第十四話 青と緑の記憶
「てめえとは、もう一度しっかり話をしなきゃならねーな」
日向の肩を力強くつかみ、額がつきそうなほど近づいた眼ですごまれ、日向は固まった。
「えっと、その」
「どけ」
日向を青と緑から引きはがし、柴波は二人を正面から見下ろした。
「吐け、姉様とは誰だ」
低い声に、びくっと跳ねた二人は、それでも許可を求めるように日向を見た。
振り返った柴波の射殺すような眼に、日向は顔を真っ青にして激しくうなずいた。
もう、秘密にできる状況ではない。
「姉様は、四国・中国州一のお医者様です」
片眉を上げた柴波は、顎で長椅子を示した。
「清」
「うん、分かってる」
清は紙の束と筆をもって二人の言葉を記録していく。もちろん沖奈も。
全員が椅子に座ると、青と緑は交互に姉様に関する記憶を話していった。
穴が開いたように消えていた記憶が、少しだけ埋まったような話だった。
「姉様は、どんな病でも怪我でも治せるお方です」
二人は、心から姉様を慕うような目をしている。
二人の話によると、姉様は四国・中国州の医療の第一人者だったようだ。
美しい翠の髪と瞳を持ち、慈悲の心に満ちた女性だった。
姉様の診療所には毎日多くの患者が訪ねてきて、必ず全快して帰っていたようだ。
「おれたちは、姉様を守る“守人”だったんだ」
「護衛ってこと?」
清の質問に、二人はうーん、と首をひねる。
「たぶん、そうだと思う」
「よく覚えてない」
「思い出せないの?」
沖奈が不機嫌気味に手帳から顔を上げる。
その頭を叩いて、清が先を促す。
「大丈夫だよ、他に覚えてることは?」
青と緑は遠くを見るような目で再び語りだす。
常に姉様とともにいた二人の生活は、三ヶ月前の大阪国の侵略戦争で崩れた。
「紅い軍隊が、診療所にやってきたんだ」
「姉様を狙ってた」
「そりゃ、なんでも治せるなら、この戦国時代に必要不可欠だろうね」
沖奈の言葉に、青が歯を食いしばる。
「おれたちは、姉様から離れたら駄目なんだ。一生傍でお仕えするって誓ったんだ」
少年の言葉は、十二歳が発するには重すぎる。
「本当はここにいるべきじゃないんだ、姉様と一緒に大阪国にいなくちゃいけないんだ」
緑も小さな拳を握って、瞳に涙をたたえている。
「でも、姉様はおれたちに、命を施したんだ」
「命を施す?」
清が小首をかしげる。
「姉様は、人に癒しを施せるように、人に強い意志を施すこともできるんだ」
日向はその言葉で、二人のかかっていた暗示の原因を理解した。
清が、以前の質問表や聞き取り結果の紙をめくりながら問う。
「姉様が、あなたたちに『東へ』、『生きなさい』などと命令したってこと?」
青と緑は互いに目を合わせると、清を見てうなずいた。
「そして、『片人様』を探させたわけだね」
足を組んだ清が、難しそうに眉を寄せる。
「他にも、記憶を消したり、許可なく他人と話をさせない命令をだしたり……こんなにも強力な暗示をかけられるなんて聞いたことはないね……催眠術師だったのかな?」
青は首を振る。
「違う、姉様はそんなのじゃない。紅い……大阪の軍隊が着く前におれたちを逃がすために、仕方なくやったんだ」
拳を握る青に、清は顎に手を当てた。
「その姉様は、いまは大阪国に囚われているわけか……問題は、あなたたちを東にいる片人様に会わせて、どうしたかったか、ってことだね」
清の顔が、日向の方へ向く。
「姉様が一縷の望みとして頼ったのが、片人様の日向くんだったわけだ」
たくさんの視線を感じて、日向はうつむく。
ここまで、姉様の情報を聞いても、日向は何も思い出せない。
一片の欠片も記憶を揺すぶられることはなかった。
嫌な考えが浮かぶ。
「日向は本当に片人様なの?」
沖奈がそれを言葉にする。
ばっと顔を上げた日向を、真っ直ぐ見る沖奈の眼は厳しい。
「なにを根拠に、日向が片人様だと思ったわけ?」
沖奈が青と緑を見つめる。
「……匂い」
面白そうに顔をゆがませる沖奈に、日向の心臓の鼓動が早くなる。
「匂いが姉様に似てたんだ」
緑の言葉に、禄が首を傾げる。
「でも、その日向の匂いは変わってきているんですよね?」
客間での日向と青と緑の話を聞いていた禄が思い出したように言う。
「そうなのか?」
柴波が日向を見る。
「いや、自分じゃわかんないけど……」
