第十二話 沖奈の交渉
日に日に太陽の威力が増してきた七月の中旬。
「日向、最近調子いいね」
日曜日の夕方、任務終わりにそのまま研究室へ向かいながら、沖奈が不思議そうに聞いてくる。
「あー、良く寝れてるからかな」
斜め上を見ながら曖昧な返事をする日向に、沖奈が口の端を上げた。
「へぇ、日向が、あの四番隊長のお気に入りになったって、本当だったんだ」
「え?」
バッと隣を見上げれば、沖奈がつまらなさそうな顔をする。
「先々週から日向が通い妻してるって情報が入ったんだけど、本当だったんだ」
「ぶはっ」
通い妻という単語に吹いてしまった。いつの間にか禄の笑い方がうつってしまったのかもしれない。
「やめてよ、通い妻って、面白すぎる」
ふるふると肩を震わせて反応する日向に、沖奈はニヤリと笑う。
「ふぅん、通い妻じゃなかったら、何のために四番隊長のところに行ってるの?」
「……柴波さん家に通い妻してます」
日向は詮索大好き人間から離れるように早歩きで研究室へ向かう。
「ふぅん、日向、ああいうのが趣味だったんだ、傷つくなぁ、おれが一番に口説いたのに」
「部屋に催淫薬をぶちまけるのを、口説くって言うんだって初めて知ったよ」
「一番手っ取り早いと思ったんだよ、おれ、顔は良いから」
「ほんと、くずだよね」
「日向、きみはおれのときだけ、本当に口が悪いよね」
研究室の鍵を開けて日向を入れながら、口をとがらせる沖奈に、日向はいつも通り黒刀を台に置いて、支給品の甚平に着替える。
「で? 本当のところはどうなの? 四番隊長とは、確か三カ月前にちょっと交流があっただけでしょ?」
ひょこっと日向の顔を覗き込んでくる沖奈を、甚平の紐を結びながらぎろっと睨む。
「なんでそれ知ってるの?」
「おれの研究内容がどこに流れているか、一応確認してるからね」
抜け目のない男だ。
初めて柴波から襲撃を受けた日に、楓と共に死獅の研究資料を渡したのだ。
そのことが、沖奈には筒抜けだったみたいだ。
日向は少し考えてみる。
まだ二週間しか経っていないが、清から問われる質問内容は沖奈とかぶるところがある。
それに、清は死獅は専門外だと言っていた。
それなら、自分の回復のためにも清と沖奈を組ませた方が効率も良いんじゃないだろうか。
それに、沖奈は秘密にしてても簡単に暴いてきそうだ。
「うーん、脅されてるわけではないんだね」
日向の思案する顔に、沖奈が少し安心したように言う。
「は?」
「先々週、首元に歯形つけてたでしょ、日向が弱みでも握られちゃったかと思ったんだよ」
円を描くように首元を撫でてくる沖奈の手を払う。
「弱みって?」
「ここに膨らみがないこととか?」
とんとんっと喉仏をつついて、ニヤッと笑う沖奈。
「は、はは、何言ってんの、あと数年もしたら出っ張ってくるよ」
手を払って、乾いた笑いで流すけど、沖奈はかがんで日向と目を合わせる。
「日向、おれはさ、日向が下手に処分されたから嫌だから無視してきたけど、もしこれがばれて、面倒くさいことになったら嫌なんだ」
笑ってない笑顔を向けられて、固まった。
「……気づいてたんだ」
「初めて見た時からある程度はね、あとは腕を触った時に確信した」
肩をすくめる沖奈を呆然と見つめる。
ほとんど最初から気づいてたんだ。
「おれが一番嫌なのって、研究を邪魔されることなんだ」
日向の髪を耳にかけて微笑む。
もちろん、その眼は笑ってなんかいない。
「次に嫌なのは、価値の分からない奴に研究対象を取られたり、壊されること」
日向はうるさい心臓を抑えながら眼をそらす。
「ねえ日向、四番隊長はきみになんて言ったの? まさか、おれより優秀な研究者でも見つけたとか?」
ぎくっ 唇をかんで、思いっきり目をそらし続ける。
「四番隊長のこと、軽く調べたけど、あの人ってかなりいいところの坊ちゃんらしいじゃん。五年前の『死獅の悲劇』で大切な人を数え切れないほど亡くしたらしい。愛国心と死獅への恨みは底なしらしいよ」
