第六話 柴波との契約
「よいしょっと」
さらしの替えがなかったので、さっきまで使っていたものを使う。
それから、用意されていた着物を着て、緑の着替えを手伝う。
着物は渋い緑色で、普段着ているものより二段くらい格が高い質の良いものだ。
名隊四番隊長にでもなると、客に貸す着物ですらこんな良いものなんだなー……経済力がすごい。
お風呂だって寮と同じくらい広いのだ。
入る前までは、どこの浮浪児かと思うほどの相貌だったのに、いまじゃ青も緑も、この柴波のお屋敷の子と言っても納得できるほど綺麗だ。
「青と緑は、顔が整ってて、お金持ちのお坊ちゃんみたいだね」
青の頭を撫でると、顔を真っ赤にして、手をはたかれてキッと睨まれた。
警戒心の強い野良猫を相手にしているようで楽しい。
「さ、触るな!」
それでも、本気で嫌そうにしないから、からかいがいがある。
「お兄ちゃんにはちゃんと甘えてよー!」
初めてできた弟たちは全力で構い倒すと決めた。
すると、青が周りを確認するように見渡して、この脱衣所に三人しかいないことを確かめると、さっき払った日向の手をつかんだ。
「ん?」
ぐいっと引かれて、日向が青と目線を合わせるほどにかがむと、両頬を両手でつかまれた。
「姉様のためだ」
顔をほの赤く染めて、それでも真剣な表情で、日向の顔に顔を近づける。
幼いけど、整った顔が近づいてきたと思ったら、両目尻に唇があたった。
「片人様にわたしの血を捧げます」
青の言葉に、緑のときと同じように、心がぽわっと温かくなったような気がした。
「えーっと?」
顔を赤くしながらも、日向を真っ直ぐ見つめる青に、混乱して苦笑いをする。
血を、捧げてくれるの?
「こ、これは、片人様に出会ったらやるんだと、姉様に教わったんだ……片人様に会えば、色々やらないといけないことが自然と思い出せる」
「ん? ぼくと一緒にいれば、ちょっとずつ記憶が戻るってこと?」
小首を傾げると、緑が袖を引っ張った。
「そうだよ、勝手に身体が動いて、頭の中に、何をすればいいのか浮かんでくるんだ」
不思議だ。
人が血で獣になれるんだ。
人の血で身体が治るんだ。
記憶がわたしと関わることで思い出せるなら、それはそれでいい。
でも、不思議だ。
人ならざる力が働いているようで、少しだけ怖くなった。
「そっか、じゃあ、たくさん一緒にいないとだめだね」
でも、わたしは間違ってなかった。
この子たちを助けたことも、保護することも。
本能の警告に従ったことも。
「助けれてよかった」
自然と笑みがこぼれた。
自分と同じような境遇の二人を助けれたことが、自分を救えたように思えた。
自己満足だったとしても、結果的に自分の過去につながる鍵を見つけ、自分を守る仲間を得られたことにかわりない。
日向は、緑と青をあらためて抱きしめた。
「これから、きみたちの血をたくさんもらうことになるかもしれない。研究で痛い思いをすることになるかもしれない。ぼくの力はまだまだ弱いけど、きっと、いつか、全部を思い出そう」
新しい家族だ。
ずっと守られてきた自分が、今度はこの二人を守るんだ。
「ぼくが、必ず守るから」
嬉しそうに抱きつき返してくれる緑と、嫌そうに身をよじる青。
「必ず、生きよう」
姉様の命令である、生きろ。という言葉を守り通そう。
わたしに命令したのが、姉様なら、きっと以前、わたしは姉様に会っている。
姉様がわたしを探しているなら、いつか会って、話をしたい。
どんな繋がりがあるのかはわからないけど、それが救いになる気がする。
わたしが、死獅じゃないという証明になる気がする。
「うん」
「あたりまえだ」
もう一度、ぎゅっと抱きしめて、この腕の中の二人を、自分を守ると決意した。
風呂場を出たところで、禄がやってきて、こぎれいになった三人に満足そうにうなずくと、応接室に案内した。
応接室には、柴波が資料を読みながらくつろいでいた。
「おー、汚れを落としたらまあまあな成りにはなったじゃねえか」
任務の巡回終わりなのだろう、椅子の背に若草色の羽織をかけて、さきほどと同じ服を着ている。
禄がすかさず、羽織をもって、しわにならないよう綺麗にたたんでいる。
柴波に促されて、向かい側に三人で座る。
「お風呂と着替え、ありがとうございました」
敬語を日ごろから練習している日向は、少しはましな会話ができるようになってきた。
「ああ、汚いもんは嫌いだからな……傷はもう治ってるのか」
柴波が、あごに手をあてて面白そうに日向と青、緑を見る。
完全に、新しい玩具を前にした子どもの目だ。
「お前ら、名前は?」
柴波が足を組みながら、青と緑に聞く。
そういえば、この二人はさっきから口を開かない。
公園のときもそうだった。
日向以外に話しかけていない。
すると、緑がくいくいっと手を引いてきた。
「ん?」
「日向、話してもいい?」
「え? あ、うん、いいよ」
日向がうなずくと、緑がこくりとうなずいて柴波に向き合った。
「ぼくは朝日奈緑です。これからよろしくお願いします」
座りながら、ぺこりとおじぎをする。
すると、青もコツっと肘でつついてきた。
「なに?」
「いいか?」
「え?」
「話してもいいか?」