「匂いかぁ……ふふふっ 面白いね、面白いよ! 日向の匂いの変化は分からないけど、確かに、日向の血は日に日に変わっているよ」
「血?」
興奮しだした沖奈の言葉に、清がすかさず反応する。
「ああ、三カ月前から毎週採血をしてるんだけど、日向の血の色が明らかに薄黒く変わってるんだ、まるで、何かが混ざってるかのようにね」
青と緑が顔を見合わせた。
「おれが……日向を片人様だってすぐに気づけなかったのも、それのせいかもしれない。おれは、緑ほど鼻が良いわけじゃないから」
眉間を寄せた青がそう呟く。
「それか、本当に日向が片人様じゃないかもしれないね」
顎に手を当てた沖奈は楽しげだ。
「なんで?」
緑が純粋に不思議そうに沖奈を見つめる。
「片人様は、姉様の匂いに似ているんだろう?」
「うん」
「匂いを、「血」に置き換えて考えるとしよう。日向の血は、毎週のように変わっている。それは、摂取している薬が原因だとおれは考えている」
沖奈は、懐から赤い液体の入った小瓶をだす。
「それは!」
青が目を見張る。緑はキッと沖奈を睨んだ。
「これは、死獅の回復薬だ。これの原液は、姉様の血だろ?」
薄暗い笑顔の沖奈は、まるで二人を挑発しているようだ。
「どこでそれを手に入れたんだ」
青が立ち上がる。
沖奈は、小瓶を懐にしまって人差し指を唇にあてる。
「おれは研究者だからね、情報の守秘義務がある。子どもには教えられないんだ」
いつもは穏やかな緑が、見たことがないほど険しい顔で沖奈を睨みつける。
沖奈はまるで答え合わせをしているかのように楽しそうに二人の反応を見ている。
「話を戻すと、日向は定期的に、この回復薬を飲んでるんだ。こうは考えられないか?」
沖奈が日向を見つめる。その眼はゾッとするほど冷たい。
「服薬によって、たまたま、日向の血が姉様の血の臭いに近づいた」
わたしは、片人様なんかじゃなくて、ただ血が似ているだけ?
二人の求めている人間じゃない?
「片人様は、他にいる、って」
沖奈の言葉が、客間に響く。
青が困ったような、複雑な顔で日向を見上げる。
日向は何も言えない。
分からないから。
「沖奈くん、さっきから聞いていれば、あなたはどうしても日向を片人様にしたくないみたいだね」
清が、鋭い目で沖奈を見つめる。
「なにか、日向が片人様だと不都合でもあるのかい?」
「そんなことないよ、可能性の話をしてるだけだ」
薄ら笑いを浮かべた沖奈は、首を横に振る。
「おれは研究者だからね」
「じゃあ、日向が片人様である可能性の話をするほうが、いまは建設的じゃないかな?」
「研究とは、“常に疑ってかかること”だと、昔習ったものでね」
笑ってない笑顔を向け合う清と沖奈。
「日向は、片人様だよ」
客間に、柔らかい声が響いた。
はっと振り向くと、緑が真っ直ぐ日向を見ていた。
「緑?」
緑は自分の手のひらを見て、拳を握った。
「ぼくは、一番姉様の血の順応がよかったんだ。一番姉様の血に近い」
そういえば、青と緑は、姉様から血を与えてもらって、治癒の力をもったと言っていた。
興味深げに目を細める研究者たちは、一言ひとことを記録していく。
「そのぼくが、間違えるはずがないよ。日向は、姉様の匂いに似てるけど違う……でも根本は同じ。それが、片人様の証だよ」
「どういう意味?」
「詳しくはぼくも思い出せないけど、日向は姉様に教えてもらった片人様の匂いのなんだ」
丸いきれいな緑の瞳に迷いはない。
物言えない安堵が心に落ちる。
「でも、その日向の匂いに色んな悪いものが混ざってるのも本当」
眉を寄せた緑に、青がうなずく。
「ねえ、姉様は、ぼくの家族なの?」
五年前に、私に「生きろ」と言ったのは、姉様なのだろうか。
青と緑は首を横に振った。
「分かんない」
「知らない」
「……そっか」
沖奈は何かを深く考えるように手帳を睨み、清は額に手を当てて天井を仰いだ。
「なんだか、摩訶不思議だね。でも、『片人様』って名前からしても、日向くんは、もしかしたら血縁者かなにかかもしれないね」
清の言葉に、日向は俯く。
まだ、何もわからない。
でも、青と緑の記憶が戻りだした。
何がきっかけになるかわからない。
日向は自分の手を見つめながら、自分を求めて二人を逃した姉様に思いを馳せた。
わたしは、本当に、何者なのだろうか。
そんな日向を柴波は静かに見ていた。




