕と歯形がついている。

 沖奈は、つまらなさそうにそれをなぞる。


「ちょっと、くすぐったいからやめてよ、それは楓とか周りを騙すためにしょうがなくつけてるだけだし」

 清の前であまりこの話をしたくない。

 たぶんだけど、清は柴波のことを好きなのだ。たぶんだけど。


「あれ、それ以上はしてないの?」

 面白がるように笑う清に、日向は首を勢いよく横に振る。

「してませんし、これからもしません、柴波さんも、ぼくより清さんみたいな美人さんのほうが嬉しいと思います」

 止まらない血に、いくつかの薬品を塗っていく清は、フフッと心底おかしそうに笑う。


「日向くん、まだあたしが友禅のこと好きだと思ってるの?」

「えっ? 違うんですか?」

 沖奈もいくつかの薬品を塗って楽しそうに手帳に書き記していく。


「この前は、面白そうだから言わなかったけど、あたしは友禅のただの従兄弟で、彼には恋愛感情は一切ないよ」

 最終的に、青の血を傷口に塗って、傷を治した清に日向はぽかんとする。


「従兄弟(いとこ)なんですか」

「そう、ま、あたしはこんなんだから家とは縁を切ってるけど……友禅と、彼の姉だけがあたしの味方だったの、だから仲良くしてるだけ」

「柴波さんにお姉さんがいるんですか?」

 包帯を巻く清の手は止まらない。


「うん、まあ、もういないんだけどね」

「……えっと」

 深い悲しみの色が一瞬だけ清の眼に宿った。


「五年前の『死獅の悲劇』で亡くなったんだよ」

「……そうですか」

 沖奈が以前言っていた。

 柴波は『死獅の悲劇』で大切な人を数え切れないほど亡くした、と。


「素敵な女性だったよ、明るくて、優しくて、星を見るのが好きでね、少し変わってて、あたしの一番の理解者だったんだ」

 ぽんっと包帯を巻いた手を叩いて、清は頬杖をついた。

 その眼は懐古の中に優しさを映していて、清の美しさに深さを生んでいた。


「好きだったんですね」

 清を美しくする、今はいない柴波の姉は、きっととても魅力的な人だったのだろう。


「うん、大好き」

 いまも、と恥ずかし気もなく言ってのける清は、とても綺麗だった。


 研究室の大きな窓には、夏の大三角形が見える。

 新月の今夜は、とくに星が綺麗に見える。


 きっと清さんは毎夜、星空を見上げて想い人を思い出しているのだろう。



 カチッと時計の針が夜の一〇時を指した。



「でも、じゃあなんで、初めて会った時に歯形つけたぼくに嫉妬したんですか? ぼく、てっきり柴波さんのこと好きかと勘違いしましたよ」

 確認しておきたかった。

「ああ……それは、日向くんが、友禅の亡くなった婚約者と少しだけ似てたから」

「ん?」

 清は遠くを見るように眼を細めた。


「友禅には、婚約者の代わりが見つかったんだって思って、ちょっと嫉妬したの」

「ちょ、え?」


 いやいや、わたしは柴波さんの婚約者じゃないよ?