青まで許可を取ってくる。日向は首を傾げながらうなずいた。
「おれは、朝日奈青です。よろしくお願いします」
頭を下げる青と緑の所作はきれいだった。
どこかで教育をしっかりと受けてきたような品のある所作だ。
「お前らに関する情報がなさすぎる。兄弟なのか?」
「えっと、本当は違うんですけど、これから一緒に生きるって決めたので、ぼくの弟になってもらったんです。二人は、四国・中国州から来たんですが、記憶がなくて」
日向は、姉様のことは伏せて、二人のことを簡単に説明すると、柴波は眉をひそめた。
姉様のことは、まだ話さないほうがいいと思った。日向自身もよくわかってないのだ。
「四国・中国州からか……よくここまでこれたな」
そう、子どもの足で、さすがにここまで来れるのはおかしい。
「記憶が、穴ぼこになってて、青と緑もどうやって来たのかは覚えてないんです。ぼくといると、ちょっとずつは思い出せるらしいんですけど」
小首を傾げる柴波。
「お前とそのガキの関係はなんなんだ? ちっさい方は、お前を知っているようだったが?」
「……それも、よくわからないんです」
「……詳しい尋問は、これからだな。ところで、そいつらのふざけた名前は、本名じゃないだろうな?」
「ふ、ふざけてなんかないです! 本人が覚えてないから、ぼくがつけたんです」
「だろうな、本名だったら、その安直すぎる名付け親の頭を疑う」
「ひ、ひどいです!」
分かりやすくて覚えやすくて、けっこう良い名前だと思ってたんだ。
柴波はちょっと落ち込んだ日向を無視して、足を組みなおした。
「本題に入る。さっきお前の出した条件を、紙に落とした。契約書だ」
柴波が持っていた資料を、日向に渡す。
すごい、こんな短時間でここまで完璧な契約書を作っちゃうんだ。
日向はごくっと唾を飲み込んで、契約書を読んでいく。
青と緑の処遇が決まった。
「そいつらは、おれの屋敷の使用人としてここで匿ってやる。そいつらの存在は極秘だ。ここの限られた人間だけが知る存在だ」
二人はこれからここに住み込みで働き、柴波の知り合いの研究者により、定期的に研究を行なわれることになった。
「これから毎週の土曜日の午後と日曜の午前は、お前もここで研究の手伝いをしろ」
「はい」
頷きながら、ため息をもらすのをこらえた。
自分で言ったことだけど、実質、これで休日がなくなった。
ま、でも青と緑に会えるなら、それも嫌じゃないけど。
「あの……今日からですよね?」
「当たり前だ」
土日は研究され三昧だ。日曜日の夜は沖奈にもみっちり研究されるんだ。
ガックリと肩を落としたとき、左手を握っていた緑が心配げに見上げてきた。
その頭を撫でて、大丈夫だよ、と笑う。
そして、この二人の存在と日向の関係など今日起こったことに関して箝口令がしかれるという言葉と、土曜日の午後から日曜日の午前の間は、柴波の所有物になるという言葉に、ふと、雷が落ちる気がした。
「あ、あの……これ、楓には、確認しましたか?」
日向が、恐る恐る聞くと、柴波は鼻で笑った。
「するわけねーだろ、お前が自分で言いだしたんだ。おれは、許可がとれてるもんだと思ってたが?」
馬鹿にするような、面白がるような目で日向に言う。
思ってないな。
やっちまったよ。馬鹿野郎。
日向は、ぎこちなく笑顔を作って、右耳に触れる。
「あ、あの、少しだけ、楓に連絡をとってもいいですか?」
「契約書を読んだか? 箝口令って言葉を調べてからものを言え。今回のことは、おれたち以外、だれも知るわけにはいかない。このことが知られたら、どうなるかわかってるか?」
ただじゃ済まさせない顔をしている。
日向は唇を噛んで、頷いた。
楓、ごめんなさい。
最近、やっと近づけたと思ったのに。
「わかりました。あの、でも、緊急の任務がおりたときとかは、日にちを変えても大丈夫ですか?」
「ああ、そんときは連絡しろ」
そう言って、柴波は禄に顎で合図した。
禄が、二つのピアスと、一つの黒いチェーンを渡してきた。
「ピアスはそいつらに一個ずつ。お前はピアスにチェーンをつけろ。チェーンの先の黒い石がボタンになっている」
長押しをすると、柴波につながった。
あ、これ、月桂隊長も三つくらいつけてたな。
「あ、ありがとうございます」
意外だった。わざわざこんなピアスや通信機をくれるとは思わなかった。
それに、青と緑の部屋だって用意していると言っていたし、想像以上に好待遇だ。
「あの……なんで、こんな良くしてくれるんですか?」
緑が手の中のピアスをのぞこうとするのを、頭を撫でて待たせながら柴波に聞く。
柴波は、ただただ面白そうに、子どもみたいな目を光らせてニヤッと笑った。
「おれは、飼うと決めたペットは、ちゃんと可愛がるほうなんだ」
嫌な予感がした。
目の前にある契約書に署名血印をしてはいけない、と本能が言っている。
柴波がニヤリと笑って、筆ペンと針を渡してくる。
「せいぜい可愛がってやるから、さっさと書け」
日向はごくっと唾を飲み込んで、筆を執った。
いまは、保護者が増えたと考えよう、大丈夫、きっと大丈夫。
名前を書いて、針で傷つけた指で血印を押す。
あーあ、もうなるようになれ!
