第一〇話 保護者の楓
「ふぁぁ~、楓、おはよー」
頬に枕のあとをつけて、楓の部屋に入る日向に、珍しく楓が日向に顔を向けた。
いつもは、机に向かったまま、ほぼ無視なのだ。
「……その首のあとはなんや」
眉をひそめた楓に、日向は首をかしげて、首元を触る。
御守りの上に、円を描くようにざらっと痕がついているのが触るだけでわかった。
「あー……柴犬に嚙まれたんだ」
視線をそらせて、楓の部屋から出ようとする日向を、楓が止める。
「どうやったら犬に首を嚙まれんねん、阿呆、こっちに来ぃ」
うわ、なんで今日に限ってかまってくれるのさ。
嬉しいけど。
今日は、というか、これからは、できれば避けたい。
日向は、元来頭が良いわけではない、そして、嘘が苦手だ。
いつもだったらとんでくる日向がなかなか動かないのを見て、楓が立ち上がる。
「来い」
「え?」
腕をつかまれ、久しぶりに盗聴防止部屋に放り込まれた。
「あれ、なんかいい匂いする」
「座れ」
顎で、部屋の中央の机に向かい合うように置かれた座椅子を示された。
その机の上には、いい匂いのもとの丼が置いてあった。
なんだろう、と小首をかしげる。
ここに座る時、いつもしかられることが多いけど、今日はご馳走をくれるのかな。
楓が部屋の鍵をかけてから、向かい側に座る。
「……で? あんさんは、昨日どこに行っとったんや?」
ギクッ
日向は眼を泳がせる。
「昨日の朝の、あんさんの様子は異常やった。死にそうやったやないか」
楓の声はいつも通り冷静だけど、どこか、ほんの少し気遣うような色があった。
そういえば、そんなこともあったな。
昨日は色々なことがありすぎて忘れていた。昨日の朝に、心臓が苦しくなったとき、楓がそばにいてくれてたんだった。
「たしかに、昨日の朝はやばかったね」
ヘラッと笑う日向に、楓の眼が鋭くなった。
「笑いごとや、ないやろ」
「あのときは、楓がいたから襲撃を受けても大丈夫だったし……それに、少しだけ、昔を思い出せたんだ」
日向は、目を伏せて、自分の手を見た。
この手を握ったあの手は、姉様だろうか。
「へぇ、五年前の記憶が戻ったんか?」
探るような声に、日向は首を横に振った。
「断片的に、だけだよ。誰かがぼくに、“生きて”って言ってた。女の子なのか、男の子なのかわかんないけど、すごく懐かしく感じたんだ」
「よくあるんか?」
「ううん、昔に高熱をだした時一度だけあった、それ以来だ……なんでだろ、昨日は熱なんかだしてないのに」
日向は、確かに昨日の朝、
―― 生きろ ――
という声を聞いた。
そのとたんに、身体に違和感を覚えたんだ。
そして、同じような言葉を信じてやって来た、青と緑と出会った。
きっと、あの二人が関係している。
日向は、首元の歯形をなぞった。
わたしが、守らなきゃ。
目を伏せる日向に、楓がため息をついた。
「日向」
名前を呼ばれて、ビクッと顔を上げた日向は、真っ直ぐ自分を見つめている桜銀色の瞳を見た。
「な、なに?」
「……わたしは、お前の保護者でもある」
どこか言いにくそうに話す楓に、首をかしげながらもうなずく。
「うん」
「わたしも多忙で、お前とおる時間は少ない」
「え、うん、そうだね?」
「だが、お前の体調の状況くらいは把握しておきたい」
「え」
楓の気まずそうな顔に、日向の顔がゆるりとにやける。
「楓が、保護者みたいなこと言った!」
「保護者やからな」
「明日、傘でも降ってきそうだね」
窓のない盗聴防止部屋を見回しながら言う日向の頭を叩く楓。
「うるさいわ」
「えへへ」
頭を抑えて、緩んだ口元を戻せない日向に、楓は眉をひそめた。
「せやから……わたしの前では、無駄な体力を使うな」
「ん?」
楓の言葉が理解できなくて、きょとんとする。
はぁーとため息をついて、前髪をかき上げる楓は、目をそらした。
「やから、無駄に笑おうとすんな、腹立つねん」
しかめっ面の楓に、日向は固まった。
「死にそうになった後に、笑うな、無理してんのバレとるわ、阿呆」
顔をそむけて頬杖をついたまま、楓はため息まじりに続ける。
「なにが、大丈夫、や。お前が死んで面倒なんは、わたしや」
「うん」
「無駄に体力使うな、そんなんに体力使うんなら、死獅を一匹でも多く殺しぃ」
「うん」
「やから、わたしが言いたいんは……保護者にはちゃんと死にそうやと、正直に言えってことや……おい、聞いてんのか」