「死獅の悲劇」……入隊式で聞いた事件だ。日向はこの事件のことをまだ詳しく知らない。知りたくなかった。
いままで、目をそらしてきていた。
「少し変わってるけど」
「あんたが言うか」
「二十五歳で今の地位についてる、かなりの切れ者らしいし……彼だったら、利用価値があるって分かってきた死獅容疑者をどう扱うかな?」
目尻のあざを撫でながら、沖奈は眼を細めた。
「おれの研究の邪魔をする奴は、それ相応の対応をさせてもらうつもり」
「沖奈じゃ、敵わないよ」
柴波はかなりの手だれだ。
「まあ、真っ向からはむりだろうね、でもおれの得意分野って、遠距離攻撃と毒殺なんだ」
にこりと微笑む沖奈は、そういえば馬鹿みたいに薬物を使いまくる奴だった。
日向は沖奈の手をつかんで、目を合わせる。
いままで血みどろになるほど研究されてきたんだから、バレてないわけがなかったんだ。
「ぼくのことを黙ってくれてたことは、ありがとう」
実際に面倒くさい絡みはされているが、女ということを秘密にしてくれていたのは助かった。
それに、沖奈がもっていた死獅の情報や、薬で何度も助けられたところもある。
毎週の研究で阿修羅の制御ができるようになってきたのも確かだ。
「大事な研究対象だからね」
「柴波さんのことは心配しないで、面倒くさいけどそこまで悪い人じゃないから」
「ふぅん」
つまらなさそうな顔をする沖奈に、日向はピアスのチェーンに触れた。
「一度、沖奈のことを紹介してみるよ、もしかしたら柴波さんが沖奈に会いたがるかもしれない」
実際、死獅の情報を一番もっている沖奈には興味があると思うのだ。
「なに? おれも通い妻するの?」
面白そうに口の端を上げた沖奈に、日向はため息まじりに頷いた。
「もし、柴波さんが沖奈に興味をもったらね、でも駄目だったときは、ぼくの通い妻を温かい目で見守ってて」
「堂々と浮気を進めるなんて、日向の恋人は大変そうだ」
悪い笑顔で、返事を楽しみに待ってるよ、と言う沖奈に日向は気づいた。
わたしの弱みを知ってて黙ってたのは、こういう時の交渉に使うためだったのか。
ほんと、抜け目のない男だ。
「そろそろ副隊長がきそうだね」
「沖奈って、あんまり人の名前呼ばないよね、ま、どうでもいいけど」
なんとなく口にすると、沖奈は白衣を着ながらなんでもなさそうに言う。
「人はすぐに死ぬからね、相手の役職と利用価値を覚えておけば、充分だよ」
「沖奈って、友達少ないでしょ」
「おれには死獅がいればそれで充分だからね」
研究室の中央の幅の広い台に寝転がる。
「今回の件もだけど、日向は色んな意味で利用価値が上がってきてる」
いままで採血した血の入った試験管を棚から取り出しながら、沖奈は低い声で話す。
「日向、どこかに盗られないように気をつけてね」
「盗られるって、物じゃないんだから」
「きみもだけど、その黒刀も」
研究室の壁際の台に置かれている黒刀の鞘は、部屋の照明を受けて美しく輝いている。
幾重にも並ぶ菊の模様は、まるで芸術品のようだ。
「まだ調べきれてないけど……明らかに死獅の武器とは違う」
日向は、先月の国境で戦った大隊の暁を思い出す。
「でも、普通の大隊員も武器で自分の身体を傷つけて身体強化してるよね? 死獅とどう違うの?」
自分の腕を切りつけた暁は、明らかに筋肉量が増え、ありえないほどの力を発揮していた。
「まあ、与えられる血の質と量の違いかな」
「血?」
「大隊や死獅要員って、王の血の入った『彼岸花の種』をもらうんだよ」
「あれ、それ聞いたことある」
彼岸花って、大隊や死獅が死んだら浮かび上がる赤い模様のことだ。
「その種を体内に摂取すると、王には逆らえなくなるんだ、あとは、自分より種の多い人間に反抗できなくなる」
「え、それって、死獅の『血の石』と同じ仕組み?」