「はい! 書けました! これからよろしくお願いします!」
契約書を、ばっと突き出す。
もう、やけだ。ここまできたんだ。
青と緑のことは、わたしが守るって決めたんだ。
「契約したからには、青と緑のこと、しっかりと保護してくださいね! ぼくもしっかり働くので!」
青と緑の手を握って、睨むように柴波に言う。
柴波は口の端を上げて日向を見る。
「てめえの働き次第だ」
「身を粉にして働きます! だから、青と緑にはしっかり、幸せになってもらえるよう、大切に預かってください」
きょとんとする柴波。
青が手を引こうとするが、がっしりつかんで離さない。
「幸せに?」
「はい、ちゃんと褒めて、しかって、一緒に考えて……この二人は、ぼくの家族です。そして、柴波さんはぼくたちの、言わば、お父さんです!」
ブフッと、柴波の後ろで禄が吹いた。
柴波は、目を丸くして固まっている。
「……は?」
「よろしくお願いします!」
よし、言い切った。
柴波はまだ固まっているが、その背後の禄は、肩を震わせて、柴波の肩をポンポンッと叩いている。
「柴波様、三人のお子さんの子育て、お手伝い致しますよ」
禄は、意外と柴波をからかうのが好きなようだ。
柴波はくっと眉間にしわを寄せて、禄の手を払う。
「なにが子育てか、お前らはペットで十分だ」
「子どもは、親に愛されないとちゃんとした大人になれないって、母さんが言ってました! 柴波さんは、この屋敷で青と緑を育てるって決めたなら、ちゃんとお父さんしてください!」
ここは譲らない。
禄が、また笑いをこらえているのが見える。
柴波の機嫌がどんどん悪くなる。
「もし、それが嫌なら、ぼくの朝日奈道場で大事に育てます。それで、土日の間、一緒にここに通います」
「それはダメだ」
柴波の低い声が響く。
「なんでですか」
「そいつらのことが少しでも外に漏れたら、そいつらは名特研に連れてかれて、一生日の目を見ることはなくなる」
日向は息をのんだ。
その研究所の名前は最近よく聞く。名古屋特異態研究所。
沖奈の所属してる研究所だ。沖奈みたいな人間がたくさんいたら、きっと青と緑は、実験の繰り返しで、人としての生活を送ることが難しいだろう。
「そんな……」
「大人しく飼われてろ」
日向はきっと睨む。
「ぼくは、どう扱われてもいいけど、この二人は人間です! ちゃんと、人間として扱ってください!」
二人を思いっきり抱きしめながら言う。
青が離れたがるが、無視だ。
「お前、そいつらとさっき会ったばかりだろ、なんでそこまでする」
柴波の少し苛立った、それでも不思議そうな顔に、日向は斜め上を見て考える。
「えっと、なんでって……二人はもうぼくの弟で、家族で……それに、似てるから?」
「似てる?」
「はい、ぼくも、九歳以前の記憶がなくて、大変だったんです。でも、父さんと母さんに会って、兄ができて、幸せになれたんです。だから、ぼくも青と緑を幸せにしたいんです」
そう言うと、柴波は考えるように顎に手を当て、
「記憶か……」
と呟いて、それから禄に指示をだした。
「よし、これからのお前らの詳しい話を聞くのは、おれの専属の研究者だ。朝日奈……日向、てめえはこっちに来い」
青と緑は、禄の案内で奥の部屋に連れていかれ、専属の研究者と話をすることになった。
不安そうにこちらを振り返る緑に、ニコッと笑って手を振った。
「またあとでね」
こくりと頷いた緑を見送って、日向は柴波の後を追う。
柴波の部屋に通された日向は、ぐるっと部屋を見回した。
寮の部屋と少し似ていて、銀と深緑で統一された整った部屋だった。
席に座った途端に、柴波が鋭い眼で日向を射抜いた。
「お前、何を隠している?」