うつむいている日向に顔をしかめた楓。
日向は両手で口元を隠していた。
「しししっ」
「きも」
両手では隠し切れない盛大ににやけた日向の顔に、楓の口は正直に動いた。
「ひど!」
でも、と日向はにかーっと笑った。
「楓にそんなこと言ってもらえて、馬鹿みたいに嬉しい」
「馬鹿やからな」
「そういう意味じゃなくて」
「阿呆なこと言っとらんで、そのにやけ顔をどうにかしろ」
楓はため息まじりに丼を押し出した。
「あ、なにこれ?」
「昨日の昼の残りや、腐っとっても、あんさんなら食えるやろ」
「ぼくをなんだと思ってるのかな」
「いらんなら捨てる」
「いる!」
一つの丼の蓋をあけた日向は固まった。
「なに? 魚の頭を贈るのって流行ってるの?」
半助の丼を半目で見つめる日向に、楓が鼻で笑う。
「それも食いもんや、残さず食え」
「あ、食べれるんだ! 悪質な嫌がらせかと思ったよ」
もう一つの丼の蓋を開けて、日向は目を輝かせた。
「ひつまぶしだ! でも、なんで半分?」
「わたしの残りや」
「え、楓って食事するの?」
「あんさんは、わたしをなんやと思ってんねん」
「食べなくても生きていける生物かと思ってた」
本気でそう思っていたのだ。
「阿呆」
「だって、この三ヶ月の間で、楓が食事してるところ見たことないもん」
日向は、割り箸と一緒についていた薬味をどばどばとひつまぶしの丼の中に入れる。
「いただきます」
「だいたいは会議室や外で食べてるからな」
「あ、そうだったんだ、食堂で会ったことないわけだ」
楓が食事をする人間だと分かってほっとしながら、うなぎの頭を箸でつまむ。
「ねえ、これ本当に食べれるの?」
半目で楓を見る。
丼の中で、二十五匹の頭がジッと日向を見つめている。なんとも不気味だ。
「半助いう料理や……こっちじゃないんか?」
「こっちって? 名古屋じゃうなぎの頭なんか食べないよ」
恐る恐る口に入れると、サクサク、パリパリと骨の食感が楽しめた。
「あ、濃い味がいいね」
これはいける。
「こっちの料理は、味が濃すぎる」
楓が食堂で料理を食べない理由がなんとなく分かった気がした。
「名古屋の料理は、他の国と比べたら味が濃いらしいね、前に隼が言ってた」
日向がパクパクと頭を口に運んでいくのを、楓は頬杖をついて見ていた。
なんだか、今日は楓がすごく構ってくれる。
不気味だ。
いつもなら、こんな長い間盗聴防止部屋にいさせてくれないし、ご飯なんかくれない。というか、わたしが食べているのを見守ることなんか、絶対にしない。
明日の天気予報を瓦版で確認しないと、と思いながら半助を食べる。
美味しいけど、二十五は多い。
「あんさん、ほんまに十四か」
丸い頬でもぐもぐとうなぎの頭を食べている日向の姿に、顔をしかめる楓。
「たぶん?」
と首を傾げながら答える日向。
「なんや、それ」
「ぼくが記憶をなくしたのが、本当に九歳なのかわからないから。自分の意識では九歳だと思ってたけど、本当のところは誰もわかんないから」
「ざっくりしとんな……確かに、あと二年で成人する男とは思えんわ」
十六歳で成人を迎える愛知国では、十四歳で日向ほど小柄な少年はあまりみかけない。
「まあ、個人差はあるよ」
薬味を頬につけた日向は、ニヘラッと笑った。
「楓」
「なんや」
「ありがとう」
幸せそうなほころんだ笑顔に、楓は目をそらした。
「感謝の気持ちがあるんなら、もっと働け」
「へい、ひつまぶし代くらいは働きますよ、旦那」
親指をぐっと突き出す日向に、ため息をつく。
「あんさんは、死んでも楽観的そうやな」
「死んだら、終わりだよ」
微笑をのこした日向の冷めた言葉に、楓は目を見開いた。
瞬きしたときには、日向の表情は戻っていた。
「だから、ね、ぼくは生きて楓の隣に立ってるよ」
「三十歩くらい離れて立ってろ」
楓はふんっと鼻をならしながらも、日向の様子を観察する。
楓はきっと、まだ日向のことを半分も知らない。
日向が、楓のことを全く知らないように。
ひつまぶしも半助もきれいにたいらげた日向は両手を合わせる。
ひと息ついて、満足そうにする日向に、楓が眼を細める。
「それで、その首は誰にやられた?」
途端に、いつもの阿呆そうな顔の日向は眼を泳がせた。
なるほど、いつも以上に構ってくれるのは、この歯形が原因か!