「そうそう、反抗しようとすると、彼岸花の種が開花を始める。つまり、本気で反抗すれば即死だ」
日向は、息を飲んだ。
「え、じゃあ、楓は? 元大隊だった楓は、どうしてるの? 先月も戦ってたよね?」
沖奈はさあ、と両手を上げた。
「あんま興味ない、でも、たぶん長生きはできないだろーね、ちゃんと苦しんでると思うよ」
「なにそれ! え、まってよ、『彼岸花の種』を消すこととかできないの?」
「さあ、まあ、あるんじゃない? 生きるのをやめるとか」
「は?」
「生命活動を著しく怠ると、種が腐る、っていう考察は聞いたことはあるよ」
「楓は、一回死なないといけないわけ?」
「ま、副隊長は、大隊の隊長を殺せてるんだし、意外と『彼岸花の種』の威力も弱いのかもね」
「沖奈はつめたいね」
「興味がないことに時間を使っても無駄だろ、日向も誰とでも仲良くなろうとするのは徒労に終わるよ」
台の上で寝転がりながら、顔を沖奈に向けて睨みつける。
「べつに、みんなと仲良くなろうとは思ってないよ」
「ふぅん、ま、いいや」
話しを終わらせようとする沖奈に、首を傾げる。
「あれ、結局なんの話をしてたんだっけ?」
「あ、そう、大隊と死獅の違いだった。大隊員は『彼岸花の種』の摂取量が多いから、その分、多くの王の血を体内に摂取できてるんだよ。死獅は、その量が少ない」
「大阪の王って、全身チューブだらけなの? 毎日どんだけ採血してんの」
「まあ、一定の血をある程度は薄めて使ってるけどね。それで、体内の王の血の量を超える血の入った武器を使うと、理性を失って死獅になるってこと」
「じゃあ、大隊員って、武器の選び方次第で死獅になっちゃう人もいるってこと?」
「まあ、たまに馬鹿が死獅になっちゃうこともあるらしいよ」
今日の研究の準備を進める沖奈はさらっと言う。
「ねえ、沖奈はなんでそんなに詳しいの?」
「研究者だからね」
「……そっか」
真っ白い天井を見上げながら、ぼーっと考える。
今日は痛くないと良いな。
「日向」
「ん?」
「あんまり人のことを信用しないほうがいいよ」
薄暗い眼に、ゾッとした。
「変なこと言わないでよ」
不意に、三カ月前、この名隊に入ることになったときに楓に言われたことを久しぶりに思い出した。
――「わたしとあんさんの存在は、愛知国の敵や。排除はされても、歓迎はされん」――
楓は大隊を裏切ってやってきたのに、苦しみながら戦ってるのに、この名古屋でも安心して生きていられない。
わたしは……結構周りの人のことを信用して生きている。それで安心できている。
疑いながら、いつか危害を加えられるかもしれない、だなんて思いながら生きていたら疲れる。
「ぼくは、信じたい人を信じるよ」
日向は沖奈を見上げる。
「それに、沖奈の死獅への情熱は信用してるから」
―― 「おれにとって、死獅は、夢なんだ」 ――
初めて沖奈が人間らしい表情を見せたときに言った言葉を、日向は信じている。
「そう、ま、おれは忠告はしたから」
肩をすくめた沖奈は毎週採血していた血を見比べながら、ふと、思い出したように振り返った。
「日向が女だって知ってるって言ったし、確かめたかったことがあるんだ」
なんか嫌な予感がする。
「死獅の子どもって、死獅かな?」
上体を起こして、すぐに逃げられる態勢をとる。
「子ども作ってみる?」
「殴っていい?」
沖奈はだめか、とまた血に向き合った。
「ま、この研究はもっと後でもいいね、いまはこの血が問題なんだよ」
「遅くなりました」
やっと楓が入ってきた。
「楓、遅いよ、沖奈と二人きりはもうしんどい」
「知りません」
最近では、研究ができることに満足して落ち着いた沖奈との二人きりも許されるくらいには、沖奈も信用されている。
というか、もう面倒くさがられてほっとかれている、と言った方が妥当かもしれない。
そして、楓は近頃ずっと機嫌が悪い。
歯形をつけて帰ってきた時から、ずっと。
理由は、もちろん柴波宅への通い妻のせいだ。