 ぐいっと頭に何か重いものがのしかかった。


「馬鹿じゃないの? 日向があんなのの相手するわけないじゃん」

 忘れてた、沖奈いたんだった。


「本当に、ぼくは柴波さんとそういう関係じゃないですよ?」

 顔の前で両手を振る。


「いまは、でしょ? 日向くんは、婚約者と外見も性格も全く似てないけど、なんか雰囲気が似てるんだよね。友禅も無意識にそれを感じてるのかも」

 日向はとにかく否定する。


「いや、本当に、ぼく、恋愛とかもう色々諦めてるんで」

 いまは生きるので精一杯だ。


 それに、柴波は恋愛対象というよりは、生き抜くために攻略しなければならない対象だ。

 大人の色気の攻撃には弱いけど、そういう目では見れない。


 否定する日向を、清は面白そうに見る。


「首元にそんな痕をつけてる人に言われても、ねえ」

「うちの子は、やんないから」

「だれがいつあんたの家の子になったよ、重い」

 頭に顎をのせて後ろから抱きしめてくる沖奈を払う。

 ちょっと酔っぱらてるようだ、絡みが面倒くさい。あ、いつもか。


「ま、でも振りまわされてる友禅を見るのも楽しいから、日向くんは思う存分好きにするといいよ」

 清は治療道具をしまいながら片目をつぶる。


「はぁ、まあ、柴波さんとは友達として仲良くしたいと思っています」

 戸惑いながら席を立ち、沖奈を引きはがし、扉を開ける。


「手当ありがとうございました。また明日もよろしくお願いします」

「うん、おやすみ」

「おやすみ、日向」

 清と沖奈に手を振って振り返ると、目の前に禄がいた。


「うお!」

「青さんと緑さんの部屋までお連れします」

 禄は実は五人くらいいるのではないだろうか、と足音のしない背中を追いかける。






「日向、遅い」

 綺麗な二人部屋の大きめのベッドで、青と緑が並んで寝転んでいた。

 部屋の照明はベッドの横にある台のランプだけだ。

 青が目をこすりながら緑との間に開けた空間をぽんっとたたく。


「ごめん、ちょっと怪我しちゃって」

 そう言って、さらしをほどいて黒刀と共にベッドの傍にある台に置く。

 そして、ベッドに足をのっけて、固まった。

「ふ、ふわふわ」

 初めてのベッドだ。

 飛び跳ねたいのを我慢して、すやすやと眠っている緑を起こさないように二人の間に寝転ぶ。


「さっきまで頑張って起きてたんだけど」

 青は、ちらりと緑を見る。

 ふっくらした頬を少しだけ揺らして眠る緑はため息が出るほどかわいい。


 ランプの灯を消して、日向はそのさらさらの髪をすくように撫でて、青の頭にも手をのせる。

 青は、大人しい。


「今日は、よく頑張ったね」

 青は少しだけ驚いた顔をして、それから枕に顔を半分埋めた。


「朝、苦しかったでしょ? 姉様のこと思い出して、不安だったよね」


 沖奈を怖がっていた理由は分からなかったけど、震えながらも記憶を取り戻したんだ。


 記憶を戻すってことは簡単じゃない、苦しくないわけがない。

 青は目を伏せて、否定も肯定もしなかった。


「実験も、今日のはかなり大変だったし、よく我慢したね」


 いつも一週間に約一日分しか一緒にいられない。

 青と緑は、二人だけで、命からがらここまでやって来たんだ。


 二人は姉様を母のように、姉のように、師のように慕っていた。

 そんな人と引きはがされたんだ。そして、思い出すことすらできていなかった。


 青の背中に手を伸ばして、まだまだ軽い身体をゆっくりと引き寄せる。

 珍しく抵抗しない青に、どれだけ我慢してきたのか、痛いくらい分かってしまった。


「ぼくは……わたしは、いまは青のお兄ちゃんで、お姉ちゃんだよ。たくさん甘えて、たくさんわがまま言っていいよ」


 年の割に小さな細い身体が、少しためらって、それからゆっくりと近づいてきた。

 小さく震える肩を包んで、優しく両手で抱きしめる。


「姉様……」

 か細い声が、胸元に響く。

 ぎゅっとしっかりと抱きしめる。

 胸に顔をうずめる青の温かい雫が、浴衣を温かくぬらす。


「よく、ここまで来たね」

 その小さな頭に、顔をうずめる。


 他人の気持ちを、全く分かることなんてできない。

 他人の悲しみは、他人のものだ。

 わたしには、青の悲しみを想像することしかできない。


 震える背中を、ゆっくりとさする。

 それでも、過去を思い出して涙を流せる青を、少しだけ羨ましく思った。


 わたしは、思い出せるんだろうか……死ぬまでに。

 あの、温かい優しい手も、わたしを思って“生きろ”と言ったあの人のことを。

 いつも無意識に探して求めてしまう、兄のような存在を。


「わたしを見つけてくれてありがとう」

 わたしを求めてくれてありがとう。


「姉様に……会いたい」

 青い髪をすいて、優しくぽんぽんと撫でた。


「いつか会いに行こう、一緒に」

 ゆっくり何度も、青が安心できるように、少しでも悲しみが和らぐように、希望をもてるように。

 そして、いつか、わたしも全てを思い出して心から笑えるように、愛知国の平和を願ってゆっくりと眼を閉じた。





「――ちゃん、――ちゃん、こっち」

 小さな手が、わたしを勢いよく引っ張る。

 白い石が敷き詰められた庭を走っている。

 何かから逃げているのか、それとも、追いかけているのか。


「絶対に――――から、だから、ずっと一緒に―――」

「うん」

 互いの温かさを分け合って、白い息を吐いて、わたしたちは約束した。





 何かが腹にのしかかった。

「うぐっ」

「日向! おはよう」

 眼を開けると、目の前には緑色の髪が広がっていた。


「あ、緑、おはよう」

 ふぁっとあくびをして、目をこすりながら、日光の差し込む部屋を見回した。


 なんか、不思議な夢を見ていた気がする。

 よく思い出せないけど、すごく……懐かしい気がした。


「朝ごはん、食べに行こ」

 日向がいるのが嬉しいのか、朝から元気な緑は日向の腹に抱き着く。


 うう、かわいい。


 よしよしと頭を撫でていると、となりで青がうう、と呻りながら目を覚ました。


「青にいも、起きて」

 緑が青の腕を引く。

「ん~」

 朝に弱いのか、なかなか起きない青の頭をなでる。

 すると、はっと固まって、バッと顔を上げた青が睨んでくる。

 その目元は昨晩の涙の痕で、少し腫れている。


「ひ、日向、昨日のは、忘れろ」

 恥ずかしいのか、枕をつかみながら嚙みつくように言う青が無性に可愛く感じた。


「わかった、わかった、可愛い弟との約束はちゃんと守るよ」

 きょとんとする緑の頭を撫でて頷く。


「朝ごはん食べに行こっか」



 今日も、一日が始まる。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。