「だから、馬鹿な犬に嚙まれたんだって、がぶって」
「どこでや?」
「えーっと、その、最近治安の悪い、あの巡回してる場所あるじゃん? あそこで、野良犬が襲ってきたんだ」
「柴犬の野良犬が?」
「え、あ、そうそう!」
しどろもどろに苦笑いする日向は、部屋の時計を見てハッと息をのむと座椅子から立ち上がった。
「ごめん、ぼくちょっと用事があるんだ、ひつまぶしありがとうね!」
日向は渋い緑色の着物のしわをはたきながら立ち上がる。
「なあ、その着物、だれにもらったんや?」
「ん?」
この着物は、昨晩、柴波の屋敷からずっと着ていたものだ。
四守の趣味でもないし、日向がいままでこの着物を着ていなかったことを楓は知っている。
楓が、冷めた、冷めすぎた眼で睨む。
「え、えーっと、これ、ぼくのだよ」
「へぇ、初めて見たな」
「押入れの奥に入れてたのを見つけたんだよ」
「柴波さんの家紋が、襟元についてあるが?」
「え! 本当!?」
急いで襟元を見るが、家紋はない。
「ないじゃん! ……あ」
「昨日は、どこで、なにをしてたんや?」
零度の空気が、部屋に広がった。
言えない、言えないよ!
青と緑については箝口令がしかれたんだ。
日向は、必死に考える。
わたしが、柴波さんに着物を借りた理由。
「あ、その、犬から柴波さんが助けてくれたんだよ、そのときに服が汚れちゃってさ、あはは、それで、借りたんだ」
苦しい。わたしは犬からかばわれるようなたちじゃないし、そもそも、柴波は助けない。笑って見てそうだ。
「ほぉ」
楓の無表情の中に、苛立ちが見える。
「服を借りて、首を嚙まれたってわけか」
「え!?」
なんで柴波さんが噛んだってわかったんだろう。
慌てて考えようとしたとき、昨日の柴波とのやり取りを思い出した。
いきなり大人の色気をだして覆いかぶさってきたときは、心臓がとびでるかと思った……あの人は、反則だろう。
クソガキだけど。
思い出していたら、顔が一気に熱くなった。
冷まそうと思って顔を上げたとき、半目の楓と目が合った。
「あ……」
楓の芋虫を見るような眼に、必死に言い訳を考えるが、良い嘘が思いつかない。
「その、ぼく、土曜日の午後と、日曜日の午前は、柴波さんと仲良くさせてもらうことになったんだ!」
楓の引いた視線に、いたたまれなくなる。
柴波さん、ごめん。だが、あんたも悪い。
「なるほど、へぇ、三ヶ月前のわたしの手伝いはいらんかったみたいやな」
冷たい眼に、日向は震え上がる。
三ヶ月前、初めて柴波に会ったとき、日向の失態を助けてくれたのは紛れもない楓だった。
「ち、ちがう、そんなことない、というか、楓の思ってるような関係じゃないよ!」
「相手の首に歯形をつけるような関係が、それ以外のどんな関係なんか、わたしには想像つきひん」
全くだよね!
なぜか、全然引かない顔の熱に、頬に手をあてながら、日向は話に決着をつける。
「とにかく、ぼくは楓に助けられたし、それがあったから、いま柴波さんと仲良くできてるんだ、ありがとう!」
ビシッと手を上げて話を切り上げると、日向は盗聴防止部屋の扉まで走った。
「まて」
背後で声がした。機嫌がより悪くなった楓の声に、ビクッと固まる。
「ご、ごめん、時間ないんだ」
「あいつは、やめといた方がええ」
楓の低い声に、日向は振り返った。
立ち上がり、日向の正面に立つ楓。
読めない無表情の眼は、いつもより鋭かった。
「えーっと、それでも、ぼくは柴波さんと仲良くしたんだ」
「へぇ、あいつのどこがええんや?」
「えっと…………」
必死に考える。あの人にいい所あったっけ?
子どもっぽいし、迷惑だし、すぐに殺そうとしてくるし…………。
あれ、なくない?
扉の前で、楓と向き合って数十秒黙り込む。
「楓は、柴波さんのどこが好き?」
「きもい質問はやめろ、阿呆」
「だよね、思いつかないよね」
日向はこくりとうなずくと、それじゃ、と扉を開けて走り出した。
「おい、まて!」
「ひつまぶし美味しかった! 今度は一緒に食べよー!」
逃げるが勝ち、楓は忙しいから、きっとすぐに忘れてくれる!
日向は全力疾走で柴波の屋敷へ向かった。