それ以外もあるかもしれないけど、楓は仕事で忙しそうでなかなかゆっくりと話すことはない。
入ってきた楓は、正装だった。
最近、大きな会議に出席することが多いようだ。
忙しさも倍増したようで、部屋で疲れた顔をしていることを見ることもある。
そんな楓が、じっと日向を見ていた。
どこか一歩引いたような、そんな眼に、どういった感情が込められているのかはわからなかった。
「どうしたの?」
首を傾げて楓を見つめるが、楓は支給品の白衣を上から羽織って首を横に振った。
楓はいつも通りの無表情に戻り、髪をかきあげると沖奈を促した。
「始めてください」
「今日の研究は、日向の血についてです」
楓もいるので申し訳程度の敬語になる沖奈は、大量の赤い試験管を示す。
「日向の血が、毎週、少しずつ変化してるんです」
「なにそれ、怖っ」
「特に、例の黒い液体を飲んだ後に顕著に変化してる」
研究室がしんっと静かになる。
「日向、そろそろ詳しく教えてくれない? きみの司くんについて」
日向は目を伏せた。
最初の四月の後、五月に一度手紙が来た後、手紙は届かなくなった。
二枚目の手紙にも、どこにいるかもどんなことをしているかも詳しく書かれていなかった。
司から手紙が来なければ、こちらから送ることもできない。
「彼はいま、どこにいるんだい?」
「ぼくも、詳しく知らないんだ」
司は、大丈夫かな。
何かがあったんじゃないのかな。
日に日に治安の悪くなる城下町。国境に近づくにつれて、治安は悪くなっている。
中部州は不穏な空気に包まれている。
司は、どこにいるんだろう。
沖奈は眉をひそめてため息をつく。
「この黒い液体も残り一本しかない」
日向は、つばをのみこんだ。
「とにかく、今日も採血から始める」
その日の研究でも、黒い液体や、血の変化の他の要因など、詳しいことは分からないまま終わった。
結局、楓の視線の原因はわからないままだ。
でも、いつもより楓と目が合うことが少なくなった気はする。
研究を終えて、生温かい七月の夜の道を、寮に向かって歩く。
トントントンッ
ピアスについたチェーンを叩く。
「柴波さん、お疲れ様です。日向です」
―― なんだ ――
「ごめんなさい」
もう最初に謝っておこう。
―― 許さねえ ――
「ちょっと、先に内容を聞いてから判断してくださいよ」
―― うるせえよ、で、なんだ? ――
謝罪をしたうえで、沖奈とのやり取りを、女という事実を除いて話した。
―― ……ほんと、お前は阿呆だな、もっと隠密ってことができねえのか ――
「ごめんなさい」
―― まあいい、沖奈とはいずれ接触しようとは思ってた。来週連れてこい ――
「あ、そうなんですか、良かった」
ふう、と息を吐く日向に、不機嫌な声が聞こえてくる。
―― おい、気ぃ抜いてんじゃねーよ ――
「はい」
柴波の声は、いつもより疲れているように聞こえた。
来週、沖奈と一緒に通い妻をすることが決まった。
いつも『戦国・阿修羅螺』を読んでくださりありがとうございます。
長らくお待たせした、章や話の整理が完了しました。
今後、ゆっくりと掲載を再開致します。
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※以下の章と話を追加いたしました。
第二章
第二十七話 五番隊隊長 月桂樹と日向 (一部)
第二十八話 楓の昔語り
第三十二話 臥薪嘗胆 火神暁
第三章
第〇話 二筋の光明
第一〇話 保護者の楓
第十一話 歩一歩
第十二話 沖奈の交渉
※以下の話を削除いたしました。
第二章
(元)第一話 生簀の鯉を眺める者 南の地の少年
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『戦国・阿修羅螺』を楽しんでいただけたら幸いです。
今後とも、どうぞよろしくお願い致します。




